後始末【Part夙】
被害は甚大だった。
――と言うべきなのか。それともあれほどの軍勢を相手に街一つが滅んでいないのだから、世界規模で見れば軽微だと捉えるべきか。
「ほらほら、撤収撤収! 被害の責任押しつけられて賠償とか言い出されちゃ溜まったもんじゃねえんだぁよ!」
この『紅晴』という地は異常だ。短期間で三度……観測された小さな事象も入れると数えるのも面倒な危機に直面し、その悉くを乗り越えてきた。本来は一つ一つが未曾有の自然災害に匹敵するレベルだったというのに、一般の住民たちは危機があったことすら認知していない。
街の原型が残っていなければ、いくら魔術で記憶や認識を操作しようと人々は気づく。人間はそこまでマヌケじゃない。
「逆にこちらから復興支援すると言っても、受け入れてくれないんじゃないですかねぇ」
呪いで満たされ、竜に焼かれ、神の砲撃をくらったというのに『被害が甚大』で済ませられる辺りがもう異常だ。幾度の危機を乗り越えたことで確実に街の『強度』は上がっている。
秋幡辰久は風に靡く十二単の天女を見上げた。
「てか、お宅はもういいのかい? なんか妙なことになったっぽいけど、『炉』は健在なわけでしょ?」
「これ以上続けるなら、私たちはとっくに例の『冷蔵庫』を回収するために動いてますよぅ。機械仕掛けの神が動く理由を失った以上、こちらも監視に切り替えるだけですぅ」
冷蔵庫。
辰久もアリスから報告を受けていたから、当然その存在は知っている。なんならさっきこの目で見た。神を呑み込む奇々怪々な冷蔵庫を。
なにかあれば即座に動けるよう部下たちに指示も出していたが、小一時間経った今も平穏が続いているならもう大丈夫だろう。魔法士協会がさらに仕掛けてくる様子もない。よって、辰久は撤収の判断を下した。
「そちらこそぉ、竜の卵と始祖竜の件はもういいのですかぁ?」
「いやぁ、まったくよくないんだぁよ。ただ、暴走が止まってんならおっさんたちが余計なお世話を焼く必要ないってわけ。寧ろ帰ってからその件絡みの仕事が待ってるっていうか」
「厄介ですねぇ、『連盟』は。いろんな組織が混ざり合ってるから秩序を保つのが大変そうですぅ」
「不特定多数の異世界人を『監査』するよりはマシだぁよ」
うふふ、ククク、と笑い合った二人はそれ以上言葉を交わすことなく背を向けた。それぞれの陣営を率いてさっさと街から撤退していく。
†
次元の狭間。
「ヒャホホ、最後に面白いものが見れた! これは我が〝魔帝〟に良い土産話となりそうだ!」
次空艦の一室でティーカップを啜る『呪怨の魔王』グロル・ハーメルンは、楽しそうに闇の中に浮かぶ白い目を歪めた。
それから新しいカップに紅茶を注ぎ、すっと空中を滑らせて背後のテーブルへ。
「そちらも良い物語が書けそうかな? 『降誕の魔女』殿?」
そこには青い髪を二股の尻尾のようなローツインテールにした少女が優雅に座っていた。彼女の膝の上には毛を逆立てた黒猫がグロルを威嚇している。
「そうだね。期待よりは下回った内容だったけれど、創作意欲は搔き立てられたよ。ボクが作ったチャットルームに招待した人たちがもっと参戦してくれたらよりよかったんだけどね。ああ、傍観勢だった君が一瞬でも干渉した展開は面白かったよ」
「それはそれは、楽しんでいただけてなにより。ヒャホホホ」
「フフフ」
怪しく静かに笑う青髪の魔女は、出された紅茶の香りを楽しんでからそっと一口。
「確かにこれは悪くない茶葉だね。世界の恨み辛みをこれでもかと吸って育った植物じゃないと、この殺人的な渋みは出せないだろう」
「そうでしょうそうでしょう。常人なら嗅いだだけで正気を失う香りがこちらの茶菓子とも合うのだよ」
「なんでそんなの普通に飲めるし!?」
黒猫が今にも吐きそうな顔をしていた。
「それで、ここにはなんのご用で? 招いた覚えはないのだが?」
「君に用はないさ。ただ、最も状況を俯瞰できる場所がここだっただけ。狭間に加えて『呪怨』の船という特殊な空間は、ボクがこの姿でいられる時間も伸びるみたいだしね」
そんな理由で不法侵入されたとあっては『君主』の面目丸潰れである。魔王に法もなにもないのだが。
ただ、相手が彼の〝魔王生み〟――『降誕の魔女』アルマ・クレイである以上は無下にできない。彼女は現存する概念魔王以外の六割の誕生に関わっていると言われている。物語に悪役を設定するように魔王を作り出す彼女は、前〝魔帝〟ですら警戒していた存在だ。
白蟻姫ごときがどうこうできる存在じゃないことは、実は最初から知っていた。
「ボクを警戒しているのかい? ここでボクが君に手を出すことにどんな物語的意味があるというのかな? それは『蛇足』というものだよ」
「ヒャホホ、ならば安心だが……貴女の存在を我が眷属が恐れているようでね。できれば、それを飲み終えたら帰っていただきたい」
グロルは横目で扉の方を見る。そこではデフォルメされたペンギンたちが部屋を覗き込みながら震えていた。
「そうすることにするよ。これ以上留まっても面白い展開にはならないからね。面白そうな不安定要素も混ざり始めて一旦落ち着いちゃったみたいだし」
コトリとカップを置いて青髪の魔女は立ち上がる。その足下に転移の魔法陣が広がり、一瞬で輝きが強くなった。
「ああ、そうだ。同じ傍観が趣味の者として君に一つ訊ねたい」
姿を消す前に、青髪の魔女はグロルに向き直った。その表情は実に愉快そうに歪んでおり、グロルをもってしても背筋が凍るような感覚に陥った。
「今後の展開は、どうなっていくと考察する?」
†
「……せーの」
貴文は大きく息を吸い込み、ありったけの声量を込めて今の素直な気持ちを吐き出した。
「なんじゃこりゃあぁあああああああああああああああああああああああッッッ!!?」
邸が見るも無残にほぼ全壊している。いや、それだけならまだいい。たまにある。邸の周囲までそれはもう流星群でも降ってきたのかってレベルでボッコボコだったのだ。
いや、それもいい。まだなんとかなる。
ボコボコになった地面には冷蔵庫に吸い込み切れなかった機械の部品が散乱し、塩が雪のように積り、さらには苺の蔦が侵略植物のごとく蔓延っているときた。これらを全部どうにかしなければと思うと今から胃が痛くなってくる貴文である。
「なにってさっきから見てたじゃん♪ なにを今さら喚いているのさ管理人☆」
黒兎に介抱されつつセシルが呆れたように言う。酷く消耗している彼女だったが、今は努めて普通に接しようとしていることがわかる。
「それはそうだけど、改めてだな……」
物的被害は目を覆いたくなるが、人的被害は怪我人多数で済んで不幸中の幸いといったところだろう。人がいればどうにかなる。そう前向きに捉えることにした貴文だったが、なにやら足下でもぞもぞするものが。
「わふ」
見ると、異世界邸の謎生物――ポチたちが機械の部品らしきものを加えて尻尾を振っていた。いったいどこに隠れていたのか、百匹くらいいる。
「もしかして片付けを手伝ってくれるのか? ありがとな」
今は謎生物の手も借りたいから助かるー! って思いながら貴文はポチが加えていた大きめの丸っこい機械部品を受け取った。
ポンコツの生首だった。
「ほわぁああああああああああああああああああああああああッ!?」
反射的に放り捨てそうになった貴文だったが、どうにか寸前で堪えた。すると、後ろからフランチェスカが貴文の手元を覗き込んでくる。
「もしかして~、これ全部あの子たちのパーツ~?」
「ミス・フランチェスカ、直せるか?」
「ん~、できないこともないと思うんだけど~」
貴文の問いにフランチェスカは困った風に眉を寄せ、すっと視線を邸があった場所へと向けた。
「この状況じゃ無理だよね~。な~んの設備もないし~」
「デスヨネー」
「それにこの子たちって純粋な科学じゃなくて、魔科学も混じってるっぽいんだよね~。ちょっとした修理ならまだしも、これほどバラバラに破損したものを組み上げるとなると私だけの技術じゃ手に負えない部分があるかも~」
確かに、と貴文は唸った。そもそもこの状態から完全に修理できるのかも怪しい。
「魔科学者なら伝手はあるよん♪ でもあいつ変態だから、女性型の胸部装甲を全部控え目にされかねないんだよね☆ それでもいいなら紹介するぞ❤」
そうセシルが提案した。彼女が元々いた組織なら魔科学者なる人物がいても不思議はない。
「よくわからんが、ポンコツ以外は戦闘用じゃないし別に防御力が下がってもいいんじゃ?」
「元犯罪者で、貧乳変調波とかいう電波をバラまいて世界中の女性みーんなちっぱいにしようと企んでた奴なんだけど♪」
「よーし他の手を考えよう!」
やべー奴に大事な住人を任せるわけにはいかない。異世界邸の住人も大概やべー奴らだが。
「であれば、異界監査局の施設を利用安定です」
淡々とした声は邸の正門があった辺りから聞こえてきた。
振り向けば、ゴスロリのメイド服を纏った灰色髪の女性がこちらへ歩み寄ってきていた。彼女は異世界邸で雇っているメイドの一人である。
「レランジェさん!? どうしてここに!?」
もし彼女が最初からいたなら、ここにいるポンコツたち同様に機械仕掛けの神に操られ取り込まれていたことだろう。これも不幸中の幸いである。
「機械神が消失したので出勤安定です。ポンコツ様たちは異世界の技術で作られた存在安定ですので、監査局の異界技術研究開発部であれば修理可能だと思われます」
機械的に告げられた内容には希望しかなかった。そんな都合のいい話がこんな都合のいいタイミングで出てくるとは、ちょっと警戒せざるを得ない。
「異界監査局ってレランジェさんを派遣してくれた組織だよな? 本当にそんなドンピシャな施設があるのか?」
「日々、おっぱいミサイルなる兵器を開発するため試行錯誤している人たちがいる部署安定です」
「どこの科学者もそんな感じなの!?」
よかった。ちゃんと絶望も含んでいた。いや全くよくないが。
「でも~、悪くない提案かも~。実はちょっと興味があったんだよね~。フミフミ君、お願いしちゃおう? 私も一緒に行くから変なことはさせないよ~…………たぶん」
「最後の一言が不安すぎる!?」
だが他に手がないのも事実。異世界邸を再建したとしても、ポンコツたち全員を修理する規模の施設は作れない。グリメルに頼んでダンジョン内にスペースを確保することくらいならできるだろうが、繊細で精密な機材となると簡単にはいかないだろう。やはりどこか大きい組織に外注した方がいい。
「じゃあまあ、ポンコツたちの件はそれでいいとして……」
ガッ! と。
貴文の肩が力強く掴まれた。
「た、たたたタカフミ!? わ、妾の、妾の借金はどうなったのだわ!?」
今度は、こっちのポンコツの相手をしなければならない。ティアマトの召喚した竜が暴れた分は彼女自身に償ってもらう。それを借金だと言って地上まで引っ張り上げてきたのだが――
「いやお前、地上に出てからなんの活躍もしてないだろ」
「ひぐっ」
「地下に引き籠もって竜を召喚して大暴させて大損害を出したけど、それをチャラにできる活躍を期待してたんだがなぁ」
「ふぐぅ!?」
彼女はいろいろと手に負えなくなるまで目を回していた。そこはちょっと強引に引っ張り上げた貴文が悪いのだが、それはそれこれはこれである。
「ち、ちなみにどのくらいなのだわ?」
「俺は見てないから実際竜がどのくらい被害与えたのかわからんけど、そうだな……被害の三分の一だと仮定したとして、このくらいか」
貴文はスマホの電卓を叩いてその画面をティアマトに見せた。
「一、十、百、千、万……ぜ、ゼロが十個以上……ジンバブエドル?」
「円だ」
ぶわっ! とティアマトの両目から塩水が溢れた。なんで幻獣がジンバブエドルなんてものを知っているのか知らないが、ビタ一文まけてやるつもりはない鬼の貴文である。
「は、働いて返すしかないのだわ……この子が生まれる前に返済しないと……妾の〝塩〟を祓魔師あたりに売りつければワンチャン……そうなのだわ。いける。妾の〝塩〟はどんな不死者だろうと昇天間違いなし。ククク、祓魔師たちはもうこの白い粉なしでは生きらなくなるのだわ……」
なんかぶつぶつと怪しいことを言いながらティアマトは去って行った。
「とりあえず……」
貴文は改めて周囲の惨状を見回す。
「経費削減。まずは自分たちだけで片づけるとするか」
大きく溜息をつき、貴文は動ける住民たちに指示を飛ばすのだった。




