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異世界アパート『異世界邸』の日常  作者: カオスを愛する有志一同
三つの脅威・2
163/177

同時進行【part 紫】

 時は少し遡り、異世界邸の位置する山の中腹。

 真っ暗闇に沈められた悠希の意識が、いきなり戻った。


「あら。まだ結界に、効果が残っていたのね──」

「はっ!!??」

 耳元に聞こえた声に、悠希はほぼ条件反射で身を翻す。毎朝の起床の習慣通りに、手近にある丈夫そうなものを引っ掴んで地面に叩き落とすように地に伏せた。

「ぶべらっ!?」

「えっ?」

「悠希ちゃん無事!? ……あらあらまあ」

 奇妙な悲鳴が響き、那亜の切羽詰まった声が急に関心と安堵の入り混じったものになった。

「……えっと」

 嫌な予感がして恐る恐る顔を上げると、亀のように丸まった自分自身の上に乗る──というか、悠希が引っ掴んで被った──、人物が目を回していた。

 人物、というか。

「……えっと、あの」

「悠希ちゃん、やるじゃない。見事な不意打ちだったわよ。さすが栞那さんに仕込まれているだけはあるわね」

 この、頭を強打して気絶していますと言った風体の、黒のシスター服から白い髪が力無くこぼれ落ちている女の子──というか、女の子の姿をした何かは、ひょっとしなくても悠希をここまでさらった犯人だろう。

「……まあ、いいか」

「? どうしたのよ」

 寝起きアラーム対策が身に染み付きすぎている自分自身に微妙な気持ちになりながらも、悠希はそっと女の子の下から這い出た。那亜を見上げる。

「那亜さんも捕まったんですか?」

「捕まったというか、悠希ちゃんに着いてきちゃった」

「えっ!?」

 あまりに簡単に言われた言葉に、悠希は思わず目を剥いた。が、那亜は当然のことのように返す。

「栞那さんは今身重だし、私が母代わりに守るのは当たり前のことよ」

「っいや、だって……!」

 すぐ近くから轟音が響いているからわかる。ここはきっと、異世界邸のすぐ近く、戦場だ。せっかく安全な病院まで避難したのに、悠希が油断したせいで捕まったのを、那亜は心配して追いかけてきたのだ。

「……すみません。自分が、うっかりしていたせいで……」

「バカねえ」

 那亜は悠希の言葉を塞ぐように、ふんわりと抱きしめた。

「子供がそんなことを考えなくてもいいのよ。悪いことをした奴が悪いし、捕まったのは悠希ちゃんのせいじゃなくて、油断していた私たち大人の落ち度よ。だから自分の尻拭いをした、それだけよ」

「那亜さん……」

 その言葉に、悠希の肩からやっと力が抜ける。それを感じ取った那亜は、ニコリと笑って身を起こした。

「さて、そうとなればまずは移動しましょ。捕まえて移動したってことは、仲間がいる可能性が高いからね」

「あ、そうですね」

 那亜の指摘にその通りだと気づいた悠希は、未だ気絶している女の子──二人は結局「メリー」の名前すら知らない──を適当に縛って後を追えないようにしてから、その場を後にした。

「……それにしても、なんで自分なんでしょう?」

 とりあえず麓方向を目指しながら、悠希がふと呟く。何かの人質にするためなのだろうか。まあ一般人で捕まえやすいのは確かだが。

「……悠希ちゃん、たまにうっかりさんよね」

「えっ」

「あなたの首にかかっているもの、魔術関係者にはとても価値があるのよ」

「……あっ」

 そういえばそうだった。自分の周りにとんでもないものがありすぎて少々麻痺しかけていたが、先日不思議な少女から受け取った空色の石は、無属性魔石とかなんとか、とても希少なものらしい。

「だからそれを狙ったのでしょうね。竜や機械人形たちが悠希ちゃんを狙う様子はなかったから、第三勢力ってところかしら」

「一度に三つ以上の敵に囲まれてんですか、このアパート……」

 フォルミーカ、無角、天狗、障り神と立て続けに襲われたせいでかなり麻痺しつつあるが、それにしたってこんなに多方向から短い期間に狙われるとは。しかもその度にアパートはボロッボロだ。管理人の胃は今頃大丈夫だろうか? 身の危険よりもそっちが心配になる悠希であった。

「けど、ちょっと前までの砲撃が止まっていやがるのは助かりますね」

「そうね」

 ちょっと振り返りながら悠希と那亜は言葉を交わす。幸か不幸か誘拐ルートは避難ルートと一致していて、砲撃が届きにくいところではあるが、避難中はいつ飛んでくるのかと気が気じゃなかった。

 しかし今は砲撃音が止んでいる。ドッカンドッカンと戦闘音は聞こえるが、そっちはほぼ日常音と化している悠希としてはあまり怯えるものでもないので、かなり気が楽だ。

「……それもズレている気がするけど」

「今更です」

「まあ……そうねえ……」

 異世界邸の日常は一般的には非日常だ。その点はもう諦めている悠希である。

「でも──」


「怖いなあ……」

 声と同時に、地面に魔法陣が広がる。


「ぎゃっ!?」

「悠希ちゃん!」

 二人で庇い合うようにして魔法陣から飛び退いた。数瞬後、ガリガリに痩せた男がパッと姿を現す。

 魔石を狙い紅晴を襲った魔法士、〈恐怖の略奪者プレデター・テロリスト〉がついに悠希の前に姿を現した。

「メリーから逃げるなんて……さすがこわい怖い空の魔石の持ち主だなあ……」

 淀んだ水色の瞳に見つめられて、悠希は息を詰めた。視線を合わせているのに合っていない、不気味な眼差しに背筋が冷たくなる。

「怖いなあ……怖い石を持ってるなあ……でも、僕はそれが欲しいんだ……」

 骸骨のようなほおに引き攣った笑みが浮かんだ。悠希は、那亜に庇う様に抱きしめられながら、ジリジリと後ずさる。

「大人しく渡してくれたら……何もしないであげるけど……こわぁい保護者が許してくれないかなあ……? 石にも強い守護魔術がかかってるね……」

 セシルの魔術を一目で見抜いている。それだけでも、この魔術師らしき人物がかなりの上位者だと悠希にもわかる。

「……街を呪っていた犯人ね」

 那亜も同意見だったらしく、低い声で呟く。耳ざとくそれを聞きつけた魔法士が笑った。

「ひひひ……あの街の力もすごいよねえ……怖いねえ……」

 どろり、と。魔法士の足元から、紫色の澱みが滲む。

「っ!!」

 悠希と那亜の顔色が変わった。

「ほら……こんな怖いものばっかりが戦ってるような山の中でも、簡単に呪えてしまう……すごいなあ、この街は、怖いなあ……!」

 ひひひ、と引き攣った笑い声を上げながら、じわじわと呪いを広げて悠希達を飲み込もうと一歩踏み出した、が。

「!?」

 ガクっと何かに押し留められたように、魔法士の動きが止まる。

「……怖いよう……なんなんだよう……!」

 魔法士が呟くと同時、悠希の胸元が淡く輝いた。夕焼けを思わせる光を、悠希は無意識に握りしめる。

 名前も知らない友人から受け取った、お守り。悠希にとって、これはそういうものだ。

 そういうものだからこそ、悠希を守ろうと、石が輝く。

「……ああ、ああ、そうか、それこそが魔石の……嗚呼、怖いなあ……!」

 歓喜の色を宿した魔法士が、無理やりに呪いを広げようとした──その時。



 ──この世の終わりの様な悍ましい気配が世界を包んだ。



「っく……これは……!?」

「えっ?」

 那亜が息を呑んで動きを止める。その見たこともない様子に思わず悠希は瞬く。そして那亜の明らかな変化は目の前の男も例外ではなかった。

「ひ、ひ、ひ、ひ、ひ……!!」

「!?」

「怖い、怖い、怖いなあ……! なんだろう、分からない、分からない! 分からないのもそうだけど、ただただ、人格(こころ)が圧し折れそうな圧が怖いよう……!!」

 ガリガリと扱けた頬を爪でひっかきながら背を丸めて叫ぶ魔法士の異様な怯えように、悠希は数歩後ずさる。

「な、何が……」

 困惑した様に呟いた悠希を見て、那亜は悟った。

(悠希ちゃんを守る力は……この気配すら遮断しているのね……)


 こんな、世界が終わってあまりあるような悍ましさからすら守ろうとする力を、祈るでもなく願うでもなく引き出してしまう。それこそが「空の魔石」の持ち主なのだと、思い知った。


「……ヒヒヒヒヒヒ……!」

 そして、それは魔法士も同じ。

「怖い怖い、そして、素晴らしい……お前が持つには勿体なさすぎる……! ああ、ああ、怖い力だ、だからこそ──僕によこせぇ!」

 瞳孔の開き切った水色の瞳がギラついた光を放ち、足元に広がっていた呪いがマグマの如く湧き立つ。

「!!」

「悠希ちゃん!」

 ろくに動けない様な気配の中、狂気に呑まれた魔法士と、それから守らんとする那亜が身を躍らせようとした、その時。


「誰がお前みたいなのに渡すか、クソ野郎」


 聞いたことがない低い声で吐き捨てた人影が、魔法士を魔法ごと思いっきり蹴り転がした。


「ぶベぇっ!?」

 奇声と共に、ただの蹴りとは思えない勢いで魔法士が吹っ飛ぶ。呪いもそれについていく様に吹っ飛んでいった。

「……え……」

 ぱちぱちと瞬く悠希が事態を把握するより先に、魔法士を蹴り飛ばした本人が振り返る。肩で息をしながら悠希を見上げてきたのは、翔だった。

「悠希!」

「!」

 ビクッと肩を揺らした悠希に一瞬で駆け寄り、翔は両肩をしっかりと掴んだ。

「怪我はないか? どこか痛いところは?」

「え、あ」

「あの野郎に何かされなかったか」

 状況を把握し切れない悠希の様子に気配りする余裕もないとばかりに、立て続けに問いただす翔に、悠希は何度も瞬きながら、おずおずと頷いた。

「だ、大丈、ぶ──」


 言い終わるより先に、強く抱きしめられる。


「……よかった」

「──」

「無事で、よかった」

 微かに震える声に、悠希は無意識に肩から力を抜いた。

「……心配かけて、ごめんなさい」

 自然と出てきた謝罪には、たくさんのものが込められていて。それに気づいてか気づかずか、翔はもう一度ぎゅっと抱きしめてから悠希を離した。

「……那亜、ついていてくれてありがとう」

「当然よ」

 にこりと、どこか嬉しそうに親子を見て笑う那亜に少しだけ苦笑して、翔は「さて」と振り返る。

「とりあえず、うちの大事な娘を勝手に攫って怖い目に遭わせたクソ野郎を片付けようか」

「ほどほどにね」

「心にもないことを言うなあ」

「うふふ、そうね」

 どこからともなく出刃包丁を取り出して構える那亜。片手をポケットに突っ込みながらも、油断なく構える翔。

 その二人の笑顔に、何故か悠希の身のうちに、聞き慣れた警告アラームが鳴り響いた。

「あ、あの、自分は大丈夫なので! 無茶は──」

「はは、何を言っているんだい。そうだろ、那亜」

「ええ、そうね」

 二人はそっくりの笑顔を交わし、那亜が代表するように言う。


「親っていうのはね、悠希ちゃん。我が子の敵には迷わず牙をむく獰猛な生き物よ」


***



 紅晴市内、吉祥寺。

「ぼさっとしない!」

 異様な気配に凍り付く術者たちに、魔女の喝が飛ぶ。

「浄化の術式は予定通り、竜軍殲滅後に展開する! もう時間がないよ、準備はできた!?」

「っ、次期どの、ですがこの気配は……!」

()()は今すぐに街の脅威にはならない! 先の脅威より目の前の脅威だ! 機械軍もほとんど壊滅した今、最優先事項は呪いの浄化だろう、さっさと動く!」

「は、はい!」

 声の迫力に気押されるように、凍りついていた術者たちが一斉に動き出す。元々魔法士の呪いの中でも飲み込まれずに外敵の対処をしていた精鋭ばかりだ。一度立て直せばあっという間に術式を組み立てていく。

「次期どの……」

「あちらは竜軍殲滅は30秒と言い切った。残り時間は後15秒。そのタイミングを逃さずに一気に浄化をするよ。その為に総力絞ってもいいくらいだ」

「──承知しました。必ずや」

「梗の字もだ。準備もいい?」

『……ああ。あの気配については後日説明を求めるぞ』

「私も詳しくは知らないけど、了解」

 相変わらずといえば相変わらずな発言に無理矢理苦笑した、まさにその時。

『次期どの! 竜が動きを止めて──』

 その言葉に誰もが一斉に空を見上げた。


 空に浮かぶ全ての竜が、動きを止めている。


 空に縫い止められた様に、翼一つ動かさない竜の群れは言いようもしれない気味の悪さを感じさせる。


 そして──


 ──バサッ!!


 音もなく、一斉に塩と化して降り注いだ。

 まるで塩の雨のような光景を前に、術者たちは息を呑む。


「──竜の塩は、浄化の塩」


 そこに、歌うような「魔女」の言が響き渡る。はっと我に返った術者たちは一斉に霊力を注ぎ込んでいく。


「全てを浄化せしめる塩の雨が滴る土地に宿るは、我らが守護の力」


 仕上げとばかりに霊力が注がれる術式に、魔女の言霊が絡みつき増強させていく。


「──東は門崎、西は嘉上、南は霍見、北は吉祥寺。四方の守護より紡がれるは、我らが奉る土地神より守り給ふ、敵より土地を守るための力」


 更にそこへ、七星を模る光が紅晴の地脈から力を引き出して広げていく。


「……これは、門崎の」

 誰かが小さく呟いた。


「──まもりたまへさきわひたまへ、はらひたまへきよめたまへ」


 いつしか言霊が祝詞へと変わり、魔女の声が遠く広がっていく。


 全ての術式に重ね合わせる様に、もう一つ、浄化の術式が重ねられた。

 それを確認した魔女が、小さく笑う。

「……やっぱり覚えてるじゃないか」

 口の中だけで言って、魔女は背筋を伸ばして柏手を打つ。


「──浄化術式、起動」


 紅晴の街全てを白い光が覆い尽くし──塩の浄化も借りて、魔法士の呪いを打ち払う様に浄化した。



***


「へえ、ティアマトの〝塩〟も利用して一気に浄化するなんてこの街の術者も侮れないってことだぁね。おっさん的には楽ができてよかったけど」

「あらあら、最初から他人任せだったじゃありませんかぁ。街の心配はいらなくなったのでぇ、私は例のアパートに向かいますぅ」

「あ、転移するならおっさんも一緒に――ってもういない!?」


***


「……。浄化の〝塩〟効果を累乗させ、そこに地脈の力を重ねることで魔法士幹部の呪いに対抗したか。ま、妥当だな。これで魔女が瀧宮羽黒の手を借りた目的が解明された。残る不都合は……、ああくそ」

『主、無理をなさらず』

「だから主じゃねえっつってんだろ」

 


***


 眠るのに不愉快な気配が、消えた。

 微睡の中でそれを感じ取った「それ」は、ゆるゆるとまた眠りに戻っていった。



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