魔王の本領【part山】
「――ぅきっ」
ゴッ、という鈍い音と共に機械仕掛けの神の巨大化した拳が黒毛の猿――〈絶望の猿猴〉の顔面を打ち据えた。腕部パーツの殴打が今度こそ的確に入り、猿の頭部が上半身ごと吹き飛び塵芥と化す。
《撃滅を確認。標準兵装へ換装。神敵の殲滅を続行します》
大きく腕を振るって血糊を飛ばし、そのまま腕部を元の大きさに組み替える。
〈絶望の猿猴〉――彼の魔獣の特性を簡潔に表すならば「幸運値の極振り」であった。
敵対者の攻撃は悉く運悪く外れ、不発となり、そのくせ猿からの攻撃は全てがクリティカルヒットする。その迷宮内における攻略方法は幸運や回避の余地がないほどの高火力かつ広範囲における絨毯爆撃が順当な手段として挙げられるが、野外においてはそれすらも有効打とはなりえない。
そこで機械仕掛けの神がとった手法は「とにかく試行回数を増やす」であった。
間接機工を多く介してしまう砲撃は不具合による不発が多くなるため制限し、肉弾戦を選択。
それでも接近兵装に数々の不具合が発生したため、機体操作以外の機能はその修正作業にリソースを割いた。後は生身の生物であれば気が遠くなるほど何度も何度も拳を振るい、当たるまで繰り返す。
そして試行回数にして1349回目にしてようやく拳が有効打を与えることができた。
《探知及び解析を実行》
歯車と回路の機体ゆえに一息つくこともなく、猿の対処に当たっていて観測できていなかった周辺状況の様子を再確認する。
《解析完了。始祖竜軍配下の古龍種残存8個体。2個体減少。虚空間への幽閉を確認。本制裁に影響なしと断定。その他翼竜種損耗率55.8%。呪詛発生源健在。最終目標周囲20km内の環境への破壊率62.8%。神軍損耗率42.1%。現地徴収戦力損耗率67.9%。損耗率増大につき空中要塞太陽の翼亜型より増援投下――》
「させると思っているのか?」
ぞり。
機械仕掛けの神の頸部接続箇所に鋸状に逆立つ刃が突き立てられ――その頭部が景気よく宙を舞った。
ガシャンと音を立てて機械仕掛けの神の首から下が力なく地上に向けて落下し、間もなく轟音と共に巨大なクレーターを作って地上を抉る。その様子を頭部の視覚センサーを使って感知しながら襲撃者に注意を向けた。
「時間稼ぎご苦労であった、〈絶望の猿猴〉よ」
下半身だけ残され魔力となり霧散し始めていた猿に手のひらをかざし、褐色肌の青年――グリメルがその残滓を回収する。
《新たな敵性個体の出現を確認。データベース参照。検索結果。建築家の末路――》
「その下りは既に一度やってるのだ。いちいち確認しないと迎撃もできないのか?」
《…………。迷宮の魔王グリメル・D・トランキュリティと95%一致》
遮られた音声による再確認を構わず続行する。
先刻よりも一致率が高くなっているのは、その肩に担がれた巨大な剣故だろうか。
断頭台のように三日月形に内側に向けて反った刀身、さらに刃は鋸状に逆立っている。その一つ一つが世界を己の都合のいいように破壊り直す力を秘めていた。
全く持って煩わしい。
機械仕掛けの神は背後の空中要塞からスペアの機体を転送させ、頭部のデータを移しながら立ちはだかる魔王に相対する。
《殲滅を開始します》
「〈猛進の大牙〉、〈苛烈なる猛虎〉」
グリメルの呼びかけに応えるように、彼の背後に鉄仮面の巨大な猪と虎の毛皮を纏った大男が出現した。
そしてその二体の魔獣に対し、
「その力、一度余に戻すぞ」
――手にした鋸で首を跳ね飛ばした。
《…………》
その行為の意味をシミュレートするのに、0.04秒程の時間を要した。
瞬き一つにも満たない刹那の間ではあったが、グリメルは機械仕掛けの神の視覚センサーから消失。そのことを思考回路で処理する間に――ごり、と金属が力ずくで捻じ曲げられる異音が背後から発生した。
その瞬間、半重力機構、飛行ユニット、機械の翼部による飛行機能の全反応が消滅。
対応として代替機能を0から再生成を試みたが、背後から追加の打撃が入る。
ちゅどおおおおおおおおおおんっ!!
爆音とともに機械仕掛けの神が山肌に叩きつけられた。
先ほど落下したボディと同様にクレーターが形成され、舞い上がった土砂と土埃により完全に視覚センサーが機能しなくなる。代わりに収音センサー及び魔力探知センサーを起動するがーー
バキン
それらを司る頭部両サイドのパーツと背負っていた歯車機構を毟り取られた。
《何故》
口を模した頭部のがらんどうから機械音声が零れ落ちる。
それと同時に思考を司る機構はその神敵の脅威度を更新させ、万が一のためのバックアップとして存在データを空中要塞へと転送する。
バキン バキン バキン
しかしその間にも探知できない速度で全身のパーツが毟り取られていった。
外殻が、腕部が、脚部が、センサーが、回路が強引に引き千切られ、破損していく。
《何故。何故。何故》
再び音声が零れる。
目の前の事象に対する対処シミュレートが追い付かない。
《何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故――何故》
思考が間に合わない。
多くのパーツを失い、もはや原形を留めていない姿になってもなお、機械仕掛けの神にとっては負荷の大きな事象ではないはずだった。
だのに――対応ができない。
《――何故だ!!》
その機械音声が己のスピーカーから発せられたものだと認識するまで、実に1秒もの時間を要した。
「ギャハッ!!」
バチバチと火花によるノイズが混じる収音機器に、その下卑た哄笑が届く。
「我ガ主君ゥ、我ガ主君ゥ! イイナァ、イイナァ! ギャハハッ! ヤッパ我ガ主君ハコウデナクッチャナア!」
ばさりと大きな羽ばたきの音と共に土埃で塞がっていた視界が晴れる。
右肩に巨大な鋸を担ぎ、左手に毟り取った機械仕掛けの神のパーツをぶら下げたグリメルの左肩に白い羽毛の鴉が止まっていた。
「いいなあ、いいなあ……大牙さんと、猛虎さん、猿さんも、いいなあ……我が主君に食べてもらえて、羨ましいなあ……」
幼い少女のような声が頭上から降り注ぐ。
先程まで邸を跨ぐように覆いかぶさり、その背で砲台からの爆撃を防いでいた牝牛の石像が地に――機械仕掛けの神に鼻先を向けていた。
「ああ、我が主君! 儂には思考のための回路を頂けぬか? あれがあれば盤上のより先の手を読むこともできましょう!」
老人の声がし、豊かな髭を蓄えた老龍が石像の足の陰から身を乗り出す。
ティアマトの竜軍――ではない。迷宮の魔王の配下の魔獣だ。
「ふん、それはいい考えだな。老いぼれの鈍った頭では神の回路を取り込んでようやく使い物になろう」
「何だと駄馬が!」
「私は翼を頂きたい。今の翼に不満はないが、もう一対くらい備えがあれば映えると具申いたします」
さらに頭上から武人然とした女性の声がする。天馬と一角馬を合わせたような合成獣だった。
彼女はわざわざ地に堕ちた機械仕掛けの神のボディを踏み越えてからグリメルの背後に控えるよう立ち、翼を広げている。
「やれやれ、相変わらずのようでありんすね」
「些か不敬であるぞ、ご老公。何を誰に与えてくださるかは我が主君の一存によるもの。我々階層支配者はそれを享受するするのが本質である」
色気のある艶やかな女性の声と低く響くようなバリトンが加わる。
牝牛の石像ほどではないが老龍よりも大きい巨蛇が周囲の樹木を器用に避けながら赤い舌をちろりと出し、こちらを窺っている。さらにグリメルの足元に、いつの間にやらマジシャン衣装の黒兎の人形が立って玩具のステッキをくるりと回していた。
《……何故」
再び、声が漏れる。
スピーカーではなく発声器官のような音だった。
「チチチ」
「チチ」
「チチチチチチ」
魔獣たちの隙間を埋めるように、おびただしい数の赤目の溝鼠が沸き上がる。
全ての個体が腹を空かせたように周囲の樹木に齧りついているが、一声解放の声がかかれば一斉に飛び出してきそうな雰囲気があった。
「何故、私をそのような目で見る……! 何故私を、餌を前にした獣のような目で見る!!」
「全く、察しの悪いガラクタなのだ」
ぶん、とグリメルが鋸の切っ先を機械仕掛けの神へと向ける。
「事実、貴様はこの者たちの餌なのだ。そのままでは舌触りが悪そうだったから下処理をさせてもらったがな」
「下、処理……」
「最初に貴様の首を跳ね飛ばした時だ」
鋸の逆立つ刃がゆらりと仄暗く燃えるように揺らいだ。
「余の魔王武具〈蹂塔鋸〉が権能の一つ――挽き落とした存在を喰い改める力だ。今の貴様は神でも何でもない、堕落した歯車の塊に過ぎない」
さあ、とグリメルが鋸を担ぎ直し、周囲を取り囲む魔獣たちに手を広げる。
「もう『待て』の必要はないのだ。好きなだけ喰い散らせ」
「……ッ!!」
最初に飛びついてきたのは、最も貪欲に所望する部品を乞うていた老龍だった。髭を振り乱しながら機械仕掛けの神だった物体の頭部を噛みちぎり、空いた牙で咀嚼しながら嚥下する。
老龍と険悪に言い争っていた天馬はグリメルが毟り取った翼をその手から戴き、堅牢な前歯でかみ砕く。
牝牛の石像は遠慮がちに口を開けていたが、その巨体故に位置が定まらずに四苦八苦し、白鴉が老龍の口元から零れ落ちた丸い視覚センサーをかすめ取る。さらに周囲の溝鼠たちが待ってましたとばかりにまるで一つの生き物のように動き、黒い津波を形成し齧りついた。
巨蛇と黒兎は興味がないのか、その様子を黙って様子を窺っている。
「な――」
その光景を。
「舐めるな薄汚い魔獣共がああああああああああ!!」
遥か上空の空中要塞から観測していた機械仕掛けの神は怒号を上げ、再度地上に降臨した。
「あうっ!?」
「ギャハッ!?」
「なんじゃ!?」
「ぬうっ……!?」
「――――――ッ」
その余波で石像が、白鴉が、老龍が、天馬が、溝鼠が弾け飛ぶ。
「あらら、みっともないでありんすねえ」
「……我が主君」
「ああ。ようやく本体のお出ましなのだ」
降臨地点から僅かに離れた場所にいたグリメル、それに巨蛇と黒兎は巻き添えを回避したようだが、それはひとまず、どうでもいい。
こうして観測機器からデータを集め終わり本体の降臨が成された今、この世界の殲滅完了まで秒読みだった。
だのに。
だと、言うのに。
「アア嗚呼あああゝああああアア亜ッ!! なんだ、なんだこの思考回路は!! ノイズが、ノイズで頭が割れそうだ!!」
先に投下した観測機器と寸分たがわぬボディで再臨した機械仕掛けの神は、頭部パーツを両の腕部で抱えながら喚き散らす。口を模したがらんどうからは絶叫と潤滑油が零れ落ちる。
「貴様、魔王が!! 貴様当機に何をした!!」
「なんだ貴様、上でふんぞり返るばかりで余の話を聞いていなかったのか?」
つまらなそうな欠伸交じりでグリメルが肩に担いだ鋸にポンポンと手を当てる。
「言ったはずなのだ。余の魔王武具の力は余の都合の良いように喰い改める、つまりは改変だ。貴様の存在概念の一部を滅茶苦茶に書き換えてやったのだ」
「なッ!? だ、だガガ、この本体とはまだ交戦し――」
「ああ、それは貴様の凡ミスだろう。バグった状態のデータで本体バックアップを上書きしただろう」
「……ッ!?」
グリメルの言葉に機械仕掛けの神は絶句する。本来ならばあり得ないミスであった。しかし端末その物がグリメルによってそのように動くよう改変されてしまったが故に、本体側で感知できなかった。
「ま、ダ……! まだ、バックアppは、補間sて… !」
「ああ、一応言っておくが」
グリメルは鋸の刃を指でなぞりながら嗤う。
「余の迷宮の神髄は〝浸食〟なのだ。クハハ、たった一つのバックアップから溢れ出た不具合が今どれくらい貴様を喰い散らしているかな?」
「……t 1!」
バチン、と機械仕掛けの神の頭部から稲光が奔る。
しかしながら流石と言うべきか、本体の性能は先ほどまでの観測機器とは比べ物にならないようだ。
倒れることなく脚部を大きく広げてバランスを保ち、腕部で拳を作り頭部に叩きつけた。
《舐めるな、魔王が!!》
がらんどうから機会音声が零れる。
《当機を喰い散らしたから何だというのだ!? 見ろ、言語機能は奪取したぞ! ハハ、少々当機らしくはないが、それは貴様らを殲滅し終わってからゆっくり再構築すればいい! 当機の存在概念を書き換えた!? 見ろ、貴様らを殲滅するという根底理念は健在だ!!》
頭部に叩きつけた拳をゆっくりと開き、腕部全体を振り下ろす。
瞬間、機械仕掛けの神の背後に無数の砲台が出現した。
《見ろ! 十全ではないが兵装も扱える! 多少は火力は落ちるが、貴様らを殲滅するにはひとまずはこれでいいだろう!!》
ガシャンガシャンと軋むような音を立て、砲台がグリメルへ標準を定める。
「我が主君!」
「これ、大丈夫でありんすよね!?」
「……ちょっと煽りすぎたかもしれないのだ」
「「我が主君!?」」
巨蛇と黒兎が悲鳴を上げるが、当のグリメルはただただ楽しそうに嗤うだけだった。
「火力を削げただけで十分な成果なのだ。あとは流れ弾が『炉』にいかないよう守りつつ、管理人がティアマトを味方につけるのを待つのだ!」
魔王でありながらグリメルの本領発揮は防衛戦にある。
堕落した神の相手に時間稼ぎをするなど、完全に力を取り戻していない今の状態でさえ、造作もないことだった。




