異世界邸の新たな日常【Part夙】
ちゅどおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!
百鬼夜行騒動から数日が経過した朝、異世界邸は普段通りの日常を取り戻していた。当たり前のように爆発で吹き飛んだ部屋から飛び出した竜神とアンドロイドが空中で戦争を始める光景を、伊藤貴文は管理人室の窓から見上げる。
「もはやいつも通りすぎて怒る気にもなれんな……」
この光景を『平和』だと思えてしまう辺り、かなり毒されている貴文である。魔王襲撃、ダンジョン化、百鬼夜行からの瘴り神。寧ろ今も邸が無事なことに疑問を思えてしまう。
「丁度いい。あの力が使えるかどうか、試してみるか」
呟くと、貴文の姿が管理人室から消失した。
次に視界が切り替わる。満点の青空の下でぶつかり合う馬鹿二人。貴文は丁度その真下へと転移したのだ。
息を大きく吸い込む。
「ゴラァお前らァ!! 邸壊してんじゃねえよいつもいつも!!」
貴文は両手に虚空から取り出した竹串を掴むと、右足を踏み込み、腰を捻り、空を高速で駆ける馬鹿どもに向かって投擲した。
「なっ!? 管理人なんだそれはぎゃああああああッ!?」
「竹串がいつもと違って光り輝いてぐはぁああああああッ!?」
レーザービームのような軌跡を描いて飛ぶ竹串が見事に馬鹿どもを貫通した。急所は外してある。上空できったない悲鳴を上げて落下した二人は既に虫の息であり、ピクピクと痙攣しながら失神していた。
これらは百鬼夜行騒動の最後に手に入れた『魔王』の力だ。まだ完璧に扱い切れているわけではないが、貴文にとっての『魔王城』である異世界邸の敷地内であればどこだろうと瞬時に転移でき、竹串を投げただけで威力が魔力砲の域に達してしまう。たぶん、地面に向かって本気で投げたら山が消し飛ぶレベル。気をつけないとやばい。
「元々バケモノだった管理人に拍車がかかっているのです」
「はっはっは、貴文様もご成長なされたようで嬉しゅうございます」
「二つ名はどうなるかにゃー? 『竹串の魔王』とか?」
「死ぬほどダセェ二つ名はやめたげてください」
邸の廊下から貴文の瞬殺劇を見物していたアリス、ウィリアム、三毛、悠希が好き放題言っている。
「魔王、か……」
力としては便利な反面、いよいよ本格的に人間を辞めてしまったのだと思うと複雑な気持ちになる貴文だった。管理人代行をしてくれた白峰零児も元は人間だったという。きっと彼もこういう気分だったのだろう。
ちゅどおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!
邸の三階の窓が吹き飛んだ。ピンクの煙がもうもうと立ち昇っている。
「はいはい、次は彼女か。おーい、悠希! この馬鹿どもの事後処理頼む!」
「ちょ、なんで自分なんですか!?」
「他に適役いないだろ」
貴文は仕留めた馬鹿どもを医者の娘である中西悠希に押しつけ、ピンクの煙が噴き出している部屋へと急いだ。悠希はぶつくさと文句を垂れていたが、なんやかんや仕事してくれるから頼りになる。
「ミス・フランチェスカ! 今日はなにをやらかしたんですか!」
ガスマスクをして部屋の中に突入した貴文は、中央に立っていたネグリジェ姿の美女を問い詰めた。フランチェスカ・ド・フランドール。毎日毎日怪しい実験を繰り返しては爆発させているマッドサイエンティストだ。
「あ~、フミフミ君だ~、おはよ~」
「おはようございます――じゃなくて!? ガスマスクつけてないじゃないですか早く避難してくださいッ!?」
「大丈夫だよ~。今回は瘴気を浄化する装置の実験だったから~、この煙は人体に無害なんだ~」
「無害なのか。ならよかっ」
「吸っちゃうとちょっと心がキレイになるくらいで~……いつも危険な実験ばかりしてごめんなさい。ちゃんとお掃除します」
「ちょっと心がキレイになってる!?」
ちゅどおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!
「今度は誰だ!?」
続く爆音に貴文は窓から顔を出すと、庭に螺旋状の奇怪で巨大な塔が建造されていた。
「わっはっは! 見るがよいジョンよ! 成長した我の力を!」
「流石は我が主人なのである! 我輩の犬小屋、もとい城をこれほど立派に立て直していただけて感謝の言葉も見つからないのである!」
どうやら十歳程度に成長した『迷宮の魔王』グリメル・D・トランキュリティと、その眷属である巨大チワワ――『鮮血の番狼』ジョンの仕業らしい。
先の戦いで密かに消し飛んでいたジョンの犬小屋は修復を後回しにしていた。アレは異世界邸にあったものだが、邸そのものの一部ではないからだ。
ただの犬小屋造りであれば問題はない。
だが、スカイツリーもかくやという巨大オブジェを庭に建てられては困る。
「おいお前ら! そんなもの勝手に作ってんじゃねえよ! 那亜さん呼ぶぞ!」
貴文は怒鳴って窓から飛び降りる。
「うわ、管理人なのだ!?」
「なぜバレたのである!?」
「バレらいでか!?」
悪戯が見つかった悪ガキのように狼狽する一人と一匹。だがすぐに、塔へと近づく貴文を見てジョンがぐるると唸って立ちはだかった。
「この城は我が主人が我輩にプレゼントしてくれたものである! いくら管理人でも撤去しようとするならば、我輩牙を剥いて立ち向か――」
貴文はジョンをスルーし、塔の壁にそっと手で触れる。瞬間、あれだけ巨大な質量を誇っていた塔が夢か幻のように空気に溶けて消えてしまった。
「えぇえええええっ!? 触れただけで我輩の城が消えたのである!?」
「この邸は魔王となった管理人の支配下。異物を排除するくらい簡単にできるのだ」
本当に消し去ったわけではない。ただ別の次元へと放逐しただけだ。どこかの異世界で多大なる迷惑をかけているかもしれないが、なるべく人がいなさそうな座標に繋げたから大丈夫だと思いたい。
その後、グリメルとジョンはたっぷりとお説教をくれてやってから開放した。後で那亜からも言い聞かせてもらうつもりだが、恐らく奴らは反省しない。グリメルは五歳児だった頃より分別がつくようになったものの、一線を超えない範囲で聞き分けが悪くなっているのだ。反抗期だろうか?
だが、アレらはまだいい子の部類。
「貴文様!」
正面から全力で駆けてきた蒼い銀髪と白銀ドレスアーマーの少女が、貴文に向かって死神のような大鎌を振り下ろしてきた。
貴文は片手の指で簡単に白刃取りする。
「ルーネ? どうした? 改まった顔をして」
ジークルーネ。貴文を〈英雄の魂〉として神界に連れ帰ろうと企んでいる戦乙女だ。生粋の戦闘狂であり、戦いのためであれば常識も倫理もかなぐり捨てる厄介な駄ルキリーである。
「私、すごく悩みました。ついこの間まで紙一重でなんとか首の皮一枚かろうじてギリギリ瀬戸際スレスレの際どいところで『人間』だった貴文様が魔王となったことで、私たち戦乙女が求める『英雄』とはなり得ない。一体私はどうすればいいのか悩みに悩み、ようやく答えを見出せました」
「ここ数日大人しかったのはそれでか。あとそれ魔王じゃなくても人間辞めてね?」
自分でも人間かどうか怪しいと思っていた貴文である。
「別に強ければ、魔王になってもいいじゃないと」
「よくねえよ!? 魔王だぞ!?」
「勝負してください!」
「やっぱりそこに帰結するのかよ!?」
この戦闘狂がいくら悩んだところで、どんな方程式でも『戦う』以外の答えになど導き出せないことは自明の理。仕方なく、本当に仕方なく貴文はいつものように彼女の組手に付き合うことにした。
倒しもせず、倒されもしない絶妙な落とし所で勝負を切り上げ、貴文は邸の中へと戻る。
「やあやあ管理人♪ 朝からいろいろ大変そうで平常運転してるね☆」
とそこに、全身刺青だらけの怪しい女が声をかけてきた。
「次はセシルか。お前はどんな問題を持ち込んでくるつもりだ?」
セシル・ラピッド。魔法陣を専門とする天才魔術研究家。元魔術師連盟に所属していたが、理由あって異世界邸に住み込んでいる。
「あっはっは♪ まあ大した問題じゃあないんだけど☆ ノルデンショルドを封じてた魔法陣にバグがあったみたいで、鼠サイズだったら通り抜けられたっぽいんだよ♡」
「つまり?」
「『迷宮の魔王』の制御を離れた一部の〈侵略する群衆〉が三層から二層を超えて一層の温泉で繁殖を」
「大問題じゃねえかチクショウ!?」
大群でなにもかも喰らい尽くす災害がすぐそこまで迫っていて問題にならないわけがない。一層の温泉は日頃から住人たちが使っているのだ。問題児たちが被害に遭うくらいなら気にしないが、そうでないから早く駆除しなければならない。
貴文は急いで一層へと下り、そこに巣食っていた鼠を一匹残らず駆逐した。朝っぱらから大仕事だった。
セシルには魔法陣の見直しと修正を厳命し、もう誰も貴文に近づいて来ないことを確認してほっと胸を撫で下ろす。やっと一息つけそうだ。
ガリガリガリガリ。
そうは問屋が卸さなかった。
「しまった、鼠が邸にまで侵入していたのか!?」
壁か柱を削り取っているような音がする方へと貴文は走る。音は次第に大きくなっていく。犯人は貴文が近づいてきていることに気づいていないようだ。
廊下を曲がると、そこには――
「あっ」
柱だった木片をリスのように囓っている全身真っ白な美女がいた。貴文に見つかってバツが悪そうな顔をするが、一瞬で取り繕ってお嬢様然とした可憐な微笑を浮かべる。
「ごきげんよう、管理人。今日も気持ちの良い朝ですわね」
「誤魔化そうとすんな白蟻。邸喰ってたろ?」
彼女はかつて紅晴の街と異世界邸に甚大な被害を与えた元凶――『白蟻の魔王』フォルミーカ・ブラン。なぜか最近『魔王ホイホイ』と言われるようになった異世界邸に住み着いた最初の魔王であり、油断するとこのように邸を虫食い状態にしてくれる問題児の一人だ。
「喰ってたよな? そこの柱」
「なんのお話かワカリマセンワー」
「こっちを見て言ってみろ!? ここにくっきりお前の歯型がついてんだよ!? これについてなにか言うべきことがあるよな!?」
「管理人が魔王化されてから歯応えとコクが増して大変美味になっておりますわ」
「味の感想は聞いてねえよ!?」
まずい。流石にそろそろ胃がキリキリしてきた。魔王になっても胃痛が治らない辺り、白峰零児と同じ道を辿っている気がしないでもない。
フォルミーカも魔王なだけあって反省のハの字も知らない。注意しても効果が薄い以上、一体どうしたもんかと考えていると――
「あ、妖怪キャラカブリですわ」
フォルミーカを小さくしたような白い少女が二人の従者を引き連れて現れた。百鬼夜行の件で一時的に異世界邸を出入りしている瀧宮白羽である。背後の二人はヴァイスとムラヴェイ。白羽の従者ではなく、フォルミーカの部下である魔王軍の幹部だ。
「白羽さん、いい加減そう呼ぶのはやめてくださいまし」
「妖怪キャラカブリは妖怪キャラカブリですわ」
フォルミーカが苦い表情をして訂正を求めるが、白羽はつーんとそっぽを向いて突っぱねた。そんな白羽にヴァイスとムラヴェイがどこかうっとりとした表情を浮かべる。
「ああ、生意気な白羽様もお可愛い……」
「やはり小さい姫様を見ているようでありますれば」
「あなたたち白くて『ですわ』口調だけでどうしてそこまで盲目になれますの!?」
愕然とするフォルミーカに幹部二人はハッとし、本来の主を宥め始めた。貴文は注意する気も失せて白羽を見やる。
「もう百鬼夜行は終わったのに、なんでまだいるんだ?」
「確かに本番は終わりましたが、だからと言って脅威がパッタリ途絶えることはありませんの。地震でいうところの余震が続いている状態ですわ。百鬼夜行で街の術者の多くが未だ復帰できていない以上、『お手伝い』を継続することは当然の義務ですの」
瘴り神の出現などで一番割りを食った気もする異世界邸は平常運転なのに、街では問題が継続している。どれだけここが特殊な土地なのか改めて実感する貴文だった。
「ですから、もうしばらくはご厄介になると思いますわ」
「そうか。まあ、そこの白蟻たちがアルバイトを続けられるんなら俺としても願ったりだ」
フォルミーカは異世界邸のある山から出ることができない。その分、家賃もろもろを部下たちが街で稼いできているのだ。彼女たちが無職になって困るのは貴文も同じである。
と、その従者たちが思い出したように貴文を見た。
「貴文様、一つご報告がございます。邸の酒蔵の鍵が壊れておりました」
「中でカベルネ様が酔い潰れていたでありますれば」
「あんにゃろまた勝手に侵入して飲んでやがったな!?」
カベルネ・ソーヴィニヨン。あの呑んだくれの堕天使が邸の酒を呑み尽くすもんだから、大人の住人から苦情が来ることもしばしばある。貴文も奴が来てから飲酒の量が随分と減った。
報告してくれたヴァイスたちに礼を言って貴文は酒蔵に突撃し、ワインボトルを抱えて爆睡していた駄天使を引きずり出して庭に埋めといた。半日ほどしたら掘り出しておく。
ようやく、ようやく問題が一段落した貴文は、その足で異世界邸の食堂――『風鈴家』へと向かった。
朝にしては遅く、昼にしては早い時間帯。食堂はガランとしており、厨房に割烹着姿の女性が洗い物をしているだけだった。
「那亜さん、朝ごはんをいただけますか?」
「あら管理人さん、今日も朝からお疲れ様ですね。朝食のメニューはオムレツとベーコン、サラダ、コーンスープです。ライスとパンはどちらにしましょう?」
「今日は洋食なんですね。ライスでお願いします」
貴文は窓際の席について出されたお冷を一口。もうすぐ冬になろうという季節だが、激闘の朝を乗り越えた体には冷たい水分が染み渡る。癒やしの時間。
「那亜さんは、あれから変わったことや困ったことはありませんか?」
「ええ、問題ないですよ。変わったことと言えば、定期的に鬼道丸とラインで遣り取りするようになったくらいでしょうか」
「鬼もラインするのかよ……」
先日の百鬼夜行事件では影に隠れてしまった感じだが、主犯格の一人である無角童子は最初から那亜だけを狙って攻め込んできていた。その理由がまさかの那亜を嫁にするというもので驚いたが、グリメルの奮闘もあってどうにか丸く収まったらしい。
あれから妖怪どもから報復のようなアクションはない。無角童子が上手いこと制御しているのだろうか。なんにしても、那亜の様子を見る限りだと大丈夫そうだ。
ガチャリと風鈴家の扉が開いた。
「那亜よ! 今日もいっぱい野菜が取れたのじゃ! お、貴文ここにおったのか」
「お父さん、もう朝のお仕事終わったの?」
大量の野菜らしき物体を山盛りにした籠を抱えて入ってきたケモミミ娘たちは、伊藤神久夜と伊藤このの。貴文の最愛の妻と娘である。彼女たちを視界に映しただけで貴文は朝の疲れが吹き飛ぶのを感じた。
「ああ、神久夜とこののを見てると癒される……最高の胃薬だ」
「……胃薬扱いはなんか嫌なのじゃ」
「……ちゃんと零児さんに貰ったお薬飲んでね?」
ドン引きされた。でもドン引きしている妻と娘も可愛い。ずっと見ていられる。籠の中で野菜がピギィイイイとか叫んでいるけどずっと見ていられる。
だが、時間は止まってなどくれない。
妻と娘は早々に風鈴家から去り、那亜の朝食に舌鼓を打った貴文は、瞬間接着剤で床に止められていたような足を気合いで動かして仕事へと戻る。
リックから異世界邸の未踏箇所の地図を受け取り、ウィリアムを冷蔵庫から異世界へと派遣し、薬を爆発させたソーニョをぶっ飛ばし、ノッカーに頼んでいた魔王の出力にも耐えられる鍛造竹串を受け取る。
気づけば正午を超えていた。
「ふぅ、午後の仕事に入る前にちょっと仮眠するか……」
貴文は管理人室の隣にある仮眠室の扉を開いた。
蝋燭の明かりだけの薄暗い部屋で、三角木馬に跨がされたトカゲとポンコツがバニーガール姿の羊に鞭を打たれていた。
「ハァ……ハァ……もっと、もっとだ! いい声で鳴いてやつがれを楽しませるがよい!」
バチーン! バチーン!
「ギャアアアアアアアやめろ俺に鞭打ちで喜ぶ趣味はねえぞ!?」
「たたた助けてくれ感覚回路がショートしちゃうぅううううう!?」
貴文はそっと扉を閉めた。
「仕事しよ」
管理人室に戻った貴文は執務机と向き合い、積まれていた書類の一枚を手に取った。
「……イトー・タカフミ」
「どわぁあッ!?」
気配もなく何者かに耳元で囁かれ、貴文の背筋がピンと伸びた。
西洋十二単の花柄をした浴衣を纏う中学生くらいの少女だった。半分透けていてふわりと宙に浮かんでいる。一見幽霊のようにも見えるが、彼女の正体は異世界邸の意思が人の姿として顕現した存在――つまり異世界邸そのものだ。
「なんだお前か。え? なんでまだその姿になれるんだ?」
「……此方の姿は魔王の眷属。其方が魔王となった折り、『迷宮の魔王』から所有権が移動。イトー・タカフミが『魔王』である限り、此方も人の姿で顕現可能」
「そうなのか? うーん、どうにも邸と会話できるってのは変な気分だ。眷属がいるってのも実感わかねえ」
「……尚、其方の敷地内転移や異物排除は此方の『繋げる力』にて補助。其方だけでは使用不可」
「マジで? 魔王になって突然使えるようになったんだと思ってたけど、お前のおかげだったのか」
「……是」
ということは、彼女が眷属でなくなれば貴文はただのパワー馬鹿な魔王になるということだ。なんだろう、嫌すぎる。
「それで、なんの用だ? そのことを言いに来ただけじゃないんだろ?」
「……其方との約束。此方に人としての名を提供」
「あー、そういえば言った気がするな。約束した覚えはないけど」
呼ぶ時に不便だから名前をつけようという話だった。だがあの時は緊急事態だったこともあり、名付けは保留にしてそのまま忘れていた。
「……名前かぁ。名づけなんてこののが生まれた時以来だからなぁ。どうするか」
その娘の名前も神久夜がつけたのであって、貴文の案はなぜか悉く却下された覚えがある。全く以て遺憾だった。
「異世界邸だから、『イセカ』とかどうだ?」
「……安直。却下」
「バッサリ!?」
そういえば神久夜にも同じように言われた気がする。狐っ娘だから『おコン』とかいいと思ったんだけどなぁ、と当時を振り返って首を捻る貴文。
「……急ぐ必要は皆無。此方はいつまでも待つことが可能」
すーっと管理人室の天井付近で暇そうにぐるぐる回り始める異世界邸の意思。いつまでも待てるとか絶対嘘だ。全身で急かせて来ている。
と、閃いた。
「あ、じゃあ、『コナタ』ならどうだ? 自分のこと『コナタ』って言ってるし」
「……やはり安直。此方が自身の名を一人称としているようで不快」
「えー」
解せぬ。いい案だと思ったのに秒で否定されるから悲しくなってきた貴文である。すると、そんな貴文を見て異世界邸の少女は諦めたように長い溜息を吐いた。
「……其方の感覚でそれ以上の妙案を提出することは恐らく不可能。此方の名は『コナタ』として承認」
「眷属のくせに失礼だな!?」
一度は不快とまで言っておきながら、異世界邸の少女もといコナタは無表情だった顔に僅かな笑みを浮かべていた。名前を貰って嬉しかったようだ。
「まあ、いいいや。これからもよろしくな、コナタ」
「……御意」
彼女を『住人』と呼んでいいのかは審議するところだろうが、ひとまずは新たな住人となったコナタと握手を交わす貴文だった。
***
異世界邸の一室。
「まさか管理人が俺と無関係なところで魔王化しちゃうとはねぇ」
大先生こと呉井在麻は机に向かって執筆作業をしながら感慨深そうに呟いた。
「手間が省けたんじゃないし?」
別の机では蘭水矢がペンタブで新巻の挿絵を描きつつ、在麻に問いかける。
「まあ、管理人にはいずれ魔王になってもらうつもりだったけれど、まだその時期じゃなかったんだよねぇ。なんだろう。キャラクターが勝手に動いたっていうやつ?」
「にゃはは! センセーでもキャラクターを制御できないことあるんだー」
「そりゃあ、あるとも。寧ろそうなってくれた方が面白い。軌道修正不可能な致命的な脱線じゃなければ、俺ぁ暖かく見守る主義なんでぇね」
「今回の魔王化は?」
「いいと思うよ。俺が思い描く『異世界邸の日常』の最終回にはなーんの影響もないさ」
「ふぅん、『魔王生み』のセンセーからしたら悔しい展開だと思ってたし」
「俺は好きで魔王を生み出してるわけじゃあないから。そうなった方が面白いからそうしてるだけで」
いつしか『魔王生み』だの『降誕の魔女』だの呼ばれ始めたわけだが、もう億年単位で昔の話だからそこに関して否定するつもりはない。
「それに、管理人はまだ正確には『魔王の力を得た人間』でしかない。彼の意識が正常なのがその証拠さ。牙の抜けた『迷宮の魔王』から力を受け継いだだけじゃあ、真なる魔王には程遠い。だからまだまだ先だろうけれど――」
在麻は懐から取り出した瓶から錠剤を一粒手に載せ、一気に呷る。
すると全身から眩い光が放たれ、中年男だった姿が十代の美少女に変わった。二股の青黒い長髪を揺らして立ち上がると、彼もとい彼女は楽しそうに歪んだ笑みを浮かべる。
その掌には黒い飴玉のような球体――かつて『白蟻の魔王』から徴収した『魔王の破壊衝動そのもの』が乗せられていた。
「魔王因子を使うタイミングは――作者が決める!」




