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第四一話「話は変わるけど、ミロク君とクロエちゃんは参加しないのかしら?」

 


 二四〇日目。

 アスモデウス君と一緒にヨーガの修練に取り組む。

 喉や鼻の奥を意識して行う胸式呼吸――プラーナマーヤ。思い切り肺を膨らませ、吐くときはその肺から空気を絞り出すようにし、呼吸は常に軽く摩擦音がするように意識する。この呼吸が無意識の間でも維持できるようになることがヨーガの第一歩である。



 アーサナをとっている間は、下腹部を思い切り引っ込め、皮や筋肉を背骨に近づけた状態を維持し、臀部周りの括約筋も意識して締めるようにして呼吸のエネルギーが身体の外に漏れ出ないように意識する。

 すなわち、身体にある五つのバンダを締める。

 喉のジャーランダラバンダ、腹部のウディヤナバンダ、骨盤底のムーラバンダ、手のひらのハスタバンダ、足の裏のパータバンダ。

 特に喉、腹部、骨盤底の三つのバンダは、生命エネルギー(プラーナ)の通り道、ナーディーの主要管であるスシュムナー管に相当する。



 呼吸法にも複数ある。

 力を支配する呼吸、ウジャイ呼吸。

 頭の閃きを活性化する呼吸、カパラバティ呼吸。

 鼻の奥で蜂のような羽音を鳴らす、リラックスに入るための瞑想の呼吸、ブラーマリ呼吸。

 左右の鼻で交互に息をすることで、気の通り道を浄化するとされる呼吸、ナディショーダナ呼吸。



 空気中に漂うマナを体に取り込む行為としての呼吸――それこそが呼吸法の真髄。

 長らく謎のスキルだった呼吸法スキルも、ここまで育つとその効果が僅かに実感できる。劇的な効果ではないが、魔力の取り込みと、身体能力の底上げと、潜在的な力を目覚めさせる効果があるらしい。



(傍から見てると、ヨーガとはポーズを取ることだと思われがちだが、それでは片手落ちで、きちんと呼吸を意識しながらポーズを取ることが大事なんだよな)



 何となくヨーガの考え方を掴んだ気がする。

 言うなればヨーガは一つの哲学だ。己の肉体の全てを制御する行為。



 隣で鼻をふすふす鳴らして真似事をするアスモデウス君は可愛かったが、どうにもやり方が違っている。

 何度か指導をしてもあまり改善されないので、やはり言葉の細かいニュアンスが伝わっていないような気がした。





















「ところでアグラアト先生? アシュタロト先生? どちらで呼んだらいい?」



「アグラアトで構わないわ。私がアグラアトとして生きてきたことは事実ですもの。それに、アシュタロトの名前は他の人に聞かれたらややこしいものね」



 未だに辛そうにしているアグラアト先生のところに向かう。毎日の日課になりつつある、魔術による治療行為だ。

 治癒魔術と言っても、何かぱあっと光れば患部が治るというだけのものではなく、断ち切られた筋繊維や折れてしまった骨を強く意識しながら発動しないといけない。

 抉られて傷付いた内臓に届くように、魔力の流れを意識して治癒魔術を流し込むと、アグラアト先生は「んっ」と短く声を出した。



「……魔力の制御が上達したのかしら。それとも人の身体への理解が深まった?」



「両方かも。自分の身体の隅々まで意識する呼吸法を練習しているからなのか、他人の身体の魔力の流れとかも何となく理解できるようになった」



「へえ?」



 服をはだけて患部を露出させているアグラアト先生は、言わば目のやりどころに困る姿である。

 まあ、ガン見するのだが。



「ふふふ、ミロク君は身体のお勉強が得意だったわよね。個人レッスンに興味津々だった」



「……先生、クロエに睨まれてるのでその辺で」



「あら、錬金術関係で人体のことを教えたはずよ? 何を想像したのかしら?」



 にんまりと笑うアグラアト先生。

 こうやって挑発的な表情でからかってくるのが、彼女の悪いところである。夜の女のアシュタロト様々だ。



「聞いていいか?」



 だが、話の流れを強引に断ち切る。

 もう少し冗談を交わし合うのも悪くなかったが、聞くべきことはたくさんある。

 例えば、そう。



「大罪の魔王って、そもそも何なんだ?」



「……」



 沈黙。問いかけたことを後悔するような時間が流れる。

 それは例えるなら、長年連れあった恋人がついに別れを切り出したときのような、薄氷を踏むような感覚だった。そういえばパーティ追放を宣告されたときもこんな空気だった。この空気には、いつになっても慣れない。



「……教えると思う?」



「教えてほしい。命を助けた理由は、何も善意だけじゃない」



「……」



 彼女の微笑みは、曖昧なまま。



「……大罪の魔王のことはどうでもいい、じゃなかったかしら?」



「ああ、どうでもいい。スローライフを送ることさえできたら、他に何もいらない。だが、それは別として、この件は聞いておくべきことだとも思う」



「……」



「たのむ、先生。今までだったら出会ったら倒せりゃいい、で済んだ話だけど、今みたいにアスモデウス君を預かってる立場であれば、大罪の魔王が何者なのか知っておくべきだと思う」



「……」



「少なくとも」



 迷いながらも発言を続ける。

 アスモデウス君を引き合いにして情報を聞き出すのはあまりいいやり方だとは思えなかったが、他に有効な手段があるわけでもない。



「先生のことを生かしておいてよかったのか、アスモデウス君のことを生かしておいていいのか、それさえ分かれば十分だ」



「……私が嘘をついて本当のことを言わない可能性だってあるわ」



「世間が納得するならばそれでいい。八方が丸く収まるような情報がほしい。俺の名前をうまく使えば、まだとりなす余地はある。今のままだったら、アシュタロトがきちんと討伐されたという情報を冒険者ギルドに報告しないと行けないし、アスモデウスだって災厄指定の魔物として討伐対象のままだ」



「……正直なところ、丸く収まらない話なの」



「この場限りと約束する」



「……」



 アグラアト先生の表情は冴えない。

 話を切りだそうと迷っているような雰囲気は感じ取れたが、決して前向きに検討してもらっている様子ではない。

 これでも結構譲歩したつもりなのだが。



「……考えさせてほしい、か?」



「……そうね。きっと、何を言っても世間は納得しない気がするわ。人に無害な大罪の魔王なんて存在しないと思ってるもの。最悪の場合、私もアスモデウス君も身を隠す必要があるかも」



「どんな情報でも結構だ」



「……。私の身体が治ったら、きっと私、この場所からそっと立ち去るわ。約束するわ、この先誰も人を襲わないと」



「いや、立ち去ることはできない。俺の監視下から外れるというなら、最悪の場合、先生を討つ必要がある」



「……そうね、そうだったわ。ミロク君が優しいものだから、ずっと甘えちゃってたわ」



 言葉の続きは、ない。

 討たれる覚悟があるということか。むしろ、全てにおいて諦めたというほうが近い気がした。



「……いいわ、話すわ。その後は殺すなり何なり好きにして。アスモデウス君のことをよろしくね」



「……」



 本音を言うと殺すつもりはない。討つというのはあくまで言葉の綾である。



(……そう、殺すつもりはないんだ。本当、こういう役目は向いてないよな、俺)



 ついこの間まで、共犯者だと笑い合っていた仲なのだから。











 人の意識は、魔力と直結する。感情のゆらぎは魔力のゆらぎであり、魂とは魔力そのものである。

 そして迷宮とは、人の欲望、深層意識、願望、それらが混ざり合って生まれた夢の中のような存在なのである。

 言い換えれば世界の歪み。人々のもつ空想が魔力を生み出して形になったもの。



 夢の中で何が起きても不思議でないように、迷宮にもまた常識が通用しない。

 だが、大多数の人間の無意識を共通して反映した世界であるからこそ、迷宮はある程度の常識が通用する奇妙な世界ともなっている。



 ありとあらゆる生き物が想像力を持つ。想像力とはつまり、大げさに言えば世界の可能性(if)を規定する魔力。

 そして積もり上がった魔力こそが、歪みに耐えかねて迷宮という存在を生む。

 魔術的文脈が、意味(ミーム)が魔力を生み出すと言ったが、それと同じことだ。無意識が編みだす意味や文脈――方向性があやふやで危険な魔力が、形を生み出すと迷宮になる。



 大罪の魔王は、人の欲望が形となった存在である。

 どこから生まれてどこへ行くのか定かではない。

 ただ、人々は【七つの大罪】だとか神話だとか、そんな物語を知っているし、一部の人はそれを信じている。



 だからこそ、それらの存在は、ある特定の方向性を強化されて生まれてしまう。











「そして、大罪の魔王たちは人の願いの代弁者なの。願いというよりは感情かしら。【嫉妬】の感情が寄り集まったのがレヴィアタン、【憂鬱】の感情が寄り集まったのが私、アシュタロト」



「……目的は」



「ないわ。人の感情を代わりに叶えてあげることが存在意義かしら。大体ろくでもないわ。例えばミロク君、あなたの憂鬱を私が食べてあげることもできるし、あなたが満足いくまで憂鬱にさせてあげることも可能よ」



「……それを戦闘中しなかったのは」



「できなかったから。あなたの魂は強い。その魂の器の大きさ以上に鍛錬されてるわ。でもあなたぐらい強い人の憂鬱の感情を自在に操るその境地まで達したら、私はきっと、世界中のありとあらゆる憂鬱を代わりに昇華してあげられる女神になってたかも。今の私は、人の憂鬱が寄り集まっただけの混沌の獣よ」



「……要領を得ないが、つまり」



「私は【憂鬱】のアシュタロト。やがて全ての人々から憂鬱を取り除くことができる、はずよ」



 静かに語る彼女の言葉は、理性的でいながら、どこかしら現実味に欠けていた。

 勇気なき王、【憂鬱】の大罪、アシュタロトは、事実を述べているようでありながらはぐらかすような曖昧な言い回しを選んでいるようにも感じた。



 ただし、それは一部の問いを除いてのことであり。



「……バアルを生き返らせるという望みは」



「あるわ」



 その口調から強い意志を感じる瞬間もないわけではない。



「私はバアルに救われたの。私の憂鬱を晴らしてくれた、たった一人の人なの。たとえそれが、仮に人の想像の物語(・・・・・・・)だったとしても、私がバアルを慕うに十分な理由だわ」



「……なるほど」



「先に言っておくわ。ヒントよ。七つの大罪は、その殆どが旧約聖書にちなんだ存在よ。septem peccata mortalia、七つの死に至る罪であって枢要悪。彼らはセム語系の神話に由来する存在がほとんどなの」



 彼女はやや強引に話を切り替えた。これ以上バアルのことをしゃべりたくないという意思の表れのようにも感じられたが、彼女の切り出した新たな話は極めて重要な情報である。

 セム語系の神話――ある程度推測していた情報とも一致する。



「大罪の魔王同士は、お互いのことを詳しく知らないし、お互いの目的なんて知ったことではないと思ってる。だけど積極的に情報を明かすようなことのないよう、記憶に混乱(・・)を与えられているわ」



「え?」



「そうとしか言えないの。でなければ、私が一番知りたいはずのベルフェゴールとベルゼブル――バアル・ペオルとバアル・ゼブルの情報をもっていない理由が説明できない」



「……記憶に混乱が与えられている、だって?」



「ええ。理由はわからないけど」



「……」



 もっと残酷な仮説を俺は思いついている。

 そもそも記憶がない、というものだ。人々の思いが形になった魔物たちに、伝承されてきた数々の記録はあっても、思い出の伴った記憶があるかは定かではない。

 だがそれを口にするほど俺は愚かではなかった。



(……混乱か)



 あるいは本当に、記憶を混乱させられているのかも知れない。











「話は変わるけど、ミロク君とクロエちゃんは参加しないのかしら?」



「? 何がだ?」



 突然、先程とは打って変わって明るい口調でアグラアト先生が続きを述べた。



「知らないの? マギア・マエストロ決定戦よ? この魔術の都シュナゴゲアで一番優れているとされる魔術師を選ぶ祭典よ。ここの所、学校の話題はマギア・マエストロの話題で持ちきりじゃないのかしら?」



「あ」



 そういえば、そんな祭典があった気がする。






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― 新着の感想 ―
[一言] 混乱って、レヴィアタンのもつ記憶の錯乱に似てるような。
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