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第七章 詩の中の英雄 (7)


『宮殿』はガレル王国を通る川沿いの上流、首都中心からやや北寄りの静かな立地にたたずんでいる。


 この時代における西方諸国の『美』の象徴とも言える建造物。

 その内部にはまごうことなき高貴な静寂が満ちていた。


 ガレル王国の首都の猥雑なにぎわいとは対極な、咳払いすらためらわせる静けさ。それは決して侵してはならない王家の尊厳から発せられる、見えざる圧力にも思える。


 少なくない時間と労力を費やして加工された石材や木材は、宮殿それ自体の一分の隙もない設計が要求する精度を十分に満たし、優麗を極めた調和と秩序を成立させている。


 宮殿中心を貫くように長々と続く石造りの通路には、等間隔に屹立きつりつする大理石の円柱の影が落ちていた。


 右手にのぞむ庭園からは色とりどりの花々が上品な香りをただよわせ、磨き上げられた床が与える冷たい印象に更なる静謐せいひつさを付け加えていた。


 この日、大槻キュウタが通されていたのは、宮殿の一角にある『応接広間』である。


 そこは、宮殿内部の他の部屋の例に漏れることなく、天井から床までが王家の威光に見劣りしない豪奢さで飾り付けられている。


 床を覆うにはやや贅沢な絨毯のデザインには、ところどころに西方諸国とは異なる文化のおもむきが見て取れる。おそらくはカノンブルヌよりも更に東方に位置する国から輸入された品なのだろう。


 開放感のある高い天井とそれを支える柱と壁は、高級な建材をふんだんに使用しており、ほぼ全ての表面が木や金属から削りだされた精微な装飾で覆い尽くされている。


 キュウタは広間の一角、窓からさす午後の陽光の陰となる壁に向かって立っていた。

 彼の視線の先には、歴代の王家の面々と思われる肖像画の数々が横一列にかけられている。


 その中の一枚にキュウタの意識は引き寄せられていた。

 何故それが自分の心を掴んだのか、キュウタには分からない。


 より写実的な描写がもてはやされる昨今の流行に見合った画風だった。

 シンプルだが美しい光沢を見せる木の椅子。そのかたわらに立ち、背もたれに手を乗せた、きらびやかなドレスに身を包んだ『少女』の肖像がそこにある。


 十五歳かその辺りの年頃だろう。明るい金色の髪は幾房にも丁寧に編み込まれ、白いうなじから広く開いた胸元へと流れている。


 少女の青い瞳はまっすぐにこちらを見つめている。その視線にはこれが絵であることを一瞬忘れそうになるほどの力強さがあった。


「マリエーヌ殿下か。この肖像の美しさはいつまでもせることが無いな」


 背後から響く重々しげな声。

 その場に縫い止められたようにたたずんでいたキュウタがぴくりと反応する。後ろに立った気配すら見過ごすほど、警戒心をゆるめてしまった不注意をいましめつつ、キュウタは振り向いた。


 その『老人』は長身の体躯からキュウタを静かに見下ろしていた。

 皺の目立つ厳格な表情。その中でも唇は一文字に結ばれ愛想の欠片すら無い。


 華美ではないが上等で頑丈そうな生地で仕立てられた服の上下は統一感があり、この人物の信条を現しているようにも感じられる。

 丁寧に整えられた灰色の髪は、老人の声からにじみ出る生真面目な性格に良く似合っていた。

 キュウタがオウム返しに応じる。


「マリエーヌ殿下……ですか?」


 表情を引き締めたまま、無言でうなずく老人。

 彼はキュウタの横に並んで、肖像画を見つめた。その眼差しには、置き去りにした遠い過去を思う郷愁らしきものが漂っている。

 ぽつりと老人が言葉を付け加えた。


「先代ガレル王陛下の第一王女であらせられる。その聡明さと美貌は西方諸国の至宝と言っても過言ではなかった」


 キュウタの中でガレル王国に関する記憶のピースがかちりとはまる。


「たしか、ブリテア王家に……」


 キュウタはその先を言葉にすることに少し迷いを感じ、語尾をにごらせる。

 彼の意を読んだ老人が静かに言い添えた。


「うむ。休戦協定という名の『脅迫』によって、マリエーヌ殿下はブリテアに『差し出された』。先代ブリテア王のきさきになることをいられたのだよ」


 語り口調こそ淡々としているが、裏に満ち満ちた情念の渦ははっきりと感じ取ることができた。

 老人が後ろ手に組んだ指に力が入った。


「あの時ほど我が身の無力を呪ったことは無い。ガレル軍全体も意気消沈し、正直な所、この国は終わりだと思った」


 身なりや見た目の年齢から察するに、ブリテアとのいくさに参加した貴族かそれに類する人物なのだろう。

 戦争の終結から三十年が過ぎた今、それを直接体験した者の言葉は貴重になりつつある。興味をひかれたキュウタは、ガレルとブリテアの戦争の経過を頭の中で再確認しつつ口を開いた。


「でも、その少し後に『ディノン・カーヌ』が現れた」

「そうだ。彼女は幾多の窮地としかばねを乗り越えてガレルを勝利に導いた。まさに英雄と呼ぶにふさわしい少女だった」

「……失礼ですが、ディノン・カーヌと面識が?」


 わずかに首を回して老人はキュウタを見つめた。刺し貫くような視線に一切の揺らぎは無かった。


「ある。同じ戦場で命を預けあい、共に戦った仲だ」


 張り詰めるような沈黙が生まれる。

 老人の瞳は『何か』を試そうとしている。キュウタはそう強く意識したが、相手が何を企図しているのかがまるで分からなかった。


 その時、控えめな足音が二人の背後に現れる。


「お、お待たせしました、キュウタ殿」


 小柄で肉付きの良い中年の男が、少々顔を青ざめさせて立っている。

 この宮殿で家令かれいという役職を務めている男だ。王家に関する様々な雑事を取り仕切る任であるらしい。

 そしてキュウタをこの応接広間に案内し、今の今まで待たせた人物でもある。


 そもそも今日、キュウタが宮殿に足を運んだのは、王家が保管している『ディノン・カーヌ』についての記録を受け取る手筈を整えるためなのだ。

 これでようやく仕事が進められるとキュウタが内心で胸をなでおろす。


「ああ、どうも。それで、文書の受け取りについてですが……」


 そこまで言ったキュウタをさえぎるように家令が両手を上げる。

 視線をぎこちなくあちらこちらへとさまよわせる様子は見ているこちらが不安になってくるほどだ。

 キュウタがフィロマ教会本部の正式な使いであるということを差し引いても、この態度はいささか腑に落ちない。


「い、いや、あの、それがですね……」


 脂汗を浮かべながら、口ごもる家令。そしてその後、要領を得ない説明と言い訳の絡みあった文言もんごんがしどろもどろと数分のあいだ続けられた。


 やがてキュウタが目をぱちぱちとしばたかせて、ゆっくりと聞き返す。


「要するに、ガレル王家は『ディノン・カーヌ』について記した文書をフィロマ教会に渡すことはできない、と?」

「いえ、何というか、私どもの手元に無いというか……」

「では、どこにあるんです?」


 さすがにキュウタも眉をひそめる。

 びくっと肩をすくめた家令が視線をそらす。その表情は逃げ場を探すというよりは、誰かに指示を仰ぐものであることにキュウタは気付いた。

 それと同時に、家令の視線の先から、低い声音こわねが響く。


「私の屋敷だよ。若き『魔術士』殿」


 キュウタが軽い驚愕と得心をあわせた顔でゆっくりと振り返った。老人の冷徹な眼差しが少年を見下ろしている。


 キュウタはこの老人に自分が魔術士であることを話していない。ならば相手の『正体』は一気に絞られる。


 老人のおごそかな声が響く。


「まだ名乗っていなかったな」


 老人の『気配』が目に見えて一変する。彼が裏に潜ませていた『顔』があらわになっていた。それは紛れも無く『戦士』の顔であるとキュウタは理解した。


 無数の死地を生き延びた者だけがまとう独特のたたずまい。それをはっきりと感じ取ったキュウタの口元がわずかに引き締まる。

 そして老人から発せられた言葉はキュウタが予想した通りのものだった。


「私の名は『ギュラン・ド・ボードロット』。かつてディノン・カーヌの右腕をつとめた者だ」





 秋も深まりつつある時期だが、昼下がりの太陽はやけに暖かで、町を吹くそよ風もどこか生ぬるい肌触りをはらんでいる。


 ガレル王国首都の中心部を貫く川にかかった石造りの橋。

 それはこの都市の物流を支えるかなめの一つであり、大きめの馬車が余裕をもってすれ違えるほどの幅を持つ。


 バスフロワ・ヴィスロは灰色の欄干に寄りかかり、どんよりとした川面かわもを見下ろしていた。


 人々が野放図に垂れ流した生活廃水は川の表層をぬめぬめとした油膜で覆い、照らしかける陽光を反射しては不規則にうごめく虹模様を描きだしている。


 首都の象徴とも言えるこの川は、人々の生活の残滓を存分に受け止めた結果、お世辞にも美しい流れとは言いがたい景色となっていた。

 ほんのりと湿気を帯びた独特の臭気がよどみを作り、川の両岸をむせるような空気で満たしている。


 だが、この都市の住人にとってそれは全くの日常であり、ことさら嫌悪感を呼び覚ますことなど無い。バスフロワはふと、人の噂でしか聞きおよぶことのない聖地フィロマや帝都カノンブルヌのことを思った。そういった帝国の大都市では、衛生的にかなり進んだ仕組みが整備されており、街なかも実に清潔で、こことは雲泥の差があるらしい。


 しかし、バスフロワはそれをうらやましいとはあまり思えなかった。

 ガレルは住みやすさ、という点では確かに帝国に数段劣るかもしれない。それでもバスフロワは、住み慣れた愛着による欲目を差し引いても、この街が持つ『生々しさ』が気に入っている。

 道端に積まれたゴミも、川の水面みなもを絶え間なく覆う廃水も、それはこの街が『生きている』あかしなのだ。


 バスフロワはくるりと体を反転させ、背中を欄干にあずける。

 鳶色の瞳は空へぼんやりと向けられているが、彼の思考は限りなく自らの精神深部へと沈み込み、瞑想とでも呼ぶべきフェーズへと遷移せんいしていた。


 彼の類まれな感性と直観力は、自身が経験した『あらゆる』情報を『無意識下』で統合し、言語化困難な帰納、演繹手順を経てバスフロワに明快な『結論』をもたらす。


 その過程には魔法や神秘的な要素などは微塵も介在していない。ただひたすらに彼の思考が織り上げる、完全に論理的な作業なのだ。


 そうやって彼が導き出す『結論』は、他者からすれば千里眼にも等しい恐ろしいほどの正確さを持っており、バスフロワが書く『心を刺すような詩』の源泉でもあった。

 そして今、バスフロワは持てる能力の全てを費やし、たった一つのことに意識を集中させている。


 ディノン・カーヌの『真実』。

 英雄と呼ばれ神格化に近い讃えられかたをされている少女は、このガレルをどう思っていたのだろう。


 ディノンの生きざまを探るここしばらくの旅の中で経験し、見聞きした物にとどまらない、バスフロワ自身が人生で触れてきた『全ての情報』が彼の意識の中でゆっくりと活性化されていく。

 

 幼い頃に母から聞かされた子守唄に秘められた、過去の歴史や文化の痕跡。青年時代のある日、視界のすみを通り過ぎた荷馬車の積み荷から読み取れる産業構造の変遷。徴税人が突きつける書類やその表情から窺い知れる、国家としてのガレル王国の動勢。


 ありとあらゆるものが彼の観察対象であり、推論の材料であるのだ。


 一見なんの関連もない無数の情報が、彼の精神の深奥しんおうで有機的なネットワークを組み上げていく。


 それは膨大な情報の無秩序な寄せ集めでは無く、バスフロワ自身意識し得ない複雑な論理性で互いに関連付けられ、ついには動的アクセスが可能な『情報集合体』へと変貌する。


 そしてバスフロワ・ヴィスロはその情報集合体に問い掛けるのだ。


 ディノン・カーヌの『真実』とは、と。


『答』を導き出すのはバスフロワの『直観』という、超人的な『情報処理能力』である。


 彼の無意識が、自身の内に蓄積された莫大な情報を分離、結合し、意味あるエピソードに再構成するのだ。


 大海に投げこまれた一摘ひとつまみの砂を、正確にすくい上げるにも等しい作業。それをバスフロワはやすやすとやってのける。

 

 その能力は人類史上においても数人しか到達し得ない境地であり、バスフロワ・ヴィスロは紛れも無くその一人である。


 ステンドグラスを透過した陽光が床に描く模様のように、いくつもの『光景』がバスフロワの脳裏に浮かび上がる。

 彼が決して知るはずのない過去、はるか遠くの地で起きた出来事が、バスフロワの心の中で圧倒的なリアリティを持つビジョンを結んでいく。


 血と死にまみれた、命がけの戦場を駆けるディノン・カーヌ。

 彼女が得たのは多くの勝利と、たった一つの『敗北』だ。

 わずかな不運と狡猾な策略が手を組んでディノンの足を掴み、彼女は捕縛された。

 そして海を渡り連行されたブリテアの地で、審問とは名ばかりの一方的な糾弾の果てに下される死刑判決。


 最期の日、広場においてブリテアの大衆の面前に引き出された少女へ浴びせられる無数の罵倒。


 火刑台の上で無情な炎に焼かれ、少女の全身を覆う筆舌に尽くしがたい苦痛。


 だがバスフロワは、その瞬間のディノン・カーヌが抱いた感情に『違和感』を見た。


 ディノンの心にあったのは、死への恐怖でも、神への祈りでもない。やり場のない静かな『喪失感』が彼女を満たしているように思えたのだ。まるで全てを他人ごととして、天の彼方から俯瞰ふかんするような冷たい視点。


 そこで突然、バスフロワの思考は打ち切られ、心に映しだされていた光景もぷっつりと途絶える。


 彼は長々と息を吐き出し、欄干にぐったりともたれかかる。『これ』は滅多にないことだった。


 バスフロワはどんな者の『人生』であろうと正確に見抜いてきた。だが、どんなに些細な情報からでもその本質を直観できる彼でさえ看破しえない、『何か』が『ディノン・カーヌ』という人物には隠されているのだ。


 それは詩人としての自分に対する、『ディノン・カーヌ』からの挑戦にも思えた。自分の真実を見通すことができるならやってみるがいい、とディノンから言われているような気がしたのだ。


 バスフロワの唇の端がニヤリと上がる。

 上等だ、やってやろうじゃないか小娘め。救国の英雄だろうがなんだろうが、俺の詩で頭のてっぺんからつま先まで丸裸にしてやる。


 血の沸くような決意が彼の胸を弾ませる。ひょっとしたら自分が詩人になったのは『この』ためなのかもしれない、という思いさえ心をちらりと横切る。


 さて、これからどうするかとバスフロワが欄干から体を離したとき、遠くから少女の声が飛んでくる。


「師匠! 師匠ぉー!」


 聞き覚えのある声に、バスフロワが眉をひそめて視線を向ける。


 白い外套マントと茶色まじりの黒い長髪をはためかせて、飼い主を見つけた忠犬のように駆け寄る少女。


 サザレがバスフロワの目の前で靴裏を滑らせながら停止する。

 目をしばたかせたバスフロワが頭をかいて、当惑気味な顔になった。


「あ? ああ、俺のことか? 何だよ、騒々しい」


 サザレは前置きなしに、片手に持った紙束をバスフロワに向けてぐっと差し出した。どこか鬼気迫る勢いにバスフロワはわずかにぎょっとする。

 目を輝かせたサザレが言葉にするのももどかしそうに早口で言う。


「私も詩を書いてみました! つきましては内容をあらためていただけますか!? ぜひとも忌憚きたんのないご意見をば!」


 頬にぐいぐい押し付けられる紙束をうっとうしく思いつつ、バスフロワは少女の肩をそっと押して距離を取った。

 彼は腕組みをすると、興奮さめやらぬサザレを眺めた。


「……マジかよ。ま、まあ見るだけは見てみるが。あんまり期待するんじゃねえぞ。人に教えるのは得意じゃねえんだ」

「はい! とにかく読んで下さいっ!」


 うんうんと頷くサザレ。バスフロワは一つ小さなため息とともに紙束を受け取り、ぱらぱらと目を通す。読み進めるうちにバスフロワの表情には泥水とワインを取り違えて口に含んだような色が表れはじめた。


「おいちょっと待て。これキュウタに見せてないだろうな」

「まだこれからですが」

「そりゃ良かった」


 自慢気に鼻息をふんと吐き出したサザレが胸を張る。


「私のありったけの愛を込めてあるんです。絶対イケると思いますよ」

「いやいやいや。あいつにはちょっと刺激が強すぎる」


 サザレの表情にかすかな不安がまじる。


「……そうですか?」

「あのな。キュウタみたいな男はな、あんまり真っ直ぐグイグイ来られると逆に引いちまうもんなんだ」


 思い当たる節がなくもない、という顔になるサザレ。


「そ、それは確かにそうかも知れません」


 バスフロワが額に指を当てながら顔をしかめる。


「特にこのあたり……『わたしの畑に、あなたをいて』云々うんぬんのくだりがちょっとマズイ」


 指摘されることで客観的な視点を取り戻したのだろうか、サザレが見る見る内にしゅんとなる。外套の下で両手の人差し指を付きあわせてうつむき加減に唇をすぼめるサザレ。

 感情の切り替わりの忙しい少女に、気まずくなったバスフロワは慰めるような微笑を向けてみせた。


「ま、出来自体は悪くないと思うぜ。初めてでこんだけ書けりゃ立派なもんだ」


 そう言ってぱらぱらと紙束をめくるバスフロワは、ふとサザレの気配の変化に気づいた。


 つい今しがたまでの無垢な少女の顔に、刃のような鋭さが滲み出していた。その青い瞳は橋の両岸を油断なく警戒している。


 サザレの視線をたどったバスフロワの口元が結ばれる。見覚えのある男たちが、二人が立つ橋の左右を塞いでいた。片側に五、六人ずつ立つ屈強そうな彼らの物腰に隙は無く、逃げ道も無さそうだ。

 物々しい気配を察した他の市民が足を止めて、この光景を遠巻きに見守っている。


 一人の男がゆっくりと二人の前に進み出る。

『刀傷』の男がバスフロワを見下ろす。その声には妥協の余地はまったく無い。


「付いて来い、バスフロワ・ヴィスロ。これが最後の話し合いだ」


 むっつりと考えこむバスフロワに、刀傷の男は静かに付け加える。


「拒否すれば貴様の人生はここで終わりだ」


 左右を挟む男たちが腰に下げた剣は飾りではないらしい。

 中でもかなりの技量を持つとおぼしき数人が、さり気なくサザレの三方を囲む。少女を一種の『人質』としてバスフロワに意識させるつもりなのだろう。彼らから発せられるひりつくような殺気は、戦いに関してまるで素人のバスフロワでも容易に察することができた。


 サザレの指が白い外套の下でそっと刀のつかに触れた。

 一片の慈悲も無い冷たい光が少女の青い瞳を満たしていく。全方位の気配に神経を集中し、誰かがわずかでも妙な動きを見せたならサザレは躊躇せず『抜く』つもりだった。彼女の戦闘能力をもってすれば、たとえ達人クラスの相手でも十人や二十人程度ならば問題なくあしらえるだろう。相手の生死を問わなければ、という但し書きはつくかも知れないが。


 その時、彼女の視界のすみで、バスフロワがふっと微笑むのが見えた。それは強がりや自棄やけから来たものではなく、れっきとした確信に基づいた微笑みに思えた。


 バスフロワの口から出た言葉には好奇心がうっすらと滲み出していた。


「どこに連れてく気だ?」

「我らのあるじもとだ」


 刀傷の男は苛立たしげな声だ。彼自身は、その主とやらがバスフロワと対面することに、あまり気が進まないのかもしれない。

 唇に指を当てて再び考えこむバスフロワに向かって、刀傷の男は不機嫌そうに一枚の紙片を突きつけた。それには短い伝言と署名が記されている。


「魔術士の小僧もそこにいる」


 周囲の殺伐とした雰囲気の中でもまるで動じる気配のないサザレが横から紙片を覗き込み、そこに書かれたキュウタの筆跡を見とめる。


 小さくうなずく少女。その表情に恐れは何もない。この先はバスフロワの意思にゆだね、それに従うといった眼差しだ。


 いつだったかサザレのことを『最強の戦士』と評したキュウタの言葉を、バスフロワは未だに信じることができない。だが少女の所作から垣間見えるその度胸だけは本物のように思える。色々考えたところで仕方がない、覚悟を決めるべき場面なのだろうと、バスフロワはため息をついた。


「わかったよ。そこに連れてけ」


 返事を聞いた刀傷の男が、無言でサザレに手を差し出す。

 小さく肩をすくめた彼女が腰から二刀を鞘ごと引き抜き相手に渡した。丸腰になったサザレがさり気なくバスフロワの横に付き添う。

 彼女は真面目くさった顔でそっとささやいた。


「師匠、ご心配なく。何かあれば全力でお守りします」


 肩から力の抜けたバスフロワが呆れ半分の微笑を浮かべる。


「笑っちまうから『師匠』はめてくれ」


 バスフロワとサザレの四方を男たちが囲む。

 刀傷の男があごで指し示した道先に向かって彼らは歩き出した。



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