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第七章 詩の中の英雄 (4)



 夜空はよく晴れわたり、小さな星までもはっきりと見える。


 ひさしのように突き出た岩棚のそばで、焚き火のオレンジ色の光が揺らめいていた。


 岩棚の下は柔らかい土で覆われ、一晩を過ごす場所としては悪くないだろう。


 大槻キュウタは厚手の布を敷いた即席の寝床の上であぐらをかいたまま、枯れ枝の一本を焚き火に放り込んだ。そしてちらりと隣を見る。


 麻布をひざ掛けにして、赤さの目立つ岩壁いわかべにもたれているバスフロワ・ヴィスロ。焚き火の明かりがその顔をゆらゆらと照らしていた。



 彼の鳶色とびいろの瞳は手の中の『小冊子』にじっと向けられている。

 文面の一つ一つへ一心に向けられた集中力は、彼の表情を彫刻のように固定している。時おり思い出したようにまばたく動作だけが、今の彼が命ある人間であることの証にも見えた。


 ガレルを救った英雄『ディノン・カーヌ』が生まれた村の教会。そこに残っていた、彼女についての様々な記録。それをまとめた小冊子のページをバスフロワは先ほどから読みふけっているのだ。


 小さく肩をすくめたキュウタが、焚き火の上から鉄瓶を持ち上げて、二組のカップに湯を注ぎ入れる。

 木のカップからは湯気がほんのりと上がっている。キュウタはスライスしたパンと干し肉の乗った布切れをバスフロワの方へと押しやった。


 そこでようやくバスフロワはキュウタの表情と目の前の食事に気付く。

 子供をさとすような微笑みでキュウタが言う。


「何か腹に入れておいたほうがいいですよ。粗末なもので申し訳ないですが」

「俺はほどこしを受けるつもりはねえぞ」


 そしてバスフロワはカップの湯をずずっとすすり、豪快にパンをかじった。


「だが、相手の厚意こうい無下むげにするほど礼儀知らずじゃねえ」


 呆れかえるキュウタの冷たい視線をどこ吹く風と受け流し、バスフロワは塩味のきいた干し肉を口の中でもぐもぐと噛みしめる。


「あの娘……サザレ、だっけか。どこに行ったんだ?」

「ちょっと用事を頼んだんですよ。首都に着けば合流できるはずです」


 自分のカップに口を付けてキュウタが答える。

 ふん、と息を吐き出したバスフロワが腕組みをした。


「小娘一人で旅をさせるってのはどうかと思うがな」


 そっとカップを置いたキュウタが焚き火の向こうの闇に目を凝らす。昼間の連中の何人かはどこか近くでこちらを見張っているに違いないが、ここからはそれを見つけられない。

 口元をゆるめたキュウタが枕代わりの荷物袋に背をあずけて横たわる。


「サザレはこの地上で最強の戦士です。彼女に暴力で勝てる者がいるなら、是非とも見てみたいですね」


 バスフロワの口元が滑稽なほど引き下がる。今の言葉のどこまでが本心なのか、まるで分かりかねるといった表情だ。


 そしてキュウタは横になったまま、片目を開けてバスフロワを見つめる。どこか非難がましさの込められた視線に、バスフロワが小冊子をぱたりと閉じて、声のトーンをほんの少し投げやりぎみにする。


「聞きたいことがある、ってツラだな」


 寝転がったまま、ごろりと体を回したキュウタが頬杖をついて相手を見る。


「彼らは何者なんですか? 顔見知りのようでしたが」


 じっと見つめ合う二人。やがて視線をふっとらしたバスフロワが、焚き火の光へと顔を向ける。


「知らん。どっかの金持ちだってことしか知らん」


 キュウタはバスフロワの横顔をじっと観察する。嘘をついているようには見えなかった。


「『詩を書くな』というのは……どういう意味なんでしょう?」

「さあな。俺の詩が気に食わないんだろ」


 あまり期待せずに、キュウタが半ば機械的に尋ねる。


「心当たりは?」

「あると言えばある」


 バスフロワからの思わぬ応答に、キュウタはまじまじとした視線になる。

 身じろぎし、楽な姿勢になったバスフロワが虚空を見つめて語り始めた。


「実のところ、『ディノン・カーヌ』の詩を書くのは初めてじゃない。まあ、正確にはガレルとブリテアのいくさを書いた詩なんだがな。半年ほど前に本を出したんだよ。知り合いの印刷工房のジジイに頼まれてな」

「へえ……」


 しかめっつらになったバスフロワがしぼり出すように続ける。


「だが、結果は散々だった」

「……利益の話ですか?」

「いいや。本自体はアホみたいに売れた。もっとも、その儲けはここまでの旅でほとんど使いきっちまったがな」


 黙ったままのキュウタの方を見て、バスフロワが片方の眉をひょいと上げてみせる。


「で、その本を出してしばらくしてから、あの連中が俺のまわりをうろつくようになったのさ」


 小さく首をかしげたキュウタ。


「『詩を書くな』、と?」

「ああ」


 キュウタが体を起こして考えこむ。


「同業者でしょうかね? 人気のある商売敵しょうばいがたきを妨害するため、とか」


 大きな欠伸あくびをしたバスフロワが淡々と返す。


「わざわざ大金を積んでか?」

「あー……それは確かに……」

「考えるだけ時間のムダだ。どっちにしろ、あいつらの言うことを聞くつもりもサラサラねえしな」


 きっぱりと言い切るバスフロワ。

 頭をかきながらキュウタがやんわりと釘を刺す。


「でも、彼らは危険な相手だと思いますよ」


 昼間の『刀傷の男』たちは、バスフロワに対して今のところはどうにか話し合いで収めようとしている様子ではあった。だがいつ何時なんどき、心変わりした彼らが『力』で事の解決にあたろうとするのか分かったものではないだろう。

 無言で宙の一点をじっと見つめるバスフロワは、それくらい言われずとも理解している、といった様子だ。そして彼はぽつりとこぼす。


「それでも、俺は詩を書くことをめられない」

「命を賭けても、ですか?」

「まあな。お前にも、そういう物があるんだろ?」


 さらりと向けられた言葉に、キュウタの思考が一瞬止まる。

 自分の身の上を悟られるようなことを言った記憶はない。どういう理由でバスフロワが、自分の内面の一片を見抜いたのだろうか。当てずっぽうとはまた違うものがその根底にあるような気がした。


「……分かりますか?」

「なーんか分かっちまうんだよなあ。詩を書いてるせいかもしれねえが」


 しみじみとした言葉が紡がれる。

 興味をかれたキュウタが身を少しだけ乗り出す。


「詩のせい、というと?」

「ん……俺が詩を書くときの『やり方』さ」


 バスフロワが手近な地面から小石をひょいと拾い上げ、手のひらに載せる。


「要するに、自分がその題材に『なりきって』みるのさ。人でも動物でもな。時には生き物ですらないこともある。石ころや川や雲とか。そして想像するのさ。そいつには世界がどんな風に見えてるのか、何を思っているのかってな。それを文字にするのが俺の『やり方』だ」


 彼の鳶色の瞳が、手にした小石をじっと見つめている。

 まるでそれが辿たどってきた道のりや時の積み重ねをあますところなくむき出しにして、光の下にさらけ出そうとでもするかのように。


 キュウタはバスフロワの『察しの良さ』の源が少し理解できたような気がした。サザレの『未来視』に似ている部分はあるが、バスフロワが持つ力は『魔法』とは『完全に無関係』なものだ。

 それはきっと、『詩人』である彼の人並み外れた豊かな感性や想像力が可能にする能力なのだ。


 面白い、とキュウタは思う。

 長い歴史のなかで数多くの人間を見てきた。だが、いまだにこうして思いもよらない場面で人間の驚くべき『可能性』に出会うことがある。

 大げさに考え過ぎなのかもしれないが、人間というものの内側には、まだまだ多くの『未知』が秘められているように思えるのだ。

 くすりと笑ったキュウタにバスフロワがいぶかしげな顔をする。


「そんなにおかしな話だったか?」

「あ、いえ、そうじゃなくて。こうして丁寧に教えてもらえたのが嬉しかったんですよ。貴方には少し嫌われてるのかと思ってたので」


 鼻の頭をかきながら少し口ごもったバスフロワが、きまり悪そうな顔をする。


「まあ、昼間はお前のおかげで命拾いしたようなもんだからな。話し相手くらいなら付き合ってやるさ」


 キュウタがにやりと笑い、バスフロワの方へと少し体を近づける。


「さっき、『ディノン・カーヌ』の詩が失敗作だった、みたいに言ってましたけど」

「ああ」


 あまり触れられたくないことなのか、奥歯に物が挟まったような口調で彼は続けた。


「本を作る期限が短かったんでな。彼女にまつわる有名どころの逸話を、適当に織り交ぜて形にしただけだ。俺の本来のやり方からは、まるでかけ離れている。あれは本当のディノン・カーヌを表現しちゃいない。まがい物もいいとこだ」

「でも、売れたんですよね?」


 どこか沈むような思いがバスフロワの声からにじみ出す。


「ウケる詩を書くのは難しくない。皆が読みたがってる物を見せてやりゃ済む話だからな」

「それが出来るって、すごいことだと思うんですが」

「俺にとっちゃ、なんてこた無いのさ」


 自嘲にも似た調子の言葉をぽつりとこぼし、彼は少しやるせない色を表情に漂わせる。垣間見える忸怩じくじたる思いは、バスフロワが詩というものにそそぐ、直向ひたむきさのしるしのようでもあった。

 キュウタとバスフロワのあいだに沈黙が流れる。


 焚き火の中で何かが小さくぜる音をきっかけに、キュウタはそっと尋ねた。


わせのまがい物じゃない、『本物』のディノン・カーヌの詩。それを書くことに何か特別な意味があるんですか?」


 いつでも眠りにつける姿勢になったバスフロワは、ディノンの人生の一部が記録された小冊子を胸に抱いたまま、キュウタを薄く開いた横目でじっと見ていた。キュウタもその視線を無言で受け止め、ただ待っていた。

 やがて諦めるように小さく息をついた彼がつぶやくように答える。


「俺はディノンが『処刑』された日に生まれた。だからといって運命だとかフカすつもりはねえ。ガレルの英雄だからって、別にそこまで心酔してるわけでもねえしな」


 彼が小冊子を押さえる指に力がわずかに入る。


「だがな、考えれば考えるほど、『これ』はたかだか十七、八の小娘が背負うにゃ、ちっとばかし重すぎる気がするんだよ」


 ゆっくりと目を閉じ、体から力を抜いたバスフロワが自分に言い聞かせるように続ける。


「ディノン・カーヌの人生には『何か』がある。ただの救国の英雄で済ませられない何かがある」


 そして他に言うべきことは何もない、といった風情ふぜいでバスフロワがごろりとキュウタに背を向ける。


 キュウタは相手の背中を見つめたまま、しばらく考えを巡らせていたが、結局納得のいく答えは得られそうになかった。


 バスフロワ・ヴィスロが詩を書くという行為。

 それが魔法発展の歴史に影響を与える理由が気にならないといえば嘘になる。だがそれ以上に、彼の詩作を妨害しようとする連中の目的がよく理解できない。


 歴史の上で発生する無数の出来事、それらのつらなりのまわりくどさはキュウタもよく分かっている。とにもかくにもバスフロワが詩を完成させるまで、彼に危害が加えられないように『配慮』を続けるしかないのだろう。


 キュウタはもう一度闇の向こうに意識を向ける。

 少年の身の内から発動した原初魔法が、空気の層を成人男性の背の高さあたりまで『硬化』させ、周囲十数メートルをぐるりと塞ぐ壁を築く。夜明けあたりまで魔法の効果は持続するはずだ。昼間の連中はそれなりに話の通じる相手とも思えたが、警戒しておくに越したことはない。


 毛布代わりの白い外套マントにくるまり目を閉じる。

 数日中にはガレルの『首都』に入ることができるだろう。





 曇り空が午後の太陽をすっぽりと覆い隠している。


 どことなく気が滅入るような空気が街全体に満ちていた。

 全体的にくすんだ色彩の建物が建ち並び、道行く人々は皆何かに追い立てられるように足取りを速くしている。


 ガレルの『首都』は、複雑なカーブを描いて曲がりくねる河の中洲を中心に広がっている。


 河に架かる橋の一つを渡ったサザレがさり気なく左右を見回す。

 

 フィロマやカノンブルヌの雰囲気とはまた違う、人々の生活から吐き出される雑多な匂いがぬめるように鼻をつく。

 荷馬車がかたわらを通り過ぎる。その木の車輪が石畳を叩く音も、どこか湿り気を帯びて聞こえるほどだ。


 人と人の距離が近い、混みあった街並みは機能的ではある。だが、それを構築する過程で軽視された、あるいは軽視せざるを得なかった課題の存在を肌で強く感じる。

 

 白い外套マントのフードを改めて深くかぶり直したサザレ。そして彼女は川沿いを走る道へと足を向ける。

 サザレの青い瞳は、川を挟んだ向こう岸を同じ方向に歩く一団を確かに捉えている。人混み越しに二百メートル近い距離はあるが、サザレの超人的な視覚は相手のどんなささいな挙動をも見逃すことは無い。


 集団の中心にいるのは、数日前にバスフロワ・ヴィスロへと謎めいた『警告』を与えた『刀傷』の男だ。


 男たちに対する数日間の密かな追跡行の結果、サザレはガレルの首都へと、キュウタたちより一足早く辿り着いていた。


 ここまで観察を続けたサザレの目からも、彼らの立ち居振る舞いは単純な野盗とは一線を画している。宿をとる際や、こうして道を進む何気ない行動にも、秩序だった上下関係が見て取れるのだ。


 小銭で雇ったチンピラたちの寄せ集めとは違う。林のなかでサザレが彼らの気配を最初に察したとき、直接対峙するよりも早く違和感を持ったキュウタは正しかったようだ。


 首都に至るまでの道のりの中、男たちの顔ぶれはニ、三人が時々集団から離れ、入れ替わりに別の者が合流する、という繰り返しを続けている。おそらくその数名がキュウタとバスフロワの監視と経過報告を交代で行なっているのだとサザレは想像する。


 やがて男たちは首都の市街中心から少し外れた閑静な区域へと差し掛かった。気付かれぬように彼らの後をつけるのはサザレにとって容易たやすい仕事である。そもそも相手は自分たちが逆に監視されているなど、夢にも思っていないようだ。


 自然のままの草地や木々がぱらぱらと目につき出す。人通りも明らかに減り、市街地のごみごみした乱雑さが幾分やわらぎはじめる。

 かなりの富裕層の邸宅が居並ぶ区域なのだろう。庶民の住み家と比較にならぬほど凝った造りの二階建てや三階建ての建物。広めの庭園を擁するそれらが、互いに距離を置いてまばらに存在していた。


 そして男たちの歩みに変化が生まれた瞬間、サザレは流れるような動きで手近な立木の陰に身を隠す。


 他の家々と比べてもなかなかおもむきのある邸宅の前で、彼らは足を止めていた。迷うこと無く敷地に歩み入った刀傷の男が、重厚な木の扉を無造作に開けて、中にいた使用人らしき老人に一言二言何かを告げる。


 その間に、他の男たちはその場から三々五々に離れ、再び市街地の方へと立ち去っていく。彼らの表情は面倒な仕事から解放された喜びが垣間見えている。どうやらここが刀傷の男の目的地と見ていいだろう。


 サザレは木の陰からそれらの一部始終を見ていた。そしてわずかに思案したあと、彼女は素早く左右に視線を振って人の気配が無いことを確認する。


 次の瞬間、サザレは屋敷に向かって躊躇ちゅうちょなく駈け出した。

 走りながら建物の全容を一瞥いちべつする。こちらに面するどの窓にも、自分に注意を向けるような人影は無い。少女は前傾し一気に速度を上げる。それはまるで白い陽炎かげろうが疾風のごとく地を吹き抜けるようでもあり、仮に誰かがそれを偶然見とがめたとしても、せいぜい自分の目を疑うのが関の山だろう。


 耳を澄ましてようやく聞き取れるほどの音とともに、彼女の姿が地上から消える。そして邸宅の外壁や窓枠をかすかに軋ませる音が二つか三つ続いてから、その場に静寂が戻った。


 三階建ての邸宅の『屋根』の上にほんの数秒で駆け上がった少女。屋根の傾斜を利用して両隣の屋敷から死角になる位置を見つけ出し、そこに体を滑り込ませる。


 ふっと息をつき、リラックスした体勢で寝転がったサザレは空模様に視線を向けながら、屋根の上で夜を待つことにした。



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