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ボルシチ

 戦争が始まった理由?

 大国がかつての領土を取り戻しに来た。それだけさ。

 ああそうさ、認めるよ。我が祖国エケリウニ共和国は確かにレサン連邦の一部だった。俺も間違いなく、かつてはレサン連邦市民の一人だった。

 レサンが経済破綻した際に独立した。それを、苦々しく思っていた今の連邦大統領が、大国の復権をかけて再併合しようと侵略してきた。

 でも、独立したのはもう30年も前だぞ。国際社会からも承認された。それが今になって、なんでエケリウニなんて存在しないになるんだ?


「くそったれめ…。」


 廃墟の中を悪態をつきながら進む。いや、進んではないな。何せ退却中だ。

 何に対しての悪態なのかは俺自身にも分からない。攻めてきたレサンに対してか、無謀な攻勢を命令した味方の参謀本部に対してか、はたまた無茶を要求する直属の上司に対してか。あるいは全部かもしれない。

 おかげで部隊は俺を除いて全滅だ。気の合う戦友達と肩を組んで酒を飲んだのはつい先週のことだぞ。それが今や俺一人。


「畜生。」


 おまけに腹まで空いてきた。少しは空気を読めよ俺の腹。戦闘糧食はとうに無くなってんだぞ。

 しかし、腹が減っては退却もままならない。とうとう足が止まり、破壊されて廃屋になった家の壁に寄りかかってそのまま崩れ落ちる。

 ここが俺の最後か…。両親は戦争前に死んで、家族もいないから特別未練はないが、それでもこんな廃墟と化した町の寒空で、一人寂しく死んでいくのはつらい。


「せめて最後に、腹いっぱい食いたかったなぁ…。」


 自然と涙が零れる。地面に落ちた涙は砲撃か爆撃で割れたアスファルトの割れ目に吸い込まれて消えた。




 その時、世界が回転した。本当に、ジェットコースターのようにグルンと。


「何が起きた??」


 一瞬、砲撃か爆撃が近くに落ちたのかと思ったが、それにしては爆発音が聞こえない。驚いて周りを見渡すと、一軒の明かりのついた小料理屋が建っていた。


「志乃ちゃん料理店? なんだこの店???」


 この町は戦争初期にレサンによって徹底的に破壊された。住民は避難を余儀なくされ、町には一人も残っていないはずだ。仮に残っている人がいたとしても、この町にはもう電気が届いていない。この町への送電線はとっくに破壊されている。

 なのになんだこの店は? なぜ明かりが灯っている? 自家発電でもしているのか? と言うかこんな店さっきまであったか? 

 薄汚れた灰色しかない町に、黄色い暖かみのある照明に照らされた木造平屋建てが浮き上がっている。

 怪しい。罠か? そう思ったが、扉から零れる明かりの暖かさと、中から漂ってくる匂いに自然と足が出る。

 ガラガラガラと引き戸を開けると、そこには昔TVで見た日本の小料理屋の内装が広がっていた。


「いらっしゃいませ。志乃ちゃん料理店へようこそ。料理長兼店長の志乃と申します。どうぞ、ごゆっくりおくつろぎください。」


 唖然としているところに声を掛けられた。声のする方向を見るとアジア人ぽい見た目の少女が立っていた。

 志乃ちゃん料理店? 店長? この子が?


「き、君は? この町は戦場で危険だぞ? まさか、取り残されたのか??」


 当然の疑問を口にする。しかし、彼女はそれに対して笑って答えた。


「ご親切にどうも。でも取り残されたわけではありません。そして、ご心配にも及びません。このお店は非武装地帯ですから。詳しくは言えませんが、たとえ核兵器が降ってきても問題ありません。それよりも、お腹が空いていますよね。さあさあ、遠慮なくお座りくださいな。」


 ますますわけがわからないが、何故かそれ以上は聞く気になれなかった。促されるままにカウンター席に座り、出された水を飲む。

 ただの透き通った冷たい水が、これ以上なく美味い。考えてみれば昨日からまともに水分補給もしていない。カラカラに乾いてひび割れた大地に、雨が降る感覚。それくらい強烈だった。


 調理が始まった。

 ビーツ(赤カブ)、豚のスペアリブ、ビート(砂糖大根)、キャベツ 、じゃがいも 、玉ねぎ 、にんじん 、トマト 、にんにく。これらの具剤が流れるような美しさで捌かれていく。

 まだ煮ても焼いてもいないのに、野菜特有の爽やかな香りが漂ってくる。

 大きな鍋に入れられた豚のスペアリブはたっぷりと水と共に茹でられ、鮮やかな赤から茶色へと変わる。

 豚肉が茹でられている間にフライパンでは先ほど切られた玉ねぎ、にんじんといった野菜たちが躍っている。フライパンを舞台に舞踏会でも開かれているのかと思うほどだ。

 志乃と名乗った少女の動きには無駄がない。いや、正確には無駄がないうえで食材が躍動している。一見無駄に見える動きも、調理の動きを楽しませるためにあえてやっているのだとわかる。 

 多分、彼女は今、単純に調理して俺に料理を出そうとしているわけじゃない。目で楽しむ調理過程を提供してくれている。


「料理って、口だけからじゃなくて、目からでも味わえたのか。。。」


 思わず独り言をつぶやく。


 切られた野菜が鍋に入る。ビーツが入った瞬間、スープはその色を鮮やかな赤に姿を変えた。にんにくとディル(ハーブの一種)で味を調え、最後にたっぷりのサワークリームとパンプーシュカが加えられると、エケリウニが世界誇るボルシチの完成だ。

 その工程の全てが、目と鼻を通して脳髄をくすぐった。


「お待たせしました! エケリウニ風ボルシチです。冷めないうちСмачного(スマーチノホ)(召し上がれ!)」

「うぉぉおぉぉぉ。。。」


 深皿に注がれた深紅に輝くスープ。その中で揺らめくたっぷりの野菜。ボルシチは家庭の数だけレシピがある。他家から入れすぎと言われるくらいたっぷりの白いサワークリームは、まぎれもなく我が家のボルシチだ。そのサワークリームが深紅のスープに溶けていく。

 スプーンで口に運ぶ。野菜の甘み、サワークリームとトマトのほのかな酸味、その二つが合わさって生まれる旨味。すべてが調和した祖国の味。エケリウニの空と大地、その全てが詰まった国民食。

 冷え切った肉体が、たった一口のスープで熱が戻ってくる。心臓の音、流れる血液、停止しかけていた全ての内臓が、再度役目を果たすべく再起動した。


Смачно(スマーチノ)!!(美味い!!)」


 無我夢中でかきこむ。いつの間にかある赤ワインを途中で一口。ほどよいフルーティーさがビーツの味をさらに際立たせる。

 これが夢でもあの世でも構わない。最後にこんな美味い祖国の味を楽しめたなら本望だ。

 そう思いながら、余韻に浸っていると。。。


「さて、二人目のお客さんですね。」


 おもむろに彼女が呟いた。俺以外にこの町に残っている人間がいるのか? そう考える間もなくガラガラと扉が音を立てて開かれた。

 自然と振り向く。もしかしたら友軍兵士かもしれない。そう思った俺の目に飛び込んできたのは。。。


「レサン兵!!」


 相手もギョッとしている。慌てて銃を取ろうとして。。。


「な、ない!??」


 傍に置いてあったはずの銃がない。周りを見渡してもどこにも見当たらない。慌てる俺に対して、レサン兵も銃を構えようとして。。。


「駄目ですよ。最初にここは非武装地帯といったはずです。そちらのあなたも、一時的に没収です。」


 彼女がそう宣言すると、レサン兵の手の中にあった銃はスゥーと、まるで幻のように消えていった。

 二人して、その光景に唖然とする。


「ようこそいらっしゃいました、お客様。志乃ちゃん料理店の料理長兼店長の志乃と申します。どうぞ、ごゆっくりおくつろぎください。さあさあ、お座りくださいな。寒い中お疲れでしょう。すぐに用意できますからね。」


 我々をしり目に彼女はにこやかに宣言した。

 よく見れば、相手のレサン兵もボロボロだ。恐らく、長引く戦争によって地方から徴兵された兵だろう。碌な装備をもらっていない。敗れた靴、伸び放題の髭。全てが、やっとのことでここにたどり着いたのだろうとわかる。


 レサン兵はなぜか俺の隣に座らされた。彼女に文句を言おうと思ったが、にこやかな笑みの後ろにある凄みに何も言えなかった。


「お、おい。このお店は何なんだ? なんでこの町で平気で営業しているんだ??」


 レサンとエケリウニは元が同じ国ということもあり、言語もかなり似通っている。そのため彼の言っていることも理解できた。

 そして、レサン兵の戸惑いは最もだ。しかし、俺にもわかるわけがない。


「俺にもわからん。こんなところで営業している以上は普通じゃない。それに、さっきも見ただろう。銃が消えた。彼女は、恐らく不思議な力を持っている。」

「あ、ああ、そうだな。もしかして、彼女は審判前のお迎えか? 40日間は猶予があるはずだから、ここはそのための。。。」


 レサン兵の体が大きく震える。無理もない。本当にそうなら俺たちは死んでいることになる。実際、不思議な話ではない。砲撃や地雷で実はまだ死んだことに気が付いていないだけなのかも。


「ご心配なさらずとも大丈夫ですよ。お客様方は生きておられます。ここが不思議な空間であることは認めますけどね。全てが終わったら、持ち物は全てお返しいたします。」


 そんな俺たちの不安を読み取ったのか、彼女は調理しながらニッコリ微笑んだ。


「だ、そうだ。」

「本当かよ。。。」


 今いち信じられないのか、レサン兵は泣きべそをかいている。鬱陶しいのでこういう時は酒に酔わせるに限る。


「あんた。なんで俺たちの国に来た。金のためか? それともレサン連邦大統領の言葉を信じたのか?」


 こんな異常事態でなければ、即座に撃ち殺している相手にワインを進める。そいつは黙って一気に飲み干した。


「違う。無理やり連れてこられたんだ。突然警察が来て、覚えのない罪を突き付けられた。必死で否定しても無駄だった。刑務所に行くか軍に入隊するかの二択を迫られたんだ。仕方なく刑務所を選んだら、しこたま殴られた。あいつら、最初から軍に入隊させる以外は選ばせる気はなかったんだ。」


 レサンの貧しい地域で、微罪を口実に兵役か刑務所かを選ばせて、無理やり兵役志願書にサインをさせる事例があるとは聞いていたが、こいつはそれですらないのか。


「畜生、なんでこんな事になったんだ。碌な訓練も装備も渡されずにいきなり突撃命令だぞ。無理だと拒否したら、そこでもしこたま殴られた。仕方なく命令に従ったら俺以外は全滅だ。100人近くいたのに。。。」


 再度泣きながらワインをあおるこいつに、もはや憎しみはわかなかった。こいつもまた、あのレサン大統領に人生を狂わされた一人だった。


「お待たせいたしました。レサン風のボルシチですよ。熱いうちにПриятного аппетита !(プリヤートナヴァ アピチータ)「召し上がれ!」」


 重苦しい雰囲気を破ったのはまたしても彼女の声。レサン兵に差し出されたのは同じボルシチでもレサン風にハムやソーセージが具に加わっている。サワークリームの量が家に負けないくらい多い。


「もちろん、あなたにもおかわりをどうぞ。」


 再度差し出されたエケリウニ風ボルシチ。ありがたい、まだ腹一分目だ。


「ず、随分とサワークリームの量が多いな。」

「あんたに言われたくない。そっちも相当だぞ。」

 

 レサン兵がこちらのサワークリームの量に驚いているが、相手も似たようなものだ。言われる筋合いはない。


「…家庭の味か?」

「当然だ。」

「そうか、俺もだ。サワークリームもそうだが、ディルも多めに入れられたこの香り、野菜の切り方、全部お袋の作ってくれたボルシチにそっくりだ。」


 ああ、やはりそうか。サワークリームが多めに入っていたのは偶然ではなかった。彼女は…大切な味を再現して俺に提供してくれたんだ。


Вкусно(フクースナ)!!(美味い!!)」


 レサン兵の感激の一声が店に響く。負けじと叫ぶ。


Смачно(スマーチノ)!!(美味い!!)」


 レサン兵は、泣きながら食べていた。俺もつられて泣いた。故郷を、両親を思い出しながら。




 食べ終わり、お互いワイン片手に語りだす。先に口を開いたのはレサン兵だ。


「すまなかった…。」

「何がだ?」

「どうあれ、俺はあなたの国に侵攻した。それがこの町の惨状だ。他の町も少なからず被害を受けた。」

「やめてくれ。あんたが悪いんじゃないさ。」

「いや、違うんだ。俺は今のレサン大統領に投票し続けたんだ。こんなことになるとわかっていたら…、もう遅いが。」


 エケリウニが独立を果たした時のレサンの経済状況は最悪だった。救急車の隊員が、救急車を臨時の白タクとして使用して日銭を稼ぐくらいには。

 その混乱を収めて、豊富な天然資源を武器に驚異的な復活を成し遂げたのが今のレサン大統領だ。多くのレサン国民にとって、大統領は長い間英雄だった。今でも高齢者を中心に高い人気を誇る。横のレサン兵が大統領に投票し続けたというのは、無理からぬ話だ。

 大統領にとって、祖国の分裂は受け入れがたい屈辱だったのだろう。最近、エケリウニがレサンの影響力を排除しようと動いていたが決定打だった。

 その結果が、この瓦礫の町だ。兄弟民族とすら言われたレサン人とエケリウニ人が、いつ終わるともわからぬ凄惨な地上戦を繰り広げる地獄絵図。


「この戦争は、終わるんだろうか?」

「…終わらない戦争なんてないさ。」


 自分に言い聞かせるように呟く。


「なあ、あんたの名前を教えてくれないか?」

「私の?」

「そうだ。」

「…イワン。イワン・イワノフ。」

「めちゃめちゃ平凡な名前だな。まだこれほどレサン人らしい名前の奴がいたのか。」


 アハハと笑う。イワンにとってもこの名前はややコンプレックスらしい。ムスッとしている。


「俺の名前は、オレクサンドル・メルニク」

「はぁー!? そっちこそ平凡な名前じゃないか! 人の事を言えた義理か!」


 確かにそうだ。俺ほど平均的なエケリウニ人名もそうそういないだろう。

 二人してアハハと笑う。戦争前、両国人はこうして普通に笑いあっていた。何の障害もなく、何の疑いもなく…。

 

「オレクサンドル。出来るなら次は、カウンターで横並びではなく、向かい合って食事がしたい。」

「俺もさ。お互い、生きていたらな。」


 イワンが目を伏せる。


「…他の者たちも、同じようにできるだろうか? 多くのレサン人は大統領を信じている。」


 それは…。


「厳しいだろうな。正直、レサン大統領とそれを盲目的に信じて従い、エケリウニに土足で踏み込んできた多くのレサン人を許す気にはなれない。恐らく、この戦争の当事者世代が生きているうちは無理だと思う。」

「まあ…、そうだろうな…。」

「だが、終わらない戦争がないように、終わらない憎しみもない。今は無理でも、100年後にはもしかしたら、再びエケリウニ人とレサン人が同じ食卓を囲える日がくるかもしれない。そう信じるしかない。」


 その言葉に、イワンは小さく「Спасибо(スパシーバ)(ありがとう)」といった。


「そろそろか。」

「そうだな。これ以上は名残惜しくなる。」


 お互い、グラスに残った最後のワインを飲み干す。店長に向かって一緒に叫ぶ。


「Дуже дякую!!(ドゥージェ・ジャークユ)「どうも、ありがとう!!」」

「Спасибо большое!!(スパシーバ ボリショーエ)「どうも、ありがとう!!」」


 最後に覚えているのは、店長の笑顔だった。




 気が付いたら瓦礫の中で突っ立っていた。横にはイワンがいる。イワンもあたりを見回してキョロキョロしている。


「あの店は?」

「わからん。でも、見つからなくて当然じゃないか。あんな不思議な店。」

「それもそうか。」

「持ち物は?」

「全部ある。銃も。」


 イワンの肩には消えたはずの銃。俺の手にも銃が握られていた。


「当たり前だが、争う気はない。あなたと撃ち合いたくない。」


 イワンはそう言って、銃のセーフティを確かめた。


「俺もだ。それと、戻るんだろ、原隊に。」

「はい…。」

「一応聞くが、捕虜になる気はないのか? こっちの扱いはレサン軍よりよっぽど人道的だぞ。」


 しかし、イワンは首を振った。


「戻りたくはないが、戻るしかない。戻らなかったら故郷の家族がどんな目に合うかわからない。」


 レサンでは、捕虜になった自軍兵士を裏切り者と罵る事例があるのは知っていた。イワンはそれが家族に及ぶことを恐れていた。


「そうか。元気でな、イワン。」

「あなたも、オレクサンドル。」


 そう言って、お互い別れる。振り返ることはない。戦場で合わないことを祈るばかりだ。

 太陽が眩しい。空は灰色の町と対照的に、どこまでもどこまでも澄み渡っていた。




 志乃ちゃん料理店。それは失われた人と人の繋がりを思い出されてくれる料理店。もしかしたら、次はあなたの前に現れるかもしれません。


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