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カレー

 会いたい。もう一度会いたい。

 順子の頭の中はその言葉で一杯だった。


 先月、祖母が亡くなった。それからもう1ヶ月以上経つというのに、一向に心の寂しさは消えなかった。薄れるどころか濃くなっていく一方だ。

 仕事で忙しい両親に代わって面倒を見てくれた祖母は優しくていつも微笑みを絶やさない人だった。

 ご飯も掃除も洗濯も全てやってくれた。授業参観にも来てくれた。志望した大学への合格を何よりも喜んでくれたのは祖母だった。

 就職活動がうまくいかずエントリーシートの記入に苦戦している時、祖母はいつも夜食を用意してくれた。

 第一志望の企業に落ちて泣いていた私の背中を黙ってさすってくれたあの手の温もり。

全てがわすれられない。

 第一志望の企業こそ落ちてしまったが、今こうして希望の業界で働けているのは祖母の助けがあったからに他ならない。

 入社してしばらくは忙しくて全然家に帰れなかった。帰っても寝るだけの生活が続き、ようやく少し落ち着いたから今までの分を返していこうと思った矢先にガンが見つかった。

 すい臓がん。発見が遅く、手遅れだった。入院して1ヶ月後にはもう亡くなっていた。

 見る間にやせ細っていく祖母を見ている事しかできず、葬儀の準備中も葬儀中も泣いている事しか出来なかった。


「何も返せていないのに…。」


 頬を伝う涙は乾いたコンクリートに落ちて弾けて消えた。町のネオンが2重になって視界がぼやける。家の前のいつもの道が急に異世界への入り口が開いたかのようにグニャリと曲がって回転した。


「あれ…?」


 目の前に突然、木造の平屋建てが現れた。


「な、なにこれ? こんな建物、この道にあったかしら? …志乃ちゃん料理店??」


 こんなお店あったかしら? そう不思議に思いながらも、入口の引き戸から零れる光の暖かさに自然と手が伸びていた。

 ガラガラガラと音を立てて開かれた中を覗くと、そこには4人掛けのテーブルが2つとカウンター席が5つ。自分以外の客はいない。


「いらっしゃいませー! 志乃ちゃん料理店へようこそ。料理長兼店長の志乃です。どこでも好きなところに座ってくださいね。」


 元気な声が響いたのでそちらを向くと、割烹着姿の小学校低学年にしか見えない黒髪おかっぱ三つ編みおさげの少女が立っていた。一体どこに隠れていたのだろう? まるで突然現れたかのようだ。


「今からお作りしますね。出来上がるまで、20分ほどお待ちください。」


 促されるままに席に座り、注がれたお冷を飲む。


 トントントントン

 サクサクサクサク

 ザクザクザクザクザク

 ジュワアアー、ジャッジャッ


 少女どころか幼女と言っても差し支えない年齢の少女が包丁を振るう異様な光景と、野菜が切られる小気味良い音が同居する不思議な空間。少なくとも不快ではない。それどころか心が落ち着いていく。

 正直、調理の際の音がこれほど心地よいとは知らなかった。料理はあまりしないほうだし、しても音に意識を向けることなどなかった。

 自らを志乃と名乗った少女の手際は、料理に関しては素人の自分から見ても手際の良さがわかる。無駄のない洗練された手付きで捌かれる肉や野菜の音が店内一杯に広がり、出来上がる料理への期待を膨らませた。


「お待たせいたしましたー。どうぞ召し上がれ。」


 そう言って彼女が出してきたのはカレーとコールスローサラダ。

カレーは人参、玉ねぎ、ジャガイモと牛肉。サラダはキャベツとハムの上にコーンが乗っているスタンダードなもの。

 何の変哲もない普通のカレーとサラダ。しかし、私はそのカレーに見覚えがあった。

 見た目だけではない。漂ってくる香りが鼻を通って脳に届いたとき、目の前に失われたはずの祖母の居間が現れた。


「今日はじゅんちゃんの好きなカレーを作ったからねえ。遠慮せずたーんとお食べ。」

「うん! おばあちゃんありがとう! いただきまーっす!!」


 スプーンを片手にひと匙掬って口に入れる。間違いない! これは私が大好きだった祖母のカレーだ!

 祖母のカレーはやや独特だった。材料自体はごく普通のありふれた物で、何の変哲もなかったが、とにかく煮込みに時間をかけた。

 そのせいなのかリンゴが入っているわけでもないのに甘みが強かった。性質もトロリからややドロッとしたものに変化していた。

 それでも私はそのカレーが大好きだった。本当に美味しくて何度もお代わりをしたものだ。

 二度と味わえないと思っていたそれが目の前にある。自然とスプーンを握る手が早くなる。口に入れたら呑み込む前にひたすら咀嚼する。

 口の中で砕けるジャガイモが、人参が、玉ねぎが、シャクシャクと音を立てて崩れる度に甘みが増す。そこに牛肉の脂がルーと混ざり合って何とも言えないハーモニーを醸し出す。


「あ、あああ、ああああああ…。」


 自然と涙が零れていた。溢れるそれを拭う暇すら惜しんで手を動かす。

 合間にサラダも頂く。新鮮なキャベツのシャキシャキとした歯ごたえが心地よい。そこにコーンの甘みが乗っかる。それらがさらにハムの油で旨味が増幅される。その味に舌が喜ぶのがわかった。

 一体どれくらいの時間が経っていたのだろう? いつの間にか、目の前の皿は空になっていた。


「ご馳走様でした。」




 気が付いたら自分の家にいた。カーテンの隙間からは暖かい日の光が覗いている。まるで夢を見ていたかのように現実感がない。しかし、口の中に残る香りがあれが実際に経験した事だと語っていた。

 お金を払ったかしら? まさか食い逃げをしたとは思わないが…。そんな事を考えながら必死に思い出そうとする。


「お財布の中身は要りません。お代は既に頂いています。帰りも戸を出たらあなたのお部屋なので心配は要りません。そして、何時までも泣いてちゃメーですよ。思い出を糧に時を前に進むのが人の定め。大丈夫、おばあちゃんは何時でも見守ってくれています。」


 志乃と名乗る彼女が語った言葉が頭の中で蘇る。

 ああ、そうか。あそこは、志乃ちゃん料理店とは、そういうお店か。追い詰められた人、思いつめた人の前にだけ現れる不思議な店。誰でも行ける訳ではなく、むしろ行かないほうが本来は良い店。

 あまりにも非科学的な存在だが、胸に残る温もりがそれを肯定した。もしかしたら、何時までも落ち込んでいる自分を見かねて天国の祖母が遣わしてくれたのかもしれない。

 もしそうならば、それこそ落ち込んでなどいられなかった。カーテンを開けて日の光を目いっぱい浴びる。窓を開けて深呼吸をしながら背伸びして全身の細胞に新鮮な酸素をいきわたらせる。


 おばあちゃん、私頑張るからね! そう心で呟くとしっかりとした足取りで洗面所へと向かった。




 志乃ちゃん料理店。それは嘆き悲しむ人の前に現れて、思い出を味合わせてくれる不思議な料理店。もしかしたら、次はあなたの前に現れるかもしれません。


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