【第22話】英雄への道
「第三紋の魔法を使える魔女と、戦り合うのはゴメンだが……。こんな小僧で、本当に大丈夫なのか? チビスケ」
二メートルの位置にある頭が、強面の顔で俺を見下ろす。
……いや、駄目だろ。
「しゃーねぇだろうが。私はボロボロだし……。ダークエルフが本気を出したら、クソジジイは死んじまうし。剣相撲で勝ち負け決めるのが、一番死人が少ないだろ?」
俺の隣に立つ師匠が、腕を組みながら師匠を睨み上げる。
手で拭った時に取れきれなかったのか、口元には乾いた血がついたままだ。
吐血までして、魔力を限界まで絞り出した師匠に。
これ以上の無理を、させる気も無いが……。
「もしそれで、トウマが勝ったら。とりあえずは、見逃してくれるんだろ?」
「ま、そうだな……。魔法でも力でも敵わない連中を相手にして、逃げたことにした方が……魔獣ハンターとしては、角が立たんからな……。しかしよ。チビスケよりも強いのか、コイツは?」
「いや、弱いぞ」
ハッキリとした口調で、師匠が即答した。
掌を左右に振る手振り付きで言われ、当然ながらヴォルグも険しい顔をするわけで……。
「でも。そこにいる魔女様が、できるって言うんだから。できるんだろ?」
軽く握りしめた拳から親指を立て、俺を挟んで反対側にいるエリスを師匠が指差す。
名指しされたエリスは、まるで見えない椅子があるかのように、俺の肩口あたりでフワリフワリと、風魔法で空中浮遊をしていた。
皆に背を向けた姿勢で、俺達の会話には興味が無いとばかりに。
俺がプレゼントしたことになった、俺の名前を刺繍した布切れを触ったり、裏側をめくったりして、熱心に観察を続けるエリス。
「おい、ダークエルフ……」
「うるさいわね。聞こえてるわよ、ニンゲン」
会話に一応は耳を傾けてはいたのか、エリスが横目でチラリと師匠を見た。
「そこにいる牛頭鬼の剣を、落とせたら良いんでしょ?」
「ヴォルグだ。俺を魔獣と一緒にするんじゃねぇ、魔女」
名前を覚える気が一切感じられないエリスを、ヴォルグが不機嫌そうな顔で睨む。
師匠は二人のやり取りをスルーし、地面に転がる折れた剣を拾う。
「落とすっつうか。こうやって剣を重ねて、相手の剣を上から押さえつけて……。トウマの剣が地に着いたら、私の勝ちってヤツだ。腕相撲みたいなのを、剣でやり合う感じだな」
俺達がこれからやろうとすることを、分かり易く改めて再度エリスに説明した。
「三本勝負でいくなら、どっちが先攻にする? クソジジイが、先にやるか?」
「いや、俺が後攻で良い。それと、一本勝負で終わりにする。小僧がすきなだけ押し込め……。どうせ、ピクリとも動かん」
ヴォルグが剣を水平に構え、後攻の意思を示す。
守りの態勢をとるが、なぜか剣先を動かした。
「これくらい下げとくか? 小僧」
しかも、剣先が地面に触れそうな角度にまで傾けた。
もはや成人男性どころか、幼子を相手するかのような角度だ。
「別に片手でも良いが、小僧は男だからな」
握り締めた剣を斜め四十五度くらいに傾けて、こちらを完全に舐め切った態度をヴォルグがとる。
俺達に背を向けて、それを横目に見ていたエリスが、クルリと横に半回転した。
ようやくエリスが興味を示したのか、布切れを撫でる手を止め、俺達の方へ顔を向ける。
勝つ自信は全く無いが、やるだけやってみるかと自分の剣をのせた。
「おい、ダークエルフ。お前の彼氏が、馬鹿にされてるのは分かってるか?」
「ええ。言われなくても、分かってるわよ」
背中から少しゾクリするような、肌寒さを感じる声が耳に入る。
剣を握り締めた右手の甲に、褐色肌の細長い指が重なった。
「トウマ。右手の傷は、もう治った?」
「ああ、おかげさまでな……。でも、全力を出したとしても」
「勝てるわけがない?」
耳元で囁くエリスが、俺が言おうとした台詞を重ねた。
「大丈夫よ、トウマ……。私達は、契約を交わしたあの日から……ずっと繋がってるの。痛みも、魔力も。二人が見たいと思う世界も、見ることができるわ」
「……エリス?」
「第二紋の牛頭鬼では。第三紋の三頭獄炎犬に、どうあがいても勝てないことを。目の前にいる愚かな魔獣に、私達が教えてあげましょ……。今回は私も、トウマを全力で応援してあげるから、ね」
今一つ理解できない例えを言われて戸惑うが、エリスは涼し気な笑みを浮かべながら、俺から離れようとする。
「だから、俺は魔獣じゃなくて……。魔獣を狩る魔獣ハンターだって、言ってんだろうが」
少しばかりイラついた顔で、ヴォルグが剣に力を込めた。
「はいはい。落ち着けクソジジイ、ハンデが無くなってるぞ」
水平にまで上がった剣を、師匠が苦笑しながら靴底で押さえた。
スタート地点の角度を下げて、ヴォルグの剣先が地上に触れそうな位置まで戻る。
「小僧が、軽過ぎんだよ……。どう考えても。チビスケに変えた方が、まだマシだろ?」
「いや、逆だな……。さっきのダークエルフを見て、私もトウマが勝つ方に賭けることにしたぜ」
「は? 本気かよ、チビスケ?」
師匠の急な方向転換の態度に、ヴォルグが不審な顔をした。
「やってみれば、分かるさ……。いくぞ、二人とも。いよっと、始め」
足をどけた師匠の合図と同時に、俺は全力で内血系魔法を発動する。
魔力の通りが最も良い右手に意識を集中させ、力一杯に剣を押そうとしたが……。
右手の甲に魔紋が浮かんだ状態でも、交差した剣はピクリとも下へ動かない。
「あん? ……もう始まってるのか? じゃあ、俺も始めて良いか?」
涼しげな顔をしたままのヴォルグが、俺を馬鹿にした態度でニヤリと笑う。
「いくぞ、小僧。全力を出して、抵抗しろよ」
ヴォルグの右腕に、青い魔紋が浮かび上がる。
さっきまで岩を押してた気分で、一センチも動かなかった剣が、俺の剣を押し上げ始めた。
「チビスケが連れて来たから、もしかしたらって思ったけど……。やっぱ、こんなものか?」
歯を食いしばって押し込もうとするが、非力な子供が力自慢の大人を相手するように。
圧倒的な力の差を感じながら――本来のスタート地点である――水平な角度まで、あっさりと上げられた。
「お前みたいなガキで内血系魔法が使えるのは、すげぇと思うが。世の中っていうのは、理不尽でな……。ちょっとばかり才能があるからって、調子に乗った世間知らずのガキが。次の日には、あっさりと魔獣に殺されちまったりする……。魔獣と戦う連中は、そういう世界で生きてるんだよ。小僧」
お喋りをする余裕を見せながら、重ねた剣の角度を更に上げていく。
「ほら。そろそろギブアップしろや、小僧」
己が持つ剣の刃が、徐々に俺の顔まで迫って来る。
「お前みたいなガキじゃ。英雄には、なれないんだよ……」
成人しても、いまだにガキ扱いされるような俺が、英雄にはなれない……。
その通りだと思う。
俺は全力を出してるのに、目の前にいる大男は師匠と刃を交えた時みたいに、全身に魔紋を浮かべる素振りすら見せない。
未来では、英雄として名を起こす魔獣ハンターを、今の俺が超えることは絶対にできない。
その事実を、俺に証明するかのように……。
「それに……。家族みたいに可愛がってたヤツを失うのは、もうゴメンだ」
俺を見下ろしていた鋼剣鬼が、その異名に似合わない悲しげな顔を、チラリと見せた。
「それは。そのニンゲンが、弱かったからでしょ?」
俺の背後から、声が割り込む。
「……あん?」
「トウマは違うわよ」
勝負の最中にも関わらず、ヴォルグが眉根を寄せて、俺の背後にいる者を睨みつける。
「いくわよ、ニンゲン。全力を出して、抵抗しなさい。トウマが、本気を出すわよ」
……なんだ?
右手が急に、熱を感じるくらいに……どんどん熱くなって……。
魔紋が浮かんだ手の表面ではなく、手の内側にも違和感を覚える。
手の甲しか浮かんでいなかった魔紋が、青く光る魔紋を腕の方まで広げ始めた。
俺が広げれなかった場所まで、勝手に……。
「ぬ? なんだ、まだ本気を出してなかったのか?」
俺の意思で本気を出した時は、ピクリとも動かなった剣が……。
ジリジリと緩やかな動きだが、交差した剣の角度を下げることに成功した。
それは均衡していた力が、僅かに俺の方が上回り始めたことを、意味しているが……。
「はん。女の前で、少しは根性みせるか? それじゃあ、そろそろ俺もヤル気を出して……。む?」
すごい量の魔力が、右手から流れ込んでくる。
……いや、これはおかしいぞ。
俺の魔力は、心臓から溢れ出してくるはずなのに……どうして右手から?
「なるほどな……。チビスケが小僧の亡霊に、夢中になるわけだ。中身も、そこそこ才能アリか?」
勝手に納得した顔で、ヴォルグが青白い息を吐いた。
熱いのは、腕だけじゃない。
身体が芯から、全身が熱をもったみたいに、どんどん熱くなっていくのが分かる……。
ヴォルグの上半身にも、青白い魔紋がジワリジワリと浮かび始めた。
「あ? おい、ちょっと待て小僧……。お前どこから、そんなチカラが……」
パワーを上げているはずのヴォルグが驚いた顔をしているが、俺もわけが分からない。
俺の内血系魔法も、いまだに止まることなく、パワーを増し続けていた。
俺の眼前まで迫っていた剣が、交差した状態を保ちながら、水平の位置まで戻ろうとしている。
右腕どころか、気づけば左腕の指先まで、青白く光る魔紋が浮かび上がっていた。
……銀糸?
魔紋の光に照らされて、糸のようなモノが目に入る。
それは、見覚えのある糸だった……。
師匠の手元から伸びたのと同じような糸が、俺の右手の付近からチラチラと、消えたり現れたりを繰り返す。
まるで陽光に反射するように、明滅を繰り返す謎の糸を辿り、俺の肩越しに伸びた銀色を追って、首を後ろに回した。
俺に向けて両腕を伸ばした、背後に立つエリスと目が合う。
既に魔法を発動した後らしく、エリスの右腕と左腕の周りには、リング状の魔法円紋が二つずつあった。
魔法円紋は青白く発光していたが、発動された魔法はどこにもない。
――ばかトウマ。
声を発さずとも、彼女の開閉する口の動きから、俺にそう言ってる気がした。
トウマは私がいないと、やっぱり駄目ねと言いたげな顔で。
俺がプレゼントした布切れを、握り締めた右手の甲へ、エリスが左腕の掌を重ねる。
第二紋の魔法を意味する、それぞれの両腕にあった魔法円紋が、突然に消えたと思ったら――。
両腕を覆うように、一、二、三と。
――第三紋の魔法発動を意味する――三つの魔法円紋が顕現した。
二本の腕の周りを、グルリと回った大きな三つのリングが。
眩いばかりの青白い光を、同時に三つ灯し――。
エリスの右手に握り締めた布切れの中から、銀色の細長い光が伸びたのが、ハッキリと視認できた。
導火線に青白い光が灯ったように、銀色の糸が一気に伸び、俺の右手の小指に繋がる。
「あづッ!?」
間違って熱した鉄板に触れた時のような、予想を超えた熱さを右手に感じて、声にならない声が出る。
右手の中から溢れ出した魔力が、火傷するような熱さで血管内を通り、全身の指先まで駆け巡る。
俺の吐いた息が……青い?
高熱の風邪で頭がぼんやりした時のように、視界が霞む。
「ぬぐぅっ!?」
力強く唸るヴォルグの声が耳に入り、一瞬だけ意識が朦朧としていたことに気づく。
師匠の時を思い出す、全身に青白い魔紋を浮かべたヴォルグが、鋭い目つきを俺に向けた。
「俺の本気は、ここからだぞ……小僧ッ!」
完全に意識が覚醒すると同時に、俺も歯を食いしばった。
まだ馴染んでるとは言えないが、俺の中で荒れ狂う魔力を押さえつけるように、意識を集中させる。
「ウォオオオオオオ!」
発したのはヴォルグか、それとも俺か。
どちらか判別のつかない、互いの咆哮が重なる。
俺の内血系魔法が、覚醒した理由は分からない。
たぶんエリスが、俺に何かをした可能性はあるが。
でも、それは些細なことだ。
今の俺は不思議なことに、恐怖よりも喜びが勝っていた。
この時代にいる俺は、あの時の無力な俺とは違い、英雄として名を遺した男と剣を交えている。
ついさっきまで、絶対にできないと思ってたことを、エリスのおかげで可能にしている。
鋼剣鬼の名に相応しく、全身に青白い魔紋を浮かべて鬼の形相になった大男と、全力の力比べをしている。
交わる刃が、悲鳴のような鋼の音を上げ、それを切っ掛けに――。
鋼が砕け散った……。
折れた己の刃を見つめながら、力一杯に踏み込んだ靴底に、蜘蛛の巣みたいな亀裂が地面に入ってるのに気づいた。
まるで、師匠達が全力で戦った時みたいな光景を、ぼんやりと眺め。
俺は未来で英雄として名を遺した男と、全力で戦っていたことを自覚して。
無言で、空を見上げた。
もしかしたら、これからもっと努力すれば、俺も……。
――英雄に、なれるのだろうか?
忌まわしき未来で、俺を助けてくれた聖女様を……仲間達を。
死に戻った世界で、絶対に勝てないと諦めた魔女や魔王、魔獣達を相手に。
今度は皆を……俺が、救えるのだろうか?
「マジかマジか、マジかよ! ヒャッホー!」
「し、師匠!?」
突然に俺の背中へ飛びつき、耳元で奇声を上げて、はしゃぎまくる師匠に驚く。
「トウマ、自分がナニやったか分かってるか!? 本気になった鋼剣鬼と、力比べで勝ったんだぞ! 国の認める魔獣ハンター達の中で、十本指に入るようなバケモノに、勝ちやがったんだぞ!?」
俺の背中を痛いくらいに、激しくバンバンと叩き、師匠が俺の前にいる人物を指差した。
「ホラ見たか、クソジジイ! 私が見つけた弟子は、今度こそ英雄になるんだよ!」
「じゃかあしいわ。そんなにギャーギャー叫ばんでも、聞こえとるわい……」
地面に尻を突き、あぐらをかいた大男が不満げな顔をしながら、重い溜め息を吐いた。
「まったく……。口は悪いが、ホント鼻だけは良いヤツだな、お前は……。とんでもないバケモンを、見つけてきやがって……」
折れた剣を地面に置き、ヴォルグが苦笑しながら、俺の顔をじっと見つめた。
「俺の負けだ……。ここまでやられちゃあ、文句の言いようがねえよ……。お前のすきにしろ。魔力も空っぽになっちまった以上、俺はどうすることもできねえよ」
「そうかそうか、負けを認めるんだなクソジジイ……。ならば敗者は、辱しめを受けてもらおうか。グヘヘヘ」
両手をワキワキと開いたり閉じたりして、悪役が言うような台詞を吐く師匠。
男の服をひん剥いて裸を見る趣味もないので、村長達に状況の説明をして、ボロボロになった師匠達は村で一晩、大人しく過ごしてもらうことにした。
抵抗する元気も無くしたクソジジイだから、多少は冷静に話を聞いてくれるだろうと語る師匠の言葉を信じて。
これから村長達も交えて、魔獣ハンターを説得する必要はありそうだが……。
「エリス?」
師匠達を村で休ませ、事の顛末を説明していると、エリスが空を見上げていることに気づいた。
「そろそろ、時間みたいね」
……時間?
俺もまた、空を仰ぐエリスが見つめる先を追った。
「……誰だ?」
俺も見上げた、視線の先に……。
見覚えのあるローブを着た人物が、雲の下を浮遊していた。
フードを目深に被っているので、顔の中は覗けないが、俺達を見下ろす視線は強く感じる。
「魔女よ……。千年を生きる、私と同じ闇精霊族。ニンゲン達には、終焉の魔女と恐れられてるみたいだけど」
事も無げに、エリスがそう告げたが……。
予想外の事態に、俺は言葉を失っていた。
遠目に映るアレが……。
もう一つの世界線で、混沌の魔女に堕ちた君と対峙した時を思い出すような、同じ格好をした彼女が。
魔術に関わる者であれば、その名を魔導書で必ず一度は目にし。
魔術を知らぬ者ですら耳に聞く機会のある、童話にも登場する伝説の魔女だとしたら……。
「王都で合う約束を、私がすっぽかしたままにしてたら……。向こうから、来ちゃったみたいなの。トウマを助ける前に、少しだけ待ってもらうよう、お願いをしてたけど」
風の精霊の力を借りて、エリスの身体がフワリと浮く。
今日までエリスが彼女と会わないように、苦労していた俺の努力が無駄になってしまう……。
それを必死に止めようと。
エリスと契約を交わした時と同じように、「行かないでくれ」と俺が口に出すよりも前に、エリスが俺の方へ振り返った。
「大丈夫よ、トウマ。心配しないで。また帰って来るから……」
優し気な声色で、エリスはそう告げたが。
いつもの自信に満ち溢れた顔とは違い、彼女の顔は少し陰りがあった。
「トウマが、私にくれたコレも……。なくしたら、駄目なんでしょ?」
俺の名前が刺繍された、ボロい布切れを右手で握り締め、エリスが力無く笑う。
「またあとでね、トウマ」
別れの言葉を告げたエリスが、エルフの住む森の上空を飛んで行った魔女を追いかけ、空へと旅立った。
遠く離れて行くエリスの背中を、俺は無言で見送ることしかできなかった……。




