【第19話】すれ違う師弟
「この辺りは、見覚えのある景色だな。近いか?」
「ええ。もうすぐ、村が見えるはずです……。ごめんな、無理させて。もう少しだけ頑張ってくれ」
口から泡を吹きながら、村を目指して走り続ける馬を励ます。
褒美として貰った馬を、いきなり使い潰すような行為に、領主様への申し訳なさが湧く。
師匠の判断で最低限の休みを馬に与えつつ、なんとか予定より一日分くらいは稼げたが……。
「ダークエルフが、先についてれば。アイツらも、まだ生きてると思うが……」
「そこは、エリスを信じるしかないですね」
馬よりも早く加速できるエリスの風魔法なら、確実に俺達より先に村へ到着してるはずだ。
あとは、未来の英雄である魔獣ハンターが、先に村へ入ってないことを祈るしか……ん?
街道の横に点々と転がる、黒い奇妙なモノが遠目に映る。
「あいかわらず、派手に暴れ回ってやがるな。あのクソジジイは……」
馬を走らせながら通りすがりに見たモノは、真っ二つに割れた蟻人の死体だった。
まるで、大型の魔獣にでも襲われたような……。
胴体や四肢を力任せに、乱暴に引き裂かれた蟻人の死体が、街道沿いにゴロゴロと転がっている。
「魔獣の牛頭鬼が通ったみたいだろ? 内血系の魔法を使わなくても、熊みたいな馬鹿力で暴れるクソジジイだからな……」
鋼剣鬼のことを知る師匠が、横で並走しながら語ってくれるが、俺は絶句しかできなかった。
「師匠、待って下さい!」
馬の手綱を引っ張り、慌てて俺はUターンする。
飛び降りるようにして、見覚えのある蟻人の死体へ駆け寄った。
上半身だけが残された状態で、黒いボブカットの少女が、地面へ仰向けに倒れている。
剣で斬られたのとは異なる穴が胸に開いているから、――肉体の転移スキルが発動した――シラヌイの分身だろう……。
上半身だけの両腕に手を伸ばし、確認したいところが俺の目に映るように角度を変えた。
魔獣特有の赤黒い魔紋が、両腕に浮かび上がっている。
死んだ直後なのか血のように真っ赤な魔紋が、まるで主の死を教えるように、徐々に薄くなっていく。
――大義の為だと貴族のお嬢様を裏切り、先手必勝で俺にやられた護衛騎士――魔闘士であるダングの死に際の記憶が、脳裏によぎる。
「師匠……。シラヌイの切り札が、やられてます……」
数メートル先にある、蟻の下半身を見つめる。
どれだけの腕力があれば、これほどの荒々しい斬り方ができるんだ……。
師匠の口から、舌打ちが漏れる。
「大貴族様の……護衛騎士の身体でも、やっぱり勝負にならなかったか……。これで棺桶に片足を突っ込んでるジジイだとか、のたまいやがるからな。ホント笑えねえぜ」
「棺桶に、片足?」
「クソジジイは、もう五十いってるんだよ」
衝撃発言の連続に、かるく眩暈を覚えた。
これから剣を交えるかもしれない相手は、本当にニンゲンなのか?
「トウマ。剣の音が聞こえるぞ」
師匠が耳を澄ますような仕草で、鋭い目を村がある方へ向けていた。
言葉を交わす間もなく馬に跨り、遠目に小さく映り始めた村へと急ぐ。
村へ近づくにつれて、蟻人の死体は数を増す一方だったが……。
「それでも元軍人か、マッシュ!」
村の中に入った瞬間、男の怒号が耳に入る。
まず俺の目に入ったのは、二メートルは身長があるだろうか、見慣れぬ大男の姿。
もしかして、あの熊みたいにデカイ男が鋼剣鬼か?
背中を向けた大男の前には、村の人達が集まっていた。
ぱっと見た感じは、誰も怪我して無いようだし、誰かが欠けてる様子も無い。
だけど……予想もしなかった光景を、目の当たりにする。
「正気とは思えねえぜ、マッシュ……。お前達もだ……。なぜ、お前達がモンスターを守る!?」
怒りに声を震わせ、大男が拳を握り締める。
ニンゲンである彼が、怒る理由をすぐに理解した。
下半身が蟻であるナミタさんが幼い娘を抱き上げ、ケティーが怯えたような顔をしながらも、母親を離すまいと必死にしがみついている。
蟻人達を束ねる魔王のシラヌイは、剣を構えて敵対する相手を睨みつけ、親子を守るように立っていた。
周りに分身が一体もいないことから、彼女が最後のシラヌイなのだろう。
ここまでは、予想できた光景だったが……。
シラヌイとナミタさん二人の周りには、村人が誰一人として欠けることなく立っていた。
老若男女問わず、不安そうな顔を隠せぬ様子ではあったが、ナミタさんやシラヌイを囲むようにして、人の壁を作っている。
モンスターである二人を、まるで村の皆で守るように……。
対峙する大男と村の皆に挟まれる形で、村の皆を代表するように村長が、杖を突きながら口を開く。
「ヴォルグ、話を聞いてくれ。彼女達は、村を守ってくれた恩人なんだ。お前が考えてるような、悪さをするモンスターでは」
「モンスターに、良いも悪いもあるか!?」
村長の言葉を遮るように、ヴォルグと呼ばれた男が怒鳴りつける。
「モンスターが、村を守ってくれただと? なに寝ぼけたことを言ってやがる。俺はそこにいる蟻野郎に、いきなり襲われたんだぞ?」
「……シラヌイ君の話だと。話をする前に、いきなり斬られたと聞いたぞ」
「……はぁ? モンスターとお喋りする馬鹿が、どこにいるんだ? そいつらに村が襲われたと思って、俺は急いで駆けつけたんだぞ? ……マッシュ、お前」
「おい、クソジジイ。弱い者イジメも、そこまでにしとけ。村の皆が、怖がってるだろうが」
とてもじゃないが第三者の入る隙も無い険悪な空気の中に、あっさりと師匠が割り込んだ。
「あ? 誰が、クソジジイ……」
熊が二本足で立ち上がったような風貌の大男が、怒りに染めた凶悪な顔をこちらへ向けた。
「おい、お前……リューネか?」
「あん? しばらく会わないうちにボケたか、クソジジイ」
「フンッ。その口の悪さは、チビスケそっくりだな」
ヴォルグが腕を組みながら首を傾げた。
怒りに染めていた表情を困惑顔に変えた大男が、師匠を上からじっと覗き込む。
「酒どころか魔薬に手を出して、廃人になったとか聞いてたが……。お前、本物か?」
「は? ニセモノなんて、いたのかよ……本物だよ。ったく、ミノタウロスみたいに暴れまくって、村人を脅かして。クソジジイこそ、こんなとこでなにやってんだよ」
「なにって、そりゃあ。廃人になったおめぇが。王都でヤバイ連中と、一緒にいるとこを見たって聞いて……」
凶悪犯にしか見えない人相をした大男が、師匠の後ろに立つ俺の方を見た。
急に目が悪くなったように、太い指で目元をゴシゴシと何度も擦っている。
「俺も年かもしれんな……。小僧の幽霊が見えるようになったわい。チビスケ、良くないモノに憑かれてるぞ……」
「疲れてるのは、クソジジイの頭だよ。後ろにいるのは幽霊じゃなくて、ニンゲンだ。似てるけど……トウマっていう別人だ」
「……別人だと?」
立てた親指で師匠が俺の方を指し、ヴォルグが眉間に皺を寄せながら、強面の顔で俺をジロリと見た。
「その話も、ちょっとしたいから。とりあえず村を出るぞ、クソジジイ……」
「待て、チビスケ」
踵を返そうとした師匠を、ヴォルグが呼び止める。
「村にモンスターがいる。お前にも見えるだろ? アレを倒すのを手伝え」
「あん? ……あー。悪いけどさ。それはできねぇんだよ」
「は? どういうことだ?」
「この村には、借りがあるんだよ……。見なかったことにしてくれって、頼まれちまったからさ……。よそ者の私は、ニンゲンがいる村にしか見えてねぇんだよ」
小指で耳を穿りながら、都合の悪いことは聞こえてませんというポーズを師匠がとった。
「だから今回は見逃せよ、クソジジイ」
「……ふざけたことを抜かすようになったじゃねぇか、チビスケ。魔獣ハンターの俺に、目の前にいるモンスターを見逃せってか?」
対峙する大小二人の間に、殺気立った空気が流れ始める。
「はぁー……。こうなるのが、面倒だったから。クソジジイと入れ違う前に、なんとかしたかったんだよなぁ……」
白髪頭をボリボリと手でかきながら、師匠が溜め息混じりに肩を落とす。
「トウマ。少し離れてろ」
俺の方に横顔を向けた、師匠の瞳の中心に青白い光が灯る。
師匠が口から吐いた、青の混ざった白い息が空中で広がり。
――縦に一閃。
俺が口から何かを発する前に、師匠が立っていた場所へ、ヴォルグが容赦なく斬撃を放った。
両手で握り締めた剣の刃が土に刺さり、振り下ろした斬撃の威力を物語るように、土埃が跳ねる。
土埃が晴れると、剣先で割れた地面が現れ、斬られたはずの師匠は何事も無く立っていた。
師匠が土に埋まった刀身を、靴底で踏んづけている。
ヴォルグの剣と師匠が一瞬で、入れ替わったようにしか見えなかった。
踏んでいる刀身を足場に、師匠の上段回し蹴りが、熊男の首元を狙う。
しかし、師匠が放った蹴り足は、丸太のように太い腕でガードされた。
蹴りと同時に、師匠が腰に提げた鞘からは、すでに刃が抜かれている。
剣を振ろうとした師匠の体勢が、蹴り足を引きつつ斜めに傾く。
土に埋められていたヴォルグの刀身が飛び出し、剣先を踏んでいた師匠が体勢を崩した。
足元をすくわれた師匠が、バランスを崩しながらも剣を横薙ぎに振るう。
しかしヴォルグの頭は、そこにはなかった。
大きな体躯に見合わぬ素早さで、ヴォルグが姿勢を低くして避け、師匠の斬撃は空を切る。
バランスを崩した師匠が、後方に倒れながらも軽やかに空中で縦に回った。
師匠の足が、地面に着地しようとしたタイミングで、ヴォルグが両手に持ち直した剣が、師匠の顔面に迫る。
ギンッと、刃同士が衝突した鈍い金属音と共に、師匠の身体が数メートル後方に飛んだ。
「あいかわらず、ちょこまかと……剣の上で飛び跳ねたり。獣みたいな動きをするな。チビスケ……」
「ってぇな、腕が痺れてやがる。こっちは病み上がりなんだから、少しは手加減しろや」
両腕に青白い魔紋を刻んだ大男のヴォルグを、師匠が手を振る仕草をしながら睨みつける。
「ホント、さっさと引退しろよ。クソジジイ」
「そうしてぇのは、やまやまだが。どっかの不良娘が、西で悪さしてるって聞いてな……。ソイツを連れて戻るまでは、おちおち墓にも入れねえんだよ」
「そうかよ。じゃあ、ソイツはもう大丈夫だから。さっさとクソジジイは引退して、大人しく家に帰れよ」
師匠の乱暴な言動に、ヴォルグが目を細める。
「いや、駄目だな……。ソイツは、魔薬に溺れただけじゃ飽き足らず、魔獣ハンターの仕事すら放棄してやがる」
蟻人であるシラヌイ達をチラリと見た後、鋭い視線を再び師匠に向ける。
「おまけに、むかし死んだ男に似たヤツを連れて。恋人ごっこをして、遊んでやがるような――」
流暢に喋っていたヴォルグの語りが、唐突に止まる。
「恋人ごっこじゃねぇよ……」
師匠がゆっくりと、深呼吸を繰り返していた。
目元だけにあった魔紋が、濃厚な青白い光を灯しながら、全身に広がり始める。
「そいつは、英雄になる男なんだよ。クソジジイ……」
いつもの軽薄な笑みは消え、明確な殺意の色を瞳に宿した、魔獣ハンターが顔を出す。
「チッ。やっぱり、正気じゃなかったか……」
口元から青の混ざった白い息を吐きながら、ヴォルグも腕だけでなく、上半身に青白い魔紋を広げ始める。
「来いよ、バカ弟子。目を覚ましてやる」
熊のような巨躯を誇る魔獣に、豹の如く駆け出した魔獣が飛び掛かる。
人の姿をした二体の魔獣が、剣という名の牙に殺意を込め、激しく交わった。




