【第16話】兎狩り
「そ、空を飛ぶのは……。さすがに、卑怯ではないかね!?」
空中を浮遊する俺達を、短刀を握り締めながら指差し、兎ピエロが大声で喚く。
五月蠅く地上で鳴く、虫を見下ろすように、蔑む視線を向けたエリスが冷笑する。
「地を這うことしかできない虫は、大変ね。空を飛ぶ鳥には、絶対に勝てないから」
エリスの立てた人差し指は、横向きに円を描くように、止まることなく動き続けている。
その指の動きに合わせて、俺達が先程までいた場所は、悲惨な光景が広がっていた。
チェンソーを振り回す、イカレた殺人鬼が通った後のように。
赤黒い稲穂をなぎ倒し、呪われた畑を演出した、ミステリーサークルを描くように。
細切れの兎肉が入った料理鍋に突っ込んだスプーンを、かき混ぜる感覚で……。
俺達を取り囲んでいた兎人が、魔女が操る凶刃に次々と倒れていく。
剣を持っていた左手が痛み、無意識のうちに拳を強く握りしめていたことに気づいた。
もしかして……。
いまの俺に湧いた感情は、恐怖なんだろうか?
チラリと顔を横へ向ければ、俺のもう一つの手を優しく握った魔女が、淡々とした表情で指を回してる。
もし地上にいるのが自分だったらと想像した時、背筋がゾッとした。
足下に広がる光景は、魔女と敵対することの恐ろしさを、嫌でも実感させられる。
エリスを本気で怒らせた場合、辺境にある小さなうちの村なんて、一晩どころか十分も持たずに全滅するのが容易に想像できる。
そう考えると、うちの村は絶妙な距離感で、魔女との友好関係を築けていたのだろうか……。
こうしてエリスの力を改めて見せつけられると、魔女に近づくなと村長が口酸っぱく言い続けていたのも、よく理解できる。
魔女と言う存在は、本来は力無き者が、おいそれと近づいて良いモノではない。
魔女は、台風などの自然災害と同等の存在であり。
魔女が現れたら頭を低くして息を潜め、上空を通り過ぎるのを待つ。
それが、魔女への正しい対応だ……。
魔女に喧嘩を売る行為は、目の前で喚く道化師のように、相手の力量を計れない愚者に等しい。
魔女と敵対することを恐れず、対等に話をできるのは英雄と呼ばれるような、ごく一部の――。
「へー……。こりゃ、大したもんだ。バッラバラだよ」
首を無くした兎人の亡骸が、蹴り落とされて地上に落ちる。
それをした人物が、赤く濡らした剣の腹を肩にのせて、屋根上から地上を覗き込んでいた。
身体を斬り刻まれて、物言わぬ亡骸となった兎人達が、屋根上に転がっている。
いつの間に登ったのか、邪魔者を排除した見物客のような態度で、師匠が口笛を吹く。
「魔女って、恐れられるだけのことはあるな……」
立てた小指で、鼻をほじりながら言ってるので、台詞通りに師匠が恐れてるかは、すごく疑問だが……。
「……チッ」
そんな師匠の態度を見て、俺の隣にいるダークエルフさんは、気分を害されたみたいだ。
エリスの顔が師匠の方を向いてるため、俺からは口角がヒクついてることしか分からないが。
舌打ちがしたくなるくらい、素敵な笑顔を浮かべてるのだろうか?
「なあ、ダークエルフ。兎狩りをするって言ったよな? だったらさ……。私と、競争しないか?」
「……は? あなたは、何を言ってるのかしら?」
「あん? なんだ、競争を知らないのか? 兎を狩った数が、どっちが多いかで勝負をして」
「競争くらい、知ってるわよ。そうじゃなくて。いま下に降りて、私の邪魔をしたら。あなたもバラバラに」
「もしかして魔女さんは、ニンゲンに負けるのが。怖いのか?」
俺が握った手を通じて、エリスの身体が小さく跳ねたのが分かった。
行儀悪く鼻から取れたモノを指で弾いて、師匠が挑発的な笑みを浮かべる。
エリスは師匠の方を見ているので、その横顔からは表情を伺えないが……。
「……いいわよ、ニンゲン。遊んであげるわ……。そんなに、死にたいのなら、ね……」
エリスの背中越しに、――今まで聞いた記憶が無い――冷たい声色が耳に入る。
冷や水を浴びたように、背筋が震える感覚がした。
「ちょっ、エリス」
嫌な予感がして、おもわずエリスを止めようとしたが。
「トウマ。喧嘩を売ってきたのは、ゲロ女よ?」
俺の言葉を制止するように、俺の手をエリスが強く握りしめた。
「そうだ、トウマ。喧嘩を売ってるのは、私だぞ」
なぜ師匠の方が、偉そうな態度をしてるのですかね?
俺が入る余地のない空気で、二人の勝負が決定したようだ。
ぶっちゃけた話、俺はリューネさんの実力を全く知らない。
前の世界線で、魔獣ハンターの噂を聞いたり、実際に見たりした記憶はあれど。
リューネと言う名前を聞いても、ピンとこないくらいのレベルだ。
俺は王国の西側を中心に、生活費を稼ぐための傭兵活動をしていた。
魔獣ハンター達は、魔獣王の棲む瘴気溜りの大沼など、凶悪な魔獣の群生地である王国の東側を、主な拠点にしている。
だから王国でも有名どころの、英雄クラスの魔獣ハンターとは、接触する機会があまり無かった……。
大暴れした先日の戦闘力から、師匠は決して弱くない魔獣ハンターだと、理解はしてるけど。
さすがに、魔女であるエリス相手になると……。
「もしかして不安か、トウマ……。英雄にするとか大口叩いた師匠が、ただのホラ吹き女じゃねぇかって」
まるで俺の心を見透かしたように、師匠が俺の方をじっと見ている。
「間違ってないでしょ。いつもトウマと、じゃれてるようにしか見えないし。あとは酒飲んで、ゲロ吐いて。死んだように寝てるしか、してないでしょ?」
「ん? そう言われると、そうだなぁ……。お前から見たら、そうなるわな。ハハハ……」
「なにがおかしいの?」
師匠が乾いた笑いを漏らしながら、青いメッシュの入った白髪頭を、手でボリボリとかいた。
「ダークエルフに嫌われるのは、別に気にしちゃいねえって話だよ」
「……は?」
「でもな……。借金の返済をさせたり、からかってばかりいる弟子にも、そろそろ嫌われそうだから。ここらで、真面目に師匠らしいところを見せないとヤバイかなってね……」
「俺をからかってた自覚は、あったんですね?」
「エッヘッヘッ」
エッヘッヘッて、笑って誤魔化してるぞ、この師匠。
決して、褒めたわけじゃないんだが。
なぜか照れたような笑みを浮かべた師匠が、気を取り直した顔で村の中心にある、井戸を指差す。
「さっきから煩い兎野郎が立ってる所。その後ろに、井戸があるだろ? そこがスタートだ」
エリスの操る氷剣に、恐れを成したのだろうか。
兎ピエロが仲間を集めて、壁を構築していた。
木箱に荷車、椅子やテーブルなど、とにかくバリケードになる物をかき集めて、井戸の前に積み上げている。
「井戸の手前を、右に曲がる。ほんでもって、家と家の間を通ってコーナーをあっちに曲がれ」
「コーナー?」
「んーと……。とりあえず、そこの通りを抜けたら右へ曲がれ……。あの塗り忘れた、黄色ペンキの煙突がある家を、手前でも後ろでもいいから、右に曲がればいいんだよ」
ルートを教えているのか、煙突を指差した腕を更に九十度、右へ動かす。
井戸の反対側にある、教会の鐘楼が目に入った。
「屋根の上を通るのも、アリにしようか。向こうにある鐘突き塔の裏を通り抜けるように、グルっと回って……。そこを曲がって通りへ入ったら、井戸に戻れるだろ? ゴールは鐘の前だ。分かったか?」
井戸をスタートして、村の半分を一周するコースになるのかな?
駆け足の説明で気になるところがあったので、俺が師匠に質問を投げていたら、エリスが俺の手を引っ張るように急浮上した。
――村で一番高い場所にある――教会の鐘楼より高い位置で停止し、村の全体が見渡せる状況で俺がもう一度説明する。
ようやくエリスも理解したようで、師匠と同じ目線まで降下した。
「理解したか? ダークエルフ」
「あなた、説明下手ね。トウマを見習いなさい」
「はいはい。分かったようなら、始めようか……。トウマ、ちゃんと数えてくれよ」
もう止めても無駄らしく、二人はやる気満々のようだ。
「分かりました……」
「トウマ」
諦めたように肩を落とす俺に、屋根上に立つ師匠が、声を掛けてきた。
「お前が、師匠に選んでくれた女が……」
いつもはヘラヘラしている軽薄そうな顔が、真剣な表情へ変わった。
「どんだけ強い魔獣ハンターだったのかを、見せてやるよ」
師匠が力強く目を見開き、瞳の中心が青白い光を灯す。
水面に広がる波紋のように、二つの青い目を中心にして、魔紋が全身に広がった。
全身タトゥーを刻んだような姿をした師匠が、青白い息を吐きながら、屋根から飛び降りる。
地上へ着地した師匠が、俺達の方へ向けて片腕を上げる。
開いた指先を数度折り曲げ、――エリスへの挑発行為と思われる――手招くジェスチャーをした。
縦に回転しながら空中を浮遊する氷剣が、師匠の隣に並んだ。
それを上空から眺めていたエリスが薄い笑みを浮かべ、掌を地上に向けて伸ばした。
「悪いわね、ニンゲン。その剣、まだ強くなるのよ」
エリスの右腕には、第二紋の魔法を操ってることを示す、二つのリング状の魔法円紋が纏っている。
今までは二つあるうちの一つだけが、青白く発光していたが、もう一つの魔法円紋も青白く輝き始めた。
俺とエリスが模擬戦をしてくれた時は、内血系魔法を使って肉体強化した俺でも、二つのうちの一つを輝かせるまでが限界だった。
どうやら、もう一段階パワーを上げるらしい。
高速回転してるだけだった氷剣から、ドライアイスが気化したように、白い霧が溢れ出す。
白い霧が地面に触れると、まるで霜が発生したように、地面が白く変化した。
エリスが空に浮遊したからか、バリケードの前に弓矢を構えた兎人が立っている。
弓に矢をつがえて、兎人が力強く腕を伸ばし、弓を引き絞った。
標的の頭部へ目掛け、矢が空を切る。
師匠が当たり前のような動作で、顔の前で矢を掴んだ。
掴まえた矢をへし折り、折れた矢を放り投げる。
何事も無かったように人差し指を前に向け、師匠がスタートの合図を出した。
「え?」
小さく驚いたエリスの声を聞いて、このタイミングで俺は思い出した。
そういえばエリスが、本気を出した師匠を見るのは、コレが初めてだよな?
全速前進を始めた氷剣よりも速く、青白い疾風が空を裂く。
飛来する矢を次々と叩き落とし、通りを駆け抜ける。
バリケードの前を青白い疾風が横切り、弓矢を構えた兎人達の首が、地面へ転がった。
一歩遅れて井戸の前に到着した氷剣が、高速回転しながらバリケードを粉砕する。
「……チッ」
急カーブは苦手なのか、直角ではなく大きな曲線を描きながら、回転する氷剣がモノもヒトも通りすがりに、バラバラにしていく。
井戸を中心にして右半分が、竜巻が通り過ぎた跡のように、無残な姿に変わってしまった。
ギリギリ難を逃れたのか、兎ピエロが井戸の端に立っている。
ただし、両手を必死にバタつかせ、身体をクネクネと前後に、忙しくなく動かしていた。
足下の一部が霜が降りたように白くなっており、そこに触れた兎ピエロの靴底が、一瞬で天井を向く。
「あ……」
これから起こる未来が予想でき、おもわず俺の口から声が出てしまった。
戻すことが不可能な角度で、兎ピエロの身体が後方に仰け反る。
気持ち良いぐらいの角度で、滑った片足を天に蹴り上げ、兎頭が井戸の方へ吸い込まれていった。
「バニィイイイイイ!?」
たぶん、ボスである兎人の魔王を無視して、魔女と魔獣ハンターの兎狩り競争が始まった。




