【第15話】ジャック・ザ・バニー
「ゴロロロロ、ペッ……。ふぃー。だいぶ、抜けてきた気がするなぁ……」
うがいした水を馬上から吐き出して、リューネさんが口元を手の甲で拭う。
「なにが、抜けてきたか知らないけど。馬の上からゲロを吐くのを、やめてくれないかしら? いい加減、耳障りだわ」
「おっと、失礼。森育ちのお嬢ちゃん。つい最近まで、こちとら身体ん中が毒塗れでね……。腹ん中を酒で消毒しないと、魔薬が抜けなくてさ……」
「それなら魔薬に効く、薬草を使いなさいよ。お酒で消毒とか、聞いたことがないのだけど……」
「スラム街育ちの私に、お薬で治せとか言われてもなぁ。そんな、お上品なやり方を知らなくてねぇ。悪いけど昔からコレが一番、効くんだよなぁ~。ヘッヘッヘッ」
「……チッ」
耳元で小さな舌打ちが聞こえた。
俺の後ろに座る、エリスの顔色は伺えないが。
馬上でやりとりをする女性達の間で、剣呑な雰囲気が流れてるのは、嫌でも分かる。
どうにもこの二人、相性が悪い気がする。
師匠の性格に難ありなのは、俺にも分かっているが……。
そこに目を瞑っても俺が欲しい技能と、エリスが専門外の知識を持つ優秀な魔獣ハンターだと、毎日のように説得はしてるんだけど。
「お? 村が見えて来た」
露骨過ぎる話の逸らせ方だが、この居心地の悪い空気が、少しでも変わればなんでもいい……。
遠くに見える、石造りの家々を指差そうとした俺の手を、エリスが掴んだ。
「待って、トウマ。血の匂いがするわ」
「……え?」
「あん? この距離でかよ……。たしかに、空気がヒリついてやがるな。結構な数で、やりあってるのか?」
さっきまで仲違いしていた師匠が、エリスに話を合わせるような口ぶりで、――遠くの音を拾うような――耳に手を当てる仕草をした。
残念ながら、俺だけが状況を把握できてない……。
「悲鳴は、聞こえねえけどな……剣の音も聞こえねぇし。もう、やり終わった後か? こんな街の近くで山賊やるとか、どこの馬鹿だ?」
この先にある村は、普通に歩いていれば、街から出て半日ほどで着ける。
近隣にある村々では、街から一番近い村だ。
辺境伯などの領主が雇った私兵が、頻繁に巡回してるはずだし。
師匠が言うように、派手に暴れたら追手がかかりやすいから、リスクが高い気はするが……。
「うちの村から、ここを通った時は。なにもなかったはずだけど……」
「じゃあ、やられたのは。ついさっきだろうな」
師匠とやり取りをしながら、村が近づくにつれ、俺も違和感を覚え始めた。
村の外にある畑に、農具が転がっているようだが、人の気配が全くない。
朝方とはいえ、日の出と共に起きるはずの人達が見当たらないし、いくらなんでも静かすぎる……。
「たぶん、夜中にやられたな……」
「朝一で。俺達以外にも街を出た人が、いたはずだけど……」
「やられたんじゃないの? 誰かさんが、ゲロを吐いてる間に」
三者三様でいろんなことを口にするが、エリスの冗談に誰も反応しないくらい、皆が周りを警戒している。
石造りの家々がある村の中へ入った時に、悲惨な光景が目に入った。
「ひでぇな、こりゃ……」
「死体は……無さそうね」
たちの悪いイタズラのように、地面や石壁に赤黒いペンキが、大量に散らばっていた。
エリスが言うように、死体は見当たらないが……。
ナニかを引き摺った無数の血痕が、地面に残されている。
この村は街から近くて、辺境にある俺の村より安全だから、住んでいる人も多かった。
もし全滅だとしたら、百人近くは余裕で殺されてることになるが……。
「おやおや、新しいお客さんですね~」
凄惨な現場に場違いな、弾むような声色が耳に入る。
奥の建物からスーツを着た、奇妙な人物が顔を出した。
ワックスでも付けてるのか、おでこが見えるように黒髪をオールバックにし、顔中を真っ白に塗り潰した若い男性。
血のように真っ赤な色が、アイメイクと唇に塗られており、まるでピエロみたいに奇抜な格好をしている。
「レディースアンドジェントルマン。ようこそ、僕の笑顔あふれる素敵なステージへ」
血塗られた口紅をしたピエロが、両手を高々と挙げる。
「千客万来。こちらから伺わなくても、お客様の方から来てくれるなんて。僕の営業時代には、考えられない光景だねぇ」
感慨深げな仕草で、相手が胸元に手を当てた。
片足を横にスライドし、両足をクロスさせる。
同時に伸ばした片腕を、大袈裟に横へ振り降ろしながら、スーツを着たピエロが頭を下げた。
「いらっしゃいませ、お客様。先ほどは五名様でしたが、次は三名様ですか……なるほど、なるほど。では、まずは僕の自己紹介を」
楽し気な表情で顔を上げたピエロが、血塗れの手でスーツの襟を正す。
「僕の名は、ジャック……。なぜジャックを、名乗ってるかと言いますと。お客様は、ジャック・ザ・リッパーをご存じでしょうか? 僕の世界では、とっても有名人でしてね。僕が心から憧れる、大先輩なのさ」
ジャック・ザ・リッパー?
たしか……。
俺の前世の記憶だと、海外で都市伝説にもなった、凶悪な殺人鬼だったような?
腰に提げた帯剣ベルトに手を伸ばし、ピエロが二本の短刀を取り出す。
両手に持った短刀を、器用に指先で何度も回転させ、満足気な笑みを浮かべた。
「どうだい? 上手いだろ? 大学時代に、沢山練習してね。殺人以外で、コレだけは上手くできるようになったんだよ。営業時代の忘年会は、コレが大ウケでさ……」
嬉しそうな笑みを浮かべていたピエロの口元が、いびつな形に変わる。
「ホントにさ。あのクッソタレな、上司さえいなければ……。僕の人生は、順調に上手くいってたのにさ。年だけが上で、学歴が僕より遥かに下のヤツに、好き放題に言われてさ。あんまりにも五月蠅くて、イライラして、ついね……」
持っていたナイフを首元に寄せ、喉元を掻っ切る仕草をした。
「殺しちゃった……。でも、その後の不幸な事故で、僕も死んでね。気づけば異世界に飛ばされちゃって、新しい人生をリトライ! 道化師も、ビックリな急展開さ……。もうワケわかんなくて、笑っちゃうよねー。ハハハ、ピエロだけにね!」
目に手を当てながら、ピエロがゲラゲラと笑う。
なにがおかしいのか、俺にはさっぱり分からんが……。
ピタリと唐突に、ピエロの笑みが止まる。
「今のギャグは、六十点くらいかな?」
目元を覆っていた指が上下に開き、指の間から血走った眼が、俺達をねっとりと見つめる。
「なんだコイツ? クスリでも、キメてんのか?」
既に馬を降りていた師匠が、呆れた顔で小首を傾げる。
イカレてるというよりは、気が触れて狂ってしまったが、正しいのだろうか……。
前世の記憶を掘り起こす、馴染みのある単語がいくつも耳に入る。
彼を転生者と、判断しても良いのだろうか……。
「たぶん。シラヌイと同じ、魔王だと思います」
馬から降りながら、俺が呟いた言葉に反応して、師匠が鋭く目を細める。
前の世界線でも、転生者らしき魔王との遭遇は何度かあった。
シラヌイもそうだが、コイツらのスキルで厄介なのは……。
「元人間だった仲間が、周りに沢山いるんじゃないですかね?」
「なるほどな……。どうりで、そこら中から殺気が、たくさん飛んできてるわけだ……」
「うん……。第一ステージは、クリアできそうかな?」
身体をまさぐり撫でるような、気持ち悪い視線を投げていたピエロが、パチンと指を鳴らす。
建物の屋根、荷車の下、家々を挟んだ通路……。
様々な物陰に、身を潜めていた大勢の人影が、ゾロゾロと顔を出した。
「たしか……。二つ前の挑戦者に、二人組の傭兵みたいな奴らがいましてね……。一生懸命に自己紹介を僕がしていたのに、それを無視してさ。すぐ物陰に隠れようとしたんだよ……。せっかく僕が仕込んだ、ビックリイベントがバレてね。……コロシタよ」
舌をコンッと鳴らし、白い歯を見せてニヤリと笑うと、ピエロが指先で首をかっ切る動作をした。
「最近のニンゲンは、兎の皮を被るのが流行ってるのかしら?」
「あん? アホか。色白と毛だらけは目を瞑っても。頭がウサギの人間がいてたまるか。どう見ても、モンスターだろうが……」
やっぱり、この村は全滅したのか?
師匠とエリスの会話を耳に入れながら、俺達三人を取り囲む者達を、鞘から抜いた剣を構えながら見渡す。
白い体毛に覆われた、二足歩行の兎人達を、注意深く観察した。
もともと雪のように、白かったであろう全身の体毛には、赤黒いシミが斑模様のように広がっている。
人間の頭を挿げ替えたような兎頭の口元からは、出っ歯と言うには鋭すぎる、二本の長い牙が伸びていた。
おそらく生前の人間が持ち歩いていたであろう、クワなどの農具から、木こり斧に剣など。
様々な武器を手に持ちながら、赤い目を爛々と光らせて、ジリジリと俺達に近づいて来る。
「この魔王の力は、素晴らしいですね。是非とも、営業時代に欲しかったです。仲間を増やすスキルはありがたいですが、ただ気になった点がありましてね」
黒髪のオールバックから生えた長物へ、立てた人差し指を向ける。
「この長い耳! お気に入りの髪型が、一発で決めにくい! おしろいみたいな色白は我慢するとしても、この首から出た大量の毛!」
立てた人差し指を、スーツの首元からはみ出した白い体毛に向けた。
「これは何ですかね? 新種のエリマキトカゲですかね? 冬場はモコモコして暖かいでしょうが、夏場は絶対に困りますよね!?」
「……知るか、兎野郎」
師匠が我慢できず、ついにツッコミを入れた。
「異世界人の初コンタクトは、いきなり悲鳴ですよ。会話もできず、イライラしたので、殺しましたが……。もう、いっそのこと。憧れていたピエロに、なれば良いんじゃないかと思いましてね。ちょうどメイクができる赤インクが、目の前にありましたので」
なんとなくだけど、彼が上司に口うるさく言われた理由が、この短い間で分かった気がする。
支離滅裂、自己中心的で、相手のことを考えず、自分の言いたいことだけを、声高に主張する。
まともに彼の話を聞こうと思うだけで、しんどくなってくる……。
「だから僕は、偉大なる功績を遺した、大先輩である殺人鬼を倣って。ここで高らかに、宣言させてもらいますよ。ジャック・ザ・バニーとね! この世界で、僕も伝説の魔王に」
「そろそろ黙れよ」
――グシャリと、異様な音がした。
兎ピエロの身体が、驚いた顔でビクリと跳ねた。
緊張したように兎耳をピンと立てて、目を大きく見開き、とある場所を凝視している。
トマトを踏み潰したように、石造りの壁一面に、赤黒い液体が飛び散っている。
壁にめり込んだ、兎耳を生やした頭から、師匠が掴んでいた手を離す。
「これで、武器がタダで手に入ったな……」
青白い魔紋が光る腕を地面へ伸ばし、持ち主が落とした剣を拾った。
「意味の分からん話を、ペチャクチャペチャクチャと。なあ、兎野郎……。お前のお喋りには、もうウンザリなんだよ。そろそろ、始めてもいいか?」
青白い息を吐きながら、剣の腹を肩にのせる師匠。
「ゲロ女に同意ね。さっきから兎虫がキンキン鳴くから、頭が痛いのよ……。トウマ、手を出して」
「ん?」
両手で握り締めていた剣を左手に持ち替え、右手をエリスに差し出す。
「飛ぶわよ」
「お? お?」
俺の右手を掴んだ状態で、エリスの身体が空へ向かって浮き上がる。
握り合ったエリスの左手と俺の右手を通じて、風の精霊による加護が発動してるのか、重力を無視した風船のように、俺の身体もフワフワと空中へ浮かぶ。
さっきまで俺達が立っていた場所に、一本の氷剣がフワリフワリと漂っている。
兎ピエロが長い口上を述べている間に、エリスが第二紋の魔法で発動した氷の剣だ。
「トウマの先生だか、師匠だか知らないけど。あなたは必要ないの……。ゲロ女」
「あん? なんか言ったか、ダークエルフ。もっと大きい声で喋れ。聞こえねぇぞ」
青白いリング状の魔法円紋を二つ、右腕の周りに纏ったエリスが、拳を軽く握って人差し指を立てた。
円を描くように、エリスが右手首を回し始めた。
エリスの右手の動きに合わせて、地上から数センチの所で浮いてた氷の剣が、縦にグルリと回転した。
最初はゆっくりと回っていたが、徐々に回転のスピードが加速する。
遂には扇風機ほどに、高速回転した刃の風によるものか、地上に砂埃が立つ。
「それを、今から教えてあげる。私の邪魔にならないよう。隅っこで、隠れてなさい」
クルクルと回していたエリスの右手が、ピタリと止まる。
「兎狩りは、私一人で十分よ」
師匠を見下ろすエリスが、薄い笑みを浮かべる。
立てた人差し指を、円を描くように、今度は横向きに動かす。
高速回転した氷剣が、突然に前方へ跳ねた。
次々と縦に割れる兎人の間を、氷剣が車輪の如く、疾走した。




