【第13話】魔女ともう一人の誰か
ヒーローは遅れてやってくると、聞いたことはあったけど。
まさか自分が、それを経験する日がくるとはな……。
貴族であるライザールが、足元に刺さった氷の槍を、不可解な面持ちで見下ろしていた。
細長い氷の柄に、赤黒い液体が流れ落ちる。
ナニが貫かれていたのかに気づいたライザールが、小さな悲鳴を漏らして後ずさった。
胸元を氷の槍に貫かれ、力無く項垂れていたのは、ライザールを護衛していた男だ。
人と氷を組み合わせたオブジェを作った人物が、氷のように冷たい銀色の瞳で、ライザールを静かに見下ろしている。
お洒落に目覚めた町娘のように、袖口に銀色のラメ入り刺繍をした、可愛らしいワンピースを着た女性だ。
風にスカートを揺らしながら、氷槍の細長い柄の先端に、片足だけを乗せて器用に立つ美しい女性を、ライザールが呆け顔で見上げていた。
「精霊族……。いや、魔女が……どうして、ここに?」
横に細長い特徴的な耳と褐色の肌から、魔女とも呼ばれる闇精霊族と判断したのだろうか。
戸惑う貴族の前で、エリスが伸ばした左腕を後ろに向ける。
氷の槍で男を串刺しにしたエリスの後方には、女の子座りで地面にへたり込んだ、お嬢様の姿があった。
お嬢様を人質に取っていた男は、首から先を無くした状態で、うつ伏せに地面へ倒れている。
状況を理解できてない顔で、お嬢様が座り込んでおり、その前に転がっていた氷の剣が、空中にフワリと浮かぶ。
青白いリング状の魔法円紋を二つ、左腕の周りに纏ったエリスが、手招くように指先を動かす。
刃を空中で回転させながら、まるで吸い寄せられるように、エリスの手元に氷の剣が飛んでくる。
氷の剣を手繰り寄せてる間に、エリスの右手には、新たな魔法陣が生成されていた。
二つのリング状の外円を展開させた、第二紋の魔法陣の中から、新たな氷の槍が出現する。
二つの外円を残して、青白い魔法陣が消失した。
リング状の魔法円紋が二つ、エリスが伸ばした右腕の周りを纏う。
己の手足のように、氷剣と氷槍を空中で操る、闇精霊族のエリス。
そのダークエルフが、空中で一歩を踏み出した。
緑色の淡い光の波紋が、エリスの足元に広がる。
まるで空中に地面があるように、風の精霊による助力で、エリスが空を歩いていた。
同時進行で、発動されてる魔法は三つ。
第二紋の魔法を無詠唱で、しかも片手で一つずつ操り、散歩するように空を歩く女性は、それを平然とした顔で発動していた。
この場に、魔術に精通する人間がいたら、裸足で逃げ出すような光景だ。
「ねえ。教えてよ、ニンゲン」
魔女の名に相応しい、人外の魔術を披露するエリス。
その瞳の奥に、怒りの火を灯しながら、貴族を再び見下ろす。
「トウマの目玉をくり抜いて、それからどうするの? 私にもっと詳しく、聞かせてくれないかしら?」
今の彼女とまともに対峙できるのは、精霊族くらいだろうと思う状況で、貴族のライザールはどう対応するのかと様子を見る。
周りに味方が誰一人いなくなったライザールは、腰に提げた剣を抜いた。
「わ、私は、貴族だぞ! 貴族の私に、手をだ、ギャッ!?」
貴族が突き出した剣の刃を、氷の剣が乱暴に叩いた。
第二紋で作り出した魔法の剣は、第一紋の魔法よりもパワーが格段に上だ。
痺れた手を抑えながら、強制的に剣を手放したライザールが、エリスを睨みながら後ずさる。
貴族の威光を利用した恫喝のつもりだったのかもしれんが、エリスに対してそれは、悪手としか言えなかった……。
目の前にいる闇精霊族に、貴族も平民も関係が無い。
国の法律も、人間の常識も、全く通用しない。
彼女にとって重要なことは、相手が自分の力で勝てるか、勝てないかのどちらかのみだ。
「目玉を、くり抜くって、言ったわよね?」
魔女が、鋭く目を細める。
浮遊する氷剣と氷槍が、刃の先端を貴族の顔に向けた。
「やめろ、エリス!」
嫌な予感がして、即座に止めて正解だった。
俺の声が届いたらしく、貴族の目から数センチの位置で、氷剣と氷槍の刃が静止していた。
「ヒッ!」
数秒遅れで、身の危険が迫っていたことに気づいたライザールが、腰が抜けたようにへたり込む。
目に見えて不満げな顔で、エリスが俺の方を見た。
「どうして止めるの? いまコイツを殺さないと、トウマが殺されるのよ?」
エリスの言い分も分かる。
俺もできることなら、今すぐその馬鹿貴族をぶっ飛ばしたい。
「エリスには、分からないかも知れないが……。平民の俺達が勝手に、貴族に手を出すことは駄目だ。そいつがどんなに悪人でもな……」
やり場のない怒りに、震える拳を握り締めながら、心を鎮めようと努める。
国の法を無視して、俺達が独断で貴族を私刑にすると、あとあと大変なことになる。
下手をすると、エリスが私刑にしたことを見過ごした村の皆が、国の法で処罰される可能性もある。
だから、この場で一番無難な選択は、俺達よりも偉い人に任せること……。
その人に、悪事を働いた貴族を必ず裁いてくれと、頼み込むことくらいだ。
俺は猿轡と腕を縛っていた紐を外し、お嬢様を拘束から解放する。
お嬢様が礼を俺に言った後、俯き顔で地面をぼんやりと見つめるライザールに歩み寄った。
「恥を知れ、叔父上!」
貴族のお嬢様が、顔を怒りの表情に染め、右手の拳を握り締めた。
いきなり突き出した右手が、貴族の顔面に吸い込まれる。
普段から殴り慣れてるのか、腰の入った右ストレートが、綺麗に決まった。
鼻血を噴き出し、後方に仰け反ったライザールが、背中から地面へ派手に倒れる。
不意を突かれたパンチを、ノーガードの顔面へ食らって、気を失ったのだろう。
潰れた鼻から血を流し、白目を剥いたライザールの口の中に、折れた前歯が転がり落ちる。
「この者を拘束しなさい」
「しかし、お嬢様、その」
「今回の件は、わたくし。シャルロット・ロスマイアが、全ての責任を負います!」
戸惑い顔で尋ねる村長の言葉を、最後まで言わせず、辺境伯のお嬢様がピシャリと言う。
呆気に取られて立っていた俺の手元から、縄と猿轡を奪い取ると、それを気絶したライザールに投げつけた。
フンスフンスと鼻息を荒くしながら、シャルロットお嬢様が立ち去って行く。
素手で殴って、ちょっと痛かったのか、さり気なく手を擦っている。
「フフッ。あのニンゲン、気に入ったわ」
俺の背後に立っていたエリスが、肩口から顔を覗かせてクスリと笑う。
ホント絵に描いたような、お転婆姫様だな……。
まあ、おかげさまで俺も、多少は溜飲が下がったけど。
お嬢様の背を目で追いかけた時に、食堂前にいるナミタさん達が目に入り、そちらへ駆け寄る。
「シラヌイ、大丈夫か!」
ナミタさんに支えられながら、弱々しくも身を起こしたシラヌイが、ダガーの刺さってない無傷な片腕を上げる。
口から血を流して、辛そうな顔をしながらも、握り締めた拳の親指を立てた。
やり遂げたようなドヤ顔で、白いギザギザの歯を見せて笑うシラヌイを見て、少し安堵する。
まだ余裕がありそうだし、あの様子なら大丈夫だろう……。
「問題は、こっちだな……」
血を吐いて倒れたままの白髪女を見下ろして、どうしたものかと頭を悩ませた。
* * *
「おはよう、お兄ちゃん。パンだよ!」
「おはよう、ケティー。ありがとう」
かご一杯に入った焼き立てのパンを受け取り、幼いケティーの両手に硬貨を落とす。
小さな指で硬貨をめくりながら、うんうんと可愛らしい仕草で唸って、一枚一枚を丁寧に数えるケティーを見守る。
「ちょうどかな?」
「うん、ちょうど!」
「今日はケティーが、お使いしてるの?」
「うん。シャルロット様が、ご飯を食べに来てるの!」
貴族のお嬢様をシャルロット様と呼ぶまでに、ケティーが仲良くなっていたことに少し驚く。
硬貨を小銭袋に入れながら、ケティーが嬉しそうな笑みを浮かべた。
「食堂、人がいっぱいだから。私がお手伝いするの!」
ナミタさんが蟻人のモンスターになってからは、食堂への客足は遠のいてたと、村長からは聞いている。
村人の心情的に仕方が無いと思っていたが、今朝は忙し過ぎてケティーをお使いに出すくらい、以前の活気が戻ってるようだ。
自分がモンスターになったことが知られて、たとえ人間に狩られることになったとしても。
村の皆を助けることを一番にして、身を呈して戦ってくれたナミタさんを、嫌いになる人なんているわけがないよな……。
パンが沢山盛られたカゴを持ちながら、俺は上機嫌に家へ入った。
香ばしい朝食の匂いが、室内に立ちこめている。
「トウマ、皿を取って」
朝から不機嫌顔のエリスが、料理鍋をスプーンでかき混ぜながら、テーブルを指差す。
パンが入ったカゴを置いて、テーブルに並べられた小皿をエリスに渡した。
「それで。その女は、いつまでここに置いとく気なの?」
エリスが機嫌を損ねる原因になったモノへ、俺は視線を移す。
――本当は捨てる予定だった――グレンさんのマットレスの上に、白髪の女が横たわっている。
「うーん……。うぅっ……」
悪夢にうなされているのか、苦しそうな唸り声を漏らす。
マットレスに寝かされた白髪の女が、左右に顔を動かしながら、身もだえていた。
「臭いのかしらね?」
「……え? そっち?」
「痛っ、いった……。またトんでる間に、限界まで使いやがったな? あの、クソ貴族め……」
胸元を抑える仕草をしながら、眉間に皺を寄せた女性が、突然に身を起こす。
「やっと、起きたのね」
「は? 誰だ、お前……」
こちらからは、仁王立ちしたエリスの背中しか見えないが、寝起き一番に白髪女が困惑しているのは察した。
「トウマが、あなたに聞きたいことがあるって。喋ること喋ったら、さっさと出て行ってくれない? そのゴミベッドも、あげるから」
「あん? 誰だよ、トウマって……」
「おはよう。俺が、トウマだ」
「ヒッ」
エリスの横から顔を出したら、白髪女が悲鳴を漏らして、いきなり後ずさった。
お化けが出たみたいな反応をされて、ちょっと傷ついた……。
「ご飯、食べれる? パンとスープがあるけど」
部屋に充満する香りに釣られたのか、白髪女のお腹が盛大に鳴った。
三人でテーブルを囲んで食事を始めたが、やたらと白髪女がチラチラと、俺に熱視線を送ってくる。
パンを含めて五人前は用意したが、やせ細った身体のどこに入ってるかと疑いたくなるくらい、白髪女が残すことなく平らげた。
「それじゃあ、お互いに自己紹介といこうか。俺は、トウマ。こっちにいるのは、エリス。彼女は、闇精霊族だ」
「闇精霊族?」
「そうだ。知ってる?」
「ああ。それは、知ってるけど……」
エリスには興味があまり無いようで、白髪女が俺の方をじっと見ている。
「リューネだ……。私と前に、会ったことは無いよな? トランゼの街とかで」
リューネを名乗った女性が、傍目から見て分かるくらい、緊張した様子で尋ねてくる。
トランゼの街は、この村から王都を挟んで、反対側にある大きな街だ。
十六歳まで街に行ったことのない俺が、そんな場所に行けるわけがない。
リューネの問いに、俺は首を横に振った。
「そう、だよな……」
ショックを受けたというか、落胆したような感じみたいな、なんとも言えない複雑な表情を、リューネが浮かべる。
「リューネさん。あなたが、貴族に雇われて村を襲った理由を、聞いても良いか?」
「……私は、村を襲ったのか? モンスター以外で、誰かを殺したのか?」
質問を質問で返されて、俺の隣りに座るエリスと、思わず目配せをしてしまった。
昨日の件があったので、目覚めて大暴れした時のために、保険としてエリスに同席をお願いしたが……。
今のところ、大丈夫そうねと言いたげな顔で、エリスが小首を傾げる。
シラヌイを、人としてカウントするべきかを、ちょっと考えてみる。
何回も殺されたけど、死んでは無いよな?
「人は殺してないけど……」
俺の答えを聞いて、不安そうな顔をしていたリューネが、少しホッとした顔をする。
なんか昨日までの印象と、だいぶ変わってきたな……。
この人、わりとまともな人なのか?
「どうして、あの貴族と一緒にいたんだ?」
「……薬が、必要だったんだ」
「薬?」
「魔薬でしょ」
「マヤク?」
「魔力を利用した、危ないクスリよ……。たぶんコレ、幻覚が見えるタイプじゃないかしら?」
香水でも入ってそうな洒落た小瓶を、エリスが掌にのせて、俺達の前に差し出した。
貴族が腰に提げていたポシェットの中にあった物で、蓋を開けて匂いを嗅いだエリスが、危険物だと言って回収していた物だ。
リューネがすぐさま反応し、エリスが持つ小瓶へ手を伸ばそうとした。
取られるのを防ぐように、エリスが素早く手を閉じて、手元に引っ込める。
「やっぱり、あなたのだったのね? 魔薬はね、エルフの森のみで採れる毒草を、混ぜて調合した毒薬なの。普通の毒草から作る危ないクスリの何倍も、気持ち良いくらいにトんじゃうって、聞いたことがあるけど……」
――見た目だけでも毒々しい――紫色の怪しげな液体が入った小瓶を、指先で摘まんだエリスが傾ける。
「手が震えてるのは、クスリの発作かしら?」
頬杖をしたエリスに指摘されて、震える手を押さえつけるように、リューネが己の腕を握り締めた。
顔から脂汗をかきながらも、リューネは俺から視線を外さない。
リューネが意を決したような顔で、再び口を開いた。
「トウマって、言ったよな? ……本当に、クドウじゃないよな?」
静かに目を細めた俺に、何かを察した顔で、リューネが立ち上がった。
「やっぱり、そうなんだな? どうやって、こんなところに――」
前のめりになった彼女の視線を、遮るようにエリスが手を出す。
「さっきから、ワケの分からないことを言ってるけど。あなた、魔薬が抜けてないのかしら? トウマを、誰かと勘違いしてるみたいだけど。ここには、クドウなんていないわよ」
「そんなはずはない。お前からは、クドウと同じ魔力の臭いがしていた……。あの臭いを、私が間違えるはずがない」
トリップする系のヤバイ薬の副作用で錯乱し、ワケの分からないことを喋り続ける女性。
傍目から見たら、そう見えなくも無いが……。
「魔力の臭いが、同じね……。まるでトウマが、二人いるみたいなことを言ってるわよ?」
「そうだよ。だから、おかしいんだよ。クドウは一人しかいない。あの時、私の前で死んだはずなのに……」
「あなたと話してると。こっちの頭が、おかしくなりそうだわ。トウマは、一人しかいないし。この村から、出てもいない……。トウマがエルフの森で、迷子になった日から。私が毎日見てたから……」
盛大に溜め息を吐きながら、エリスが肩を落とす。
「……トウマ?」
エリスが不思議そうな顔で、横から俺を覗き込む。
――だから私は、あなたから前世の記憶を奪い、この地に堕とした。
なぜかこのタイミングで、アイツの言葉を思い出し、その意味を深く考える。
俺しか知り得ない名前を、何度も口にする女と、俺は無言で見つめ合った。
・【第10話ルートB】(BadEnd scene 10)
「仕えるべき主を間違え、誤った大義を信じた結果が、これなのか?」
脇腹を深々と貫いた氷の刃を、男は肩を落としながら見おろす。
足元に広がった赤黒い水溜りから、男は視線を外した。
当初の目的である、お嬢様の身柄を抑えることには成功した。
男以外は全滅と、多大な犠牲を支払ったが。
貴族を護衛していた者も、金だけで雇われた傭兵も、蟻の下半身を持つモンスターに嬲り殺された。
もしくは、魔女の放つ氷の刃に命を堕とした。
お嬢様を乗せた貴族用馬車は、男を悪の道に誘った主と二人きりで、男が時間を稼いでいる間に、姿を消していた。
「死にぞこないも、もう限界か……」
獲物を奪い合う、二匹の魔獣。
いや、横たわる黒髪の少年を中心にして、魔女と魔獣ハンターが激しい戦いを繰り広げていた。
大した時間も掛からず、決死の戦いは呆気なく終わる。
魔力が切れた一瞬の隙を突いて、魔獣ハンターのふくらはぎを、氷の刃が貫く。
蟲を張り付けにするように、魔女の氷槍が魔獣ハンターの腹を貫いた。
地面に倒れた黒髪の少年へ、魔獣ハンターが涙を流しながら、震える手を伸ばす。
しかし、氷剣を操る魔女が、それさえも許さぬとばかりに、女の腕を斬り飛ばした。
どうやら、次は男の番らしい。
男の逃げ道を塞ぐように周囲を取り囲んでいた蟻人達が、ジリジリと前に足を進めながら、徐々に包囲網を狭めて来る。
「魔薬に溺れて無い頃の君がいれば……。まだ俺達の生き残る可能性が、あったかもしれんな……」
あったかもしれない未来を、脳裏に想い浮かべたのか、男が薄い笑みを浮かべた。
最期の力を振り絞るように、両腕に浮かんだ青白い魔紋が輝く。
男の背後に音も無く、氷の刃が死角から現れる。
最期の足掻きを見せようとした男の首を、容赦なく斬り飛ばした。




