【第12話】魔獣ハンター
人を乗せていた荷馬車が激しく揺れ、木片が飛び散った。
猛獣が破壊した跡のように、手の形に握り潰された残骸と、空っぽの荷馬車。
荷馬車にいたはずだった、白髪女の姿が消えた。
魔力を通して、目に集中していたおかげで、相手の姿を追うことができたが……。
「跳び過ぎだろ……」
呆れ声を漏らすシラヌイの言葉通り、通常の身体能力では不可能な高さに、白髪女の姿があった。
数メートルにもなる高所で、女が空中で身体を捻ってムーンサルトし、天を仰いでいた頭を地に向ける。
重力に従って、真っ逆さまに落ちてくる白髪女。
その先には、お嬢様を人質にとって後退する護衛の男と、それをジリジリと追い詰める蟻人の姿があった。
白髪女の頭が、蟻人にぶつかると思った瞬間――。
ゴキリと、異様な音が聞こえた。
着地に失敗したのか、片膝を地に突き、地面に崩れ落ちる白髪女。
産まれたての子鹿のように、足を小刻みに震わせながら、ようやく立ち上がる。
左右にフラフラと、身体を揺らす白髪女の背後には、さっきまで動いていたはずの蟻人が沈黙していた。
四本の蟲足を折り曲げ、蟻腹を地に落とした蟻人の上半身は、力無く前へ項垂れている。
上半身にある人の首が、一回転以上も捻じ曲がった状態で……。
「く、すり……。ま、じゅう……」
ブツブツとなにかを呟き、千鳥足で身体をよろめかせながら、白髪女が俺達の方へ向かって来る。
「ゾンビかよ、気持ち悪い女だな……」
シラヌイに同意したいところだが、先ほどの異様な動きを見たせいで、彼女に対する警戒心は俺の中で振り切れていた。
弱々しい動きで、白髪の頭がゆっくりと上がる。
「く、すり……」
白髪のボサボサな前髪の隙間から覗く、夜の湖の底みたいに、青く濁った暗い二つの瞳。
「……ま、じゅう」
女の口から、青の混じった白い吐息が漏れた。
焦点の合わない、暗い瞳の中心に青白い光が灯る。
目の周りに浮かんだ魔紋が、水溜りに広がる波紋のように、全身へと広がる。
荷馬車から跳躍した時には、目で追えたはずの白髪女を、俺は完全に見失った……。
「……あ?」
力の抜けたようなシラヌイの声に、俺はすぐ隣に立つ者へ目を向ける。
白髪女の突き出した左腕が、シラヌイの胸元を貫いていた。
左手に掴んだ赤黒いナニかを、グシャリと握り潰す。
同時に、シラヌイが白目を剥いて、全身の力が抜けたように、蟻の腹部を地に落とした。
理解が、できなかった。
理解を、したくなかった……。
動かなくなったシラヌイの胸元から、赤黒い左腕をズルリと引き抜く。
一撃で沈んだシラヌイが持っていた剣を、白髪女が奪い取った。
赤黒い液体で濡らした左腕を、白髪女が汚れがついた仕草で振り払う。
白髪女がようやく気付いたとばかりに、俺の方へギョロリと瞳を向ける。
焦点の合わなかった瞳が、一瞬だけ感情の色を灯し、俺を虚ろな目で見た。
「まぼ、ろし……」
……え?
俺への殺意は感じ取れず、呆然とした俺の前から、白髪女が風のように姿を消した……。
もしかして、俺をモンスターで無いと認識したからか?
だが、魔獣ハンターの殺戮は終わらない。
俺の近くにいた蟻人に、白髪女が襲い掛かり、高速で剣を振り回して、四肢を斬り飛ばす。
全身タトゥーのように、露出した肌の全てに魔紋を浮かべ、尋常ではない速さで、蟻人を細切れにしている。
「クソ女が……。いきなりモツ抜きとか、やってんじゃねぇよ!」
近くにいた別の身体を使って、再復活を果たしたシラヌイが、怒りに目を吊り上げて、白髪女を指差す。
青の混じった白い息を吐きながら、手を止めた白髪の魔獣ハンターが、シラヌイの方を見た。
「麻酔も無しに、腹ん中を抉られたら。普通にクソいてぇんだよ、ボケがッ! ぶっころし――」
顔を真っ赤にして、怒り狂った表情をしたシラヌイの顔に、斬線が走る。
目にも留まらぬ速さで、シラヌイに接触した白髪女が、剣の刃を頭から蟻の腹へと容赦なく落とした。
言葉を続けることもできぬまま、胴体が真っ二つに割れたシラヌイが、力無く崩れ落ちる。
全身に血を浴びた白髪女が、フラフラと左右に身体を揺らしながら、力無く項垂れたシラヌイの横を通り過ぎる。
意味不明な独り言を呟きながら、浮浪者のように歩く背中を、俺はただ見送ることしかできない。
――内血系の才能がある魔闘士は。今の私がやったことを、もっと早くできるわ。極めることができたら、呼吸をするように発動できるらしいわね
魔法の指導をしてくれた時に、エリスが語っていた言葉が脳裏をよぎる。
目の前にいる彼女は、異常なのだ……。
俺よりも内血系の質が遥かに高いのに、俺よりも早く魔法を発動できる、異常過ぎる才能。
俺の目に追えないスピード、パワー……魔獣ハンターの名に、相応しき才能。
……勝てる気がしない。
白髪の魔獣ハンターが、近くにいる蟻人を、手当たり次第に駆逐していく。
赤子の手をひねるように、白髪女に接触した者は大した抵抗もできずに、剣で四肢をバラバラにされ、腹を割かれて首を跳ねられる。
異なる世界線で、魔王が指揮する魔物の大軍を、たった一人で相手にした、魔獣ハンターと呼ばれた英雄の姿と重なる。
……どうすればいい。
どうやって、この怪物を倒せば……。
「人が喋ってる時に、斬ってんじゃねぇよ。このボケが!」
また別の身体に乗り移ったシラヌイが、鼻息を荒くしながら怒号を飛ばしている。
シラヌイが復活できる身体はまだあるが、今の状態で戦い続けても無駄死にするだけだ。
エリスがいてくれたら、まだやりようがあったが……。
「お母さん!」
「駄目よ、ケティー! 中に戻りなさい!」
ゾクリと背筋が凍る。
手を止めた白髪の魔獣ハンターが、食堂の入り口前に立つナミタさんを、獰猛な目で狙っている。
瞳の中心を青白く光らせ、顔だけでなく身体をナミタさんの方へ向けた。
「シラヌイ!」
息巻いていたシラヌイが、俺が見ている方へ視線を向けた。
蟲足のかぎ爪を地面に突き刺し、急ブレーキをかけたシラヌイが、即座にUターンをする。
「させるかよ、クソ女が!」
走り出した俺の意思を汲み取ったように、シラヌイも目の色を変えて、同じ場所に向かって全力で駆け出す。
一気に終わらせるつもりなのか、青の混じった白い吐息を吐きながら、さっきより時間を掛けて、魔獣ハンターが青白い魔紋を全身に浮かべている。
「数で押しつぶしてやらぁ!」
ギチギチと喉を鳴らし、シラヌイが仲間に指示を飛ばす。
村中に散らばっていた蟻人が、一斉に集まって来た。
ナミタさんの方へ走っていた俺の横を、突風が通り過ぎる。
俺の近くにいた蟻人が、頭から腹に向けて、胴体を真っ二つにされた。
獲物を狩り終えた白髪女が、俺の頭上を飛び越えて、次の獲物に飛び掛かる。
俺のことは……眼中に無いってことかよ。
目に入った魔物を全て駆逐する勢いで、暴れ回る魔獣ハンター。
シラヌイが呼び寄せた仲間達を次々と屠り、直線に走る俺の周りで、ジグザグに白髪女は移動してるのに、追い越すことができない。
魔力を全身に通して、肉体強化を図ってるのに、コイツとはここまで差があるのか……。
才能も、経験も、技術も、実力も……何もかもが足りない。
ダガーを振り回す蟻人を屠ったタイミングで、俺との距離が縮まる。
少しでも足止めしようと伸ばした手を、嘲笑うかのように魔獣ハンターが避け、視線の先にいる親子に向かって飛び掛かる。
見通しが、甘かったか……。
過去とは違って、なにもかもが順調にいくから、今回も上手く終わると思っていた。
見えていた一部の未来を過信した結果が、これかよ……。
空高く舞った白髪女が、右手に握り締めた剣に体重を預け、刃を獲物へ目掛けて落とす。
女の上半身を貫き、蟻の腹部まで刃が貫通する。
「……捕まえたぜ……クソ女ァ」
寸前でナミタを突き飛ばしたシラヌイが、魔獣ハンターの刃を、自らの身体で受け止めていた。
口から血を吐きながら、人間の手で白髪女の首を掴み、蟲足を伸ばして白髪女の身体を抱きしめる。
「やれ、トウマ!」
シラヌイが命懸けて作ってくれた、僅かな時間を使って、魔獣ハンターに刃が届く距離まで、間合いを詰める。
これが、最初で最後のチャンスだ。
……すまない、シラヌイ。
心の中で、謝罪と覚悟を決めた。
シラヌイごと斬り捨てるつもりで、刃を魔獣ハンターの頭めがけて振り下ろす。
白髪女の頭部がぐるりと回り、俺の方を見た。
――耳に入った音は、肉を斬る音では無く、金属音だった。
俺の振り下ろした刃を、別の刃が止めていた。
見覚えのあるダガーだ……。
シラヌイが蟻人にした山賊が、愛用していたナイフを、白髪女が奪っていやがった。
骨を砕いたような異音が耳に入り、シラヌイが苦悶の声を上げる。
白髪女が俺の刃を止めながら、もう一つの手でシラヌイの蟲足を掴み、力任せにへし折っていた。
鍔迫り合いを継続する俺の腕を、白髪女が掴もうとしたので、俺は捕まる寸前で避けた。
顔に脂汗を浮かべたシラヌイが、首を掴んだ手を離さなかったおかげで、白髪女の手は空を掴んだ。
邪魔だとばかりに、手に持っていたダガーを、シラヌイの肩口に突き刺す。
「ぐぁああッ!?」
シラヌイが悲鳴を漏らし、拘束していた腕の中から、白髪女が悠々と抜け出した。
剣で串刺しにしたシラヌイを放置して、白髪女が俺の方へ歩み寄る。
剣もダガーも、両手に何も持ってない素手の状態なのに、勝てるビジョンが全く見えない。
せめてエリスが、村に戻って来るまでの時間を――。
そう思った瞬間には、白髪女の顔が目の前にあった。
「かはっ」
いきなり首が圧迫され、剣を握り締めていた右腕に痛みが走る。
まだ完治してない右腕に、骨が折れそうなほどの激痛が走り、おもわず握り締めていた剣を放してしまった。
俺の首を掴む手にも力が入り、呼吸ができない程の圧迫感が俺を襲う。
エリスに教えることは無いと褒められた、最も魔力の通りが良い右手に力を込めるが、それを上回る力で捻じ伏せられる。
意識が朦朧とするが、諦めるわけにはいかない。
肌に触れる鼻息さえ感じ取れる程に、顔を近づけた相手を睨み返す。
――青い瞳に涙を溜めた女が、泣きそうな顔で、俺を見ていた。
「幻じゃ、ないのか?」
俺を拘束していた手が、唐突に離される。
激しく咳き込みながら、新鮮な空気を肺に送り込み、白髪女へ目を向けた。
どこを見てるか分からない、焦点の定まらない、濁った瞳ではなかった。
強い感情の色を含んだ青い瞳が、俺を真っすぐに見ている。
さっきまで、俺に向けられていた殺気は消えていた。
そこに立っているのは、別人としか思えないような、哀愁漂う姿で立つ、一人の女性。
白髪の女が、血塗れの手を俺に伸ばす。
警戒をしたが、女性の手は酷く震えており、怯えるような態度で俺の顔色を窺ってるせいで、俺の身体への接触を容易に許してしまった。
万力で締め付けられたような痛みではなく、年頃の女性が触れるような、優しい感触を腕に覚える。
まるで痛みが走ったように、女性が後方へ飛び跳ねた。
「嘘だ……。嘘だろ……。そんな、ありえない」
声を震わせながら、俺から離した両手で、白髪女が己の顔を覆う。
「だって、お前は……。私のせいで、死んで……」
指の隙間から、青い瞳で俺を見つめる。
俺が近づこうとすると、距離を取るように後ずさった。
「クスリ。薬はどこだ? これも、いつもの幻覚だろ? お前が、ここにいるはずが……」
あまりにも異常な怯え方を見て、俺は戸惑いながらも手を伸ばす。
女性が小さな悲鳴を漏らして、白髪の頭を両手で抱えた。
「やめろ。やめてくれ……。お願いだ、もう許してくれ……」
力無く曲げた両膝を地に落とし、白髪の女が弱々しく俺を見上げる。
潤んだ青い瞳から、一滴の涙が頬を伝う。
「本当にお前を、見殺しにするつもりはなかったんだ……。だから、許してよ……クドウ――」
白髪の女が目を見開くと、突然に赤黒い液体を吐いた。
ただの吐しゃ物ではなく、血が入り混じったモノを吐き出して、地面へ崩れ落ちる。
「チッ、時間切れか……。使えない女だ……」
わけが分からず呆然と立ち尽くす俺の耳に、貴族の声が遠くから聞こえた。
周りにいる蟻人を全て駆逐し、目に見える範囲から脅威が消えたからだろう。
ライザールが余裕綽綽の笑みを、俺に向ける。
「小僧。お前の顔、覚えたぞ……。これで終わりだと思うなよ? 平民如きが、貴族に逆らった罪で、貴様を必ず投獄してやる……」
俺を指差し、殺気立った瞳で睨みつける。
「もちろん、私が直々にお前を尋問してやろう。その忌々しい目玉をくり抜いて。早く殺してくれと、叫びたくなるくらいの地獄を見せてやる。覚悟しておけ……」
下種な笑みを浮かべたライザールが、身を翻す。
「おい。引きあげる、ぞ?」
ライザールが訝し気な顔で、足元を見つめる。
地面に突き刺さった氷の刃が、ライザールの靴に当たっていた。
「どこに、引きあげるのかしら?」




