【第11話】襲い掛かる悪意
死ななくてもいい人達が死んだ。
ずっと一緒にいると思っていた人と、突然の別れに涙を流した子供がいた。
つらい悲しみを乗り越えて、ようやく皆が前に進もうとしていたのに……。
その悲劇を、また繰り返そうとする悪人がいる。
溢れ出る怒りの感情を抑えるように、剣を持つ拳を強く握り締める。
村に悪意をもたらした、元凶を睨みつけた。
「気に入らない目だ……。最初に、私と目を合わせて、慌てて君が目を逸らした時も……。ダング君を問い詰めながら、私と目を合わせた時も、その目だった……。私は、君の目が気に入らなかったのだ」
少しだけ冷静を取り戻したのか、ギリギリと齧っていた眼鏡を、ライザールが口元から放す。
「そうだ、思い出したよ……。私が黒幕だと、気づかれた時だ。口封じをした者達が、最期に私を見た時と、同じ目だ……。初めて顔を合わした者達は、誰一人そんな目をしてなかった。疑うような目でも無い。私を悪人だと決めつけた、そんな目をしていたのだよ、君は……。不思議だよ……。ありえないことだ……。初対面の私を、どこで悪人だと気づいたのかね?」
齧り過ぎて縁が変形した眼鏡を、様々な角度から観察しながら、独り語りをしていたライザールが、壊れた眼鏡越しに俺を見据える。
あの過去を見てなければ、最初から貴族に疑いの目を向けるのは、無理だっただろう。
アイツとの契約による制約があるので、お前を疑う理由になった未来の話を、喋るつもりは当然ないが……。
「だんまりかね……。それならば、君が話したくなるようにするしかあるまい」
ライザールが気味の悪い笑みを浮かべ、持っていた眼鏡を手放した。
不要になったとばかりに、地面に転がる眼鏡を、いきなり踏み潰す。
同時に、絹を裂いたような、女性の悲鳴が耳に入った。
「ダング君から話を聞いた限り、危険なのは君一人のはずだ。あちらは彼らだけでも、どうにでもなるだろう」
ライザールが言った、あちらの意味を考えて、俺はもう一台あった荷馬車の存在を思い出す。
貴族を見送りに出て来た者達が逃げ惑い、悲鳴を上げた女性達が、安全な場所を求めて走っていた。
どこぞの酒場で雇ったのか。
それとも、街の外れでうろつく浮浪者を拾ったのか。
赤黒く汚れた刃をギラつかせ、酷く汚れた身なりの悪い男達が、村の中を我が物顔で徘徊している。
村の皆を助けに行こうとしたが、俺が身を乗り出す前に、刃を向けた者達が俺を威圧し、踏み出そうとした足が止まる。
「その様子だと。ダング君に勝てたのは、たまたまのようだね」
俺の心を見透かしたように、不敵な笑みを浮かべたライザールを睨み返す。
内血系の魔法を使えるヤツがいなければ、強行突破をするつもりだったが……。
俺と同じように手の甲など、身体の一部に青白い魔紋を浮かせたヤツがおり、未知数の力を持つ奴らに、無策で飛び込む勇気はない。
その辺のゴロツキではなく、貴族を護衛する連中となると、腐っても軍人だからな……。
「こんな辺境の村にいる、君のような芋臭い小僧が。私の計略に、気づけるわけがない……。いるんだろ? 協力者が……。黙っていたら、分からないじゃないか。時間なら、たっぷりあるんだぞ……。男共を殺した後に、女達を一人ずつ嬲り殺しにすれば。少しは君の固い口も……」
黒い笑みを浮かべ、饒舌に喋っていたライザールの口が、唐突に止まる。
ライザールが目を見開き、俺の周りを取り囲む者達が、同時に視線を上げた。
俺の背後にある荷馬車が、ギシリと大きく音を立て、傾いて揺れたのが分かる。
背後に感じた異様な気配に振り返り、俺を上から覗き込む、三白眼の黒い瞳と目が合った。
「トウマく~ん。なに一人で、楽しそうなことをしてんだよ。私も混ぜろよ~」
「シラヌイ?」
荷馬車に飛び移ったのか、天蓋を黒い腹部で押しつぶし、上から俺を眺めていたのは、蟻人のシラヌイだった。
驚いた俺の顔を見たシラヌイが、童顔の口元を三日月型に歪め、楽しげな笑みを浮かべる。
「うわぁああああ! モンスターだぁああああ!?」
甲高い女性の悲鳴ではなく、野太い男の叫び声が耳に入り、そちらにおもわず目を向ける。
皆と同じ食堂の方へ逃げようとしたのか、――負傷した足のせいで――逃げ遅れた村長の足元に、血塗れの男が剣を握ったまま倒れていた。
男は肩から胸元まで深く切り割かれており、刀身幅の広い肉切り包丁が、胸元から生えている。
二本の蟲の足が伸び、男の肩を掴みながら、もう片方の蟲足で肉切り包丁を、乱暴に引き抜いた。
「村長、店の中へ。逃げた皆さんを、お願いします。それとケティーを」
「わ、分かった……」
外の騒ぎを聞きつけて、店の奥にいた蟻人のナミタさんが、救援に駆け付けてくれたようだ。
村長を襲撃しようとしていた相手に、血塗れの肉切り包丁を向け、村長を逃がしながら牽制をする。
村の中へ入ろうとした襲撃者達が、引きつった顔で足を止めていた。
主に呼ばれて、巣穴から湧き出したのだろうか。
崖から降りてきた黒い人影が、四本の細長い蟲足を忙しなく動かし、村の中を走り回っている。
シラヌイに似た蟻人達が、次々と石造りの家によじ登り、村の外から来た襲撃者達を、屋根上などの高所から威嚇した。
「よいしょっと」
荷馬車から降りてきたシラヌイが、四本の細長い蟲足を器用に動かして、俺の横に並んだ。
突然に現れたモンスターに、俺を取り囲んでいた者達の顔色が変わり、目に見えて動揺しながら後退っている。
「シラヌイ。村の皆を助けたい。協力してくれ……」
「お? 協力プレイってヤツだな? いいぜ、面白そうじゃん。ソロプレイの方が得意だけど。私も協力できるってところを、見せてやんよ!」
鼻息を荒くしたシラヌイが、両手の拳同士を突き合わせた。
胸を反らしたシラヌイが、大きく息を吸い込む。
――鮫を連想させる――鋭い牙を隙間なく並べた歯が、上下に開いた。
「雑魚共が、何匹いようが関係ねえ。死にたい奴から……かかってこいやぁああああああ!」
シラヌイの咆哮に合わせて、外から来た襲撃者達に、黒い蟻人達が一斉に飛び掛かった。
「ひぃッ! は、話が違うじゃねぇか! こんなの聞いてねぇぞ! うわぁああああ!?」
自分達が狩る側だと勘違いしてた者達が、突然に現れた黒い恐怖から逃げ惑う。
背を向ければ最期、黒い蟻人が四本の蟲足をカサカサと素早く動かし、獲物に飛び跳ねて襲い掛かる。
蟻の腹部で相手を押しつぶし、細長い蟲足を伸ばして、相手から武器を奪った。
手に入れた剣を器用に使い、相手に容赦なく止めを刺す。
蟲の半身と人の知恵を持つモンスター達の出現に、我が物顔で歩いてた襲撃者の立場が、完全に狩られる側に逆転していた。
その光景を見ながら、俺は不思議な感覚にとらわれていた。
あんなに恐怖を感じてたモンスター達が、今日ほど頼もしく思えたのは、初めてかもしれない……。
過去に忌み嫌ってたモンスター達と、まさか共闘する日が来るなんてな……。
「ボーッとしてんじゃねぇよ、トウマ。いくぞ!」
腰に巻いたベルトから、シラヌイが見覚えのある剣を引き抜く。
先日の襲撃で、俺を殺そうとした山賊――ダグラスと呼ばれた男――の剣を握り締め、新しい身体を手に入れたシラヌイが、正面に立っていた男に勢いよく突撃した。
先ほどのシラヌイの威圧に呑まれたのか、浮き足立った男の胸元にすんなりと通った刃が、護衛役の一人を斬り裂く。
人の包囲網を強引に、こじ開けてくれたシラヌイに続く形で、近くにいる護衛役と俺も刃を交える。
――世界の終末を迎えた過去――異なる世界線の戦争で、命の取り合いに参加する場面は何度かあった。
戦闘技能が並以下だったので、大した活躍はできなかったが。
だが、今の俺は違う……。
俺の顔面を狙って斬り込んだ刃を、己の剣で難なく弾き返す。
闇精霊族から貰った魔力と、それを使った内血系魔法による身体能力の向上。
王国軍兵を相手にした模擬戦では、追うことすら無理だったスピードに身体が反応する。
返した刃を袈裟懸けに振り下ろし、相手を斬り伏せた。
エリスの助力により、魔闘士の道を進んだことで、自分が一つ上の世界に足を踏み込んだのを、改めて実感する。
「おい、トウマ。偉そうに命令してたヤツが、逃げてるぞ」
シラヌイが指差した先に、俺も目を移す。
俺達を取り囲んでいた男達がいないと思ったら、貴族のライザールを守るようにして、どこかへ移動している。
当然ながら、あの悪人を逃がすつもりもなく、その背を追いかけた。
「シラヌイ。あの派手な服を着てる奴だけは、殺さないでくれ。アイツには、聞きたいことが山ほどある」
「あいよ。あのクソださい服を着てるヤツを、残せばいいんだな? じゃあ、周りにいる雑魚共を蹴散らしますかね~」
俺達の行く手を阻むように、貴族を護衛していた男が二人、足を止めて待ち構えている。
まずはシラヌイが先行し、右にいる男と剣を交えた。
――エリスに背後から奇襲され、実力を見ずに終わったが――山賊ダグラスの肉体と融合したシラヌイが、以前とは比べ物にならないくらい軽快な動きで、護衛の男と互角に戦っている。
チラリと見ていたシラヌイから視線を外し、俺は剣を構えたもう一人と対峙する。
男が剣を握り締めた拳に視線が移り、手の甲に青白い淡い光を漏らす、魔紋が目に入った。
油断せず剣を構ると、相手が先に動く。
さっきの男より、速い剣さばき。
まだ目で追えるレベルのそれに、刃を重ねた時の強い衝撃。
完治してない右手にズキリと痛みが走ったが、まだ耐えれるレベルだ。
でも、それで終わらない……。
相手を上回るパワーで。
――弾く。
己の手の甲に浮かぶ魔紋を、相手のより青白く輝かせ、驚いた顔で固まる相手の首を刎ねた。
不意打ち気味の先手必勝で倒したダングとは違って、いま倒した男は右手の甲にだけ魔紋が浮かんでいる。
身体の一部に魔紋が浮かぶ、内血系魔法の使い手なら、今の俺でも相手にできることが証明された。
シラヌイも打ち勝ったらしく、顔に着いた血糊を手で拭いながら、俺と目を合わす。
「ボス討伐まで、もうちょっとだな」
「そうだな……」
俺達の方をチラチラと見ながら、足早に逃げ続ける貴族を、シラヌイと一緒に追う。
楽勝ムードだと言いたいのか、シラヌイは口笛を楽しそうに吹いている。
「ひぃっ。コッチに来るな!」
俺達から離れようとする貴族達に、合流しようとする者がいた。
貴族のお嬢様の首元へ片腕を回し、乱暴に抱き寄せながら、剣を振り回して後ずさる護衛役の男。
逃走手段である貴族用馬車との間に割り込んだ蟻人が、人質を取って後退する男を、威嚇をしながらジリジリと追い詰めている。
もはやコイツらに、逃げ道はないはずだ。
人質は取られたままなので、あとはそこさえ解決できれば良いのだが……。
片手で数えれる程の護衛達に囲まれた貴族が、ふと足を止めた。
「モンスターが現れたのには、驚いたが……。やはり私は、運が良い」
余裕のある笑みを浮かべ、立ち止まったライザールの背後には、空になった荷馬車があった。
正確には、山賊共が乗っていた荷馬車に、死んだように縁へ身体を預けた女性が一人いたが……。
未だに吐しゃ物をポタポタと落とす、ボサボサの白髪頭の女性に、ライザールが顔を近づける。
「仕事をしろ、魔獣ハンター」
ライザールの言葉に、死んだように項垂れた女性の身体が、ピクリと小さく跳ねた。
……魔獣ハンターだと?
「目の前に入る、蟻のモンスター共を駆逐しろ……。お前の悪夢を消し去る、クスリが欲しいのなら」
傭兵の中には、モンスターを狩ることを専門にしてる奴らがいる。
通常のモンスターはまだ良いが、強い瘴気から産み出されたとされる魔獣は、魔闘士などが対応する場合が多い。
村を襲おうとしていた山賊が全滅し、残りの護衛役も片手で数える程しかいないのに、ライザールは不敵な笑みを浮かべている。
圧倒的に不利な状況で、ただ逃げてるだけかと思っていたが……。
嫌な予感がする。
吐しゃ物を落とすだけで、死にかけにしかみえない女に、このタイミングで頼る理由は……。
「く、すり……。ま、じゅう……」
弱々しい動きで、ゆっくりと白髪の頭が上がる。
白髪のボサボサな前髪の隙間から覗く、夜の湖の底みたいに、青く濁った暗い二つの瞳。
身体を支えるために、細長い女の指で掴んだ木製の縁に、いきなり亀裂が走った。
まるで枯れ枝を折るように、異常な力で握り潰される。
焦点の合わない暗い瞳の中心に、青白い光が灯った。




