【第10話】暴かれた悪意
後悔したあの日に戻ることができ、エリスやシラヌイ達が協力してくれたおかげで、村の危機は脱した。
山賊に村を襲われたが、奴らを倒したことで、この件は終わりだと思っていた……。
でも、もしそれで、終わりじゃないとしたら?
焦る気持ちを抑えきれず、崖上の森から村へ繋がる坂道を、足早に駆け降りる。
山賊に襲われた日のように、女性の悲鳴が聞こえたりはしなかった。
平和に穏やかな時間が過ぎてるようで、貴族が来る直前の村に漂っていた緊張感は無くなり、村の中は和気藹々としていた。
ナミタさんの食堂前には、食料や雑貨品が積まれた木箱が並び、――おそらくは貴族の護衛役であろう――身なりの良い者達が、その木箱を荷馬車に運んでいる。
数日は、貴族のお嬢様を襲った山賊達を捜索してもらうから、食料品は必要になるだろうと言っていた、村長の言葉が脳裏によぎる。
村長の姿を探せば、――後ろ姿しか見えないが――貴族らしき風貌の男と楽し気に話をしていた。
貴族の男が大きく膨らんだ布袋を渡すと、村長が満面の笑みを浮かべる。
頭を何度も下げて、感謝の言葉を述べてる様子から、彼らに渡した食料品に対する報酬金なのだろう。
平民の俺にとっては雲の上の存在である貴族様と、村の代表である村長の会話に、割り込むようなことはできないので、――逸る気持ちを抑えながら――少し離れたところから様子を見守ることにした。
木箱を運ぶ身なりの良い男達は、貴族の護衛役らしく、革の胸当てや腰に提げた剣など、身軽ながらも最低限の武装をしている。
気品のある装飾がされた貴族を乗せるための馬車を除くと、目に映る荷馬車は三台。
一台は護衛役の人達が乗ってたと思われる、空っぽの荷馬車。
もう一台が、雑貨品や食料品などが載せられた、沢山の木箱が積まれた荷馬車。
護衛役の人達が荷馬車の周りで、忙しなく積み荷を運んでいる。
どれも天蓋付きの荷馬車で、入口の布を左右に開いて、御者の反対側から中に入るタイプだが……。
気になるのは三台目だ。
三台目だけは入口がしっかりと閉じられ、中を覗き見ることはできない。
たぶん、人は乗ってるはずだが……。
「てめぇ、中で吐くなっつたろうが! 吐くなら外で吐けや! ゲロ女!」
俺が注目していた布が開き、突き飛ばされるようにして、人の半身が外に飛び出す。
勢いよく倒れた人影が、木の縁に脇を挟む形で片腕を預け、ダラリと力無くぶら下がる。
短髪の女性らしき人が、頭を地面に向けて、盛大に嘔吐した。
乱暴に開かれた布の入口を、中にいた人物がすぐに閉じる。
一瞬のできごとだったが、たまたま意識をそちらに集中させていた俺は、見えなかった荷馬車の中を覗くことができた。
積荷をしている身なりの良い者達とは真逆で、場末の酒場で見かけるような、えらく身なりの悪い風貌の連中が乗っていたが……。
「お騒がせして申し訳ない。彼らは昨晩、お酒を呑んでいてね」
良く通る声で、謝罪の言葉を述べた人物へ、俺は視線を移す。
突然に聞こえた罵声を浴びせる言葉に、村長が驚いた顔でそちらを見ており、隣に立つ貴族が近くにいる者を呼び寄せた。
眼鏡を外した貴族が、近づいた者へ何か指示を出し、護衛役の男が貴族用の馬車へ走って行く。
貴族の男が眼鏡を外し、苛立ちを隠せない顔で、眼鏡の縁を噛む仕草をした。
ひどい二日酔いで吐いてるように見える女を、貴族の男が鋭く目を細めながら、じっと見つめている。
さっきまでの和やかな雰囲気が、ピリついた重苦しい雰囲気に変わっていた。
言伝を頼まれた男に呼び出されたのか、貴族用の馬車から降りて来た男が、貴族のもとへ駆け寄った。
大怪我でもしたのか、身体中に包帯を巻いた男が傍に寄って耳打ちをする。
表情を少し和らげた貴族が笑みを浮かべて、耳打ちした男の肩を叩いた。
「よくやったよ、ダング君。まだ積荷が終わってないから、そっちを手伝ってやってくれたまえ」
再び眼鏡をかけ直そうとした貴族の男が、ふいに顔をこちらに向け、俺と目が合った。
俺は慌てて目を逸らし、しばらくしてから視線を貴族の男へ戻す。
村長と別れの挨拶を済ませたのか、貴族の男が積荷をしている荷馬車へ足を向け、足早に立ち去った。
上機嫌なホクホク顔の村長のもとへ、俺は駆け寄る。
「村長。お嬢様は?」
「ん? お嬢様なら、もう馬車に乗っておるぞ」
貴族用の馬車を、村長が指差した。
「慣れない場所で過ごしたせいか、随分とお疲れらしい。王都に早く戻りたいから、もう出発するそうだ」
村長が握り締めた布袋に、俺は目を移す。
俺の視線に気づいたのか、硬貨の擦れる音が聞こえる銭袋を持ち上げて、村長が嬉しそうな笑みを浮かべた。
「お嬢様の安全を守ってくれた礼として、随分とおまけをつけてくれたよ。トウマにも、後で分け前をちゃんとやるから、心配せんでも良い」
そんな金にがめつい目をしたつもりは無かったが、村長なりの冗談だったのだろう。
楽しそうに笑いながら、俺の背中をバシバシと叩く。
「ああ、分け前で思い出したが。グードルを見なかったか?」
「グードルさん? ……いいえ、見てませんが」
「そうか。お嬢様の迎えを寄こすよう使いに出したのだが、貴族様と入れ違いになったようでな。お前はよく崖の上に登ってるようだから。グードルをもし見かけたら、わしの所に来るよう言っといてくれ」
「……はい」
「……どうした、トウマ? 怖い顔をして」
俺の顔色を窺っていた村長の顔が険しくなる。
もしかしたら、俺の考え過ぎなのかもしれない……。
さっき俺が想像した不吉な未来は、彼がこの村に対して、悪意を抱いていた場合の話だ。
「村長、さっきの人」
「ん?」
「身体中に、包帯を巻いてた人。お嬢様と、よく一緒にいた人ですよね?」
「ああ、ダング君かね? ……そうだな。いつも、お嬢様の御守りをしているよ」
貴族のお嬢様は、村に時たま顔を見せていたことがある。
平民の俺が、おいそれと喋り掛ける機会などなく、遠巻きに見かけるだけだったが……。
「よくできた男だよ。こんな辺境の村でも、皆の顔を一人一人覚えておるし」
「……そうなんですか?」
「ああ、そうだよ。じっとしてられないお嬢様が出掛ける度に護衛をして、貴族のわがままに付き合わされて……。お転婆なところはあるが、辺境伯の大切なお嬢様だから、俺が付き添うのは当たり前だと、よく言っておったな。お嬢様のためなら、命も投げ出す覚悟で護衛をしているが、ダング君の口癖でな」
えらく真面目な人だな。
俺なら給料を沢山もらっても、扱いの難しそうな貴族のお嬢様の我儘に、付き合うのは遠慮願いたいが。
「山賊に襲われた時も、お嬢様を逃がすために山賊達を相手にして、大怪我をしたそうだ。それでも、後で必ず合流するから、うちの村で身を隠して待っていろと。身体中を血塗れにして、お嬢様に言ったらしくてな……。お嬢様も彼のことを心配してたが、無事でなによりだよ……」
「立派な人なんですね」
「ああ、そうだな。トウマも、彼に見習いなさい。魔闘士としても優秀な男だ。きっと将来は、英雄になる男さ……」
「ありがとうございます、村長」
聞きたいことを聞けた俺は、軽く頭を下げて村長から離れる。
英雄に、なる男か……。
人生で一度は言われてみたい台詞だな。
男なら一度は憧れるであろう、自分には無い未来を想像しながら、俺は歩き続ける。
忙しなく積荷をする人達の邪魔にならないよう、村の中を黙々と歩を進めた。
積荷をしている荷馬車を通り過ぎようとした時に、いきなり肩を掴まれた。
「おい、どこへ行く?」
俺を呼び止めた、声がした方が振り返る。
痛々しい姿で身体中に包帯を巻いた、――お嬢様の身辺警護をしている――ダングさんと目が合った。
「お嬢様と、お別れの挨拶がしたくて」
数メートル先にある、貴族用の荷馬車をチラリと見る。
「トウマ君。君は、何か勘違いしてるようだが……」
溜め息混じりに、ダングさんが呆れた顔で俺を見つめる。
一度も会話したことが無いのに、俺の名前を一発で当てたことに、内心で驚く。
「お嬢様は村にいる間、お一人の身だった。だから、君達と仲良くしていただけだ。本来なら、君達のような一介の農民風情が、気軽に声を掛けれるような御方じゃないんだぞ」
上から目線で言われるのは、俺の立場上は仕方ない。
俺は頭を下げて、素直に謝罪する。
「すみません。でも、どうしても、一言伝えたいことがありまして」
「伝えたいこと? なら、私が代わりに伝えておこう」
「いえ、できれば、その……。お嬢様に直接、伝えたくて」
「聞こえなかったかね? お嬢様の警護を任された、私が伝えると言ったのだ」
語気を強めたダングさんの目が鋭くなり、俺の肩を掴んだ手に力が入る。
痛みを伴うそれは、護衛役である彼からの警告であろう。
貴族のお嬢様に少しでも危険が近づきそうなら、身を呈して守ろうとする。
仕事に真面目で、本当に優秀な護衛だ……。
どうやら下手な嘘で、この場を切り抜けるのは無理そうだ。
俺は作戦を変える。
「ダングさんは、グードルさんを知ってますよね?」
ひとまずは適当な話題を出して、この場を乗り切ろう。
お嬢様に、行方知れずになった彼ともし出会ったら、伝えてもらうことにして……。
「し、知ってるよ……」
言い訳を一生懸命に考えていた俺は、違和感を覚えた。
声の主である、ダングさんを見つめる。
ダングさんの顔は明らかにやつれており、目の下にクマができていた。
「お嬢様の迎えを寄こしてもらうために、村長が街へ使いを出したんです。グードルさんに、お願いをしたらしいのですが。どうやら入れ違いになったようでして……」
「あ、ああ……。その話は、聞いてるよ」
歯切れの悪い言い方だ。
俺はダングさんの顔を、じっと見つめる。
お嬢様の身の安全が心配で、ここに来るまでそればかりが気掛かりで、憔悴していたようにも見える顔だ。
きっと俺以外のヤツだったら、そう思っていただろう。
俺が強く疑いをかけていたのは、違う人だったけど。
……まさか。
「ダングさん。もしかして、グードルさんを見掛けましたか?」
その質問をなんとなく、妙に様子がおかしいダングさんにぶつけてみる。
「……いや、私は見てないよ」
俺の肩を掴んでいた腕が、急に離された。
俺の質問に、ダングさんが明らかに動揺した反応をする。
心の中で芽生えた新たな疑惑が、更に強くなる。
俺はグードルさんを見掛けたかどうかを、尋ねただけだ。
なぜ、そんなに強く反応する?
「ダングさん。グードルさんのことで、聞きたいことがあります」
「……な、なにかね?」
あからさまに視線を逸らしたダングさんの顔を、俺から覗き込むように見つめた。
村長の話を聞く限り、あなたは将来、英雄になる男だ。
お嬢様に危機が訪れたら、身を呈して犠牲になるくらい、すごい人なんだよな?
それなのに、どうして……。
今のあなたは、そんな怯えた表情をしている。
なぜ、さっきからずっと、俺と目を合わせない。
なぜ、俺の目を真っすぐ見つめ返さない。
なぜ、分かり易いくらいに、目が泳いでいる。
教えてくれよ、未来の英雄さん。
どうして、あなたがお嬢様と、合流を約束した村に……。
山賊の襲撃現場に一番近い村へ、なぜ立ち寄らなかった?
自分を犠牲にしてまで守るべき相手、お嬢様の安否も確認せず、まず一番に貴族のもとへ向かった理由は……。
「あなたが、グードルさんを殺したのですか?」
ダングさんの不審な態度を見て、その質問をせずにはいられなかった。
俺の問い掛けに、ダングさんの身体が跳ねる。
ダングさんが拳を握り締め、まるで怒られた子供のように、俺の顔を見つめ返した。
俺の戯言を、身に覚えがないと一蹴し、鼻で笑い飛ばす。
堂々とした態度で、身の潔白を証明する。
あなたが善人であった場合、俺が予想していたあなたの姿が、それだったが……。
「大義のためだ……」
「タイギ?」
「これは、大義のために。必要な、犠牲なのだ……」
ダングさんが歯を食いしばり、絞り出すような声で呟いた。
「ダング君」
「ら、ライザール様……」
ダングさんの肩越しに、眼鏡を外して鋭い瞳でこちらを睨む、貴族の男と目があった。
「ダング君。計画変更だ」
「……え? ですが。それは……」
「聞こえなかったかね、ダング君。計画変更だと、私は言ったのだよ……。その小僧も、村の者達も。さっさと始末したまえ……」
「はい。ライザール様……」
二人の会話を聞いた俺は、腰に提げた剣に手を伸ばし、ゆっくりと深呼吸を繰り返した。
ダングもまた険しい顔をして、腰に提げた剣に手を伸ばす。
「許せ、トウマ君。これも、大義のため――」
俺の眼前に、血飛沫が舞い上がる。
驚いた表情で固まった、ダングの頭部が地面に転がった。
「なにを、許すんだよ」
俺を含めた村の皆を……。
これから皆殺しにすることを、許せって言うのか?
さすがに、ダングが俺に殺されたのは、想定外だったのか。
貴族のライザールが目を見開いて、驚愕の表情で俺を見ている。
俺は右手の甲に、青白く浮かび上がった魔紋を相手に見せつけながら、剣を強く握り締めた。
村長から魔闘士であることを聞いてたから、先手必勝を狙ったが……。
まさか闇精霊族の血を、俺が呑んでたとは思ってなかったのか。
それとも、十六の俺が戦争を知らない、世間知らずの小僧だと油断していたのか。
首を無くしたダングの両腕には、青白い魔紋が薄く浮かび上がっている。
最初から油断せずに、全力で挑まれていたら、危なかっただろうな……。
「なるほど。そういうことか……。村に送ったダグラスがやられたのは、おかしいと思っていたが。お前が、いたからか……」
異変に気付いたのか、ライザールと一緒に来た護衛達が、剣を構えて俺を取り囲む。
荷馬車を背にしながら、俺も身構える。
慌てた様子で杖を突きながら、こちらに来ようとする村長の姿が、視界の端に映った。
「来るな村長! コイツら、お嬢様を誘拐しようとした、山賊の仲間だ!」
「なんじゃと!?」
ナニかが激しくぶつかった音が、俺の耳に入った。
チラリと視線をそちらに向ければ、貴族用の馬車の扉が開いており、貴族のお嬢様が中から飛び出していた。
地面に転がり落ちたお嬢様は、口に猿轡をされ、両腕を縛られていた。
体当たりして強引に外に出たのか、中にいたと思われる男が慌てて外に出て来て、逃げようとするお嬢様を取り押さえる。
身体を縛られたお嬢様が、地面に倒れながらも、必死に抵抗している。
しかし、俺の周りを取り囲んだ貴族の護衛達は、誰一人として助けに行こうとはしなかった。
そういうことかよ。
村に来た、全員が敵かよ……。
俺が想定した悪い予想の中で、一番最悪なパターンじゃねぇか!
「小僧……。タダでは、すまさんぞ……」
眼鏡の縁を歯で噛みしめながら、俺の方を鋭い眼差しで睨みつけるライザールを、俺もまた睨み返す。
「小僧じゃねぇよ……。てめぇが、村を山賊に襲わせた日に……」
過去の記憶で、お嬢様を誘拐した罪で処刑された貴族と、全く同じ表情で顔を憤怒に歪ませた男に、俺は怒りのままに叫んだ。
「俺は、十六になったんだよ!」




