29 にじり寄る影
今日はテッドとの人対人訓練をする約束がある。
杖の貸出をしている場所がある、と聞いてやってきたのはお城の3階ホール。
「こんにちは」
黒いコートが肩から足首まで全部隠してしまっていて、体のラインが全く見えない。
昨日と違う服装のブドウ少女は、敵意を隠すことなく私に近寄る。
「テッドさんとどういうご関係? あまり貴方とテッドさんは近寄るべきではないと思いますけど。
貴方とは相性が悪い。悪影響ですよ」
無表情だった彼女は、目を細めて口元にゆるやかなカーブを描く。見せつけるような笑みは、好印象とは言い難い。
それに、目を細めただけで、目元も口元も笑っているとは言えない。何というか、うーん、性悪女って感じ。
ブドウ少女は、並べられた貸出杖を手に取った刹那、貸出カウンターの人間の目を見計らって魔法を使う。
風が、小さな針のように私に向かう。頬が少し切れて、ピリピリとした痛みを生じる。
本当に小さな風の集合体だったようで、後ろの物たちはピクリとも動かない。害を受けたのは私だけだ。
「あの人と関われば、この程度では済みませんよ。
だから、離れて」
一方的にそう告げると、斜めに切りそろえられた紫の髪を揺らし、さっさと立ち去ってしまった。
杖は気づかぬうちに元に戻されている。
魔法って、あんな小さな力でも人を傷つけられるのか。
痛む頬を撫でると、微かに血が付いている。
私は、無意識に彼女が使った杖を手に取って、貸し出しの手続きを取る。
彼女の高等技術を見て、同じものを使ってどれ程の事ができるのかを試したくなった。
たぶん、そんな心境だろうな、とぼんやりと推理する。
後付けの理由だけれど、きっと正解。
私は特別だのなんだのもてはやされて、悪い気はしていない。
普通じゃない、天才だなんて、みんなが憧れるものなんだから仕方ない。
他とは変わらない杖を借り、テッドの待つ中庭へ向かう。
中庭に着くと、ベンチに座っていたテッドが立ち上がって手を振った。
「遅かったね。迷った?」
「まぁそんな感じ」
軽口に適当に答えながら、訓練の支度をする。
動きやすい服装を予め用意していたので、ひらひらと舞うスカートを気にして動く必要もない。
二人して準備体操をして、更に体を伸ばして柔らかくする。
「じゃあ悠陽、今回は初めてだしゆっくりとやろうか」
テッドが攻撃を私に対して行うので、魔法を使って防御するという練習だ。
確かに基礎的な魔法は使えるようになった。(水属性だけだけど)
しかし、それは水を出せる、氷に変えることができる、という状態を作り出すことのみ。
一番身に着けたい、護身のための魔法が使えなければ意味がない。
そこで、一番暇で天才なテッドの出番なのよね。
「俺は、そうだな……無難に火属性でいいかな。小さな火を近づけるから、それを水魔法でかき消す。
だんだん早くしていくから、ついていけるようにしてね」
そう言い終えた瞬間、テッドの持つ杖から赤い光が放たれる。
それが揺らぎを持つと、小さな炎の粒となった。
「じゃあ行くよ!」
テッドの掛け声と共に、私の命を守るための訓練が始まった。
テッドの杖は、確かに最初はゆっくり軌道を描いていた。
右、左、上、下という順番で来るので、その通りに防いでいたのだが、途中から順序もスピードも変化球になっていった。それから、方向も微妙に上ではなく斜めだったりと方向の種類が増えた。
更に最悪な事に、上かと思ったら右でしたなんていうフェイントもかますようになったのだ!
「ちょっとテッド、初心者には、キツい!」
「まだ喋れてるから平気」
何の恨みがあるんだ、というレベルでのキツさだ。
ついていけなくなりそうな私に気づいているだろうに、スピードを上げる一方だ。
肩で呼吸をしている私に、容赦なく炎の追跡は続く。
息をすることに必死な私とは正反対に、炎を飛ばす作業のみのテッドは、手首をしなやかに捻るだけで、随分と楽そうだ。
そして、何度か炎を消しているときに、テッドは一度攻撃を止めた。
「おかしいな……」
と、小さくつぶやいた。
どうかしたのか、と尋ねる。
「魔力切れがなかなか来ないんだ。最初に悠陽が魔法を使ったとき、それほど魔力を使わない方法だった。
そして次の練習。アロンド先生の元でやったアレは、ヒュドールの力を借りていたから魔力切れが無いのだと思った。
でも、今日の訓練でも魔力切れは訪れなかった。単純に魔力が多いのか?」
うーん、と悩む天才の珍しい姿に、ちょっぴりうれしく思う。
天才と呼ばれる人が苦しむ姿って、ちょっと優越感あるもんね。
しばらく悩んだ天才は、ぽんと手を叩くと、杖を振る。
「人ならざる者の干渉を“許さない”」
天才の一言で、私の体から虹色の光が飛び散って、霧散する。
私の体自体は何ら変わりはなさそうだけれど、さっきの光は何だったのか。
天才の意見を聞こうとすると、問いかける前に口を開いた。
「君は今、精霊から勝手に魔力補給をされていた。君が気付かぬうちにね。
全く、君はこれまでの愛し子の中で一番愛されているね。過保護だと思うよ」
呆れたように首を振る天才は、今度こそ私の魔力の限界を試そうとしている。
私も杖を構え、水を出そうとする。
向かい来る炎の粒に向かい、杖を振った。
ゴオッ
嵐の夜、窓を叩きつけるように吹く風のような、荒々しい音をたてたかと思うと、
炎は一瞬にしてかき消される。
その勢いのままにテッドを吹き飛ばそうとして、私が彼の名前を叫ぶ。
天才は、危機に陥っても焦ることは無かった。
死の概念を知っていても尚、それを恐れることは無かった。
彼もまた、永遠を手にした人間だからか、それとも他の理由があるからか。
わざと跳んで後退することで流れを作り、宙返りをしながら風に乗って舞い上がり、着地する。
天才の、力の一部が見えた。
「……流石にびっくりしたよね」
死なないとはいえ、痛いんだよね。
そう付け加えた天才に、拍手を送りながら謝る。
テッドが天才だと言われるのをどこか疑っていたが、本物だ。
ここまで心を静かにして対処する学生がどこにいるんだ、という話。
終わった後も、特に騒ぐこともない。強すぎる。
褒めてくれるのはうれしいけど、謝りながらすることじゃないよね! とぷんすかする天才に、再び拍手を送った。
「それにしても、どうして風?」
「いや、水を出すつもりでいたんだけど」
そう。私は水を出す気でいた。
魔力の限界を知るためだ、と言っていたので、早めに終わるように大きな水球でもぶつけようと思っていたら、水ではなく風の魔法が繰り出され、強力なままテッドに襲い掛かったのだ。
天才が相手で良かった。
「そうか、さっき精霊からの干渉を断ち切ったから、悠陽本来の適正魔法が出たんだ」
「私本来の?」
ずっと水魔法を使っていたおかげで、私の得意魔法は水だと思っていたけれど、どうやら違うらしい。
また1から訓練のし直しかな。
「仕方ない。魔力供給程度は許してやるか」
先ほどまで私に炎を投げつけていたのと同じ手で、優しく円を描くと虹色の光が集まる。
その光は、次々に私の元へ向かい、体を包み込んで見えなくなっていく。
これは、精霊と言うよりも、魔力の源のようなものな気がする。アニメ的に。
私は天才ではないので詳しくはわからないけど、今ので再び風以外の魔法も使えるようになったっぽい。
「悠陽は水属性が好きらしいし、一応はね。
でも、風……木属性の魔法が使えるようになるべきだ。
困ることになるからね、精霊が力を貸してくれない時とか」
「うん、わかった。でも驚いたな、私はてっきり水に適性があるのかと」
まぁ、最初はみんな自分の使う魔法の指針に迷うものだからね~、と励ましてくれる珍しい姿に、可愛いヤツめ、と頭をぐりぐりと撫で回す。抵抗がないからそのままぐりぐりしていると、両手を掴まれた。
こちらを見上げるテッドは、悪魔の笑みを浮かべている。
「や っ た ね ?」
「あ」
ヤバい、やりすぎた。
そう思ったときにはもうすでに遅い。
逃げようとする私をがっちりホールドした天才は、才能の無駄遣いを試みた。
「火あぶりの、刑」
杖から炎が巻き上がる。
その大きな炎から、小さな火の玉が分離しては宙に浮かび、複数の火の玉を従えたテッドと、丸腰(杖はあるけど)の私という構図が出来上がる。
さながら、ラスボスと未来の勇者と言ったところか。
いや、そんなことを言っている場合ではない。
このままでは村を焼き払われる、っていうか私が火刑に処される!
「ギャアアァァワアァ!?」
色気のない叫びをあげ、命を繋ぐ戦いを始めたのだった……。
そう、これは、この世界の未来を賭けた戦いッ!
という現実逃避の妄想をしながら逃げ、やっとのことで水魔法を駆使して鎮火した。
うん、一応は手加減してもらえていたようで良かった。
「なかなかにバイオレンスだね」
「魅力的だろ? 惚れた?」
「冗談キツ……」
瞬時に杖を構えるテッドに飛びあがると、冗談だって、と肩を叩かれた。
いや、ほんと、怖いっすテッドせんぱぁい……。
最近の先輩めちゃくちゃバイオレンスですよ?
「でも、悠陽は本当にセンスあるね。体力や機敏さが無いのは残念だけど、伸ばせばビッグになるよ」
先生たちが必死になるのもわかるな~。俺も、じっくりと育てて、どこまで強くなるか見てみたいし。
そう言った天才は、私が新たな天才として君臨することをお望みのようだ。
そして、機会があれば本気のバトルを、と言っているが、聞こえないフリをした。
「じゃあ、また今度。会えた時は訓練できるといいね」
「そ、ソウダネー。アリガトネー」
今日の地獄加減を思い出してみると、あまりテッドとは訓練をしたくないな、と思う。
その思いが溢れて、ついカタコトになってしまうが、テッドは気にしていない。
そのまま帰っていったので、私も自室に戻ろうと踵を返す。
自室近くまで来たところで、杖の返却を忘れたことに気が付く。
慌てて階段を駆け下り、杖返却へ急ぐ。
何とか杖を返却し、走ったせいで流れる汗を肩部分の服で拭った。
あと少し遅れていれば、返却遅延のせいで杖の貸出に制限がかかるところだった。危ない。
帰り道。
地面に落ちている紙を踏んでしまったことに気づき、慌てて拾い上げる。
封は閉じられておらず、飾りも何もない真っ白な封筒に、雑に折りたたまれた紙束が入っている。
どうやら手紙のようだが、それにしては随分と汚い。
単なる興味だった。
見てはいけないとわかっていても、その中身が気になった。
しかし、それを私はすぐに後悔する。
“近づいてはいけない。血を見たくないのなら。
乙葉 悠陽。後悔した時にはもう遅い。
傷つきたくないのなら、全てから己を遠ざけろ。”
それは、血のように真っ赤な文字だ。
真っ白な紙の上で踊るようにうねった文字は、
得体のしれない気味悪さを演出した。
明らかに、私宛の手紙だ。
でも、どうして?
周りを見渡すが、誰もいない。
ならば、魔法か。
気味が悪すぎる。
私はそれをビリビリに破り、テッドが使ったような小さな炎で燃やして灰にした。
それを息で吹き飛ばし、完全に無かった事とする。
呼吸を整え、今度こそ自室へと戻る。
周りに警戒しながら歩く私は、犯人にとって滑稽な光景だっただろう。
部屋に着いてすぐに、以前エイナル先生に貰った入浴剤を取り出す。
緑色の入浴剤だ。
『天地に関わらず自然は存在する。君がいつか、自然なままで全てを見渡せるように。』
香りは、柑橘系。
疲れ切った心と体に、柑橘系は癒しとなる。
今日くらい、長風呂してもいいかも。
お風呂に入ってみると、珍しく今日はアタシは出てこなかった。
毎日うるさく話しかけてくるアタシも、少しは空気を読んだのかな、なんて思いながら体を清める。
入浴剤を入れれば湯船の中に緑色が広がり、柑橘系の良い香りが鼻腔をくすぐった。
肩まで浸かって温まると、疲れが全部溶けていくような気がした。
お風呂って、大事。
新たな発見だ。
疲れた時こそちゃんとお風呂に入ろう。
そう決めて、明日はどうするか、と考えを巡らせた。
明日は一人にならないようにしよう。
とりあえずまずは、気味の悪い手紙の対処法だ。
リリアンなら側に居られるよね。
疲れを手放したものの、不安を抱えながら風呂を出る。
風呂上がりの肌寒さに震えながら、髪も乾かさずにベッドに入る。
早く忘れたくて、蹲るようにして横になる。
何も知らぬ胎児のよう、布団に守られながら眠る。
早く明日になれ、早く明日になれ……。
そうして、だんだんと映像が浮かぶ。
あぁ、夢だ。
そのまま身を任せ、意識は夢へと移ろった。




