番外編 エメリヒの恋《後編》
エメリヒのお話です
認めたくないが、コンラッドはとんでもないクソだった。
婚約者を怪我させた上に救護もせず放置して、あげくに自分が非難されることを厭って、彼女や俺に冤罪をかけようとするような男だったのだ。
高潔で清廉な王太子というのは、彼が作り上げた虚像だった。あいつは俺たちに嘘をつき続け、俺たちはそれを疑うことなく信じ続けてしまった。
なんてバカだったんだ。
なにより、ラウラ・ロンベルには申し訳なさすぎる。俺はコンラッドの言葉を信じ、彼女のことをよく知りもしないのに悪女だと決めつけ、忌避してきた。
ほとんど会話をしたこともなかったのに、どうして彼女をよく知っているつもりになっていたのだろう。
ちゃんと向き合ってみると、ラウラ・ロンベルは思っていたのとまったく違う人間だった。
コンラッドを好きで、殺されかけてもあいつを信じたくて、声を殺して泣くような健気な令嬢で。
それでも現実を受け入れると、前を向いて進もうと決める強さもある。
彼女はアドリアーナにきつく当たることもあった。
けれどそれは、愛した婚約者の隣を奪われ続けていたせいだった。となると、彼女だけに非があるとは言い難い。
向かいにすわる彼女を見る。ロンベル邸に、母に託された礼の品を届けにきた。本当は屋敷の人間に渡したら帰るつもりだったのだが、ラウラ・ロンベルに会うことになった。
一日ぶりに会う彼女は、少しやつれたように見えた。
当然だ。魔法で治療を受けたとはいえ、昨日は複数個所骨折し、全身打撲という状況だったのだ。
なによりコンラッドに攻撃された上に放置されたのは、精神的にツラいだろう。
だというのに彼女は俺の心配をしてくれている。
ラウラ・ロンベルはもしかして、いたって普通の令嬢なんじゃないのか?
俺は親しい女子はアドリアーナしかいないし、彼女は令嬢と言うには庶民的過ぎるから、普通の令嬢がどんなものかはよく知らないのだが。
というか、彼女は少しずれたところがあるような気もする。やけに勘違いを連発しているし。なんだか興味深い令嬢だ。
必要なことをひととおり話し、帰ろうと立ち上がった俺にラウラは、近衛隊長との話し合いの結果を尋ねてきた。
なんとなく伝えない方がいいかと思って避けていた話題だったのだが、訊かれたのなら仕方ない。
正直に一般の騎士団へ移籍することを話した。
そのとたんに、彼女の表情が驚愕のものへと一変する。それからすぐに、申し訳なさそうな顔に。
やっぱり彼女は俺を心配してくれている。ずっと俺が酷い態度をとっていたにも関わらず。
ラウラ・ロンベルは悪辣な令嬢なんかじゃない。
コンラッドに騙され、俺が愚かだったばかりに誤解をしていただけだ。
騎士団移籍のきっかけは彼女だけれど、自分で望んだことだ。彼女が心を痛めることじゃない。
だから、「気にするな」と伝え、笑みを浮かべた。
表情を作るのは苦手だから、上手くできたかはわからないが。少しでも彼女の心が軽くなるといい。
なんとはなしに、そのまま立ち話を続けて。
話せば話すほど、ラウラは普通の令嬢で、コンラッドが最低なロクデナシだということが分かった。
――このまま、なあなあの態度でいるのは騎士の道義にもとる。俺はこれ以上、情けない男にはなりたくない。
「ラウラ・ロンベル」
名前を呼ぶと、彼女は不思議そうに金色の瞳で俺を見上げた。
「お前のことをなにも知らないのに、コンラッドの言葉を頭から信じて、悪女なのだと決めつけていた。すまなかった」
許してもらえるとは思っていない。
ただ、自分は間違っていたのだと、今は悪女だなんて思っていないと、ラウラに伝えたかった。
そんな俺にラウラは、自分も悪いところがあったと言い、それどころか俺のことを「理解者が増えた」と評してくれた。
こんな寛容な令嬢に自分がしてきたことを思い、胸が苦しくなる。
ラウラが柔らかく微笑んだ。
「いずれあなたを許すわ」
どういうことかと思ったら、ラウラはアドリアーナに今までのことを謝り、俺の謝罪に相応しい人間になったら、俺を許すのだという。
なんだその生真面目さは、とますます胸が苦しくなる。
――いや、この痛みは違うかもしれない。俺は心の奥底では彼女に許してもらいたいと思っているんじゃないのか?
「私、あなたが大嫌いだったわ」と微笑むラウラ。
過去形であることに俺はひどくほっとして、すぐにそのことに驚いた。
どうやら俺は彼女に嫌われたくないと思っているらしい。
だけどラウラは――
「今は『嫌い』くらいにランクアップしているの。助けてもらったもの」
笑顔のまま、そう続けた。
心臓を錐で突かれたかのような痛みが走った。
今までの自分の振る舞いを考えたら、当然のことなのに。
彼女の俺への評価を真摯に受け止めて今度こそ帰ろうとした、そのとき。アドリアーナがやって来て、またも帰るタイミングを失った。
以前では考えられなかった顔ぶれ、アドリアーナ、ラウラ、俺の三人でテーブルを囲む。
それぞれの謝罪が行われて、俺も忘れられそうになりながらも一応許されて。
でも、やっぱりラウラはちょっとズレている。ここ数日、なんとなくそんな気はしていたんだが、アドリアーナと同じ痛みが必要とか言い出して足をぶつけようとするなんて、普通の思考じゃないよな?
挙句の果てに、なぜかアドリアーナに俺をアピールしようとして長所を列挙し始めて。
おかしくないか?
俺にそんなに優れたところがあったか?
そもそもラウラは俺を嫌いなんだよな?
どうしてそんなに俺を褒めるんだ。
やっぱりちょっと変だ。アレか? 天然というやつ。
ラウラ・ロンベルは悪辣どころか、おとぼけ令嬢じゃないか。
微笑むと意外にも優しげな雰囲気になるし。
全然、俺が知っているラウラ・ロンベルとは違う……。
◇
ロンベル邸からの帰り、アドリアーナを宮廷に送り届けることになった。ギュンター家の馬車にふたりで乗り込む。
「ラウラ様に謝れて良かった―!」
そう言ってアドリアーナが笑う。
「俺も。なんて言うか、彼女は思っていたのとは全然違う」
「だね!」
「全然悪女じゃないし、むしろズレているというか。面白いというか」
「可愛いわよね!」
アドリアーナの言葉に、瞬間的にラウラの笑顔が思い浮かんだ。
「あ……あ、そうかもしれないな」
なぜだか鼓動がやけに激しい。
「ラウラ様って、すごく真面目で純粋なのね。そんな人を今まで誤解していたなんて、申し訳ないわ。せめてもの罪滅ぼしに、私はこれからはラウラ様をコンラッドから守ろうと思う。エメリヒも一緒にどう?」
今度は、目に涙をためて絶望していたラウラが脳裏に浮かんだ。
「そうだな」
あれは衝撃的で。二度とあんな顔をさせたくはない、と思う。
ふと、左手の指から伸びる赤い糸が目に入った。右手でそれをすくう。
「運命の伴侶じゃないけど、なにかしらの縁はあるんだからな。俺もそうするよ」
「うーーん。違うと思うけどなあ」
アドリアーナが首をかしげる。
「『違う』って、なにがだ?」
「きっとラウラ様はエメリヒの運命の伴侶よ」
「まさか」
「でもエメリヒはラウラ様を好きよね?」
アドリアーナが無垢な目で俺を見つめる。
「だからそれはコンラッドの大嘘だと説明しただろう」
でも、と彼女はまた首をかしげた。
「エメリヒってば、さっきもずっとラウラ様に視線が釘付けだったし。ラウラ様の言動に一喜一憂しているわよね? あなたはあんまり表情が変わらないから分かりにくいけど」
「いや、でも俺は――」
つい先日まで、ラウラ・ロンベルは大嫌いな相手だったんだぞ? そんなに急に気持ちが変わるはずがない。
アドリアーナまで、ラウラみたいに勘違いをし始めたのか。だが――
「――実は赤い糸が出現した日からずっと、彼女のことを考えている。思っていたのと、あまりに違ったから」
うん、とうなずくアドリアーナ。なぜだか俺の鼓動が異常に早い。
ラウラが今までどれほどひとりで頑張ってきたのかとか。
ひたすら一途にコンラッドを思い続けてきた健気さとか。
どうしてコンラッドは彼女に対して卑劣に振る舞えるのかとか。
――あれほど愛してくれる令嬢を、俺なら絶望なんてさせないのにとか。
いろいろな思いが俺の裡に渦巻いて、そのせいなのか胸が苦しい。
「これはただの、興味だよな?」
そう、珍しいものに対して、知的好奇心が湧き上がっただけのはず。
「違うと思うわ。だってエメリヒ、ラウラ様に『許されるかどうか』を気にしていたじゃない。あなたにしては珍しいことよね」
確かにそうだ。
俺は、他人にどう思われようと気にしない。
心臓が、ドキンドキンと大きく脈打つ。
脳裏には、柔らかく微笑むラウラ。
「――これは興味じゃない?」
「きっとね」
赤い糸を見る。
もしもこれが、運命の伴侶を示すものだったらと考えてみる。
当初に感じた嫌悪も怒りも、感じない。
その代わり、胸の奥が喜びに満たされているような気がした。
どうやら俺は、知らないうちに恋に落ちてしまったのかもしれない。
《おしまい》




