6・3 エメリヒの婚約事情
「あ!」とエメリヒが声をあげた。「この箇所はもしかして」
赤い糸に関する記述があったのね。
「私にも見せて」とエメリヒに体を寄せる。
彼の指が押さえているところを見ると、確かに古語で『赤い糸』と書いてある。
久しぶりの記述発見だわ。
「すごいわ。よく見つけたわね!」
書物から視線を外して、彼の顔を見上げる。と、思いの外至近距離に彼の顔があった。
心臓が跳ね上がる。
菫色の瞳に自分が映っているのが見えるほど、近い。こんな距離はコンラッドとだって経験したことがないわ。
「おふたりさん、なにをしているのかな?」
からかうような声がして、飛び上がった。
いつの間にそばに来たのか、アルバンが閲覧机の傍らに立っている。
「お前には関係ない」とエメリヒが一蹴する。
「関係あるさ。ラウラの結婚相手に名乗りを上げているんだからな」
「お断りしたはずです」
「ん――。それじゃ、亡命させてあげられないって言ったよな?」
エメリヒが私を見る。
「こういう王子がいる国は候補から外すべきだ。無論、亡命なんて必要ない状況にするけどな」
アルバンとエメリヒで睨み合っている。このふたりも仲が悪いみたい。
マンガではそんな描写はなかったはずだけど、実際は顔を合わせるたびにいがみ合っている。
原因はもしかしたら、成績のせいかもしれない。首席・次席・三席は毎回コンラッド・エメリヒ・アルバンだから。
「ラウラ、君はなにを勉強しているんだ?」
睨むことに飽きたらしいアルバンが、私たちの見ていた書物をのぞき込む。
「ふうん。古い魔法書の写本か」
「そうだ。だがお前には関係のないことだ。邪魔をするな」
「うるさいぞ、次男」
アルバンが笑顔をエメリヒに向け、エメリヒはむっとした顔で黙り込んだ。
「アルバン。校則を忘れたの?」
『学内では、どのような身分であれ生徒は全員公平』というのが、王立魔法学校唯一の校則なのよね。庶民が尻込みせずに通い、忖度なく授業に全力を注げるようにするためのものだという。
アルバンはいずれは隣国の王になる身分。
一方でエメリヒは公爵家の生まれだけど次男で、成人したらほぼ庶民扱いになる。一応『卿』という位が与えられる。だけれど一代限りで、財産分与も法律上は無しとなっている。
それでも学園内にいる限りは、私たちは公平なのよ。
「覚えているさ」と微笑むアルバン。「俺は事実を思い出させてあげただけだ。エメリヒは婚約者さえみつからない、庶民だってね」
「失礼ね。彼はみつからないのではないわ。守りびとの職務を優先させるために、敢えてそうしているだけよ」
マンガではそういう設定だったもの。
「素晴らしい言い訳だ」
そう言ってアルバンは私の髪をすくうと、口づけた。
「幸せになりたければ俺を選べ、ラウラ」
勝手な言葉を言いおいて、アルバンは去った。
ようやく静けさが戻り、エメリヒの前の書物をのぞきこむ。
「さっきの記述はどこだったかしら」
あ、待って。さっきもこうしたら彼の顔が近かったのだわ。どうしよう。
思い出したら、どうしてなのか顔が熱くなってきた。
でも、このまま書物を見ていれば、問題はない。うん、きっとそうよね。
「アルバンの言葉は事実だ」
「え?」
思わずエメリヒのほうを向き、またその近さにたじろぐ。けれど、すぐに彼が苦しそうな表情をしていることに気づいた。
「『公爵令息』の身分がなくなるのは心配?」
エメリヒは「そうじゃない」と首を横に振る。
「婚約者のことだ。俺は父とも兄とも仲が悪い。独立したあと、後ろ盾となってくれることはないだろう。社交界でもそれが知れ渡っているから、俺に縁談は来ない。来ても申し訳ないから断っている」
「私はそんな噂は聞いたことはないわよ」
「お前の周りにいる者たちは、口さがなくないのだろうな」
「でも女の子たちも『カッコいいけれど、守りびとだからナシよね』とは言っているけど、そういう事情は……」
もしや、守りびとの時点で、結婚や恋愛の対象から除かれていることが原因? そもそも私の周りでは、精霊姫や守り人たちの話題はあまり出ない。たぶん、私を気遣ってくれてのことだと思う。
「心配でも不安でもないからな。誤解するなよ」とエメリヒ。
でも、今はいつもの険しい表情だけど、さっきは確かに苦しそうだったのだけど。
「見つけたのはここだ」とエメリヒは書物を指さす。「俺が訳をやるから、お前は書き写してくれ」
「……わかったわ」
答えて紙とペンを取る。視界に入る赤い糸。
これはもちろん切る。それが目標。エメリヒなんかと繋がっていたくないから。嫌いな相手だもの。
だけど。
だけど――。
どうしてなのか、彼の力になりたいと思ってしまった。




