4・2 医務室にて
気がつくと、医務室のベッドに寝かされていた。
全身に衝撃を受けてからの記憶がはっきりしない。エメリヒの夢を見たような気もする。
我ながら、意味不明だわ。どうして私を殺す人が出てくるのかしら。
きっと赤い糸が出現して以来、彼との会話が増えたせいだわ。そう思いたい。
「ロンベル。なにがあったの」
声をかけてきたのは、枕元に立つ保健医キンバリー先生。たいそう美人だけど、今は厳しい表情で私を見下ろしている。
そして口の中が、ものすごくまずい味がする。どうやら気を失っている間に、回復薬を飲まされたみたい。
私は彼女にお世話になるのは初めてだけど、腕はかなりいいとの評判なのよね。きっと彼女の回復薬のおかげで、目覚めることができたのだわ。体の痛みも弱まっている気がする。
だけど記憶があやふやで、先生の質問に答えることは難しい。
「わかりません。突然全身に衝撃を受けて、体が飛んだんです。でも、なにが原因かは……」
「講堂の裏にいたって?」
「はい」
「あそこは立ち入り禁止区域だよ? 君、三年生でしょ? なんで禁止されているか、わかっているよね?」
講堂の裏手が面している技能実習用の林はもともと魔力磁場が安定しない土地で、だからこそ様々な実習に使われる。そしてごく稀に、異界から魔獣が迷い込むこともあるという。そのための立ち入り禁止措置だ。
ただ、私が入学してからの二年半では魔獣の出現はない。稀にしか起きないのだと思われる。
だけど――
「私は魔獣に攻撃されたのでしょうか?」
姿は見ていないけど、そうとしか考えられないわ。
「どうだろうね」先生はそう答えると、「可哀想だけど、これは処分の対象になるからね」と告げた。
「呼び出されたんです」
キンバリー先生が眉根を寄せる。
「誰に」
「コンラッド殿下です」
以前の私だったら、彼をかばっただろう。だけどもう、そんな気持ちにはなれなかった。
「衝撃を受けたときは? 彼はいた?」
はい、とうなずく。するとキンバリー先生はベッドを囲んでいたカーテンを勢いよく開いて、外に向かって
「聞いてないけど!」と叫んだ。
誰に向かって話しているのかしら。
「君、知っていたの?」
「はい。その話をしようとしたら、先生が『集中するから黙れ』って怒ったんですよ」
この声はエメリヒだわ。どうしてここにいるの?
彼に運ばれた夢を見たような気がしていたけど、あれはまさか現実?
「口答えするなんて生意気!」と叫んだキンバリー先生が再びカーテンを閉めて、私に向き直った。
「先生。私をここに運んでくれたのは――?」
「覚えてないの? エメリヒ・ギュンターだよ」
まあ。夢ではなかったのね。
信じられないけど、彼が私を助けてくれた。
ということは、今回も原因はアドリアーナかしら?
でも彼女はマンガによると、攻撃系の魔法は使えなかったはずだわ。
「彼を通す?」
先生はそう言いながら、私のはだけた胸元を直してくれる。
「そうだな。先生は上に報告に行くから、彼に留守番をしててもらおうかな。――聞こえたかな、ギュンター?」
「いや、俺は……」
戸惑った声が遠くから聞こえてくる。私だって、彼がそばにいるなんて、イヤよ。
「先生、私はひとりで大丈夫です」
「うん。怪我人は黙れ」
キンバリー先生は素晴らしい笑顔でそう言うと、てきぱきと動き指示を出していなくなってしまった。
代わりにベッドのそばに置かれたスツールに、しかめっ面のエメリヒがすわっている。あらぬ方を向いて。
「運んでくれてありがとう。どんな理由があったにしろ、感謝するわ。さ、もう帰っていいわよ」
そう告げると、彼は視線だけをチラリと寄こし、すぐにまた目をそむけた。
「怪我人をひとりにはできない」
「でも、私よ?」
掛け布団の隙間から赤い糸が垂れ、それがエメリヒに繋がっている。だけどこれは殺す者と殺される者をつなぐ運命なのよ。
「お前、本当になにが起きたかわかっていないのか」
「ええ。記憶も曖昧で。あなたはわかるの? だったら教えて」
エメリヒがまた、チラリと私を見る。
「恐らくコンラッドが攻撃した」
「え……?」
コンラッドが攻撃? 私を?
「まさか。そんな」
いくら私が自分の思いどおりにいかなくなったからって、そんなことをする?
「意図的なものじゃないだろう。ついカッとなったとか。アイツを怒らせなかったか?」
「……」
体が衝撃を受ける前、コンラッドの目が怒りに燃えるのを見た。ひどく怖く感じたのだった。
でも、彼が暴力に出る人間だなんて思えない。だって今まで、精神がズタボロになるまでなじられたことはあっても、肉体的に痛めつけられたことはないもの。
「怒らせたんだな」エメリヒは勝手に決めつけて、嘆息した。「以前に一度だけ、それで男子生徒を怪我させそうになった」
「嘘よ。聞いたことがないわ」
エメリヒはなにも答えない。
「やっぱりアドリアーナなのね」
「は?」と彼が私に険しい顔を向けた。「どうして彼女が出てくる」
「だってあなたが庇うのは、彼女しかいないでしょ? よく考えてみると、あそこにあなたが現れたのだって変だし」
コンラッドの従者は周囲には聞こえないように呼び出しを告げたし、私も口外していない。きのうのことを考えると、コンラッドが他言したとも考えられない。だから私があそこにいると、誰も知っているはずがないのよね。
「見たんだよ」とエメリヒは言って、再び顔をそらした。「馬車乗降場であいつの従者が、こそこそとお前に声をかけるのを。それとコンラッドが講堂の裏から慌てた様子で出てくるのも、校舎からな」
「それであなたが、わざわざ講堂まで来たの? 嘘が下手ね。あなたが私を気にかけるはずがないことぐらい、わかっているわよ」
「……アドリアーナは本当に関係ない。彼女は攻撃魔法は一切使えないんだ。嘘だと思うなら、教師に確認しろ」
「それなら、あなたがやったんだわ」
「だから――」
「ごめんなさい。ひとりにして」
腕を目の上に乗せて、彼の視線を遮る。
話していたら、段々と記憶が戻って来た。講堂裏で、エメリヒが私を目覚めさせてくれたこと。『死ぬな、しっかりしろ』と声をかけていてくれたこと。
それから、目覚めた私は、コンラッドに置き去りにされたと悟ったこと――。
たぶん、エメリヒが言っていることは正しいのだわ。あの衝撃の原因は、アドリアーナでもエメリヒでもない。魔獣の仕業でもない。だって気配を感じなかったもの。
なにより、私が最初に受けた衝撃は正面からだった。
私の正面にいたのは、コンラッドだけ。彼の背後は講堂だ。誰も隠れようがない。
コンラッドは、たとえ事故だったとしても私を攻撃したのだ。そして、放置して去った。
「私に死んでほしかったのかしら」
そう呟くと、
「さすがにそれはないだろ」
間髪入れずに、私を殺すひとが答えた。それから、歯切れ悪く、
「アイツがあの場を離れたのは、従者を呼びに行ったからかもしれない。普段は完璧なヤツだから。きっと慌てたんだ」と続けた。
「私が死ねば、彼は助かるの。陛下ご夫妻はどうしても婚約を継続させたいようで、コンラッドは苛立っているのよ」
「だとしても、死んでほしいなんて願ってはいない」
エメリヒがきっぱりと告げる。
自分は私を殺すくせに。それに、『ひとりにして』と頼んだのに、出て行っていないし。
私はあなたに、何度も涙を見られたくないのよ。
シャッとカーテンを引く音がして、エメリヒが出ていく気配がした。
ほっと胸を撫でおろす。
これで存分に泣けるわ。




