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辺境の瞳~カレンとジェラルド~  作者: 鵜居川みさこ
第三章
74/75

74.【番外編】おいしい水

※第一章のマロン(2)、ベアトリス・モイエ伯爵夫人とレース あたりのお話です。

カレンとジェラルドは、まだ少し他人行儀の頃です。

 カレンとジェラルドは、数度目の遠乗りに出掛けていた。


 今日のコースは、黄金色の落ち葉が敷き詰められた林を抜けた先の、かなり急なアップダウンを繰り返す丘陵で、黄土色の切り立つ大地の所々には自然にできた池のような水溜まりがある。

 丘の上から見下ろすそれは、空の青や雲の白を映し取り、ダイナミックなダヴィネスらしい風景を織り成していた。


 乗馬コースとしては上級者向けだが、カレンとジェラルドは気持ちよく馬を走らせていた。



 今日の乗馬コースを聞いたアイザックは

「んー、そのコースなら二人で問題ないな」と、一見なおざりな言い方だったが、実は二人きりの時間を過ごせるよう気を利かせていることは、フリードだけが知る。


 カレン付き護衛の真面目なネイサンは、領主と婚約者に護衛が付かないことを心配したが、上官のアイザックから「いいからいいから」と言われれば従うしかなかった。



 カレンは、広大な風景の中、鹿毛のタラッサを気持ちよく走らせながら不思議な心持ちでいた。


 やはり乗馬は楽しい。

 広大な景色の中、全身で風を感じ馬と一体になって駆け抜ける感覚が清々しくカレンを満たす。

 しかし、この充足感は一人では感じ得ないことだとハッキリわかる。


 カレンは横を走るジェラルドをチラリと見やった。


 なぜ、ジェラルド様と一緒に馬を駆ると、こんなに心が浮き立つように楽しいのかしら…


 他の誰にも感じたことのないこの感覚に、カレンは驚いていた。

 しかし、それ以上を己に問うことはしない。というか、よくわからない。


 よくわからないけれど、とても楽しい…今のカレンにはこれで十分だった。


 カレンの少し前や後ろ、時に隣で、逞しい青毛のスヴァジルに乗るジェラルド。

 カレンに微笑みかけ、その深緑の瞳を輝かせる度に、カレンの胸のあたりで何かが弾ける。


 同様に、ジェラルドもまた、カレンの生き生きとした姿に魅せられているのは言うまでもなかった。


 ∴


「今日は…誰も護衛に付いていないのですね」



 清水が山々を伝い作られた、森の中の小さな泉のほとりでの休憩の時。

 カレンは“ふと思い付いた”とでもいう風に、タラッサの首筋を撫でながらジェラルドとは目を合わせずに聞いた。


 実は、城を出た時から、なぜ今日は二人きりなのか聞きたくて仕方なかったが、あえて聞かなかったのだ。


「ああそれは…ザックが気を利かせたんだ」


 ジェラルドは、スヴァジルから下馬しながら事も無げに答える。


 …それはつまり、ジェラルド様と二人きりで過ごすためよね…


 カレンは途端に緊張した。


 馬を走らせている時は楽しくて仕方なかったのに、馬を下りると途端にジェラルドを意識してしまう自分が恥ずかしかった。


 しかし、ジェラルドはいたって自然体に見える。

 カレンは自分ばかりが意識しているようで、少しばかり居心地の悪さを感じた。


 ジェラルドは山肌の緑から流れる清水の側にいる。


「カレン、喉が乾いただろう。こちらへ来て。ここの清水はとてもうまいんだ…と、カップを忘れたな」


 カレンが近寄ると、苔むした岩肌から、キラキラと清水が流れている。

 その流れは岩肌を下り、透き通った小さな泉を作っているのだ。

 その泉では、スヴァジルとタラッサが美味しそうに水を飲んでいた。


 カレンは、流れ出る清水を見て喉の乾きを感じた。

「ジェラルド様、私はカップはなくても…手ですくって飲むので構いません」


「しかし…」

 ジェラルドは淑女のカレンに、手で水を飲ませることに抵抗を感じているらしい。


 しかしカレンは早く喉の乾きを潤したかった。


「大丈夫です、ジェラルド様。…どうやって飲むのか、お手本を見せていただけませんか?」


 ジェラルドは一瞬目を見張ったが、幸い二人きりで他の目はない。カレンが良いと言うならば…と、大きな両手を清水にあてがい、そこへ溜まった水をゴクゴクと喉を鳴らして飲んだ。


「ふー、うまい。体に染み渡るようだ…こんな感じで飲む」

 ジェラルドは片手の甲で口を拭うと、カレンへとニコリと笑った。


 少し乱れたダークブロンドに、森の緑を映したような瞳は優しい光を宿し、カレンを見る。


 なんて野性的なのかしら…


 貴族的なテーブルマナーなど、今のジェラルドの前ではつまらないことにさえ思えてくる。

 それほどにごく自然で、とてつもなく魅力的にカレンの目には映った。


 胸の内は相変わらずドキドキとうるさいが、先ほどまでの緊張や居心地の悪さはどこかへ去り、カレンはジェラルドを観察することを楽しんでいた。


「私もやってみます」


 本来の好奇心が発動されたカレンは、ジェラルドと位置を替わり、清水へと細い両手をあてがった。


 …ん?


 ジェラルドはあんなに簡単に汲んでいたのに、これがどうしてなかなか難しい。


 角度かな?


 カレンは手の向きを変えたりするが、なかなか思うように水が溜まらない。


 片手の中にほんの一口の水が溜まったので、もう片手をあてがうと口にした。


「ん!」


 美味しい…でも…


「足りないだろう。ちょっと場所を替わって、カレン」


 カレンの様子を見ていたジェラルドが場所を替わり、自らの両手に清水を溜めた。


「さあ、飲んでごらん」


 厚く大きな手のカップの中に溜まった清水。


 カレンは瞬間躊躇ったが、ジェラルドが勧めるまま、ジェラルドの手の下に自らの手をあてがうと、その太い親指に唇を付けた。


 コクコクコクコク


「…美味しい…!とてもまろやかで、さわやかなお味がします」


 カレンは顔を上げ、屈託のない輝くような笑顔で、さも嬉しそうにジェラルドへ応えた。


 同時に、そのふっくらとした唇の端から漏れ出た清水を、意識せずにペロリと赤い舌で舐めとる。


「!」


 微笑んでいたジェラルドが真顔になり、カレンの顔をまじまじと見つめる。


「…大地の恵みというには大げさだが、ダヴィネスの山に一旦染み込んで、木々や土を通って、苔に洗われて涌き出た清水だ。ここでしか味わえないだろうな…」

 静かに語りながら、カレンの顎に滴る清水を親指で優しく拭う。


 カレンはされるがままでジェラルドの話を聞いた。


 最近とみにスキンシップが増えたが、こうやってジェラルドに触れられるのは全く嫌ではない。

 年上のジェラルドからしてみれば子どものような扱いかも知れないが、カレンはそれらをなんの抵抗もなく受け入れていた。


 と、ジェラルドの親指がそれまでの動きとは明らかに異なり、熱を帯びてカレンの唇をゆっくりとなぞり始めた。


 その深緑の瞳は光の加減なのか揺らめき、カレンの閉じられた唇をじっと見つめる。


「…あ、あのっ」


 カレンはその感触と瞳の強さに気恥ずかしさを覚え、堪らず声を上げた。


 ジェラルドはハッとして、カレンから手を離した。


「…雲行きが怪しくなりそうだ。帰ろう」


 カレンが空を見上げると、木々の間から雲ひとつない青空が見える。


 …ダヴィネスの気候のことはわからないけど…


 カレンは少しの疑問が残ったが、タラッサに騎乗すると、先を行くスヴァジルに騎乗したジェラルドの後を追った。



 …危うく、あのまま口付けるところだった。



 ジェラルドの衝動が堰を切るまで、あと僅か。


 ・


 ~おまけ~


 カレンとジェラルドが体を重ねるようになった日常の出来事。


「ん……」


 カレンはジェラルドと愛を交わした後、ジェラルドから口移しで水を飲む。


 飲み下し切れず、カレンの唇の端からこぼれ落ちたそれを、ジェラルドはすぐに追いかけると舐めとった。

カレンはそのジェラルドの唇を追いかけると、すぐさま深い口付けがはじまる。


水の心地よい冷たさに触れた互いの口内で、ひとときの清涼感を求めあう。


「ふふ…」

 カレンはまだ少し息が上がっており、胸の鼓動はドキドキと速い。


「…もう少し、飲む?」


 カレンの様子を見ながら、ジェラルドは再びグラスから水を飲んだ。


 カレンはこくり、と甘えた眼差しで頷く。


 ジェラルドはクスリと笑い、再びそのふっくらと濡れた唇へと、深く水を与えた。



 カレンにとっては、どちらも比べ難く“おいしい水”だった。

お読みいただきましてありがとうございます。

雨降りの中、傘をさして歩いている時に、ふと「水」にまつわるお話を書きたいなと思い綴ってみました。


〈辺境の瞳〉シリーズは、第二弾(完結済)、第三弾(連載中)もございます。

あわせてお楽しみいただけたら幸いです。

よろしくお願いいたします。

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