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辺境の瞳~カレンとジェラルド~  作者: 鵜居川みさこ
第三章
66/75

66.【婚礼前夜の巻】宝石職人:ジャック・エバンズ

※結婚式の準備にまつわるアレコレ話です。

 

「一体どういうつもりなのかしら…?」


 カレンとジェラルドの結婚式を5日後に控えたダヴィネス城。


 専任担当として設えられた一室で、アイリス・モナハンは途方に暮れていた。


 すべての手配は問題なく整えられている。

 結婚式、披露宴、ゲスト宿泊…送られてくる贈り物の数々。

 前乗りのゲストもそろそろ到着する。


 しかし、唯一にして最大のものを除いては、の話だ。

 それは…カレンが結婚式で身に付けるティアラだ。


 ティアラの製作は、ジャック・エバンズ。

 腕は確かだが最強に変人のジュエリー職人。


 製作を依頼してから3ヶ月余り、かなりの短期間だがジャックは依頼を請け負った。


 当初、新しいティアラを作る予定は無かったが、ジェラルドのたっての希望で急遽作ることになった。

 今やジャックはカレンのお気に入りのジュエリー職人と言えた。


 結婚指輪は出入りの宝石商に任せたが、ジェラルドの、何か特別なものをカレンに身につけて欲しい、という強い希望からの依頼だった。


 ジェラルド自らジャックの自宅兼工房へ赴き、ティアラ製作を頼んだ際は、

「作ってもいいけど、ギリギリになる」

 と、いつもの調子でジェラルドを苛つかせたが、グッと堪えて頼んだ。


 それ以来、ジャックからは何の連絡もなく、ついに結婚式の5日前になってしまったのだ。


 アイリス・モナハンはこの危機的状況に目の前が暗くなる。


「工房には?」

 部下の文官に尋ねる。


「扉を叩いても反応がありませんでした」

 部下は頭を垂れる。


 この1ヶ月は、3日に空けずジャックの工房を訪れているが、扉は閉ざされたままだった。


 …中には居るのだろうか…


 ジャックの行きつけだという居酒屋に聞いても、ここ1ヶ月ほどは姿を見ていないと言う。


 ∴


 3週間ほど前に、アイリスはジャックからはまだ何も連絡がない旨を、カレンとジェラルドに報告した。


 朝食を取っていた二人は顔を見合わせた。


「…ジャックを信じて待ちましょう…ギリギリまで」

 言葉を発したのはカレンだった。


「……」

 ジェラルドは無言のままで難しい顔をした。


 ∴


 しかしさすがに5日前だ。


「明日、私も一緒に工房へ行きます。扉をこじ開ける準備をお願い」

 アイリスは部下に言いつけると、深いため息を吐いた。


 ∴


 その日の夜半過ぎ、主寝室の扉をモリスがノックした。


 カレンとジェラルドは、すでに眠りについている。


「…ん…」

「眠っていて」


 ジェラルドは起きそうなカレンに囁き頬にキスすると、扉に向かった。


「どうしたモリス」


 扉を開けると、モリスが珍しく困り顔だ。


「それが…」


 ∴


 少し前に遡る。


「誰だ!」


 ダヴィネス城の夜警門番に緊張が走る。


 暗闇の中、徒歩でダヴィネス城の正門に現れたのは、大きな荷物を抱えたジャック・エバンズだった。


 その怪しすぎる風貌から、門番は警戒した。

 領主の結婚式を控えている。外部からの侵入者には特に警戒する。


「…ジャック・エバンズ。婚約者様のティアラを持ってきた」

 ジャックはいつもの調子で答えると、手元の包みを開けて、夜目にも眩しいティアラを出して見せた。


 驚いたのは夜警門番だ。

 直ぐに城の者へ繋ぎをつけ、モリスがジェラルドを起こしたという訳だった。


 ∴


 話を聞いたジェラルドは額を押さえ、ふうー、と呆れながら息を吐いた。


 ジャック・エバンズに常識は通用しない。

 わかってはいるが、真夜中だ。


「ジェラルド様、エバンズ氏は至急カレン様にお会いして、ティアラの最終調整をなさりたいとのことで…」

 さすがのモリスも、余りの非常識さに言うのも憚られる様子だ。


「この時間にか?」

 ジェラルドは思わず聞き返す。


「…はい」


「論外だ。明日出直せと、」


「待って、ジェラルド様」

 振り向くと、カレンが起きてガウンを羽織っている。


「カレン?」

 ジェラルドは室内履きに急いで足を入れるカレンを、信じられないという顔で見る。


「行きます。モリス、ジャックはどこ?」


「は…しかし、、」

 モリスは困り顔のまま、ジェラルドとカレンの顔を交互に見る。


 こうなれば、誰もカレンを止められない。

 ジェラルドは「まったく…」と呟くと、自らもガウンを羽織り室内履きに足を突っ込むと、カレンの手を握った。


「モリス、案内しろ」


 ジャックは客間のひとつに居た。

 豪華な客間の調度品を立ったままで観察している。


 ガチャリ


 扉の開く音に振り返り、モリスの案内で現れたカレンとジェラルド…いや、カレンを見て茫然としている。


「ジャック、お待たせしました。こんな格好でごめんなさい」


「……あ、ああ。悪かったな、真夜中に」

 カレンの言葉にハッとして、ジャックは応えた。


「……」

 ジェラルドは憮然としたままで、無言でジャックを見る。


 ジェラルドの怒りのメーターが確実にひとつ上がる。

 ジャックの様子から見て、寝起きで無防備な、しかも薄いナイトドレス姿のカレンに気を取られたのだ。


 ジェラルドはカレンをソファに座らせると、自分も隣に腰掛けた。


「…それで?ティアラは?」

 ジェラルドは不機嫌な声音だが、ジャックがそれに動じる気配はない。


 ジャックは黙ったまま、大きな荷物の上に無造作に置かれた包みを開け、ティアラを取り出した。


「!」「!」


 カレンとジェラルドは同時に息を呑んだ。


 ジャックはコトリ、と静かにローテーブルの上にティアラを置き、カレンとジェラルドの向かいに座った。


 カレンは興奮したまま言葉が出ず、思わずジェラルドを見た。

 ジェラルドも同じようで、黙ったままでカレンに頷く。


 この美しさを讃える言葉が見つからない。


 それ程に素晴らしいティアラだ。

 扇型の意匠が連なり、その間にはソード(剣)の様な直線のラインが縦にあしらわれている。かと思えば蔓の様な曲線でバランスを取り、リズミカルで抜け感のあるデザインだ。

 驚愕すべきは、それらの全てが大小の無数のダイヤモンドで設えられていることだ。


「…私、本当に…これを着けるの?」

 余りの豪華さに、カレンは思わず漏らした。


 王族でも、これ程のティアラを着けた方を見たことがない。


「はは、あんた以外に誰が着けるんだよ。さ、合わせるぜ」


 ジャックはティアラを手に取ると立ち上がり、座るカレンに近づいた。


 上から、慎重にカレンの頭に乗せ、微妙に位置を調整する。


 そして、少し離れてカレンを見る。

「…うん、どう?領主様」


「ジェラルド様、私こんな格好だけど…どうかしら…?」


「……」

 ジェラルドは無言で、ティアラを戴いたカレンに釘付けだ。


「…ジェラルド様?」

 何も言わないジェラルドに少し不安になる。


「領主様、見とれてたらわかんねーよ」

 気持ちはわかるけどさ、とジャックの不遜さはいかなる時も健在だ。


 ジェラルドはハッとしてジャックを一睨みして、次いでカレンに微笑んだ。

「…素晴らしく良く似合っている。まるで…女神だ」


「本当に…?」


「ああ、私は幸せ者だ。式が待ち遠しい」


 と、互いの瞳に吸い寄せられそうになる。


「待った、まだ俺の仕事が終わってねーから」

 と、二人の世界にジャックが割って入った。


「あ、ごめんなさいジャック」

 カレンは恥じ入った。


 ジェラルドはフーっと息を吐く。

「謝らなくていいカレン。ジャック、あとどれくらいかかるんだ」


「んー、婚約者様の頭が思ったより小さかったからなぁ、やっぱちょっと調整するよ」

 言いながら、持ってきた大きな荷物の袋から、仕事道具を取り出し始めた。

「朝までには終わるから」

 悪いけど作業台と椅子、借りたいんだけど、と見守るモリスに声を掛けた。


「婚約者様にも悪いけど、出来上がるまでここにいてほしい」


「ダメだ」

 ジェラルドは即座に断る。妊婦に無理はさせられない。


「…今調整終わんねーと式には間に合わねーよ」

 ジャックは頭をボリボリと掻きながら、呆れた様に返す。


「ジェラルド様、私は大丈夫だから」

 見かねたカレンがジェラルドを諭す。


 カレンはティアラを着けたまま、知ってか知らずか、ガウンを羽織ったジェラルドの裸の胸へ両手を置き、ジェラルドを見上げた。


「…カレン」

 ジェラルドはカレンのこの目線にとことん弱い。しかも柔らかな手が直に胸に添えられては…


 その様子を、ニヤニヤしながらジャックは眺める。


 気づいたジェラルドはあからさまに不機嫌な顔をした。

「…何だ」

 多少怒気を含んではいるが、心配するほどではない。


「いや、なかなか生々しくていい光景だよ。この時間に来たかいあったな」


「…いいから黙って作業しろ、付き合ってやる」

 ジェラルドは折れた。


 ∴


 客間には作業台になりそうな机が運び込まれた。

 机には見たことのない用具が並べられ、ありったけのランプが回りに配される。


 ジャックは片目だけのルーペを装着した。


 仕事姿のジャックを、カレンは初めて目にする。

 まさに“職人”といった、普段とは違う緊張感をまとった真剣な顔をしている。


 ジェラルドは付き合いついでと言い、執務室に書類を取りに行った。


 ジャックはカレンの頭からティアラを取る。

「…ねぇ、ジャック、あなたちゃんと食事は取っているの?」


 会った時から気になっていた。

 ジャックはかなりやつれている。


「ここんとこコレに集中してたからさ、まぁテキトーには食ってたけど」


 やっぱり。

 こんなところも本当に芸術家らしい。


 カレンはモリスに、何か軽めのものを用意してもらうよう言った。


 今は結婚式の準備でキッチンも24時間交代でフル稼働しているので頼みやすい。


 モリスはジャックの食事と、カレンのためのハーブティとブランケット、ジェラルドのためのウィスキーを持って来ると部屋を辞した。


「ジャック、良かったらお腹に入れてね」

 声を掛けるが、ジャックは既に仕事に集中していて生返事だ。


 カレンはハーブティをひとくち飲むと、しばらくジャックを観察していたが、うとうとしはじめた。


 ∴


 夜明け前、ソファに長さまになったジェラルドの胸の中で、カレンはスヤスヤと寝息を立てている。


 ジェラルドもしばらくは書類に目を通して起きていたが、どうやら眠ってしまったらしい。


 気配に目を覚ますと、ティアラを持ったジャックが立っている。


「…できたよ」


 どうやらカレンに着けたいらしい。


 ジェラルドはカレンを抱きかかえた手を避けた。


 ジャックはひざまづくと、細心の注意を払ってカレンの頭へティアラを乗せる。


「うん、ピッタリだな」

 と、そのままの姿勢でカレンを眺める。


 客間の大きな窓、厚いカーテンの僅かな隙間から、太陽の日差しが少しずつ少しずつ室内へ差し込む。


 ティアラのダイアモンドへ光が当たり、キラキラと無限の輝きを放つ。

 その輝きは、眠るカレンをも照らす。


 ジェラルドの腕の中で、あどけない顔で安心しきって眠るカレン。


「…まるで生まれたての女神様だな」


「…そうだな」

 ジェラルドはジャックの言葉に大いに同意する。


「ん…」

 カレンが眩しさに目を覚ましそうになる。


 ジャックは直ぐに窓に近寄ると、厚手のカーテンをキッチリと閉め直した。


「すまんな」

 ジェラルドは律儀に礼を言った。


「…いや」

 ジャックは机の上の片付けを始めた。


 大きな荷物を抱えると、ジェラルドに向き直った。

「じゃ、俺はこれで」


「ジャック、礼を言う…結婚式には顔を出すだろう?」


 ジャックはボリボリと頭を掻く。

「俺、これから旅に出るから…」


「急だな」

 ジェラルドは驚く。


「コレ作るのに、全部詰め込んだんだよ」

 と、カレンに目を移す。

「マジで、今の俺のありったけを詰め込んで…出し尽くした。しばらくは戻らねーから。金はいつもの通り街の宝石商へ渡しといてくれ。あ、」


「何だ」


「言っとくけど、貴族の立派なお屋敷1個分じゃ利かねーくらいのダイヤ使ったから。目安だけど」


「…わかった。世話になった、礼を言う」


「最後にいいモン見れたし…サンドイッチ旨かったし、婚約者様によろしく」


「必ず伝える」

 “いいモン”には腹立たしいが、今は許そう。


「あ、」


「何だ?」


「“everlasting”」

 ジャックはジェラルドへ顔を向けた。

「領主様が“際限なし”って言ったから、やりきった。短い納期にもかかわらずな。今までで一番やりがいがあったよ、じゃ」

 踵を返す。


「あ、」


「なんだ、ジャック」

 ジェラルドはいい加減呆れる。


「結婚おめでとう、領主様」


 長い前髪の間からポツリと言うと、ジャックは荷物を抱えてパタリとドアを閉めた。


「…ありがとう、ジャック」

 ジェラルドは型破りなジャック・エバンズに呆れつつも笑う。

 ちょいちょい腹立たしくはあるが、やはり腕は一級品だ。



 胸の中のカレンは、変わらず穏やかな寝息を立てている。

 頭に女神のティアラを称えて…



『everlasting tiara』

 際限の無いティアラ…後々、ダヴィネス家の家宝として、代々の領主夫人の頭を飾ることになる。

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