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辺境の瞳~カレンとジェラルド~  作者: 鵜居川みさこ
第三章
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64. 登城 その2

「…やはり、あなたでしたか…」


「ふふ、僕のこと覚えてくれてたんだね...ありがとうカレン」


 名前を呼ばれるのもゾッとするが、嫌な予感は当たるものだ。


 第二王子と対面するのは事件以来だ。

 以前よりもやつれた印象だが、その陰湿な目がギラリとカレンを捕らえる。


「薔薇迷路…懐かしいだろ?昔はよくここで遊んだよね…」


 第二王子は王宮奥深く蟄居の身だったはずだ。

 誰の手引きでこんなことを…


 カレンは身の危険を感じつつも、努めて冷静に考える。


「…こんなことをして、ただでは済まされませんよ」


「ふふふ、その気の強さ…変わってなくて嬉しいよ。その点はあの野蛮人に感謝かな。でもヤツも薔薇迷路には疎いだろう…?」


「……」

 後ろ手に自由が利かないので、何もできないもどかしさだけが募る。


 そんなカレンの表情を見て、第二王子はほくそ笑む。

「…カレン、君はね、今日ここで僕と死ぬんだ」

 言いながら、第二王子は懐から鋭い短剣を取り出した。


 カレンは息を呑む。


 薔薇迷路の通路は大人ひとりが通れるほどの幅しかない。


 第二王子の差し出す短剣の切っ先が、カレンの顔に向けられる。


「たまらないね、君のその顔。その美しい顔が苦痛に歪むのをどんなに見たかったことか…!」


 第二王子の顔が興奮で紅潮している。


 と、王子の目線がカレンのお腹へ注がれる。

「…まずはその腹の膨らみからさよならしないとね」

 短剣の切っ先がカレンの顔から、ゆっくり下方へと移動した…


 その時、第二王子の背後の薔薇の壁がザワリと揺れたかと思うと太い腕がヌッと現れ、あっという間に王子の首を締めにかかった。


「!」

 カレンは驚きの余り声が出ない。

 が、その手、その逞しい腕にはハッキリと見覚えがある。

 何より、その中指にはダヴィネスの領主のみが身に付ける紋章入りの指輪が光っている。


「…っく!!」

 腕はギリギリと王子の首を締め、王子の顔はみるみる苦痛に歪む。


 王子は苦し紛れに手に持つ短剣を振り回そうとする。


「!! 危ないジェラルド!」

 やっとのことで愛する人の名を呼ぶが、どうすることもできない…と思いきや、カレンを捕らえていた騎士がカレンの手を放し、目の前の第二王子の短剣をいとも簡単にはたいて落とした。


 カラン、と王子の短剣は乾いた音を立てて地面へと落ちる。


 その間にも、ジェラルドの腕は容赦なく王子の首を締めている。


「…!!」

 もはや王子は失神寸前で、顔色はない。


「ジェラルド!そこまでだ!!」


 声と共に現れたのは、王太子と兄のショーン、そしてマーガレット王女、次いでカレンを護衛していたもう一人の近衛騎士だった。


 しかし薔薇の壁の向こうのジェラルドは、腕の力を緩めない。

 その腕は薔薇の刺で傷つき、至る所から流血している。


 …いけない!

「ジェラルド!私は無事です。もうやめて!!」

 たまらず、カレンは叫んだ。


 と、腕の力が緩み、薔薇の中へ腕は消えた。


 首の締め付けから解放された第二王子はゴホゴホと咳き込み、そのままズルズルと下へ蹲るが、意識は朦朧としている。


 薔薇の壁の一角から、ジェラルドがゆっくりと姿を現した。


 ジェラルドからは、その場にいる全員が動けなくなるほどの凄まじい殺気が放たれている。


「…カレン、なぜ止める」


 地を這うような低い声だ。

 深緑の瞳は、暗く揺らめいている。


 下ろされた右腕には薔薇の刺の小さな傷が無数に付き、タラタラと流血している。


「!」

 カレンはジェラルドに駆け寄り右腕を取ると、その大きな手のひらを自らの頬へ添えた。


 ジェラルドの瞳を見る。

「…ジェラルド、私は大丈夫よ?ほら、ね?」

 ゆっくりと、諭すように言いながら、その手をそのまま下腹の膨らみへと滑らせた。


「…カレン…」

 ジェラルドの瞳が、少しずつ少しずつ、いつもの光を宿す。


「…うっ」

 第二王子が意識を戻した。


 とたんにジェラルドが動こうとする。


「ジェラルド!」「閣下!」

 王太子とショーンが同時にジェラルドを制す。


 第二王子は近衛騎士2名に取り押さえられ、身動きは取れない状態だ。


「ジェラルド堪えてくれ。ここでコイツを殺せば計画が水の泡だ」


 …計画?

 カレンは不信に思う。


 そんなカレンの顔を見たショーンは、頷いた。

「カレン、これは全て計画の上でのことだ。閣下も了承している」


「…了承はしましたが、第二王子に会ったなら絞め殺すと自分に誓ったことを思い出しました。殿下、ここまで危険な計画ではなかったはずだ」

 ジェラルドは既に冷静さを取り戻してはいるが、カレンを抱く左手には力が籠っている。


「ジェラルド…」

 カレンはジェラルドを見上げる。

 厳しい目で王太子とショーンを見ている。


「本当にすまないジェラルド。お前やカレンには負担を掛けた。しかし、これでコイツを〈パレス〉にぶち込める…漏れなく他の輩もな」

 王太子は策士の笑みを見せた。


「……」

 ジェラルドは無言だ。

 怒りはまだ収まってはいない。


 〈パレス〉…カレンも聞いたことはある。

 罪を犯した貴族の監獄だ。かなり厳しい待遇と耳にした。


「…父上が、ゴホッ、許すかな…」

 ぐったりとした第二王子が、虚ろな目で尚も呟く。


 王太子は、取り押さえられた第二王子に近づくとしゃがみ込み、実の弟を睨み付けた。

「…まだ言うか。証拠も揃っている。今度ばかりは陛下も手を出せない。お前はもう終わった。いや、とっくの昔に終わっている。腐った商人の捨て駒にまで成り下がったんだ、覚悟しろ。恨み言はあの世で聞いてやるよ」

 王太子は冷たく言い放つと、近衛騎士に「連れて行け」と言った。


「セオドアお兄様っ」

 様子を見ていたマーガレット王女が声を上げた。

 皆が王女を見る。


 第二王子は項垂れた顔から、視線だけを妹に向けた。


「もうお会いすることもないでしょう。ご自身をお恨みになってください…残念ですわ」

 いつもの明るさは無い。

 しかし毅然とした態度は、兄との決別を自覚していた。


「…マーガレット、お前がこの薔薇迷路を知り尽くしていること、すっかり忘れてたよ」

 第二王子は力なく呟き、自嘲した。


 両脇から近衛騎士に支えられ、引きずられるように薔薇迷路から去った。


 立ち込める濃い薔薇の香りをかき消すように、薔薇迷路に一陣の風が吹いた。


 ・


 右腕の手当てを終えたジェラルドは、カレンと共にタウンハウスへと帰る馬車に乗っていた。


「では、すべてご存じだったと…?」


「ああ」


 カレンは話を聞いて驚いた。


「あなたを囮にする前提だ。誉められたやり方ではない。しかし、第二王子を永遠にあなたから遠ざけるにはこれしかなかった。怖い思いをさせた…本当にすまない、カレン」


 ジェラルドは苦しそうな顔でカレンの手を握り、そのまま口付けた。


 事の発端は、勢力の衰えた反・王太子派と、王都であくどい商売をする商人とが手を組んだことにあるという。

 近年、王都での需要が急激に増したダヴィネス産の良質品を妬んだ商人が、ジェラルドを陥れるため、第二王子を利用せんとした。


 まずは、反・王太子派の貴族が、レディ カサンドラ・カニングハム伯爵未亡人へ、ジェラルドとの復縁の話を持ちかけた。

 当初、そんなことはあり得ないと言っていたレディに、夜会でワルツを踊るようけしかけた。


 ジェラルドとワルツを踊ったレディ カニングハムにあることないことを吹き込み、その気にさけた挙げ句、蟄居の身の上の第二王子が今だにカレンを望んでおり、さもそれが正しいことであるかの様にレディ カニングハムに信じ込ませた。

 王宮に出入りできるレディ カニングハムは、用心して第二王子に繋ぎを取り、言われたとおりカレンとジェラルドの登城を狙う提案を持ち掛けた。


 もしカレンに何かあれば、必ずジェラルドは動く。王宮なので帯剣こそできないが、辺境伯閣下たるもの、どうにかしてカレンを守り、第二王子に制裁を下すに違いない。

 しかし第二王子は蟄居の身とはいえ、王族だ。王宮内で手を下せば、陛下への反意と捉えられても何も言えない。


 一国と称される辺境の地は、ジェラルドの陛下への篤い忠誠心があってこそだ。そのジェラルドが王宮内で騒ぎを起こせば、ダヴィネス軍は王家の敵と見なされる。


 王太子派のジェラルドが立場に窮せば、反・王太子派にとってこれほど都合の良いことはない。


 しかし、この計画ははじめから王太子の知るところだった。

 優秀な近衛騎士は二重スパイとなり、第二王子の行動は筒抜けだ。


 王太子と側近のショーンは時間を掛けて綿密な計画を練り、第二王子と反・王太子派、更には目障りな商人をも含めた失脚を狙い、計画は見事成功したのだ。


「…でも、レディ・カニングハムはお気の毒です…」

 カレンは思わず呟いた。

 心の奥底にジェラルドへの思いが残っていたとしても、それを利用されるなんて…。


「…あなたには言わなかったが、彼女には結構な勢いでワルツを迫られた。計画を知らされていなかったら断っただろう」


 カレンは驚いた。

「ジェラルド様、そんなに前からこの計画をご存じだったのですか?」


「驚くのも無理はない…これは例の栗事件からの続きで、その締めくくりなんだ」


 …そうか、王太子や兄達は、確実に第二王子を追い詰めるべく、ずっと機会を狙っていたのね…


「でも、私は全く何も知らされなかったのですね…」

 カレンは幾分暗い面持ちで呟く。

 計画上仕方なかったとはいえ、それなりに大きな役割だったはずだ。


「カレン…」

 ジェラルドは向かい合わせの席から、カレンの隣へと席を移った。

 そして、カレンの肩を優しく抱き締め、額にキスを落とした。


「身重のあなたに無用の心配は掛けたくなかった。…しかし今日は…今日のことは悪夢だ。今思い出しても…」

 と、カレンを抱くジェラルドの腕に力が入る。

「あなたが無事で本当に良かった」


 カレンはジェラルドの背中へ両手を回した。


 ガラガラという、王都を走る馬車の車輪の音が耳につく。


「あなたの兄上が」


「え?」


 カレンは上を向き、ジェラルドと顔を合わせる。


「ウィリス卿が、あなたに計画を知られたくないと」


「お兄様が…?」


 ジェラルドは頷き、続けた。

「計画を知れば、きっとあなたは欲張るから、と」


 カレンは何?と訝しむ。


 ジェラルドはその顔を見て笑う。

「賢いあなたは、きっと更なる策を練ると」


「私が?」


「ウィリス卿は、今回はなんとしてもヤツを追い詰めたかったんだ。それは私も同じだ。あなたが計画を知れば、心配を掛ける上に更なる成果を得ようと思索を巡らせる…今回はウィリス卿の計画通りに事を進めたかったのだろう」


 兄はあの事件以降、カレンを守ることに尽力してくれた。

 ジェラルドとの結婚も表向きは政略結婚だが、カレンを王都から遠ざけることが狙いだったのだ。


 政治的な思惑が絡まる渦中で、兄はできることのすべてを持ってカレンを守ってくれた。


「囮があなただというのも、言うなれば最善の結果をもたらすため、と言われれば、私も協力せざるを得ない」


 ジェラルドはカレンを抱き直し、そのつむじへキスを落とす。


「ただ、薔薇迷路は想定外だった」

「そうなのですか?」


「マーガレット王女が迷わず案内をかって出てくださったんだ」


 聞けば、王女もこの計画は周知だったとのこと。

 王女にとって薔薇迷路はもはや迷路ではない。遊び場のひとつに過ぎない。


 しかし、実の兄を追い詰めるのは気が咎めたのではなかろうか…


 そんなカレンの気持ちを察したのか、ジェラルドが続ける。


「第二王子があなたに執着し出したのは、そもそも王女をヤツから庇ったからだと、王女もずっと気に病んでおられたのだ」


「そんな!」


 カレンはまたジェラルドを見上げる。


「国を離れる前に“お姉様”の役に立てて良かったとおっしゃっていた」


 …マーガレット様…

 もう、あの薔薇迷路で王女と遊ぶことはない。


 カレンの目から、涙が溢れる。


「…カレン」

 ジェラルドは親指で優しく涙を拭った。


「私、本当にたくさんの方に守られて…申し訳ないです」


「あなたの憂いが無くなることが1番だが、今回のことはダヴィネスにとっても有益に働いた」

 何も気に病むことはない、と大きな手でカレンの顔を包んだ。


「ジェラルド…」

 カレンはジェラルドにギュッと抱きついた。

「ダヴィネスに、帰りたい…」


「もうすぐ…もうすぐだ、カレン」

 ジェラルドは宥めるようにカレンの髪を撫でた。


 私の家はダヴィネスだ。

 数ヶ月で、カレンは心からそう思えるようになった。


 ・


 それから数日の間に、カレンは慌ただしくアリーのタウンハウスと実家にも赴き、王都からダヴィネスへの帰路についた。

 ジェラルドはまだ王都での仕事があるので、一足先にカレンだけが帰る。


 ダヴィネスへの帰途へ着く馬車の車窓から、白く聳え立つ王宮が見える。

 この国の頂ではあるが、カレンにとっては、もはや中心ではない。


 カレンは、ふと昨日のアリーとの会話を思い出す。



「カレン、私の言ったとおりになったわね」

「え?」

「ふふ、“閣下は必ずあなたを愛する”」

「…もう、アリーったら」

「そしてあなたも閣下に夢中…よね?」

「…うん、なんでこんなにっていうくらい、好き」

「ふーっ、お熱いことね!…結婚式、楽しみにしてるわ」

「アリー、必ず来てね、カーヴィル卿も坊やも一緒に。ダヴィネスを見てもらいたいのよ」

「ええ、カレン」



 カレンは心の中で、王都に別れを告げた。

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