63. 登城 その1
「辺境伯ジェラルド・ダヴィネス閣下、並びに婚約者カレン・ストラトフォード侯爵令嬢」
名を呼ばれ、カレンとジェラルドは、国王・皇后両陛下の御前へ進み出て、礼を取る。
「国王陛下、皇后陛下のご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じ奉ります」
ジェラルドの低く力強い声が、謁見室に響く。
「二人ともよく来た。噂に違わぬ似合いの二人だな…楽にするがよい」
「はっ、ありがとう存じます」
ジェラルドは応えるが、両陛下の前で礼を解く訳にはいかない。
「ダヴィネスとはひと月ぶりだな」
東部平定の祝賀はひと月前に済ませている。
「はっ」
「議会にも顔を出しておるそうだな。どうだ、そなたにとっては王都はつまらぬだろう」
「滅相もございません」
今回は国王陛下のたっての希望で、カレンを伴うようにとジェラルドが王宮に呼ばれたのだ。
と、国王陛下の顔が分かりやすく柔和なものとなり、ジェラルドの隣のカレンへと視線が注がれた。
「…カレン・ストラトフォードよ、久しいな」
「…はい、陛下。ご無沙汰を致しましたご無礼を何卒お許しくださいませ」
「よいよい、身重のそなたを無理を言って登城させたのは私だ……カレン、もっと近くへ」
カレンは顔を伏せたまま、少し近づく。
「…もっとだ。顔が見えぬではないか」
カレンはどうしたものかと、チラリとジェラルドを見ると目が合い、小さく頷いている。
続いて王太子を見ると、こちらもコクコクと頷いている。王太子の後ろに兄のショーンも控えているが、兄は無表情だ。
「御前失礼いたします、陛下」
と、カレンは両陛下の座す椅子の、階段の下まで歩み寄った。
「顔を上げなさい。カレン」
カレンはゆっくりと顔を上げる。
そして、国王陛下へと目線を合わせた。
少しお痩せになられた…?
国王はカレンの顔をじっと見る。
「…その目だ。ふむ、少し見ぬ間に…輝くばかりの美しさではないか、のう」
と、隣の皇后へ声を掛ける。
「本当に」
両陛下は微笑み合い、揃って賛辞を惜しまない。
「辺境の水が余程合うのであろうな」と半ば呟きのような言葉を述べる。
カレンは何とも返事はしづらく、笑みを浮かべた。
「そなたが我が王家のそば近くにおらぬのは全くもって如何ともし難いが…そうなった原因は私の甘さにもある」
暗に第二王子セオドアのことを言っているのは、この場にいる全員が周知の事実だ。
「どうだカレン、辺境での生活は」
「はい、見るもの聞くもの全てが新鮮ですし、閣下をはじめダヴィネスの方々には良くしていただいております」
国王はふむふむと顎髭を撫でながら、カレンの話に耳を傾ける。
「辺境でも破天荒ぶりを発揮しておるのではないのか?」
面白そうに聞きながら、後ろのジェラルドにも目線を投げる。
破天荒…カレンは顔を赤らめる。恐らくジェラルドは微笑んでいるに違いない。
「その…おとなくししているとは言えませんが…」
ほほう?と国王は促す。
「私のできることで、ダヴィネスの役に立てれば…」
と、ちらりと後ろのジェラルドを振り返る。
「おこがましいですが、閣下をお支えできればと存じます」
「…それを聞いて安心したぞ……ダヴィネスよ」
「はっ」
「いつまでも仲睦まじくあれよ…まぁその点は案ずることはなさそうだな」
国王はさも愉快そうに微笑む。
「陛下のお言葉、しかと承りました」
・
「カレン、すまないが妹に会ってやって欲しい」
カレンとジェラルドは両陛下との謁見を済ませ、部屋を辞してホッとしているところへ、王太子が追いかけてきた。
王太子の後ろには、兄のショーンが不機嫌そうな顔で立っている。
「殿下…」
ジェラルドは、まいったな…という顔だ。
王太子はかつて辺境軍で行軍をした経験があり、ジェラルドとも顔馴染みだ。
「ジェラルド済まない。王宮にカレンを留めたくないのはよーくわかる。しかし…これはまだ極秘なんだがな、」
と、王太子は周りを見回すと、一段声を押さえた。
「メグは来年には第三国に嫁ぐ予定なんだ」
「え?!」
カレンは思わず声を上げてしまった。
場所が場所なだけに、慌てて両手で口を塞ぐ。
“メグ”は、王太子殿下の妹殿下のマーガレット様の愛称だ。国民には『太陽のメグ姫殿下』と親しみを持って呼ばれ、その朗らかな人柄で人気がとても高い。
でも、マーガレット様はまだ14才…しかも第三国は国王が代わったばかりだ。
「…ここでは人目に立ちますので、閣下の控え室へ行かれては?」
王太子の側近のショーンは気を効かせた。
4人はカレンとジェラルドに与えられた控え室へと場所を移した。
「見初められたんだ」
王太子は、控え室のふかふかのソファにドッカリと腰掛けるなり言った。
カレンとジェラルドは向かいのソファに座っている。
ここでは、ショーンは臣下なので立ったままだ。
第三国は、悪政を敷いた王を実の息子が倒しての新政で、その新王が非公式に我が国を訪れた際にマーガレット殿下を見初めたとのことだった。
「新王には私も父と会ったが…実の父を手に掛けただけはある。かなりの切れ者だな。第三国はあの王によって変わるよ、いい方にな」
王太子は実に軽快に話す。
「第三国は我が国にはない資源も豊富だ。ここは是非とも関係を繋ぎたい」
為政者らしい言葉だ。
つまり、二国を繋ぐ役目がマーガレット王女に託されたということだ。
第三国は遠く離れた暑い国と聞く。
気候も言葉も慣習も信じる神も、何もかも我が国とは異なる。
一国の王女ともなれば、政略結婚は免れない運命だ。
しかし、第三国とは…。
カレンは気になることがあった。
王太子とは幼い頃からの気安い仲なので、聞いてみることにする。
「殿下、ひとつお伺いしても?」
「なんだカレン、何でも聞いてくれ」
「第三国は一夫多妻制と聞いておりますが…」
たとえ正妃だとしても、それでは王女殿下が余りにも気の毒だ。
「あぁ、それは問題ない。そもそも政治の腐敗は一夫多妻が招いたものだと新王も言っていた。だから一夫多妻制は廃止するそうだ」
「そうなのですね…」
カレンは少しだけホッとした。
「“見初められた”とは?」
ジェラルドが聞く。
「それは私も詳しくはわからんのだ」
王太子はうーんと唸る。
「会食も両陛下と私だけだったしな…まぁ、大方庭を荒らして犬と遊んでたとか、大口開けて笑ってたとか…そんなのを偶然に見かけたんじゃないか?」
新王はちょっと変わってるんだ。
と、少し意地悪そうに、そしてさも面白そうに語る。
マーガレット王女はカレンが遊び相手をしていた頃から変わっていない。
高貴なご身分でありながら、天真爛漫で飾り気のない愛すべきお人柄だ。
もし第三国の新王がありのままのマーガレット様を見初められたのなら…政略結婚でも少しは期待できるかも知れない。
「とにかくカレン、すまないがメグに会ってやって欲しい。知っての通り、メグはカレンを敬愛している。この機会を逃すと一生会えないかも知れんのだ。ジェラルド頼む!この通りだ」
と、王太子は頭を下げた。
二人は慌てる。
「! 殿下、どうか頭をお上げください…わかりました」
ジェラルドが根負けした。
王太子にここまでされては断れるわけがないのだ。
カレンも王女とは久しく会ってない。是非お会いしたい。
「そうか!」
と、王太子は先ほどまでの殊勝な態度とはうって変わり、本来の快活さを即座に取り戻した。
「では、お部屋をご用意いたします」
今の今まで押し黙っていたショーンが口を開いた。
…うわ、すっごく機嫌が悪そう…
カレンは兄の様子に思わず引いてしまう。
「…お前、そのあからさまに不機嫌な顔をなんとかしろ。お前の気持ちはわかっている。しかし、妹のたっての頼みだ」
断れんだろうが…
と、王太子はショーンに苦言を呈す。
「…いえ、申し訳ありません」
「ここにいる我ら三人とも妹を持つ身だ。わかってくれ」
「わかっております」
兄は不承不承答える。
いくら幼い頃から側近として仕えているとはいえ、兄の態度はかなり不敬だ。
しかし、それ程までに兄の第二王子への警戒は強い。
ジェラルドは、小さく「はっ」と答えたが、こちらはこちらで嫌々という顔だ。
カレンは王宮にいることの窮屈さを、今更ながらに感じていた。
・
「カレンお姉様!!」
準備された客間の一室にカレンが入るなり、王女マーガレットは声を上げた。
王女の願いで、客間にはカレンと二人きりだ。
部屋の外には王家の近衛騎士が数人張り付いている。
王太子殿下の計らいだ。
「殿下、ご無沙汰しております」
カレンは臣下の礼を取る。
「いやだわお姉様!私には他人行儀になさらないでください。寂しくなってしまいます…」
「…わかりました。マーガレット様」
これでよろしいかしら?
とカレンが茶化すと、マーガレットはじける様な笑顔で笑う。
まさに“太陽の姫殿下”、その名の通り輝かんばかりの笑顔だ。
ソファに隣合わせて座り、久しぶりの再会のひとときを二人は過ごした。
「お姉様からのお手紙を、いつも楽しく拝見しております」
「そうなのですか?でしたら良かった…私にとってダヴィネスはあらゆることが新鮮で、ついつい長いお手紙をしたためてしまって…」
マーガレットはううん、と首を横に振る。
「そんな、とっても読みごたえがあります!私にとりましてもダヴィネスの様子はとても興味深いです。豊かな自然やいろいろな人達…全てが珍しくて、癒されます!」
少し興奮気味に話す。
そして、少し俯いた。
「あの…お姉様は、ダヴィネス閣下とは恋愛結婚ではないてすよね?」
「ええ。こう言ってはなんですが…ジェラルド様は私を押し付けられたのです」
カレンはふふ、と笑いながら答えた。
「でも、今はとても仲睦ましくていらっしゃるのでしょう?」
マーガレットは真面目な顔でカレンの瞳を覗き込む。
「…はい。お陰さまで」
カレンは少し照れくさい。
「…赤ちゃん、楽しみですわね」
マーガレットはカレンのお腹の膨らみをまぶしそうに見た。
「ええ、とても」
「私も…」
「?」
「私も第三国に嫁いで、新王とうまくやっていけるでしょうか…なにもわからないというのに…」
カレンは王女の手を柔らかく握った。
「マーガレット様、あなたのその明るさ、優しさそして朗らかさ…それをもってすれば、乗り越えられないことはないかと存じます。それは私が保証いたします」
見知らぬ遠い国へ嫁ぐ不安は察して余りある。
比べものにはならないが、カレンもダヴィネスへ行く前は不安だったのだ。
「…新王は、私がお庭で犬と遊んでいるのを見掛けられたそうなの…そんな姿を見て、結婚したいと思うものでしょうか?」
王女の瞳が不安の色を宿す。
王太子の予想通りだ。カレンは微笑む。
「マーガレット様、第三国は新しくなったばかりと聞いています。そんな中で、新王のお側近くでお味方をして差し上げられる...そんな存在として明るく屈託のないマーガレット様のお姿に心引かれたのならば、それはごく自然なことなのではないでしょうか?」
「そうなのかしら…?」
王女はまだあどけなさの残る顔で、不思議そうに思案している。
おそらく、初恋もまだのはずだ。
デビューすらしていない。
しかし、一国の王女の運命とは時に非情なものだ。
目の前のマーガレットは、重責を担って嫁ぐ運命を受け入れなければならない。
これから先、マーガレットの行く末が少しでも幸せなものであるよう、カレンは願うことしかできない。
「マーガレット様、またお手紙を書きますわね。マーガレット様もご事情が許すなら、きっとお手紙をくださいませ」
「ええ、カレンお姉様、きっと書きます。ずっとお友達でいてください」
二人は互いの健康を思いやり、永久の友情を誓い合って別れの挨拶とした。
最後は抱擁して、カレンは客間を辞した。
マーガレット王女は気丈だった。
カレンが涙を見せるわけにはいかない。
しかし、幼い頃の王女のお顔がお姿が、次々とカレンの頭に浮かび、胸が詰まる。
「レディ、控え室へとご案内いたします」
護衛をしていた、近衛から声を掛けられた。
「あ、はい…」
2名の近衛騎士に前後を挟まれ、ジェラルドの居る控え室へと向かう。
途中、王宮の広大な庭に面した回廊を歩くと、かつて王女と遊んだ薔薇の生け垣や迷路が目に入ってきた。
今はちょうど薔薇の盛りだ。
豊潤な香りに包まれる。
もうあの薔薇迷路で遊ぶことはないだろう。
カレンは懐かしさと共に、王宮や王都が物理的にも精神的にも離れたものとなったことを実感した。
!
…なに?
カレンは、背中がゾクリと粟立つのを感じた。
思わず立ち止まる。
「レディ?」
カレンの後ろの近衛の一人が、急に立ち止まったカレンに声を掛けた。
…薔薇…?
と、薔薇迷路の方へ顔を向けたと同時に、カレンは両手を後ろ手に取られた。
「来るな!」
カレンの後ろにいた近衛がカレンを捕らえたまま、カレンの首もとに短剣を構えている。
もう一人の近衛騎士は顔色がないまま、「お前!!」と言うが、その場に立ち尽くして動けない。
「…レディ、大人しく、このまま…!」
と、耳元で言うと、カレンを捕らえた騎士は庭へと進んだ。
「…あなた、誰の命を受けているの?」
後ろ手が少し痛むが、カレンはとっさに問いかける。
「ご想像にお任せします」
騎士は冷静に答えると、そのままずんずんと庭を進み、薔薇迷路へと入った。
抵抗すれば確実に傷つけられる。
カレンは騎士に囚われたまま従う。
薔薇の咲き誇る壁が両側に差し迫り、薔薇の香りが一層濃くなる。
右へ折れ、左へ折れ、騎士は迷いなく迷路を進む。
広大な薔薇迷路のどこまで進んだのかはわからないが、かなりの所まで来たのは確かだ。
と、騎士の歩みが止まった。
なんなのだろう、一体誰がなんのために…!
でも、こんなことをしでかす者は一人しか思い浮かばない。
カレンは焦った。
「…カレン、久しぶりだね」
薔薇迷路の曲がり角から現れたのは…
目の前に、第二王子セオドアがいた。




