55. 隣国からの思わぬ鳩便
ジェラルドが東部へ立ち、ダヴィネス城では穏やかな日々が過ぎていった。
ジェラルドからチクリと釘を刺されたので、カレンはたまに手紙を書く。
体調のことや、姉とのことなど…。
ストラトフォードの母からは、体調を気遣う長い手紙と様々な品物が送られた。
今は、カレンの部屋で母から送られたカタログをヘレナと共にペラペラと捲りながらお喋りをしている。
「…そういえばカレン」
ヘレナがカタログから目を上げた。
「…あなた、結婚式はどうするの?」
「え?」
「確か…春だったわよね」
「はい」
「でも、ジェラルドの東部平定で、シーズン初めの祝賀会に呼ばれるわよね、必ず」
…それはそうだ。
「それになによりあなたの体調よ。おそらく…そうね、安定期に入るまでには少なくともあと3ヶ月はかかるわよ」
「!」
「やだ考えなかったの…?」
カレンは俯いたままコクリと頷く。
これはジェラルドが帰ってきたらすぐに相談しなきゃだわねぇ。と、ヘレナは思案顔だ。
そうか、そうだった。
こんなにすぐに妊娠するとは思ってなかったし、そのつもりでドレスも準備中だ。
計画を練り直さければ。
コンコンコン
ノックが聞こえ、ニコルが扉へ急ぐ。
騎士から話を聞いている。
「ヘレナ様、フリード卿が執務室へご足労願いたいそうです」
ニコルがヘレナに告げる。
あら、エリックが何かしでかしたかしら?と言いながら、「この話はまた後でね」とカレンに言い、ヘレナは執務室へ向かった。
・
「残党が?」
「はい…狩り切れてなかったようで。シャムロックを視察中に」
なんてこと…ヘレナは執務室のソファでふーっと大きなため息を吐いた。
フリードの話はこうだ。
ジェラルドの一行が元シャムロック領を視察中、その隙を狙い、しつこく逃亡していた残党が捨て身の急襲をかけてきた。
残党は数名で幸いアイザック達騎士もいたので大事には至らなかったが、目の前に子どもがいたことから、庇ったジェラルドが軽傷を負ったとのこと。
「軽傷って…ほんとに軽傷なの?」
「…ジェラルド的な軽傷の幅は広いですが…、今回は“本当の軽傷”と信じていいかと」
ウォルターの報告が過少とは思えない。
「他に怪我人は?」
「いないとのことです」
…ふう、それは不幸中の幸いだわね。
ヘレナの反応に、さすが一国の王太子妃のものだとフリードは感心した。
「…問題は、カレンに言うかどうかよね」
「はい」
ふーむ、とヘレナは峻巡すると
「折を見て私から話すわ」
と応えた。
「よろしくお願いいたします」
フリードは礼を述べた。
・
先に言うか、後にするか、黙っておくか…、カレンの部屋へ帰りながら、ヘレナは考えた。
考えた末、決めた。
「カレン、話があるの」
「? はい」
そしてヘレナは、フリードに聞いた通りのことをカレンに話した。
ヘレナはカレンの様子を見守る。
聞いたときは驚き目を泳がせたが、すぐに落ち着きを取り戻した。顔色も悪くないし、無理をしている風でもない。
「わかりました。話してくだってありがとうございます。お姉様」
と、にっこりと微笑む。
…思った通りだわ。
ヘレナは内心ホッとした。
やはりカレンは賢い。そして、ヘレナが思うよりずっと強い。
…いえ、強くなったのね…
ヘレナは、かつての自分のことを思い返していた。
隣国へ一人嫁ぎ、ホームシックに悩んだこと。味方が誰もいない状況でも、役割をこなさなくてはならない重責と孤独感。…しかし、それは強い思い込みに他ならなかった。
確かに成すべき役割は重要だが、王太子はヘレナがヘレナであることを一番に望んでくれた。
それがどれほどヘレナの心を軽くしたか…
決して何もなかった訳ではないが、今では二人の子どもに恵まれ、隣国こそが我が家と確信できる。
…やっぱり、愛なのよね。
その点は心配無用ね。
ジェラルドのカレンへの愛情の深さをつぶさに見ているヘレナは、妹の幸せを信じて止まなかった。
・
無事東部を平定し、ジェラルドはあと数日で戻れそうだ、との知らせが届き、ダヴィネス城は明るい雰囲気に包まれた。
時を同じくして、一羽の鳩がダヴィネス城へと降り立った。
鳩担当が小さな筒を渡し、フリードは中身を改めると血相を変え居間へと急いだ。
居間ではカレンとヘレナがお茶を楽しみ、その横ではエリックがおやつを頬張っていた。
ノックと共にフリードが現れる。
「フリード卿、どうされましたか?」
緊張の面持ちのフリードを見て、カレンはドキリとする。
…ジェラルドになにか?
「ご心配なく、カレン様」
と言いつつ、「ヘレナ様、これが届きました」と、鳩の筒の中に収まっていた紙片をヘレナの侍女へ渡す。
「私に鳩便?誰かしら…」
と、侍女から渡された紙片に目を通したヘレナは一瞬目を瞠いた。
「…お姉様?」
「…来るらしいわ」
「? どなたがですか?」
「エドワード」
「え?!」
「グレゴリーも連れて来るそうよ」
と、カレンに紙片を手渡す。
ー 愛するHへ
Gと共に迎えにいく 動くな
最短ルート使用
E ー
隣国王太子エドワードが、長男グレゴリーと共にヘレナを迎えに来る…
「…」「…」
部屋にいる全員が沈黙した。
いや、正しくは一人を除いて。
「ちちうえくるの?ねえははうえ、あにうえも??」
ねえねえとエリックは母ヘレナの膝へすがりつく。
ヘレナはエリックに微笑み、王太子と同じその柔らかな髪へ指を通す。
「そうね、来られるわ」
いやったー!と、エリックはほぼ狂喜乱舞だ。ナニーが慌てる。
「…カレン、フリードも、申し訳ないけど世話をかけるわ。っでも、非公式だから特別なことは何もしなくていいから、ね?ね?」
ヘレナは平静を装うが、明らかに焦っている。
「…取りあえず、ジェラルドに急ぎ知らせます。南部にも早馬を」
フリードがギアを上げて手配にかかる。
「頼みます、フリード卿」
カレンはフリードが退出すると、ヘレナを見る。
「困った人だわ…」
ほんとにもう、と、ヘレナはため息を吐いた。
カレンは姉の顔を面白そうに見る。
「ふふふ、お姉様ったら」
「…なによ、カレン」
ヘレナは憮然として妹を睨む。
「だって…」
「?」
「お顔は困られてませんわ、お姉様」
もう、いやだわこの子ったら!とヘレナは吹き出す。
カレンも連られて笑い出した。
…そういえば、お姉様がグレゴリーの里帰り出産の時も、エドワード様は迎えに来られたわよね、と過去を思い出す。
今や伝説となっている王太子エドワードの姉への求婚劇も懐かしい。
王太子殿下にも甥のグレゴリーにも久しく会っていない。
カレンは思いがけず姉一家をダヴィネス城へ迎える急展開を喜んだ。
ヘレナは気を遣うなと言うが、カレンの体調が良いこともあり、ダヴィネス城では王太子を迎える準備が着々と進められた。
…と言っても、あくまで私的なおとないなので、客室を整えたり食事のメニューを吟味したり、に留まる。
王太子が先かジェラルドが先か、フリードも読めない状況の中、予定より早くジェラルドが騎士数名のみを伴って帰城した。
王太子がダヴィネス城へ着く先触れの、ほんの少し前だった。
「間に合ったか」
正面に馬を着け、すぐに着替えに向かう。
「はい、すでに南部を出立し、こちらに向かわれています」
ジェラルドを今か今かと迎えたフリードは冷や汗ものだ。
「カレンは?」
歩きながらマントを脱ぐ。
「ご心配なく、お部屋でお待ちですよ」
と、フリードはジェラルドの部屋の扉を開けた。
「! ジェラルド様!!」
ジェラルドを認めたカレンは花の様な笑顔になり、駆け寄ろうとした。
「ッ!、カレン走るな!」
カレンは「あ」という顔をしたが、また笑顔に戻ると両手を広げた。
「カレン!」
ジェラルドは駆け寄り、カレンをそっと抱き上げた。
「…お帰りなさい、ジェラルド」
「戻ったカレン…会いたかった」
ストン、と柔らかくカレンを絨毯に戻し、互いの目を合わせると、ジェラルドはカレンの顔を両手で包み口を塞いだ。
角度を変え、何度も口付ける。
「…ジェラルド様、お時間が…!」
言いにくそうに職務を全うしようとするモリス。
「…もう少しだけだ、モリス」
「…はっ」
カレンの甘く芳しい香りを胸いっぱいに吸い込み、柔らかな唇を味わう。
カレンとの再会の時を堪能したいが時間がない。
ジェラルドは葛藤と戦う。
やっとのことで唇を離し、カレンの顔をまじまじと見つめる。
「…ずいぶん顔色が良くなった」
「はい、体調もいいです…ジェラルド様、お怪我は?」
カレンは不安そうに聞く。
「ああ、かすり傷だ。心配ない」
ジェラルドは己の腕のあたりに少しだけ視線を移すと、笑って答えた。
「ジェラルド様…!」
モリスが焦る。
仕方ないな、と、カレンの額へキスを落とす。
「待っててカレン、すぐに着替える」
と言い、軍服を脱ぎはじめた。
カレンはベッドの端へ腰掛け、そのまま待つことにする。
自身はすでに王太子を迎えるためのドレス姿だ。
ジェラルドは全裸となり、浴室の扉は開け放したままで、モリスに促され入浴をはじめた。
「!」
カレンの心臓が跳ね上がり、顔が赤らむのが自分でもわかる。
…この位置は心臓によくないわ…!
カレンの座る位置からは、バスタブに入るジェラルドがまるで見える。
今は湯につかり、モリスに渡された海綿で体を洗っている。
カレンはソファへ移動しようかとソワソワしはじめた。
「カレン、義姉上やエリックに変わりはない?」
と、ジェラルドが浴室から問いかけてきたので、移動できない。
「は、はい。皆お変わりなく…」
「?」
バスタブから立ち上がったジェラルドは、カレンの焦った声音を不思議に思い、ふいにカレンの方を見た。
深緑と薄青の瞳がぶつかる。
と、カレンの目が大きく瞠かれる。
水を滴らせたジェラルド…神が創り賜うた人間…その最上級の姿。
カレンはジェラルドから目を離すことができない。
薄青の瞳には知れず欲望が宿る。
…カレンの反応を見たジェラルドは途端にいたずらっぽい目になり、口許に笑みを浮かべると、そのままウインクを投げた。
「!!」
カレンは羞恥で思わず両手で頬を覆う。
…もう、ダメじゃない私ったら!っていうか、ジェラルド様の意地悪…
カレンが軽く混乱する間も、手慣れたモリスとの素晴らしい連携で、ジェラルドは“軍神”から“領主”の姿へと変わる。
ムスク・ウッディの薫りを身に纏い、下はトラウザーまで身に付け上半身は裸のまま椅子に座り、モリスが腕の包帯を取り替えている。
包帯には血が滲んでいて、カレンはドキリとする。が、ジェラルドもモリスも全く問題にしていない。
カレンがその様子を眉根を寄せて見ていると、
「ご心配なさいますなカレン様、傷は深くはありませんから」
と、モリスが言ってくれた。
ジェラルドも微笑むので、ひとまずは安心する。
次にモリスは手慣れた手つきで髭をあたるとタオルで拭き取り、シャツを着せる。
ジェラルドの身支度をこんな風につぶさに見たのは初めてだ。
カレンは珍しいものを見るようにじっと観察する。
…おそらく、ジェラルドが成人する前からの一連の作業だ。二人の沈黙のやり取りに、一瞬の淀みもない。
クラバットを結び、クラバットピンを刺すとカフスボタンを着ける。ロングジャケットを羽織ると、どこから見ても立派な辺境伯領主が出来上がった。
カレンはほう、と感嘆の息を吐く。
どんな姿であっても、カレンの心を捕らえる。
先ほどの裸のジェラルドが頭にちらつくが、一旦そのイメージを脇へと遠ざける努力をする。
「待たせた、カレン」
同時にフリードが、「お急ぎください、まもなくご到着です」と言いにきた。
カレンとジェラルドは顔を見合せ微笑むと、エスコートの形で玄関へと向かった。




