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辺境の瞳~カレンとジェラルド~  作者: 鵜居川みさこ
第三章
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54. 二度目の見送り

 ジェラルドが東部へと立つまでの数日間は、ヘレナ・エリック旋風とでも言うべきか、慌ただしく過ぎていった。


 ダヴィネス城では、この喜ばしい客人達を快く迎えている。


 カレンの体調は著しくは良くはならないが、ヘレナの采配もあって落ち着いており、軽い散歩ならば可能になった。


 明日はジェラルドが東部へと立つ。

 今夜はジェラルド、ヘレナとカレンとでのディナーを予定していた。


 物怖じしないエリックは、ダヴィネス城がすっかり気に入り、ナニーよりもアイザック達と居る時間が圧倒的に多い。

 ジェラルドも許し、エリックの子守りはもっぱら騎士達の持ち回りとなった。

 ヘレナも「助かるわ」と信用して任せている。


 今日は朝から執務室の一角に広げられた積み木で遊んでいる。

 子守り番は…フリードだ。

 アイザックに「後学のためだ、お前もやれ」と振られた。


 部屋にはフリードとエリックの二人きりだ。


「…フイード」

 エリックが積み木を積む手を止め、フリードに話しかける。“R”がうまく発音できない。


「なんですか?エリック様」

 フリードは書き物の手を休めず返事をする。


「ぼく、“へんきょうはくかっか”になりたい…なれるかな?」

 エリックは真剣そのものだ。


 フリードは書き物の手を止め、エリックの方を見る。

「そうですね、それにはまず“騎士”になられませんと」


「“きし”?ザックみたいな?」

 アイザックとはダヴィネス城へ来る時の護衛からの付き合いで、すっかり馴染んでいる。


「…そうですね、ザックは騎士ですが、辺境伯閣下になるには…」


「ぼく“たんれん”するし“こうぐん”もするよ!」

 エリックはすっくと立ち上がったかと思うと、フリードの膝へ駆け寄ってきた。


 フリードは苦笑した。

 どうやらすっかり騎士達に染まっている。


 隣国は小国だが、海を有する商業国家だ。

 我が国とは古くから親交がある友好国でもあり、王族同士の交流も深い。

 防衛のための軍隊は持っているが、ダヴィネスのような骨太な軍事体系ではない。

 エリックはリアルな軍事要塞のすべてに魅了されていた。


「よっ」と言い、フリードはエリックを片膝へ乗せ、机に向かって座らせた。


 そのままエリックを左手で支えながら、またペンを走らせる。


「エリック様、騎士や…ましてや辺境伯閣下は鍛練や行軍だけではなれません」

「え!」

 エリックはフリードを見上げる。


 フリードはエリックを見下ろして頷く。

「ぼく、なにをしたらいいの?フイードみたいに文字をかくの?」

 と、フリードの手元に目線を移す。


 そうですね…とフリードはエリックに尋ねた。

「エリック様は“辺境伯閣下”になられたら、何をしたいですか?」


「うーんとね、うーんとね、…ぼく“スバジル”に乗るの」


「…それから?」


「…あとね、」

 うふふ、とさも嬉しそうだ。

「ぼく、カレンおばちゃまとけっこんするの!」


「!」


 フリードの動きが止まる。

 素晴らしい野望だが、応援しかねる。


「だってぼく、カレンおばちゃまにキスしてもらったもん」


「…そうですか、では頑張られませんと」

「うん!」

 と、エリックはフリードの膝からピョンと飛び降り、また積み木をはじめた。


 強力なライバル出現ですよジェラルド、と心内で呟き、フリードは熱心に積み木をするエリックを微笑ましく眺めた。


 ・


「だいぶ顔色がよくなった」

「はい、お陰さまで…」


 明日のジェラルドの東部への出立を前に、カレンとジェラルドは時を惜しむように共に時間を過ごした。


 午後のひととき、ジェラルドの寝室のベッドで、たくさんの枕を背に横たわるジェラルドの腕の中に、カレンはいた。


「義姉上には感謝しかないな」

「本当に」


 邪魔はしないからお二人でごゆっくり、と今の時間も気遣ってもらった。


「カレン、ディナーではドレスを?」

「はい…ずっとナイトドレスばかりだったので、たまには着ないと」


 それは楽しみだ、とジェラルドは呟く。


「カレン」

「はい?」


 カレンはジェラルドを見上げる。

 ジェラルドもカレンを見下ろしていた。


「もっと人を頼っていい」


「? もう頼っています」


 ジェラルドは、ほんとに?という顔でカレンの瞳を覗いた。


 ドキリとして、思わずカレンは俯いた。


 昔から、あまり人には頼らない、という自覚はある。もちろん、自分の力ではどうにもならないと判断したら、父や兄達を頼ってきた。でも、できるならば自分の力でなんとかしたい。


 でもここでは、そうすることでかえって迷惑を掛けているのかも知れない。


「カレン?」


「私…あまり人に頼ったことがなくて…特に他人には…」

 カレンは俯いたまま答えるともなしに答えた。


 ジェラルドは黙ってカレンの顎を軽く摘まんで上を向かせた。

「私達は“他人”ではない」

 城の者達が聞いたら泣くぞ、と続けた。


 ジェラルドは怒っているのだろうか、少し違う気がする。


「…あなたの隣に立つには、まだまだな気がして…多少の無理は当たり前だと…」

 役不足と思われるのはつらいので…カレンは迷いながらも口にした。


 ジェラルドは眉をひそめて、カレンの額にキスを落とした。


「カレン、皆あなたのことが大好きだ。あなたの独立心が旺盛なのはわかっている」

 だが…とジェラルドは続ける。

「頑張らなくていい時もある。特に今は…」


「わかっています」


「わかっていない」


「?」


「もっと私に甘えてほしい」


「! これ以上ジェラルド様に甘えると、バチが当たりそうです」


「カレン」

 ジェラルドはこら、という風だ。


 実際、ここ数日はわかりやすくジェラルドに甘えていた。ジェラルドに触れていないと心細くて仕方なかったのだ。


「…私、怖くて。まさかお腹に赤ちゃんがいるなんて、信じられなくて…」

 ライトブルーの瞳に不安が過る。


 ジェラルドはカレンの髪を撫で、頬を手で包むと唇を塞いだ。


 ゆっくりと離すと、互いに微笑む。

 額と額を合わせた。


「カレン、ゆっくりでいい。何も焦る必要はないんだ」


「…ジェラルド様...はい」


 ジェラルドは、カレンの瞳に安堵の色を確認すると、改めてカレンを抱き直した。


 ・


「やっぱり持ってきて良かったわ、サイズもぴったり」


 ディナーのためのドレスは、姉が持参してくれた、コルセットを付けなくとも十分に美しいものだった。


 これから妊婦用のドレスは仕立てなければならない。


 今は鏡台に向かい、ニコルに髪を仕上げてもらっている。


「それにしてもあなたのドレス、素敵なものばかりね」

 と、クローゼットを見回して感心する。

 カレンのドレスは、今や城塞街のドレスメーカーで仕立てたものがほとんどだ。

 私も1枚作ろうかしら…とヘレナは思案している。


 おしゃれ番長の姉に、城塞街ごと誉められたようでカレンは嬉しい。

「ぜひそうしてくださいお姉様、城塞街にも素敵なお店が多いので」


「よもやあなたにドレスメーカーを紹介してもらう日がくるなんてねぇ」

 と、しみじみとしている。


 ヘレナはすでに一分の隙もないディナー用のドレス姿で、ソファに腰掛けた。


 カレンの髪が結い上げられていく様子を見ている。


「…ニコルも少し見ない間に立派な侍女に成長してるし」

 なんだか綺麗になってるし…とまたもしみじみと語る。


 ニコルは作業の手は止めずに「恐れ入ります」と振り向いてヘレナに返し、鏡越しにカレンと微笑み合った。


 カレンは、ふとヘレナの様子が気になる。

「…お姉様、王太子殿下とはお変わりないのですよね…?」


 ヘレナはハッとして笑い出した。

「ふふ、心配ご無用よ、変わらず仲良くしてるから」

 と鏡越しにウインクしてくる。


 カレンはホッとする。


「はい、出来上がりました」

「ありがとうニコル」


「…素敵よカレン、これはジェラルドも惚れ直すわね」

 と、妹の姿に見入る。



 斯くして、ヘレナの言葉通り、部屋を訪れたジェラルドはカレンのドレス姿にすっかり魅了され、危うく二人の世界になりそうな所を、ヘレナの盛大な咳払いで我に返ったのだった。


 3人のディナーは穏やかに、終始笑いの絶えない時間となった。

 幼少のカレンのことをヘレナがバラしまくり、カレンは「お姉様!」と頬を染めて制するのが忙しい。

 ジェラルドは姉妹のやり取りを微笑ましく眺める。

 カレンの食事量はまだ通常の半分以下だが、ヘレナは「今に心配になるほど食べるようになるから」と、さほど注視はせずジェラルドを安心させた。

 ヘレナも、懐かしくも新鮮なダヴィネスの郷土料理やワインに舌鼓を打つ。

「野菜嫌いのリックがここの野菜は好んで食べている」と感心しきりだ。早速ジェラルドに城の農園の見学の許可を得ていた。


 ・


 ジェラルドが東部へ立つ朝。


 ダヴィネス城の玄関前に、ジェラルドをはじめ騎士達が馬と共に居る。


 カレンとジェラルドは別れの真っ最中だ。


 ジェラルドはカレンの腰に両手を回し、すっかり抱え込んだ形で息がかかりそうな近さで見つめ合い、微笑みながら話している。


 少し離れた位置でその様子を眺める、ヘレナ、なぜかフリードにおぶわれているエリック、以下使用人の面々…が居た。


「…熱いわね、こちらが照れちゃうわ」

「…はい、騎士達にはいささか目の毒かと」

 ヘレナとフリードは、二人の様子を眺めたままだ。


「…しかし、この光景がダヴィネスの未来そのものですから」

 とフリードは続ける。


「…そうねえ」

 ヘレナは首肯する。

「…あら、でも確かあなたも新婚よねフリード?」

 ヘレナはフリードの方を見る。


「はい…あ、いえ、私達はそういうのではないですよ」

 そうなの?まいいけど。とヘレナはさらりと返すが、エリックを子守する姿を見るにつけ、フリードの愛情深さは感じていた。


「ねえ母さま、」

 ふいにフリードの背中からエリックが話し掛ける。


「なあに?リック」

「カレンおばちゃまとジェラードおじちゃまって…“こゆびと”なの?」


「…そうね、そうだと思うわ」

「ふうん……あ!!」

 ヘレナは何事かとエリックを見る。フリードも若干驚いた顔だ。

「何よ、リックどうしたの?」


「く、くちびるに…キスした…」

 カレンとジェラルドは熱いキスを交わしている。


「ぼく、もうカレンおばちゃまとけっこんできないかも…」

 エリックはこの世の終わりの様な顔だ。


「…そうね、残念だったわね、リック」

 と、エレナは半泣きのエリックの頭を撫でた。

「まぁでも素敵な女性はたくさんいるから」


 …なかなか現実的な母親だ…とフリードは、夢を打ち砕かれた背中のエリックに同情した。


「あー、ごほんごほん、ジェラルドそろそろ…」

 と、アイザックが声を掛ける。

 東部へは、アイザックも再度ジェラルドに同行する。


「…わかった。カレン、行ってくる」

「はい。お帰りをお待ちしております」

 二人はもう一度抱き締め合う。


 ジェラルドは惜しみながらカレンから離れると、ヘレナに向き合った。

「義姉上、どうかよろしくお願いいたします」


 ジェラルドは美しい騎士の礼を取った。

「大丈夫よジェラルド、安心していってらっしゃいな」


 ありがとうございます、ともう一度礼をし、横のフリードへ目線を移す。

「頼んだ、フリード」

「はっ」


「…いい格好だな」

 さも面白げにエリックをおぶったフリードを見る。

 フリードは憮然としているが、嫌そうではない。


「エリック、行ってくる」

 エリックはフリードの背中からスルスル下りると、ジェラルドに駆け寄る。


「ぼく、カレンおばちゃまをまもります!」

 と、見よう見真似で騎士の礼を取った。

「…わかった、頼んだぞ」

 ジェラルドは微笑みながらエリックの頭を撫でた。


 ジェラルドは最後にもう一度カレンの手を取り、指輪ごとキスを落とすと、さっそうとスヴァジルに騎乗した。


 エリックはその姿を目をキラキラさせて見ている。


「出立!」

 アイザックの掛け声と友に、一団は東部へと旅立った。


 見送りに立つ者全員が一斉に礼を取った。


「か、かっこいい~~!!」

 今にも駆け出しそうなエリックは、フリードに押さえつけられている。


 エリックの可愛らしさに笑いが起こる。


 笑いながら、カレンはひとつき余り前に大門から東部へ向かうジェラルド達を見送った時とは、全く違う心持ちだと気づく。

 晴れ晴れとしている。


 姉をはじめ、見送りに立つ者達を見る。


 私はひとりじゃない。

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