53. ヘレナ登場
まったく、取り返しがつかなくなる所だった。
「体力の低下と栄養不足、とにかく疲労を回復されないことには…一刻の予断も許してはなりませんぞ、ジェラルド様」
侍医の脅すような言葉が甦る。
早急な対策が必要だ。
廊下を歩きながら、ジェラルドは寒気が襲うのを感じ、我が身を呪った。
・
「…そうでしたか…申し訳ありません」
翌日、登城したフリードに事情を話すと、フリードは珍しく動揺した後顔色を無くした。
「いや、お前が謝ることではない」
タイミングがな…と、ジェラルドは思案する。
カレンの側を離れたくはないが、東部平定に際してジェラルドが赴かない訳にはいかない。
こればかりは代わりが効かない。
使用人達に厳しく言い含めても、立場はカレンが上だ。少し体調が良くなれば、また無理を押すかもしれない。
ジェラルドとフリードは揃って頭を抱えた。
カレンが信用を預けていてかつ立場が上…もしくは必ず言うことを聞く誰か…
「ストラトフォードのお母上は…?」
「この雪だ…しかも、恐らく田舎嫌いだ」
その通りだった。カレンとはタイプが全く違う。
あ、
「誰です?」
フリードはジェラルドの顔を見て尋ねる。
いやしかし…
峻巡する。
「ジェラルド?」
「…鳩好きの…」
「…まさか隣国の王太子妃殿下?、ですか??」
国交問題に成りかねない。
「あいや、しかし…」
今度はフリードが峻巡した後、以前ウォルターが作った(というか、ジェラルドが作らせた)隣国へのルートの書類を探し、机に広げた。
「…ジェラルド、見てください、隣国への最短ルートは幸い雪が薄い地域です。南部を通るのでランドールを使えますし、うまくいけば…隣国からは4日か5日…。今から1週間程度ならば、東部もウォルターに任せておけるでしょう」
「!」
賭けてみるか。
ジェラルドとフリードは顔を見合わせた。
・
ジェラルドはカレンが眠ったタイミングを見計らい、ニコルを執務室へ呼んだ。
無謀とも思える計画だが、ニコルに話し、早速鳩を飛ばす準備をする。ニコルは驚きを見せたが、すぐに納得した。
カレンには無用の心配を避けるため、一切の内容は知らせないことにする。
内容的には鳩2羽は必要とのことで、ジェラルドとフリードは小さな紙に納まる文言を考える。
ー 隣国のH妃殿下様
貴殿の妹が妊娠初期で病状重し
看病に来られたし 非公式を望む ー
ー 最短ルートはA-D-B-R
護衛、送迎に抜かりなし
辺境伯J・D ー
最終的にはこれで落ち着いたが、当初はもっと長かった。だが、ニコルはこれで十分通じます、と太鼓判を押したのでこの内容となった。
翌朝鳩を用意し、ジェラルドの執務室から飛ばす。
幸い天気がいい。
2羽の鳩達は空に放たれると大きく羽ばたいて隣国の方角へと消えた。
頼むぞ。
ジェラルドは空に消える鳩達を見送った。
「ジェラルド来ました!」
早くもその日の夕方、隣国から返礼の鳩が来た。
暗号である可能性も含め、またニコルをこっそりと呼び出し、小さな筒を開ける。
ー 全て承知した 明日経つ H ー
「!!」
“H”はカレンの姉のヘレナ妃殿下の頭文字。肩書きを書かないことで、非公式としてくれた。
ジェラルドは信じられない気持ちだ。
「早速南部に早馬を飛ばします!」
フリードも信じられないといった顔だが、抜かりなく手配を進める。非公式とはいえ隣国の次期王妃だ。何かあっては国交問題になる。
・
ジェラルドはカレンの寝顔を見ていた。
規則的な寝息を立て安心した顔で眠っているが、まだ顔色は良くない。
カレンが隣で寝て欲しいと言い、ジェラルドはカレンを優しく抱き締める。
…カレンが甘えることは珍しい。
それ程に心細いということだ。
ジェラルドはカレンの額にそっとキスを落とし、眠りについた。
・
南部のランドールとも繋ぎが取れ、鳩を飛ばしてからきっちり4日目に、隣国からカレンの姉ヘレナ王太子妃殿下を乗せた馬車がダヴィネス城へ到着した。
最短ルートから南部内まではランドールとデズリー達が護衛を務め、そこからはアイザック達が引き継いだ。
カレンを除くダヴィネス城の者達は、全員ヘレナのことを知らされている。
朝から皆ソワソワと落ち着きがない。
カレンは寝室から一歩も出ないのでその訳は知りようもないが、何かいつもと違う雰囲気は感じ取れた。
「ねえニコル?」
「はい、お嬢様」
「今日は何かあるの?」
カレンはソファで朝食を取っている。
軽いものなら受け付けるが、量は驚くほど少ない。
「…いえ、何も聞いておりませんよ?」
主に嘘はつきたくないが、これはサプライズなのだと、ニコルは己に言い聞かせる。
そう…とカレンはハーブティを飲むが、本当はお茶が飲みたくてたまらない。しかしお茶を飲むと胃がムカムカしてくる。
カレンはまだ自分が妊娠したことが信じられず、体調が思わしくないため喜ぶ気にもなれない。
ジェラルドが東部へ経つ日が近い。
こんなので大丈夫なのかと、また不安になりそうな気持ちをぐっと堪えた。
ダヴィネス城の玄関では、ジェラルドをはじめ使用人や軍の上層部が並び、ヘレナ妃殿下を迎えていた。
家紋こそ入っていないが、一目で堅牢な作りとわかる馬車が3台、馬車寄せに停まる。
従僕が素早くステップを出し、扉を開けた。
ジェラルドは手をさしのべ…
ピョンっと、4才くらいの男児が飛び降りた。
「???」
「リッキー!」
「うわあああー!!大きなお城~」
と、言うと男児は走り出そうとする。
「おっと」
ジェラルドは男児を持ち上げた。
「元気がいいな」
「…おじちゃん、だれ?」
カレンと同じライトブルーの瞳でジェラルドの顔を不思議そうに見る。
「リッキー…、お願いだからちゃんとご挨拶して」
先程の呼び掛けの主…馬車からひとりで降りてきたのは、旅装のヘレナ王太子妃殿下だった。
見た目はカレンによく似ているが、カレンよりも薄い髪色、但し瞳はカレンと全く同じライトブルーだ。
軽装だが、全身から高貴な風格が漂う。
「ヘレナ妃殿下、この度は急な申し出にも関わらず…」
取り急ぎ、ジェラルドは挨拶を述べようとするが、リッキーと呼ばれる…恐らくは王太子の第二子のエリック殿下…を抱きかかえたままだ。
「あははは、リッキーを捕まえるのは苦労するのよ、ありがとう。あなた…辺境伯閣下…ジェラルドね?」
「はっ」
…あらやだあの子、意外と面食いだったのね…とジェラルドの顔を見て微笑み、ヘレナは独り言ちた。
「ん~」
と、エリック殿下がジェラルドの腕の中で反り返る。
「この子ね、エリック、次男なんだけど、どうしても着いていくって聞かなくて…ごめんなさい。世話をかけるわ」
本当は長男のグレゴリーも来たいって言ったんだけど、さすがに王位継承者2位を非公式では難しくて、と残念そうだ。
ジェラルド以下、ダヴィネス城の面々は面食らった。特にフリードは眩暈を起こしそうだ。
ヘレナの見た目とは異なる、あまりにも気さくな物言いから、飛び入りのエリックまで、何もかもが想定外だった。
「リッキー、そのおじちゃまはね、あなたの憧れの“へんきょうはくかっか”よ」
「えっ」
と、エリックは急に大人しくなり、ジェラルドの肩に手を乗せて、ジェラルドの顔をじーーーっと見る。
「おじちゃん、ほんと?」
「ああ、ほんとだ」
ジェラルドは顔を寄せて微笑む。
みるみるうちにライトブルーの瞳が星でいっぱいなる。
「うお~~~ぼく、ぼく、」
と興奮が止まらない。
「“辺境伯閣下”は隣国でも有名なのよ。うちのグレッグとリッキーも夢中でね、しょっちゅうおもちゃの剣を振り回してるの」
やっぱり男の子よね、とヘレナは呆れながら屈託なく笑う。
「遠いところ、ありがとうございますヘレナ妃殿下」
ジェラルドは改めて礼を述べた。
「嫌だわ非公式だもの、妃殿下はやめて。カレンの姉として来たのよ」
「では…義姉上と?」
ジェラルドは若干遠慮がちに聞く。
ヘレナはうーんと考え、あなたより年下だけどそれでいいわ、と笑って答えた。
「さてジェラルド、妹は?そんなに良くないの?」
心配そうだ。
ジェラルドはエリックを下ろすと、1台目の馬車から降りてきたナニーへ預けた。
歩きながら話す。
「申し訳ありません。東部平定の時期と重なり、カレンに負担をかけてしまいました」
「あら、それはタイミングの問題だし、辺境の大事だもの、仕方ないわ…あの子が頑張り過ぎたのでしよう」
責任感の強い子だから、とさすがによくわかっている。
使用人達が一斉に平伏してヘレナを迎える。
「皆ありがとう。でも、私は今回カレンの姉として参りました。過剰な気遣いは無用です。お世話になります」
ジェラルドは見た目も中身もよく似た姉妹だと感心した。
…豪胆なところも。
しかしヘレナはカレンに輪をかけた大胆さを感じる。
「カレンには私が来ることは?」
「話しておりません」
余計な気を遣うものね…とヘレナは呟き、
「でも頼ってくれて嬉しいわ、ダヴィネスには来てみたかったし」
と、実にあっけらかんと話す。
続けて、カレンの手紙に興味をそそられたのよ、と笑う。
…好奇心の強さも似ているのか…ジェラルドは内心苦笑した。
「こちらです」
主寝室の扉をノックし、ジェラルド自らが開けた。
「あ、ジェラルドさ、??」
カレンはベッドで読書の最中だったが、ジェラルドの後に入って来た人物を見て、目を大きく瞠いた。
「…!…」
「カレン、久しいわね」
「お、お姉…さま???」
カレンは口を開けたまま固まった。
信じられない、といった様子で、呆気に取られている。
「あなたのジェラルドに呼ばれたのよ」
ふふふ、とヘレナは微笑むと、ベッドに近寄り妹を抱き締めた。
まだ呆気に取られたままのカレンの目から、つーっと涙が溢れる。
「お姉様…!」
カレンはヘレナにぎゅっと抱きついた。
ジェラルドはその光景を微笑ましく眺めるが、胸が締め付けられる。
「ッ、うぐ…、私…っ」
カレンは子供のように姉にすがり付いて泣いた。
…カレン、頑張ったわね。あなたは偉いわ。
囁きながら、ヘレナはカレンの背中を優しく撫でる。
しばらくそうしていた。
「…さ、カレン、もう泣かないで。体に障るわ」
ヘレナは美しい刺繍の施されたハンカチを取り出し、妹の涙を拭う。
「これからジェラルドとお話をするわね。大丈夫よ、安心してね、私が来たからにはあなたに寂しい思いはさせなくてよ」
ヘレナはカレンの頭を撫でて、頬を軽く摘まんだ。
「お姉様…」
カレンの瞳に、また涙が膨れ上がる。
と、ヘレナがジェラルドの方を見ると、ジェラルドは心得たとばかりにカレンへ近づき、ヘレナと入れ替わりベッドへ腰掛けた。
「カレン、勝手なことをしたことを許してほしい」
カレンの手取り、片手は頬を包む。
カレンはううん、と首を振る。
「…ありがとうございます。ジェラルド様」
ジェラルドはカレンの額へのキスから、目元の涙を唇で受け止め、頬へもキスを落とした。
ヘレナはその様子を感心したように眺める。
また来るから、と言うと、ジェラルドはヘレナと共に部屋を後にした。
・
「…あら?リックはどこかしら?」
ヘレナはふとエリックの居場所を確認する。
と、おーい、と廊下の向こうから、エリックを肩車にしたアイザックが現れた。
ナニーが申し訳なさそうに側に付いている。
「エリック様は“捕獲”したぞ」
エリックは、キャッキャッと満足げにアイザックに乗っかっている。
…もう、あの子は…と、ヘレナはため息を吐く。
グレッグは大人しかったから油断したのよ、と誰ともなしに呟く。
「子供は元気が一番です」
ジェラルドは笑いながら返した。
「…そうね」
ヘレナはエリックの様子に微笑んだ。
・
とにかく仕事が早い。
ジェラルドは舌を巻いた。
フリードすら付いていくのがやっとだ。
ヘレナは旅装すら解かず、案内された応接室に座るや否や、次々と指示を飛ばした。
出されたお茶を一口飲めば「これは持ち帰りたい」と、伴ったお付き侍女へと早速言い付ける。
「畏まりました」主が高速なら侍女も心得たものだ。
カレンの顔色を見て「私も上の子の時はひどい貧血だったのよ」と、持参した薬湯をすぐに煎じるよう命じる。
後で侍医とも話して、カレンの食べ物のメニューを相談したいから直接厨房へ赴くと言う。
…誰も止めることはできない。
ストラトフォードの姉妹達の母にまだ何も知らせていないことを聞けば、すぐに鳩を飛ばし、必要なものを送らせる手筈を整える。
ジェラルドの予定を細かく確認し、東部へ立つ日から逆算して、だいたいの予定を立て、それ以降のジェラルドが戻るまでのスケジュールも大まかに確認した。
「こんなところかしらね」
と、言うや否や、あ!忘れるところだったわ、と侍女から1通の手紙を受け取ると、ジェラルドに手渡した。
「…主人からあなたになんだけど、」と言い淀む。
なんだか知らないけどたらたらと長ったらしく書いてたのよ、斜め読みで構わないから、と言い、お茶を口にした。
ジェラルドはすぐに目を通す。
内容は、ざっくりとは妻と次男をくれぐれも頼む、というものだった。
加えて、ヘレナが滞在を延ばすことは、できれば制してもらいたい、ともある。
…聞きしに勝る、だなとジェラルドは口許に笑みを浮かべた。
隣国の王太子とは我が国の王都で面識がある。
確か、我が国へ留学中にヘレナを見初めたと聞いているが、我が国の王太子曰く「なりふり構わず求婚していた」と聞いた。
当初、ヘレナは我が国の王太子妃候補のひとりだったが、隣国の王太子が涙ながらに切望したとか。
ジェラルドは便箋を折り畳んだ。
「義姉上、ダヴィネスご滞在でのご心配は無用です。なんなりとお申し付けください」
ヘレナは「心配などしていないわ、でも…ありがとう」と、王族の風格を漂わせ、にっこりと微笑んだ。
・
~ジェラルドの執務室~
「カレン様がかわいく思えますよ」
フリードのため息混じりの言葉に、ジェラルドは吹き出した。
「未来の王妃だ。あれくらいでなければ務まらないだろう。隣国は安泰だな」
まったくですとフリードは頷く。
ふとジェラルドはペンを走らせる手を止めた。
「私が東部へ行っている間はお前も城詰めだ。新婚の身に負担をかける」
フリードははぁ?という顔をした。
「やめてくださいジェラルド。東部平定はダヴィネス軍の悲願ですよ。パメラもよくわかっています」
といつもの調子だ。
そうか、とジェラルドは眉を上げ、またペンを走らせた。
・
「は、はじめましてカレンおばちゃま、ぼく、エリックです。おかげんいかがですか?」
エリックはもじもじすると、ヘレナに促されて、ベッドに座るカレンの頬へちゅっとキスをした。
か、かわいい!!
カレンは、初めて会うエリックの頭を撫でると頬にキスを返した。
エリックはきゃ、と恥ずかしがって、母の胸に飛び込む。
リックったら、とヘレナは声を立てて笑う。
エリックは、応接室へ子守りでクタクタになったアイザックと共に現れ、まだも「ぼくも“たんれん”する!お馬にのる~」と言うのを、「リック!いい加減にしなさい!」と、母に雷を落とされた。
(その場に居たジェラルド達はギョッした)
しゅんと大人しくなった流れで、まだ見ぬ叔母への挨拶に来たのだ。
「エリック、ありがとう」
カレンは母の胸に顔を埋める、カードのみのやり取りだった甥を愛しげに見つめた。
「それにしても」と、ヘレナはナニーにエリックを渡すと、ベッドの側にある椅子へ腰掛けた。
「あなたのジェラルド、素敵じゃない」
ヘレナは意味ありげにカレンへ話す。
「…」
カレンは頬を染めて俯いた。
私、辺境伯閣下って、こう…もっとゴツくて毛むくじゃら?みたいなのを想像してたのよ、それが…と、続ける。
「ものすごいハンサム、それにあの瞳にあの色気…全女性の憧れね…」
「お姉様!」
カレンは恥ずかしくてたまらない。
その通りだけど。
「しかも…」
ヘレナはカレンの顎を摘まむ。
「あなたにベタ惚れ」
「!」
真っ赤になったカレンを見て、ヘレナは大笑いだ。
「私、安心したわカレン、鳩便をもらった時は何事かと気が気じゃなかったけど、あなたは愛されてる。この城も心地いいし、使用人達はできるし、うらやましいくらいよ」
「お姉様…」
私も息抜きしたかったから丁度良かったの。
と、ヘレナはカレンの手を握る。
「だからカレン、早く元気になって、ジェラルドの赤ちゃんを産まなきゃ。ね?」
「はい…お姉様」
「子どもは可愛いわよ、たまに手に負えないけど」と、ナニーの膝でうとうとし始めたエリックへ視線を移す。
“ジェラルドの赤ちゃん”…そうか、もうお腹の中で生きてるんだ…カレンはじわじわと実感が湧くのを感じていた。




