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辺境の瞳~カレンとジェラルド~  作者: 鵜居川みさこ
第三章
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51. 戦い(下)

 ~ダヴィネス軍 東部駐屯地~


 今日の交渉を終えたモイエ伯爵が指令本部へ帰り、対策会議の最中だ。


 ジェラルド、フリード、アイザック、東部駐屯地をまとめるグレイ卿他の面々が集まる。


 ダヴィネス領東部は、隣接するシャムロック領と協定ー紛争を昔から繰り返していた。

 独立心の強いシャムロックの土地柄と現領主(通称古狸)の性質上からくるもので、予断は許さない。

 しばらくは協定寄りの睨み合いだったが、おそらくシャムロックの昨年の凶作が祟っての悪あがきからくる紛争だと、ジェラルド達は読んでいた。

 シャムロックの兵力はさほどではないが、元山師の領主はゲリラ的な戦法を好み、かつ結束の固さが壁となり、シャムロック領平定には至っていない。あちらが仕掛けてこない限り、ダヴィネス軍は静観を通していた。


「…ごねますね」

 フリードが渋い顔だ。

 シャムロックの交渉人は、協定条件をのらりくらりとかわしている。


「古狸の悪あがきだ、いっそシャムロックの民が気の毒になる」

 ジェラルドも顔を曇らせる。


 隣接するダヴィネス領とシャムロック領の民は、非公式には商いがある。独立を公言し、他とは交流を拒むシャムロックだが、民が食べるためにはそうはいかない。


 この雪で互いに大きな動きは取れない。

 このまま交渉を続けるか、仕掛けるか、判断のしどころが難しい状況にあった。


 と、扉がノックされる。


「入れ」


「失礼いたします!」


 若い兵士が、本日分の早馬での郵便物を持ってきた。


「ご苦労」

 フリードが郵便物の束を受け取り、宛名を見て手早く仕分ける。

 ウォルターからの報告の他にも、この部屋に居るもの達宛への個人的な手紙も含まれた。


 ベアトリスからモイエ伯へ

 パメラからフリードへの毎日便

 ミセス グレイから子息のグレイ卿へ…


 と、フリードはアイザックをちらりと見て

「お前宛だ」

 そっけなく1通の手紙を渡す。


「ん?俺?」

 アイザックは、心当たりがない、といった風情で手紙を受け取り、封筒の差出人を見た。


「!」

 アイザックの目が大きく見開かれ、次に何でもない風で素早く手紙を胸にしまった。


 フリードはその様子を横目で見るとニヤリと笑う。


「…何も言うなよ、フリード」

 アイザックが牽制する。


 手紙の主は、ミス ジョアン・グレイ。年末の晩餐会での歌姫だった。


 ~


 ミス グレイは年明け以降、カレンの歌の指導で不定期にダヴィネス城を訪れていた。

 ピアノのある娯楽室付近やその後のお茶を終えての廊下でなど、なぜかアイザックが現れる。しかも毎回。

 カレンは晩餐会でのアイザックの様子を思い出し、ピンときたのだった。アイザックと挨拶を交わす時のミス グレイの様子からも、カレンは二人のロマンスの芽生えを感じ、ミス グレイに、アイザックへ手紙を書いてみては?と勧めた結果だった。


 ~


 フリードは、アイザックに「はいはい」と、短くため息を吐きながら返し、次の手紙の宛名と差出人をチェックすると、手が止まった。


 その高級な厚手の封筒を、ジェラルドに渡す他の書類の一番上に置いた。


 ジェラルドは別の書類に目を通している。


「ジェラルド」

 フリードが書類の束を机の上に置いた。


「…ああ」

 ジェラルドは書類から目を離さず答える。


 フリードは、書類の束をトントンと指で差す。


 ?


 ジェラルドは意図がわからぬまま、書類の束を見た。

 その一番上の厚手の封筒を認める。


「!」

 先ほどのアイザックとまったく同じ反応に、フリードは苦笑した。


 アイザックと違うのは、裏を返してその印璽を見ると、すぐさまペーパーナイフで印璽を外し中を見たことだ。


 その印璽は、見紛うことなきカレンのものだった。


 封筒を開け、便箋を広げたとたん、カレンの香水の香りがふわりとジェラルドを包む。


 文章は至ってシンプルだった。



 ー 親愛なるジェラルド様


   キュリオスがスヴァジルを恋しがっています


   愛をこめて カレン ー



 カレンの肌から立ちのぼる匂いと短い文章。

 知れず、ジェラルドは口許に笑みを浮かべていた。


 ジェラルドには、これで十分だった。


 便箋をゆっくりと封筒に納めた。

「皆、聞いてくれ」


「「「はっ」」」


「明朝夜明け前、総攻撃をかける。今度こそ古狸を炙り出し、シャムロックを我が領地とする!」


 その場に居た全員が目を瞠いた。


「「「畏まりました!!」」」


 斯くして、ダヴィネス軍とシャムロックとの決戦の火蓋が切られた。


 ・


 シャムロック戦の一報を聞いてから10日経つ。


 戦いは、鬼神ジェラルド率いるダヴィネス軍の圧勝だとの続報で、城中が安堵の息を吐いた。

 帰城まではあと数日かかるとのことだ。


 実に、ジェラルド達が東部へ出立してからほほ1ヶ月が過ぎようとしていた。


 カレンはダヴィネスに来てから、こんなに長くジェラルドと会わないことは初めてだ。


 迷いに迷って書いた手紙を、ジェラルドはどんな気持ちで読んだだろう…


 ミス グレイにアイザックへの手紙を勧めた手前、やはり一度くらいは出そうと意を決して筆をしたためた。


「ふう…」


 すでに夜半は過ぎている。

 カレンは今日もひとりで自室のベッドへ潜り込んだ。


 …いつ帰ってくるんだろう

 私のこと、覚えてるかな…


 そんなことを考え、うとうとと眠りの杜をさ迷いはじた頃…


 覚えのある温かさがカレンを包み込んだ。


「…ん…」


 項に何か熱いものを感じる。なんだろう、少しチクチクする。


 …


「…カレン」


 …!!…


 聞きたくてたまらなかった滑らかな低い声。

 私の名前を呼ぶ声。


 カレンは信じられない思いで、抱かれた腕の中で急いで反転した。


 そこには、会いたかったその人…ジェラルドが微笑んでいた。深緑の瞳、精悍さが増した輪郭、野性味を感じさせる不精髭…

 間違いなく愛しいジェラルドだ。


「ジェラルッ」

 最後まで聞くことなく口が塞がれた。


 角度を変えて、貪るようなキスにカレンは圧倒されるが、欲しかったものを次々と与えられているような満たされる感覚に痺れる。


 やっと唇が離れると、カレンはゆっくりと目を開けた。


 目の前の深緑の瞳が揺らめいている。

「戻った、カレン」


 カレンの目から、涙が溢れる。

「お帰りなさい、ジェラルド…!」


 再びカレンの口は塞がれた。


 ・


 ジェラルドは、単身一番乗りで帰城した。


 ダヴィネス軍は猛烈な勢いで進軍し、シャムロックに反撃の余地をまったく与えなかった。

 ジェラルドは古狸の首を討ち取り、残党狩りまで済ませると「もう十分です」というフリードの勧めもあり、後処理は任せて先に帰城した。


 護衛も追い付けないほどのスピードでスヴァジルを走らせ、大門ではなく城の正面へスヴァジルを着けた。


 予定外の主の帰城にモリス以下使用人達は慌てふためいたが、逆に大きな喜びとなった。


 出迎えたモリスは涙目だ。

 いい加減に慣れろと、戦場から帰る度にジェラルドが窘めるが、主の無事の帰城は何物にも変えがたい喜びだと、逆に窘められた。



「モリス、カレンは?」

 ジェラルドはマントと軍服を脱ぎながら聞く。


「すでにお休みの時間ですが…」

 ジェラルドはなんだ?という顔で先を促す。

「ジェラルド様が東部へ行かれてから、お眠りが浅くていらっしゃるようです」


 ジェラルドの動きが一瞬止まる。


 …ウォルターを責めるのは筋違いだが、カレンの様子はもっと知りたかった。

 なにしろ本人は手紙を寄越さない。


 ジェラルドは短く息を吐くと、手早く入浴を済ませた。


「何かお召し上がりになりますか?」

「いや、いい」


 一刻でも早くカレンの顔が見たかった。


 カレンの寝室の扉を静かに開ける。


 暖炉が燃えるパチパチという音だけが、シンとした部屋に響く。


 カレンの眠るベッドに近づくと、そこには幾分やつれた顔のカレンが眠っていた。

 窓からの白い月明かりのせいだけではないだろう、顔色はあまり良くない。

 ジェラルドの知るスヤスヤと寝息を立てるカレンではなく、わずかに眉根を寄せ寝苦しそうだ。

 ジェラルドは眉をひそめた。胸のあたりが苦しい。


 カレンの背中から滑り込み、そっと抱き締める。


 細い体は心許ないが、切望した人に触れられる喜びに一気に満たされる。


 細い項に顔を近づけると、甘いカレンの香りに眩暈を覚え、そのまま口付けた。


「…ん…」


 まだ起きてはいない。

 起こしてしまうのは後ろめたいが、その声を、ライトブルーの瞳を渇望していた。


「…カレン」


 ・


 翌日、カレンは昼も過ぎてから目覚めた。


 久しぶりにぐっすり眠った気がするが、体が…怠い。

 しかし気持ちは晴れ晴れとしていた。


 ダヴィネス城は、戦勝と兵士達の帰還の喜びに沸いている。


 根雪が溶ける兆しを見せ始め、ダヴィネスの春はすぐそこに近づいていた。

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