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辺境の瞳~カレンとジェラルド~  作者: 鵜居川みさこ
第二章
47/75

47.【番外編】専属フローリスト

※「12月の晩餐会」の後あたりのお話です。

「いらっしゃいませ~!お花、お花はいかがですかあ?奥様に、恋人に、ブーケはいかがですか?サービスしますよ~」


 …さむっ


 ダヴィネスの城塞街に、月1度立つ市。

 フローラ・シモンズはその片隅で花を売っていた。


 今日のダヴィネスは一段と冷え込む。

 空はどんよりと曇り、午後の遅い時間ですでに人影もまばらだった。


 今日はいつもにも増して売れないわ。雲行きも怪しいし、そろそろ店仕舞いかな…


 フローラは諦めて片付けを始めた。


「…ソレ、いっこ」


 と、男の声した。


「! はい!ありがとうございます!!」


 振り向くと、ボサボサ髪の体裁の上がらない男が立っていた。

 男は片手をポケットに突っ込み、リンゴをモシャモシャと食べている。


「……」


 あまり見かけない顔(というか、目は見えない)だが、店仕舞い間際のお客はありがたい。

 少しでも売れ残りは減らしたかった。


「どれになさいますか?」


 男はいくつかある小ぶりなブーケを見渡した。


「ソレ」

 と、クリスマスローズと蔦のブーケを指差した。


「ありがとうございます」

 フローラは手早く水切りをすると、新聞紙を切ったラッピングを施した。


「はい、どうぞ。もう店仕舞いですから、お安くしますよ、●●になります」


「…」

 男はブーケを受け取り、ポケットから銀貨を取り出し、フローラに手渡した。


「!」

 フローラは驚いた。

 銀貨など、滅多にお目にかかれない。

 この銀貨一枚で、ここにあるすべての花を買ってもお釣りがくる。


「…え、お客様?あの…細かいのお持ちじゃないですか?」


「釣りはいらない」

 男はぶっきらぼうに言うと、すぐさま踵を返した。


「え?!でも、お客様!」


 男はフローラの声には振り向かずに、さっさと立ち去った。


「…ストロベリークォーツ…」

 立ち去る男の呟きは誰の耳にも入らなかった。


 フローラは銀貨を手に、呆然と立ち尽くした。


 ・


 年が明け、カレンは城塞街の高級住宅街にあるモイエ伯爵家へ、身重のベアトリスを訪ねていた。


 ベアトリスは、数日後にダヴィネス城へ出産のため里帰りをする。


「いらっしゃいませ、カレン様」


 玄関で出迎えてくれた大きなお腹のベアトリスは顔色も良くすこぶる健康そうで、カレンはほっとする。


 いつものように、手土産の料理長オズワルドの焼き菓子を渡すと「この魅力には抗えません!」と言い、ジェラルドに良く似た瞳をキラキラとさせる。

 本当に可愛い人だ。


 カレンはいつもの居間へ通され、ソファへ腰掛ける。と、目の前のローテーブルの上の花瓶に生けられた小さなブーケに釘付けになった。


 クリスマスローズと蔦に、白い小さなエリカがあしらわれている。


 派手さこそは無いが、ダヴィネスの冬を切り取ったような美しさがある。造形やバランスが完璧で、さりげない上質なセンスが伺い知れる。


 城塞街にこんなセンスを持つフローリストがいたのかしら…?


 カレンはハテナ?と首を傾げる。


 ダヴィネスへ来て、身の回りは一通り不便はない。

 ただ、フローリストだけは見つけられなかった。


 ダヴィネス城のハウスメイド達は皆優秀なので、花生けは申し分ない。

 壮麗な城、大きな部屋に合わせた豪華な華々が生けられており、常に美しく各部屋を彩ってくれている。


 それにとやかく言う気は毛頭ないが、カレンは個人的にはもう少し個性のあるものが好みだった。地味派手にこだわらず、花の自然の有り様を感じるような。


 まさに今目の前にあるような…。


 王都では、貴族には当たり前のようにお抱えのフローリストが居た。競争が激しいので、花屋も数多く存在する。

 ストラトフォードの邸にも、毎週専属のフローリストが生け込みに来ていた。

 夜会やサロン、お茶会と、アレンジメントを目にする機会も多く、カレンも幼い頃から花には親しんでいた。


「カレン様、こちらのブーケがお気に召しまして?」


 黙って花瓶に生けられたブーケを凝視していたカレンに、ベアトリスが面白そうに声を掛けた。


「あ、いえごめんなさい。ええ、とても私の好みだなと思って…ベアトリス様、失礼ですが、どちらのフローリストをお雇いに?」


 ベアトリスは一瞬きょとんとした後笑い出すと、申し訳なさそうに言った。

「あの、カレン様…ダヴィネスには、残念ながらフローリストを名乗る者はおりませんの…」


 …そうか、そうではないかとは思っていたけれど…。

 でも、この目の前のブーケは、間違いなく専門の者の手によるものだ。


 カレンは確信していた。


「このブーケは、市の花売りからメイドが買ってきた物なのです。私も他にはないセンスだなと思って、カレン様に見ていただきたくて、こちらに飾ってみました」

 と、ベアトリスが茶目っ気たっぷりに説明する。


 …なんというか、ベアトリスのこういう確信犯的なところはジェラルドとそっくりだ。


「ベアトリス様、もしよろしければ、このブーケの作り手にお会いしてみたいのですが…」


「それが…」

 とベアトリスは眉を下げた。


 聞けば、偶然先日の市でメイドが見つけたらしく、それもあまり売れてなかったそうだ。若い女性ではあったが、身元はよくわからないとのことだった。


「次の市は…」

「来月ですわね。ただ、来月の市にお店を出すかどうかは…」

 あまり売れてなかったなら尚更だ。


 万事休すか…。

 カレンは残念ながら、諦めることにした。


 来月の市に店を出していれば、すぐにダヴィネス城へ知らせるようにするとベアトリスは約束してくれた。


 ・


 ガタンゴトン ガタンゴトン


「もうすぐベアトリス様の里帰り出産だねぇ」

「…あの時はモリスさんが大慌てでエマさんも…」

「…確か第二騎士団の騎士様よ」

「オズワルドさんから…」


 ダヴィネス城へ向かう通いの使用人達の馬車の中、フローラは雑談に興じる者には交じらず、一人徐々に小さくなる城塞街を見つめる。


 フローラは月に何日か、ダヴィネス城へ下働きとして働きに行っていた。


 日頃は知り合いの花の卸し業の手伝いをしているが、忙しいのは春から夏のシーズンだけで、秋から冬にかけての閑散期は仕事はほぼない。

 花卸し業の主は古い知り合いなので、天涯孤独の身のフローラが生活に困窮しているのを気の毒に思い、ダヴィネス城の仕事の紹介と身元保証人をかって出てくれた。


 ダヴィネス城の下働きは給金がいいのと、賄いが美味しいことで働き口として人気が高いが、なんせ身元の証明が厳しい。しかしフローラにはそもそも家族や親戚はおらず、身元保証人はダヴィネス城へも花を卸し長年固い商売をしている者だったので、すんなりと採用は決まった。


 ダヴィネス城では、ここ何日か兵舎の大掃除や洗濯の人手を要していた。なのでフローラも連日ダヴィネス城へ通っている。


「あ、あたし、おととい初めて婚約者様を見たよ」

 馬車に同乗している中年の女性が声を上げた。


 馬車中からおー、とか、えー?!などと声が上がる。

「それで?どんなお方だったんだい?」

 同じく妙齢の女性が興味津々に尋ねる。


「どんなって、お顔がキレイなのはもちろんだけど、なんていうかキラキラ?まばゆいっていうか、まわりの空気が違うって言うか…」

「どんなドレスをお召しだったのさ?」

「それがドレスじゃなくて、男物の乗馬服だったよ」

「へぇ?」

「でもそれがまたナンとも言えず、シュッとしててキレイでさ…」

 皆一斉に「へぇぇぇ!」と感心する。


「あたしらなんかにも気さくに声かけてくださるらしいけど…やっぱり住む世界が違うって感じだったよ」

 皆、そりゃそうだよねぇ、などと口々に言っている。


 そうこうするうちにダヴィネス城へと馬車は到着した。


 使用人用の入口に馬車は着けられ、下車すると、護衛番の騎士が顔と名前、身元証明のカードを確認する。


「フローラ・シモンズ…今日はハウスメイドの手伝いだ」

「? そうですか」

「行ってよし」

「ありがとうございます」


 フローラはおやと思った。

 てっきり今日も兵舎の掃除か洗濯と思っていたのだ。


 ま、いいわ。


 通用口から入ると、「ハウスメイドの手伝いの子はこっちだよ」と、顔見知りの使用人が教えてくれた。

 手渡されたメイド服に着替えると、ハウスメイド達とともに一ヶ所へ集められた。


「はい皆おはようございます。私は侍女頭のエマよ」

 体格の良いのエマが、仕事の説明をする。


 フローラは、ハウスメイドに付いて、各部屋の掃除と花の生け込みを手伝うことになった。


 やった…!

 フローラは心内でほくそ笑んだ。


 手伝いとはいえ、花に触れられるのは嬉しいし、ダヴィネス城のようなお邸のアレンジメントを見るのは幼い頃以来だ。


 フローラの父は、かつて王都で花屋とフローリストをしていた。

 それなりのお邸への生け込みの仕事もあり、フローラは、許される時は父と一緒に生け込みの仕事に付いて行ったこともある。

 ただ、父は病気で亡くなり、細々と花屋だけしていた母も数年前に亡くなった。まだ力もツテも無いフローラは、競争の激しい王都では、一人で花屋を切り盛りできず、父の故郷のダヴィネスへ、知り合いを頼って来たのだった。


 いつか、父の様なフローリストになりたい。


 そうは思ってはいても、現実は厳しい。今は毎日の生活だけで手一杯だ。

 ひとつきに一度立つ市で、ポプリや小さなブーケを作って、花屋の真似事をしているに過ぎない。


「ねぇあなた、最近よく見るわね」


 ダイニングの掃除をしていると、フローラと同じ年頃のハウスメイドが声を掛けてきた。

 人懐っこい笑顔だ。


「あ、はい。でもこちら(ダヴィネス城)へは初めてです。いつもは兵舎でした」


「そうなのね、私ケイトって言うの。よろしくね」


「…フローラです」


 フローラは、決して愛想の良い方ではない。どちらかと言えば無愛想で、口数も少ない。なので友達もいなかったし、その必要性もあまり感じていなかった。


「ねぇ、兵舎ってことは…誰かいい人、できた?」


「…は?」


「はって…、だから、兵士や騎士見習いから声を掛けられたりしなかった?」

 ケイトは心底不思議そうだ。


「そこ、無駄話しないの、手が止まってるわよ」


「あ!はい、すみません」


 古参のハウスメイドから注意され、二人はそそくさと仕事に戻る。


 フローラは手を動かしながら、ケイトの質問のことを考えた。

 兵舎でいい人…つまり、兵士や騎士様と知り合いになってってことかな。


 フローラはふっと笑う。


 自分の十人並みの器量は知ってるし、ここには仕事に来ている。そんなことは考えもしなかった。とにかく、生活に手一杯で、恋や愛などは二の次だし考えたこともない。

 実際、兵舎では親切にしてもらっても、特別に声を掛けられたことなどなかった。ましてや騎士様になど、目を合わせるのも憚られる。


 フローラはふと、花の生け込みが成されていることに気づく。


 拭き掃除をしながら、そっと横目でその様子を観察する。


 花材は…カトレア、アマリリス、小振りのチューリップ…どれも領主の邸を飾るに相応しい高級な花だ。


 フローラはブーケの花材はいつも、花卸しの雇い主から余ったものを分けてもらうか、自らの足で、城塞街から少し離れた、ダヴィネスの森や野原まで採りに行っていた。


 ダヴィネスは寒さの厳しい辺境ではあるが、王都では決して見られない美しい自然の植物があり、フローラは気に入っている。


 ハウスメイドは、慣れた手付きでマントルピースの上に花を活ける。


「あなた、これを片付けてから隣の部屋にきてね?」

「あ、はい」


 生け込みのハウスメイドは、フローラに言いつけると部屋を後にした。


「先に行くね、フローラ」

 ケイトがこっそりと話し掛けた。


 フローラは頷く。


 フローラは切り落とされた葉や花を集めて、塵取りへと入れた。


 立ち上がり、マントルピースの上のアレンジメントをしげしげと眺める。


 立派な仕上がりだが、バランスが気になる。せっかくの美しい花なのだ。単に部屋を彩る風景にはなって欲しくない。もっと人を喜ばせて明るくさせるような…


 部屋にはフローラしか居ない。

 少し離れて再び花を眺めた。


 …やっぱり気になる。

 少しだけなら…


 さっと周りをみると、素早くマントルピースに近寄り、少しだけ花の位置を変えた。ぱっと見た目にはわからないかも知れないが、少しの角度の違いで、訴える雰囲気が変わってくる。


 よし。


 フローラは塵取りとホウキ、雑巾を手に取り、ダイニングを後にした。


 その後も、後片付けをしながら、同じように各部屋へ生け込まれたアレンジメントに、バレないように少しだけ手を加えた。


 ・


 その日のダヴィネス城のディナー。


 ダイニングには、先にジェラルドが来ていた。


 カレンが現れると立ち上がり、側へ近寄る。

 いつものようにカレンの頬へキスを落とすと…


「? カレン?」


 ジェラルドへと微笑んで顔を傾けたまま、カレンの動きが止まった。


 ジェラルドは不思議に思い、カレンの顔を見ると、ある一点を凝視している。振り向くと、視線の先はどうやらマントルピースの上辺りだ。


「…カレン、暖炉がどうかした?」


 モリス以下、使用人達もマントルピースを一斉に見る。


 ジェラルドの問いに、カレンはハッと我に返った。


「…ジェラルド様、ごめんなさい。ディナーの前に、少しモリスに聞きたいことが…よろしいですか?」


「…わかった。モリス」

「はっ」


 カレンはジェラルドの手を離れ、マントルピースの前まで行く。モリスも着いていく。

「このお花を活けたのは、誰なのかしら?」


「ハウスメイドでございます。何かお気に障りましたか?」


「いいえ、そうではなくて、その逆です…とてもいいわ…もしわかるなら、会ってみたくて…」


 モリスは微笑んだ。

「承知しました。カレン様、少しお時間をいただいてもよろしゅうございますか?…ディナーが冷めてしまいます」


 あ、そうだわ。


 振り向くと、ジェラルドが腕を組んで立っている。

 訳を知りたそうだ。


「ごめんなさい。急ぎません。いつもとは違った趣だったのでつい…」

 モリスはいえいえ、と言うと、カレンを席へと促した。


「ごめんなさい。ジェラルド様」

「いや、構わないが…いつもとそんなに違うのか?」


 ジェラルドは改めてカレンを腕に収めて、額にキスを落とすと聞いた。


「ふふ、それは…そうですね、お水とお湯くらい違います」

 言い得て妙な例えに、ジェラルドが「そんなに?」と笑う。


 その後、カレンはディナーの間もアレンジメントが気になって仕方なかったが、努めて普段通りに過ごした。


 ・


 フローラは、翌日もダヴィネス城へ来ていた。


 今日は昨日とは違い、兵舎の洗濯に借り出された。


 大量のシーツを洗う。

 洗い場にはフローラのような下働きの他にも、兵士や従騎士(騎士見習い)も居た。皆、和気あいあいと作業する。


 昨日のアレンジメント、バレなかったかな…。


 夜中気になったが、今朝は誰にも何も言われないことから、バレてはいないと踏んだ。


 フローラは誰とも喋らずに、黙々とシーツを洗う。

「なあ、あんた先月も来てたよな」


 話し掛けられ、ふと隣を見ると、カレンよりも少し年下らしい…おそらく従騎士だ。短髪のスッキリとした顔立ちをしている。


「…はい」


「街に住んでんの?」


「はい」


「あんた、臨時だよな、普段は何してんの?」


 …なんだろう、根掘り葉掘りと。

「……」


「名前、聞いてもいいか?」


 フローラは作業の手を止めて隣を見た。従騎士も手を止めてフローラを見ている。


「…なぜ?」


「!」

 従騎士は赤くなり、ジャブジャブと洗濯を再開した。


 教えてもいいか、減るもんじゃなし。

「…フローラ」


 従騎士はぱぁっと明るい顔をした。

「フローラか!俺は…」


「ケネス!」

「うわ、はい!」


 従騎士はバッと立ち上がり、声の主の元へ走り出す。


 どうやら騎士様に呼ばれたらしい。


 …ケネスって名前か。


 フローラは、洗濯を再開しながら、昨日ハウスメイドのケイトに聞いた話を思い出していた。

 …まさかね。


「フローラ・シモンズはいるか」


「? はい」


 突然名前を呼ばれ、フローラは振り返った。

 ついさっき従騎士のケネスを呼んだ騎士様が、今度はフローラを呼んでいる。騎士様の横には、戸惑った顔をしたケネスがいた。


 フローラは立ち上がり、騎士様の元へ行った。


「お前がフローラ・シモンズか」


「はい」


「レディがお呼びだ。着いてきなさい」


 フローラは耳を疑った。

 …え? 今、レディって言った?

 レディって、まさか…


 ケネスは相変わらず心配そうな顔だ。


 フローラは訳がわからぬまま、騎士様に着いていく。


 兵舍のある城塞からしばらく歩き、ダヴィネス城の領主の住居区域へ入る。


「ネイサン殿、お連れしました」

「ご苦労」

「はっ」


 先ほどの騎士様も立派だったが、ネイサン殿と言われる騎士様はもっと位が高いのか、一層立派だ。


「フローラ・シモンズ、ここからは私が案内する。これからレディ・カレンにお会いする。くれぐれも失礼のないように」


「…はい」

 やっぱり。噂の婚約者様だ。フローラは一気に心臓が跳ね上がった。


「…と言ってもあまり緊張しなくていい。気さくな方だ」

 フローラの顔がわかりやすく固まったのを見て、ネイサンは優しく言った。


 ・


 その日の朝食時、モリスはダイニングの花を生けた、もとい“生け直した”者を明らかにした。


 さすがの仕事の早さだが、そもそも臨時の使用人であることに、カレンは驚いた。


「では、普段は何を…?」


「わかりませんが、身元保証人は城塞街で花の卸しを生業としている者です」


 なるほど…それなら花生けの心得があるのもわかる。


「名前は…?」


「フローラ・シモンズ。15才です」

 モリスが名簿を見ながら答える。


「シモンズ…」

 花…シモンズ…どこかで…

 カレンはおぼろげな記憶をたどる。


「何か心当たりが?」

 カレンの思案顔を見て、ジェラルドが不思議そうに尋ねた。


 カレンは、定かではないと言いつつ、

「ジェラルド様、母に鳩を飛ばしても?」

 ジェラルドに聞く。


「もちろんだ」


「フローラに会えるかしら?」

 カレンは気がはやる。矢継ぎ早にモリスに聞く。


「今日もこちらへ来ますので、お会いになれます」


 ジェラルドも興味深げだ。

「私も会ってみたい。フリード、今日は時間はあるか」


「はい。午後でしたら問題ありません」


 ジェラルドは満足そうに頷いた。


 ・


 …バレたんだ。


 昨日、花を生け直した部屋のひとつであるダイニングルームの扉を前に、フローラの緊張は最高潮に達していた。


 コンコンと、ネイサンと呼ばれた騎士様が豪華な扉をノックする。


 フローラはとっさに髪を撫で、スカートをパッと手で直した。その様子を見て、ネイサンは苦笑する。


「とうぞ」

 透き通るような優しい女性の声だ。


「フローラ・シモンズをお連れしました」

 ネイサンに紹介され、フローラは部屋に入った。


 !!……眩しい!!


 フローラは眩しいはずなのに、目を大きく見開いていた。


 レディ・カレン、その人。

 濃く長いまつ毛に縁取られた、抜けるようなライトブルーの瞳はキラキラと輝き、優美な眉、薔薇色の頬に、口許にはゆったりとした笑みを浮かべている。

 艶やかなダークブラウンの髪はハーフアップに結われ、垂らした髪の毛は、小さな顔に沿ってゆるゆると流れ落ちている。

 ブルーグリーンの柔らかそうな素材のデイドレスは長身の胸元にアイボリーのリボンが結ばれ、ドレスは心地よい音さえ聞こえそうに絨毯まで流れ落ちていた。

 そして、左手の薬指には見たこともないような美しい指輪が光っている。


 全体から高貴で典雅な雰囲気が漂う姿に、フローラは我を忘れて釘付けになった。


 天上人が現れたなら、まさにこの方だわ…!


「フローラ・シモンズ、ご挨拶申し上げろ」

 口をあんぐりと開けたフローラに、ネイサンが囁く。


 フローラはハッとして、メイド服のスカート部分を持ち、慌てて礼をした。

「フ、フローラ・シモンズでございます」


「どうか楽にしてください。…フローラと呼んでも?」


「は、はい!」


 礼を解いていいものかわからず、ネイサン殿を見ると微笑んで頷いているので、直していいと判断した。


 フローラは礼を解き、居並ぶ人を見て改めて驚いた。


 領主執事のモリスさん、侍女頭のエマさん、他にも侍女がいる。


 と、そこへ「遅くなった」と言いながら、入ってきた人…


 え??領主様?!


 フローラは驚きを隠せない。


 ジェラルドはまっすぐにカレンに近寄ると、頬へキスをした。


 …眩し過ぎて苦しい…ここは天国かも知れない…


 もはやフローラは緊張のあまり倒れそうだ。胸が苦しい。が、同時に背中に冷や汗が流れる。


「大丈夫か?」

 ネイサンがフローラの様子を見かねて声をかける。


「は、は、はい…いいえ…」

 フローラは訳がわからずしどろもどろになる。


「ネイサン、フローラを腰掛けさせてあげて」

 カレンが心配そうに指示する。


「! いえ!」

 まさか、そんな訳には!


 ネイサンはいいからいいから、と、ダイニングの椅子のひとつへフローラを腰掛けさせた。


 カレンとジェラルドもダイニングの椅子へ腰掛ける。


「お仕事中に呼び立ててごめんなさいね、あなたに聞きたいことがあって…」

 と、カレンは申し訳なさそうだ。


 フローラが腰掛け、辛うじて少し落ち着いたのを見てカレンが質問する。

「あのお花を生けたのはあなた?」

 と、マントルピースの上を手で指した。


 …やっぱり…クビだわ…


 フローラは花の生け直しがバレたことのへ罪悪感を募らせる。


「…あの、生けたのはハウスメイドの方で、私は少し花の位置を変えました」

 フローラは小さな声で答えた。


 カレンはエマから聞いた通りの内容に頷く。

 ジェラルドもフローラの様子をじっと見て、頷いている。


 嘘はないということね。では…

 と、カレンは質問を続ける。

「なぜ、そうしたのか聞いてもいい?」


 フローラはカレンの優しい声音に少し安心したのか、姿勢を正した。

 …どうせクビになるなら、正直に言おう。


「このお部屋を彩るには、少し立体性に欠けるかと思いまして…思わず」


「他のお部屋もよね?」

 カレンは、今や楽しげに尋ねる。


「…はい」


 やっぱり…。

 カレンはこの目の前で小さくなっている…15才と言ってもまだ幼さの残る…娘に俄然興味がわいた。


「どれもとても素晴らしいわ。お部屋の雰囲気には合っていて、でも決して目立ち過ぎない…何よりお花の特性を生かしてる…あなた、フローリストよね?」


「!」

 カレンの問いに、フローラはバッと顔を上げた。


「あの…フローリストになりたいとは思っていますが、一人立ちはできていません。今は城塞街に立つ市で、小さなブーケを売る程度です」

 あまり売れませんが…と、バカ正直に答えた。


 カレンはハッとする。

 先日のモイエ伯の家で見たブーケ、もしかして!


「クリスマスローズと蔦とエリカの?」


「はい!そうです!」

 フローラは嬉しそうに答えた。


 カレンは隣に座るジェラルドへ、ベアトリスに見せてもらったブーケのことを手短に話した。

「そうだったのか…」

 ジェラルドも偶然に驚いている。


 カレンはひとつ、テストをすることにした。

 ダイニングテーブルの端に、事前に花と花瓶を準備していたのだ。


「ねえ、フローラ、もし良かったらここでアレンジメントの生け込みを披露してもらえないかしら?」


 今の今までフローラは気づかなかったが、ダイニングテーブルには、枝ものや珍しい蘭、グリーンなど、様々な花材が置いてある。


「よろしいのですか?」

 フローラの目は、今や興奮で満ち満ちていた。


「ええどうぞ」

 カレンは笑いながら答えた。


「では、失礼します」

 と言うと、フローラは椅子から立ち上がった。


 今の自分の状況はよくわからない。

 でも、目の前には花がある。

 フローラにはそれがすべてだった。


 花を前に、フローラはまるで人が変わったようだ。


「はい、花鋏よ」

 エマが手渡した。


「ありがとうございます」

 フローラは受け取りながら答えた。


 ダイニングルームには、フローラの花鋏の立てるパチン、パチンという不規則な音が響く。その手元に一切の迷いはない。


 カレンとジェラルドの前には、いつの間にか午後のお茶の準備がされ、二人は思いがけず生け込みを眺めながらのティータイムを楽しんだ。


 コンコン、と、ノックとともにフリードが現れた。

「失礼します。カレン様、お母上から返信が来ました」


 ニコルが受け取ると、カレンへと渡す。


 カレンは丸まった小さな紙切れをくるくると広げた。ジェラルドにも見えるように。


 ー親愛なるK様

 Sは類いまれなるフローリストでした。

 惜しい人を亡くした。その娘なら間違いない。

 何もできなかったお詫びを。

 母よりー


 カレンとジェラルドは顔を見合わせ、微笑み合う。


「できました」

 フローラが、ふうっと息をついた。


 カレンとジェラルドは立ち上がり、アレンジメントへ近づく。


「…素晴らしいわ」


 オレンジの蘭を囲むように枝とグリーンがあしらわれている。グリーンは長く下へ垂れ下がり、今にも動き出しそうに流動的だ。


「…今日のあなたのドレスに似ているな」

 ジェラルドが感心する。


 そう言われて見ればそうなのかしら…

 カレンは少し面映ゆい。


「…領主様のおっしゃる通りです。今日のレディの美しいお姿が眩しくて…」

 フローラは年頃の娘らしく、照れて顔を赤くして、小さな声だ。


 先ほどまでの堂々とした生け込みをする姿と同じ人物とは思えない。


 モリスやエマ達も花の周りに集まり、感心しきりだ。


 カレンはジェラルドの耳元でコソコソと内緒話をすると、ジェラルドは魅力的な笑顔でニッコリと微笑み、

「あなたの思うままに」

 と、カレンの額へキスをした。


「ミス フローラ・シモンズ」


 カレンは改めてフローラへ呼び掛けた。


「はい!」

 フローラは居住まいを正す。


「あなたをダヴィネス城専任のフローリストとして雇いたいのだけれど、どうかしら?」


「…え?」

 フローラはなんのことか意味がわからない。鉄砲玉を食らったような顔だ。


 カレンはふふふ、と笑う

「あなたはもう、立派なフローリストよ…お父様に近づいたわね」


「……」

 フローラはまだ事実が飲み込めない。


「フローラ、レディに返事は?」

 ネイサンが気を遣う。


 モリスやエマ達も微笑ましくフローラを見守る。


「…本当に?」

 フローラの目からみるみる涙が溢れる。


 フローラは信じられない気持ちだ。

 父のようなフローリストへの道は厳しいとわかっていた。

 クビを覚悟に、思いを込めたアレンジメント。

 それを評価されたことが信じられない。しかも、ダヴィネス城のフローリストになんて…しかもしかも、それは眩いばかりのレディ・カレンからの直々だなんて…


「あの、今まで生け込みをされてたハウスメイドの方は…」

 フローラはふと疑念がよぎった。仕事を奪ってしまうのでないだろうか…ぽっと出のフローラは肩身が狭い。


「それは大丈夫ですよ。彼女も慣例で引き継いだ仕事で、多少荷が重かったようで…最近腰痛も悪化して、フローリストがいるなら両手を挙げて喜びます。保証しますよ」

 エマが太鼓判を押した。


「受けてくれる?フローラ」

 カレンが問う。


「あの…はい、私でよろしければ…あ、でも」

 フローラは涙を拭いながら、喋っていた。


「?」


「月一度の城塞街の市は続けても…」


「ダヴィネス城の給金で、生活は十分賄えると思いますよ」

 モリスが優しく諭す。


「はい、あの、お金の問題ではなくて…」


「馴染みの客でもいるのか?」

 今度はネイサンが尋ねる。


「…いえ、ご常連という程ではないのですが…」


 カレンは少し興味を惹かれた。

「ねえフローラ、それってどんな方だったの?」


「えーっと、男性で、髪は…こうボサボサで目が見えなくて、でも、小さなブーケひとつに銀貨をぽんと…とってもぶっきらぼうだったんですけど、気に入っていただけたみたいで…」


 話の途中で、カレンはジェラルドと顔を見合わせた。

 そんな男性はダヴィネスには一人しかいない。


 宝石職人のジャック・エバンズだ。


「フローラ、その人は芸術家よ」


「え?」


「どうやら私より先に、あなたのセンスに目をつけたみたいね」

 カレンはふむ、と考えた。ジャックならあり得る話だ。


「類は友を呼ぶのかもしれないな」

 ジェラルドがさも面白そうだ。

「ヤツのためというより、市井に身を置くのはいいことだと私は思うぞ」


「そうね、お花屋さんはフローリストの基本だし。私もジェラルド様に賛成よ」

 と、カレンはジェラルドを見ながら微笑む。


「ありがとうございます!」

 フローラは二人に深く頭を下げた。


「さ、フローラ、これから忙しくなるわよ。細かなことはモリスやエマから聞いてね。よろしくお願いします」

 カレンはにっこりと微笑んだ。


「は、はい!よろしくお願いいたします!」

 やはり、レディは眩し過ぎる。


 …でも、レディ・カレンは父がフローリストって、なんで知ってたんだろう?


 ・


 数週間後、ストラトフォードの母からカレンへ手紙と小包が届いた。


 小包からは、ドライになったバラの花冠が薄い紙に丁寧に覆われた姿で現れた。


 母からの手紙によると…


 その花冠は、カレンの五歳の誕生会に、フローリストの亡きシモンズ…フローラの父…がカレンのために作ってくれたものだった。


 まだ駆け出しのフローリストだったシモンズのセンスを見抜いて、母は誕生会のアレンジをすべて任せた。それはそれは素晴らしい出来で大満足だったし、これからのシモンズの活躍を期待させたという。だが、ほどなくしてシモンズは病となり亡くなった。

 母がそのことを知ったのは、かなり後になってからとのことだった。


 バラの花冠には、カレンの歳に合わせて5つのバラの蕾があしらわれ、輪の部分は品の良いリボンが巻き付いている。

 母はあまりの可愛さに、記念に取っていたとのことで、形見になるならフローラへ渡して欲しいと送ってきたのだ。


 残念ながらカレンには花冠の記憶はないが、母の配慮に胸が熱くなった。


 ・


 今日も朝から冷える。

 城塞街は除雪しているが、ダヴィネスは根雪も高く積もっている。


「はぁぁー」


 フローラは準備を終え、かじかんだ手に白い息を吐いた。


 パンジー、プリムラ、水仙…

 比較的日当たりの良い場所で見つけた花々でブーケ風の寄せ植えを作った。


 ダヴィネス城のフローリストになってからは高価で立派な花材を扱うが、そこにもダヴィネス城の庭に育つ植物を織り混ぜている。


 レディは特に自然にある植物がお好みで、レディのお部屋には香り高いシンプルな水仙を生けたばかりだった。


「ソレ」


 まだ開店したばかりだと言うのに、珍しくお客が現れた。

 ボサボサ髪の男だ。


 男が指差したのは、ピンクのプリムラをダスティミラーの白っぽいグリーンで包むようにあしらったブーケ風の寄せ植えだ。


「…バイカラートルマリンか…」


「え?」


 男の呟きを聞き返す。


「…いくら?」


「ええと、●です」


 男は何も言わずにポケットから銀貨を出すとフローラに渡した。


「あの…小さいものは…」

 答えの予想はつくが、一応聞いてみる。


「…金額じゃない。値段の付けられないものに釣りはいらねーよ」

 男は鉢植えを受け取ると、さっと踵を返して立ち去った。


 芸術家…って、そういうもんなのかな…???


 フローラは今月も現れた数少ない常連…ジャック・エバンズ…の背中を不思議な気持ちで見送った。


 ・


「フローラ、母が何もできずにすまなかったと…これを」


「!!」


 フローラはカレンの持つ箱の中の、ドライになった小さなバラの花冠を見て…一目で父の手によるものだとわかった。


 カレンから事情を聞き、涙が溢れて止まらない。


「でも本当に不思議なご縁ね。私もあなたもここ(ダヴィネス)へ引き寄せられたみたい」


 レディの前でみっともなく泣いてしまったが、レディは優しく慰めてくださった。


「…レディ、この花冠はレディがお持ちになっていてくださいませんか?」


「え?…でも、お父様のお形見に…」


「いえ、私はフローリストとして雇っていただいたばかりです。まだまだ父の足元にも及びません。どうか、レディには、この父の花冠と一緒に私の仕事を見ていていただきたいのです」


 泣きべそ顔で、だが力強い目で、フローラはカレンに願い出た。


「…わかったわ。これは私がお預かりするわね」

 カレンはフローラの固い決意を受け取る。


「はい!ありがとうございます」


 フローラ・シモンズ、“花”の名前を持つダヴィネス城のフローリスト。


 その後、広く王都や隣国までその名を轟かすことになる。


 ・


「あ」


「?」


 ダヴィネス城の廊下で、フローラと従騎士のケネスはバッタリと会った。


「…フローラ、だよな」


 フローラは頷く。


 あの時以来だ。


「聞いたよ。城の花生けの係に任命されたんだってな」


「…うん」


「良かったな」


「…うん」


「…また会うかもな、ってか、絶対顔合わせるよな」

 ケネスはにかっと笑う。


「…うん!そうだね」


 フローラは、なぜか嬉しかった。

 知り合いが増えて嬉しいのか、なんなのか、まだよくわからない。


「見ーちゃった!フローラ、いいなぁ」


 ハウスメイドのケイトだ。

 フローラに付き、花生けの手伝いで各部屋を一緒に廻っている。


「な、なに?なんでもないよ」

「…フローラ、顔赤いよ?」

「やめてよ、ケイト!さ、仕事仕事!」


 ケイトはなによぉ~と、ニマニマしながらフローラの後を追う。


 ダヴィネス城では、そこここで物語が生まれる。


 まるで、花が次々と咲くように…

お読みいただきありがとうございます。

なかなかボリューミィな番外編になってしまいました。

明日から第三章です。引き続きお楽しみいただけますように……

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