45.【番外編】煌めきのスフェーン(中)
※12月の晩餐会の準備をしていた頃のお話です。
目を覚ましたカレンは、夕べのジェラルドの発言を思い出し、混乱した。
- 護衛には私が付こう -
???
どういうことだろう?
まさか本当にジェラルド様が一緒に行くというのだろうか?
まさか…
いつもの通り、ジェラルドはすでにベッドには居ない。
ジェラルドとの朝食に間に合うように、カレンは起き上がった。
朝食室にはまだジェラルドはおらず、カレンは先に座って待つことにした。
侍従によって、カップにお茶が注がれる。
と、扉が開き、ジェラルドが入ってきた。
「おはよう、カレン」
とカレンに近づき、いつものように頬へキスを落とすと席に着いた。
「おはようございます、ジェラルド様」
目を合わせても、いつもと変わりなく優しい表情でカレンを見ている。
もしかしてあれは…空耳だったのかしら…
カレンはお茶のカップを手に取った。
「カレン、城塞街へ行く日程を調整するから…少し待っていてほしい」
「ごほっ」
カレンは思わず噎せてしまった。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
ニコルが慌ててカレンの背中をさする。
「大丈夫よ、ありがとニコル」
ナフキンで口を覆い、落ち着くとジェラルドを見た。
…笑みを浮かべている。
あれは…面白がってるいたずら坊主のような顔だわ…!
カレンは夕べの作戦を猛烈に後悔した。
このままでは本当にジェラルドが付いて行きかねない。
それはさすがにまずいのでは…
「あの…ジェラルド様」
カレンはおそるおそるだ。
「ん?」
「ご冗談ですよね?」
「…何が?」
「城塞街へご一緒にって…」
ジェラルドはティーカップから視線だけを上げてカレンを見た。
少し強い視線に、カレンはドキリとする。
ジェラルドは、ティーカップはいったんソーサーへと戻した。
「本気だ」
「!」
「今までは一緒に行く機会がなかったに過ぎない。今回はいい機会だ。私もたまには市井の生活に触れたい」
至って普通のことのように話す。
…。
なんとなくだが、少しいつものジェラルド様とは違うような…
なんていうか、ご機嫌…の悪さはないけど、でもなんだろう、チクチクする。
私の後ろめたさもあるけれど。
「…わかりました」
カレンは観念し、答えると朝食を再開した。
・
~ジェラルドの執務室~
「フリード」
「はっ」
「この2.3日中に、数時間空けたい。調整を頼む」
「わかりました…が、急ですね」
「…」
ジェラルドは幾分ムスッとして黙った。
「ジェラルド?」
「カレンの護衛だ」
「は?」
ジェラルドは事の次第をフリードに説明した。
「…すみませんジェラルド…笑っていいですか」
と言うと、フリードは大笑いをはじめた。
「そう笑うな」
ジェラルドはきまりが悪そうだ。
フリードはなかなか笑いが収まらない。
「ジェラルド…あなたの過保護ぶりには頭が下がりますよ」
フリードは涙まで浮かべている。
「しかし、お二人となると…結局はネイサンとあと何人かは護衛を付けませんと」
そうなるか…。とジェラルドも思案している。
「悪いが護衛は二人だ。目立ちたくない」
フリードは少し考える。
「わかりました。では…今回は私服を付けましょう」
「助かる。すまないな」
「何を言ってるんですか。お二人で非公式に城塞街を訪れるのは初めてでしょう。楽しまれてください」
言われてみれば初めてだ。
ジェラルドはフリードの言葉に頷いた。
「あと…」
「何だ?」
フリードは訳知り顔で話す。
「今回の事ですが…カレン様がジェラルドに『相談した』ということが重要ですよ。あの方の行動力からすると、ちょっと信じられないくらい慎重ですから。それを慮ってください」
フリードは真面目にジェラルドに告げた。
「…わかっている」
カレンの望む答えで無かったのは確実だが、ジェラルドにしてみれば、結果的に共に城塞街へ行く事ができる。例の“秘密”は気になる所ではあるが、カレンと共に過ごす時間を大切にしようとジェラルドは思った。
・
2日後の午後、カレンとジェラルドは目立たない馬車を仕立てて城塞街を訪れた。
カレンは侍女達に手伝ってもらい“町娘”風情のドレスを着たが、如何せん元々の雰囲気や纏う空気に無理がある。エマなどは「『裕福な商人のご令嬢』に見えれば万々歳ですかねぇ」と苦笑していた。
一方ジェラルドは広く顔を知られている。どうあっても誤魔化しようはないので、普段城で過ごしている時のような、気軽な普段着を着ていた。
護衛はネイサンともう一人。いずれも私服でロングソードは携えてはいないが、短剣は隠していた。城塞街への騎士の詰所へも繋ぎは取れているので、公式のお忍び、といった体での外出となる。
{ 黒猫亭 }の開店まで時間があるので、少し街を歩くことにする。
今回ジェラルドは、あまり顔を知られていないカレンの“護衛”なので、エスコートはしない。エスコートすれば、途端に人だかりができるのは目に見えている。なので、カレンから少し離れて歩く。
カレンの護衛をするジェラルド…の後ろをさらに護衛するネイサン達…というややこしい体制だが、カレンとジェラルドの二人だ。ネイサンは気を引き締めた。
城塞街のほど近くに馬車を停めると、二人は馬車を降りた。
「閣下、こんにちは」
「ジェラルド様、うちに寄ってください」
ジェラルドが一歩街に入ると、予想通り注目を浴びた。軍服ではないので余計に声をかけやすいのか、皆気安い。
やっぱりね…
ジェラルドの先を歩くカレンは、後ろで注目を浴びるジェラルドを横目に、さっさと先を歩く。
「レディ、お待ちください」
と、ネイサンが早足で追い付いてきた。さすがに目敏い。
「ネイサン、今日は『レディ』じゃないのよ」
「わかりました、お嬢様。ジェラルド様と離れないでください」
「…」
カレンはちょっと面倒な顔をしてしまった。
「お願いします」
ネイサンはペコリと頭を下げる。
「…わかりました」
カレンは短いため息を吐くと、その場にネイサンと留まった。
“カレンとジェラルドの護衛ごっこ”に付き合ってもらっているのだ。ネイサンの言うことは素直に聞くことにする。
カレンは端から、城塞街でのジェラルドとの散策は諦めていた。
少し歩くだけでこの人気だ。商売人達は店の物を渡そうとするし、街娘やご婦人達は頬を赤らめてキャアキャアと騒ぐ。街に住む退役軍人も交わり、かなりの人だかりができている。
もう一人の護衛だけでは御しきれていない。
「まずい。このままでは先に進めませんね…お嬢様、少しこの場でお待ちください。決して動かないでくださいよ!」
と言うと、ネイサンはジェラルドの人だかりへと向かった。
ふう。
正直、今回のジェラルドの目的がよくわからない。こうなることはわかっていたはずなのに。
カレンは考える。
私の護衛はネイサンで十分だし…
やっぱり{ 黒猫亭 }がよくなかったのかしら…それとも、身元のわからない宝石職人への接触が?ジェラルドへの贈り物のためと正直に言った方が良かったのかしら…。
「あ、レディ?!」
考え事に耽るカレンに声を掛けたのは、以前{ 黒猫亭 }にいた少年だ。
「あなたは…」
少年は手に荷物を抱えている。
「あの時はお世話になりました…今日はおつかい?」
カレンは少年の目線に合わせて腰を屈めた。
「はい!仕込みの準備です」
と、少し顔を赤らめて、ハキハキと答える。
「そうなのね」
学校には行っているのかしら…カレンは前にも思った疑問を思う。
「あの、今日はお買い物ですか?お付きの騎士様は?」
少年はキョロキョロと辺りを見回す。
「…ああ、今日はジェラルド様が一緒でね…」
ほら、あそこ、と人だかりを指差した。
「あー…」
カレンの指し示す方を見た少年は、事情を察したらしく、納得の顔をした。
ちょうどいいわ。
カレンはあることを思い付く。
「これから{ 黒猫亭 }へ行くところだったの。ご主人にお話を伺いたくて。今からあなたと一緒に行っても構わないかしら?」
少年は一瞬キョトンとしたが、次には満面の笑みで答えた。
「もちろんです!」
カレンは人だかりの方を見ると、ネイサンともう一人の護衛がやっとのことで人だかりを撒いたところだった。
と、ジェラルドと視線がぶつかる。
カレンは少年を指差し、次に{ 黒猫亭 }の方を指差した。
ジェラルドは瞬間曇った顔をしたが首肯したので、一足先に少年と{ 黒猫亭 }へ向かうことにした。
道すがら少年に尋ねたところ、少年はティム(ティモシー)という名前で、内職をする母と二人で暮らしているとのこと。
午前中は街の手習い所で勉強を習い、午後からは{ 黒猫亭 }で働いているとのことだった。{ 黒猫亭 }の店主は病死した父の友人でお給金もきちんと支払われているとのことで、カレンはほっとした。
しかし話すにつけ、とても賢い子供と感じる。
カレンは何か手助けができないものかと思った。やはり夜遅くまで子供が働くのは良くない。
ひとしきり話すと、ティムは黙った。
「どうしたの?ティム?」
「僕…」「カレン、待って」
後ろから声を掛けられ、振り返るとジェラルドその人だった。
「ジェラルド様…」
「あ、閣下」
ティムは呆然としている。
「…すまない、予想外の人だかりだった」
ジェラルドの後ろから、ネイサン達も追い付いてきた。
「いえ、仕方のないことです」
カレンはにこりと笑うと、また{ 黒猫亭 }へと歩みを進めた。
ジェラルドはカレンの反応に眉を上げたが、また少し離れて歩きだした。
ほどなくして{ 黒猫亭 }に着くと、ティムは「ちょっとお待ちください」と、店主へ話をしに行った。
カウンターの中にいた仕込み中の店主はティムから話を聞き、入口にいるカレンとジェラルドを見てビックリしているが、ティムにうんうんと頷いている。
開店まではまだ時間があるので、客はいない。
「こ、こちらへどうぞ」
店主はうわずった声で、カレン達へ席を進めた。
ネイサン達は入口付近で護衛に立つ。
カレンとジェラルドはカウンターに隣り合わせて座った。
ものすごく新鮮だわ…
街の居酒屋で、ジェラルド様と二人きり…
カレンはこの状況に、内心驚いている。
ジェラルドの顔を見ると、ごく自然な表情だ。
「せ、先日はありがとうございました」
店主は改まって話す。
「いえ、お世話になったのはこちらなので…ありがとうございました。開店前にお邪魔してごめんなさい」
カレンは律儀に礼と謝辞を述べた。
「何かお飲みになりますか?」
ジェラルドへ話しかける。
「いや、私はいい。カレンは?」
「…では、私はウィスキーをストレートで」
と言ったとたん、ジェラルドが怖い顔をしたので
「冗談です」
と、笑いながら言い直し「この前は一口しかいただけなかったので、エールをいいかしら?」と告げた。
これならジェラルドも許してくれる?と顔を見ると、なんだか複雑な顔をしていて、思わずカレンはクスッと笑いをこぼした。
「はい、お待ちください」
店主はカレンとジェラルドのやり取りを見て、笑いを耐えている。
少し私たちに慣れてくれたのかも知れない。
どうぞ、とカレンの目の前にエールのジョッキを置くと「…坊主から聞きました。何をお知りになりたいですか?」と聞いてきた。
「実は…」と、カレンは、ここの近くに住むジャック・エバンズという宝石職人を探している旨を話した。
「ジャック…?」
店主は顎髭に手を添えて、少し考える。
カレンはエールを一口飲んだ。
うん、なかなか爽やかなのど越しだわ。
エールは城では飲めない。カレンは続けてゴクゴクと喉を鳴らして飲む。
ジェラルドはその様を少し驚いたような顔で見ている。
「カレン、口に合う?」
カレンはジョッキから口を離すと、嬉しそうな顔でコクリと頷いた。
口の回りにエールの泡が付いている。
ジェラルドはその泡を親指で拭き取ると、ペロリと舐めた。
その仕草にカレンはドキリとする。
「店主、私にもエールを」
思案していた店主は、いきなりのジェラルドからの注文にハッとするも、「へい!」と快く答える。
「ジェラルド様、もしかして私に味見をさせましたか?」
その言葉にジェラルドはははは…と笑う。
「いや、あなたが余りにも旨そうに呑むから」
と、とても楽しそうだ。
店主はジェラルドの前にジョッキを置くと、ジャック・エバンズについて話し始めた。
「ヤツなら毎晩ここに来ますよ」
「え?!」
ジェラルドも驚いている。
「今日も来るかしら?」
「おそらく、来ます」
ならば…
「いつも何時頃来る?」
ジェラルドが聞く。
「そうですねぇ…まちまちですからねぇ。開店同時の時もあれば、真夜中や閉店間際に来る時も…」
予想はつかないってことね…。
「たぶん今日は開店同時に来るよ」
掃き掃除をしていたティムが突然声を上げた。
「なぜわかるの?ティム」
カレンはティムを振り向き問う。
「昨日帰るときに『明日のオススメは何だ』って聞かれたから、卵が余ってるから卵料理と肉屋の特売日だから串焼きかなって答えたんだ。そしたら『そりゃ楽しみだ』って言ってたから。あの人そういう時って必ず開店と同時に来るんだ」
と言うと、ティムは掃除に戻った。
なんて賢いのかしら!
カレンは驚いた。
「なるほどねぇ…」と、店主も感心している。
「確かにいつもオススメ頼みますよ。ヤツは」
ならば、今日ここで会える。
カレンはジェラルドをチラリと見た。
ジェラルドは懐中時計を見ると、外にいるネイサンに目配せをして呼んだ。
「はっ、承知しました」
とネイサンは応え、足早に{ 黒猫亭 }を去った。
「開店までここで待たせてもらってもいいだろうか」
ジェラルドは店主に問う。
「あ、え!ウチは構いませんが…」
と、またもや驚いている。
カレンも驚いて、ジェラルドの顔をまじまじと見てしまった。
「いいのですか?ジェラルド様」
その問いに、ジェラルドは笑って答える。
「あなたと城塞街に…しかも居酒屋に来ることなんて滅多にないんだ。あなたの目的の達成でもあるし…開店前なら人も来ない。城には繋ぎをつけたから心配ない」
「ありがとうございます…ジェラルド様」
カレンは予定が変わったことを心苦しく思ったが、カレンの望みを叶えてくれたジェラルドがありがたかったし、やはり頼もしかった。
となれば、と席を移動し時間を潰すことにした。
ジャック・エバンズはいつもカウンターの隅へ座るとのことで、そこが見える目立たない席へとあらかじめ移動し、エールと街の人からもらった食べ物を机に広げた。
店主とティムには、二人に構わず開店準備をしてもらう。
街の居酒屋で、ジェラルドと向き合って座っている。
目の前にはエールと焼菓子や揚げパンが並ぶ。
カレンは思いがけない状況が楽しい。
ジェラルドも雰囲気が軽く、まるでデートのようで、カレンは面映ゆい。
「この前、あなたが呑み比べをしていたのはあそこの席だな」
ジェラルドがエールを呑みながら、指差す。
「はい」
少し前のことなのに、何だか懐かしい。
「もうあんな無茶はしません」
「当たり前だ。何度もあっては私の心臓が持たないぞ」
二人は笑い合う。
「レディとの勝負に負けたヤツ、あれから閣下やレディの悪口を一切言わなくなりましたよ。絡み酒がなくなって…助かってます」
カウンターの中から、作業をしながら店主が話す。
「そうなのね…」
約束は守ってくれているらしい。
ふと見ると、ティムがテーブルごとにテキパキと調味料をセットしている。本当に働き者だ。
…そういえば、ティムは私に何か話があったのでは…?と思い出した。
でも彼は仕事中だし…でも気になるわね。
「ご主人、少しティムと話をしてもいいかしら?」
店主は顔を上げぐるりと店内を見回し、準備が整っていることを確認すると「どうぞ」と気軽に言った。話のわかる店主で助かる。
「ティム、こちらへいらっしゃい」
カレンはティムを呼ぶと、隣へ腰掛けさせた。
ティムは何のことだ?という顔だが、素直に座った。しかし向かいのジェラルドを見て緊張している。
カレンは少し声を落としてティムに尋ねる。
「あなた、さっき私に何か言いかけたわよね、何だったの?」
ティムはハッとしてカレンの顔、そしてジェラルドの顔を交互に見た。
「あの、いえ…僕…」
「ジェラルド様が居ると言いにくい?」
カレンは気遣ったが、ジェラルドは何でだ?という顔をした。
「僕…」
と、ティムは背筋をピンと伸ばした。
「騎士になるにはどうしたらいいですか?」
真っ直ぐにジェラルドを見ている。
ジェラルドはエールの入ったジョッキを机に置き、ティムの目を見つめ返した。真剣な顔をしている。かなり厳しいと言ってもいい。
「ティム…といったな」
「はい」
「なぜ騎士になりたい?」
「…」
ティムは俯いて黙った。
「ティム?」
カレンは心配になる。
「最初は、母さんに楽させてあげられるかなって思いました。給料がいいって聞いたから」
「……」
ジェラルドは黙ったままだ。
「でも、レディがここで勝負された時、閣下をはじめ駆けつけた騎士の皆さんを見て…」
ティムは顔を上げてジェラルドと向き合う。
「僕も何かを…誰かを守れる存在になれるものだろうかと思ったんです…僕は、今は母さんを守りたい。でもこのままじゃダメだとわかってます。体も小さいし学も身分もありません。でも努力したい。みんなのために何かできるようになりたいです」
カレンは呆気に取られた。
こんな小さな男の子のこんなにも立派な決意を聞いたのは初めてだった。
その横顔はもうすでに“男”だと言える。
話を聞いていたジェラルドは、ゆっくりと話はじめた。
「働いている者は、すべて“みんなのために何か”をしている。騎士である必要はない」
「…はい」
結構ピシャリと言うものよね…とカレンは思ったが、ジェラルドがティムの本気に真摯に答えようとしているのがわかる。
「学も身分もないと言ったが、何も持ってない所から努力を重ねて騎士団長になった者もいる」
アイザック卿のことね。
「しかし見た目の華やかさとは違って、想像以上に厳しい世界だ。常に死と隣り合わせで騎士を辞めるまでそれは続く。途中で脱落する者も多いが、努力をし続けなければそれも当然の結果だな」
「……」
ティムの表情は硬い。
「ティム、何かを誰かを守る存在になれるかどうかは、お前次第だ。努力をしたいというなら、存分にする機会はある。...ダヴィネス城はいつでも受け入れるよ」
ティムがハッと顔を上げた。
「すべては自分次第ということだ。それを決められる男になれ」
ジェラルドは微笑みを浮かべている。
…すごい。なんという説得力だろう。
ティムと並んで、カレンも口を手で押さえていた。
「…はい」
「ズズッ」と、カウンターの方から音がする。
見ると、店主が涙ぐんでいた。
「…すいません。俺、感動しちゃって…」
カレンはジェラルドと顔を見合せた。
聞けば、亡き友人の子供であるティムに店を手伝ってもらってはいるが、目端は利くし、頭がいい。どう見ても器が違う。
「こんなとこで働かせていいわけないって、思ってはいたんス…でも俺にはどうしてやることもできなくて…結局ティムに甘えちまってて。でもまさか、騎士になりたいとは…」
「おじさん…」
ティムは心配そうだ。
「レディがここで呑み比べしてくれなきゃあ、こんな機会もなかったですよ。俺は嬉しいよ、ティム。閣下もおっしゃった通り、男の決断は自分次第だ。お前なら何でもできるんだ。こんなとこで燻ってちゃお前の親父に顔向けできねーからな」
と、またもや涙ぐんでいる。
「城塞街の詰所に話を通しておこう。お母上のこともあるだろうし、すぐにとは言わない。決心が着いたら、詰所へ言うといい」
「わかりました。閣下、レディ、僕に機会を与えてくださってありがとうございます」
ティムは律儀に頭を下げ、開店準備に戻った。
なんだか、もうすでに成長しているような気がする。
カレンはティムの背中を見て思った。
「…男の子って、不思議です」
「ん?」
「だって、あんなに小さくても、もう将来を見据えてて」
「そうだな…きっかけさえあれば、そう成らざるを得ない時もあるし…環境にもよるかな」
…確かに。ジェラルド様は生まれた時から領主になる運命だったし。
「自分次第って、なんだかうらやましい」
カレンは女である自分を思った。
貴族の子女は生まれてからは父の、次いで嫁いでからは夫の所有物というのが一般的な常識だ。カレンはジェラルドから意思や存在を尊重してもらっているが、やはり男性の立場とは比べ物にならない。
そんなカレンを見て、ジェラルドは少し慌てる。
「いや実際のところ男は厄介なんだぞ、カレン」
「そうなのですか?私はたまに男性に生まれたかったと思います。さっきのジェラルド様のお話を聞いたらなおのこと」
ジェラルドははぁ、とため息を吐くとカレンの顎を摘まんだ。
「それでは私が困るんだ」
わかっています。とカレンが言うと「本当か?」とジェラルドが返す。
二人は笑い合う。
そんな仲睦まじいやり取りを店主は横目で見るにつけ、鬼神と吟われる閣下も、レディの前では人間の男なんだなぁとしみじみしていた。




