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辺境の瞳~カレンとジェラルド~  作者: 鵜居川みさこ
第二章
43/75

43.【番外編】Flowers of Daviness

※「follow your heart」から「辺境の伊達男、もしくは悪魔」の間のお話です。

 ダヴィネスに来た時から、カレンは行きたい店があった。


 それは、以前から愛用していたダヴィネス産の香水の店だ。

「Flowers of Daviness」と名付けられたその香水は、王都の化粧品店でも扱う数がごく限られていて、カレンは常に手元にストックしていた。

 化粧品店には他にも数種類のダヴィネス産の香水はあったが全種類ではなく、ダヴィネスの直営店のみで全種類の扱いとのことで、是非とも訪れたい場所のひとつだった。


 カレンはベアトリスのお見舞いに行った際に、城塞街の香水店まで足を伸ばすことにした。


 様々な店が並ぶ広場に面した店は、一見すると見逃しそうなほど目立たない扉で、大きな看板もない。扉の隣の小さなウィンドウには石鹸や香水が品よくディスプレイされており、それが目印となるだけだった。


 今日の護衛はネイサンで、香水店に立ち寄ることを告げるといつものように扉の外で待ってもらう。

 短時間の外出だったし、香水店には一人で行きたかったのでニコルは伴わなかった。


「こんにちは」

 カレンは扉を開けようとしたネイサンを制して自ら扉を開けた。


「いらっしゃいませ」

 30代くらいだろうか、店内と同様に品の良い落ち着いた雰囲気の男性店員が迎えてくれた。

 王都では香水は化粧品店に置いてあるので、女性店員が常だが、ここは違うらしい。


 店内は女性らしさは皆無で整然としているが冷たさはなく、高級感が漂う。それがかえって商品の品質を物語るようで、カレンは好ましさを感じた。

 カレンの他には客はいない。


「レディ、よろしければご用向きをお伺いいたします」

 男性店員が微笑みながら如才なく尋ねてくる。


「あの…香水を見させていただけるかしら?」


「はい、もちろんです」


 カレンは香水がズラリと並ぶ棚の前へ案内された。


 こんなに種類があるのね…


 カレンは驚いた。

 王都の店では、せいぜい3種類ほどしか見たことがないが、ここはざっと10種類はくだらない。


「…失礼ですが、レディは王都からお越しですか?」


 カレンの外見や身なりから予想したのか、男性店員がさらりと尋ねる。


 どう答えようかしら…

「いえ…あ、はい。少し前に」

 嘘ではない。


「やはり。失礼いたしました。こちらにはよく王都からもお客様がお見えですので」


「そうなのね」

 納得だ。全種類はここにしかないのだから、こだわりのある貴族が訪れてもおかしくはない。


「レディがご使用のものはこちらですね」


 と、男性店員はカレンが愛用しているものと同じ香水…『Flowers of Davines』を手に取った。


「…! おわかりになったの?」

 カレンはビックリした。男性店員とは近づいた訳ではないのに、ズバリと言い当てられたのだ。


「はは、はい。商売柄、纏われている香りには敏感でして…」

 と、愛想の良い反応だ。

「でも…」と男性店員は続ける。

「香りの立ち上り方は人それぞれですので、その方の香りと相まって、香りの個性は異なります」


「?」

 カレンは「どういう意味?」という顔だ。


「例えば…失礼いたします」

 と言うと、男性店員はカレンの耳元へ顔を寄せた。


 一瞬驚いたが、嫌ではなかったのでそのままでいる。


「…レディの場合、『Flowers of Daviness』の甘さと…白い花の凛とした涼やかさが際立っておいでです」

 と、にっこりと微笑む。


 え!そんなことまでわかるの???


 カレンは目を見開いた。

「…驚きました」

 素直に感想を述べた。


 面白い。カレンは俄然興味が湧く。

 他の香水も試してみたい気がむくむくと生じた。


「他のものも試してみても?」

「もちろんでございます」


 ムエットに次々と香水を吹き掛けてもらい、鼻へ近づける。


 valley of Daviness

 summer solstice

 snow drops

 full moon

 grass

 autumn leaves

 lakeside

 forest

 the sound of hooves

 dark night

 ・

 ・


 途中、かぎ分けの手助けとして、珈琲豆の出がらしを匂う。


 どれも奥深く素晴らしい香調で、なんといっても付けられたタイトル通り、ダヴィネスの季節の光景が次々と頭に浮かぶ。中にはクスッと笑えるようなタイトルもあってユーモアのセンスも抜群だ。


 これは感動だわ…


「…これらを作られた調香師の、ダヴィネスへの深い愛を感じます…」

 カレンはポツリと呟いた。


「!…それは…祖父も喜びます」

 男性店員はさも嬉そうだ。


「調香師はお祖父様なのですか?」

 カレンは男性店員の顔を見た。


「はい。今も現役ですが、以前ほどは鼻が効かなくて…幸運にも『鼻』は私に遺伝したようで、今は調香を手伝っております。まだまだ勉強不足ですが…」


「そうなのですね…」


 カレンはしみじみとする。


 皆に知ってもらいたいが、隠しておきたい…そんな宝物を見つけたような気分だった。


 王都へも限られた種類しか卸してないことから、原料の希少さや、ダヴィネスのものをダヴィネスで売る、という並々ならぬこだわりをヒシヒシと感じ、そのような職人気質にもカレンは感じ入った。


 人知れず熱くなる胸の内のまま、カレンは最後のムエットを鼻に近づける。


「…あ」

「どうかなさいましたか?」


「あ、いえ…」


 カレンは手に取ったムエットの香水瓶を見た。


『deep forest』


 これ、ジェラルドの香りだわ…

 カレンは頬がじわじわと熱くなるのを感じる。


「…ああ、これは特別な香りなんです」

「特別?」


「ええ」

 調香師の孫は『deep forest』の瓶を手に取り続ける。


「さる高貴な方の成人の儀のために祖父が創作したもので…ここには飾って試していただけますが、非売品ですね。原料が希少なせいもありますが…」


 と、少し申し訳なさそうに説明した。


 カレンは頬の熱さを気取られないよう、ふんふんと頷く。


『deep forest』の説明は続く。

「こちらの『forest』は、いわゆる男性がよく使うシダーウッド系ですが『deep forest』はもっと野性的で濃密ですね。祖父のイメージですが、そのお方はまさにダヴィネスの“雄”なので。納得の香りですね」

 と、付け加えた。


「…」

 カレンはなんとも返事がし難いし、とてつもなく恥ずかしい。


 恐らく、ジェラルドだけの香り、というのは最もで、男性的で野性的な香りに包まれていると安心するしドキドキもする。


 ふう。


 カレンは気を取り直して、今日は石鹸と入浴剤をいくつか買うことにした。どれもダヴィネスの花やハーブの自然の香りを存分に生かしたもので、使うのが楽しみだ。


「たくさんのお買い上げありがとうございます。…これはまだ秘密なんですが…」と、調香師の孫は商品を確認しながら話す。


「来年に先ほどの高貴なお方がご結婚なさるので、祖父はそれに向けて久しぶりに新作を調香しているのです」


「え?!」

 カレンは自分でも驚くほどに声を上げてしまった。


「なにか?」

 調香師の孫は、カレンの驚きぶりに不思議そうな顔だ。


「いえごめんなさい。…新作とは楽しみですね。それは非売品ではなく?」

 まさかそんなサプライズがあるとは予想だになく、カレンは「普通の」客を装うことで精一杯だ。


「ええ恐らく…おめでたいことですので…ただし祖父の気が変わらなければ、ですが」

 と、孫は微笑んだ。


 カレンは会計を済ませた。

「お客様、お品物が重いので、よろしければ後ほどホテルまでお届けいたしますが?」


 そうだ。どうしよう。ネイサンに持ってもらってもいいけど…でも。


 カレンは考えあぐね、えいやっと覚悟を決めた。

 こことは恐らくこれからもお付き合いは続く。変に隠さない方がいいと考えた。


「そうね、ホテルではないのだけれど、届けていただけるかしら?」


 はい、もちろんでございます!と言うと、孫はアドレスカードとペンをカレンに差し出した。


 お名前:カレン・ストラトフォード

 お住まい:ダヴィネス城


 さらさらと書くと、孫に差し出した。


「…え?」

 アドレスカードを見た調香師の孫は、なんのことかわからない顔で固まり、次に顔を上げてカレンを見た。


「あ、あの、ごめんなさい。また」

 と、カレンはそそくさと立ち上がり、扉にむかう。


「あの!」

 孫は追い掛けようとしたが、

「新作を楽しみにしております」

 とだけ言い残して足早に去った。


「何かありましたか?」

 カレンの様子を見て、ネイサンが心配そうに声を掛ける。


「ううん、なんでもないわ」


 面映ゆく、清々しい。

 熱くなった頬をダヴィネスの冷たい外気にさらされ、カレンは新作はどんな香りだろうと思いを馳せた。


 ・


「…...」


「ジェラルド様、どうかしましたか?」


 ディナーの前にカレンの頬に口付けると、ジェラルドの動きが止まった。


「香水を変えた?カレン」


 ん?


「…いえ、あ、でも」


 ジェラルドはなおもカレンの耳元へ顔を寄せて息を吸い込む。と同時に『deep forest』の香りがカレンを包み込む。


 カレンは瞬時に頬を赤らめた。

 …ジェラルドの体温で温められた香りは、一層の色香を纏い、カレンを捕らえる。


 ジェラルドの鋭い嗅覚は、香水店であれこれと試したカレンに重なった香りの変化に敏感だ。


「…いつもと違う」

 カレンの両肩を抱き、耳元に唇を寄せたジェラルドが呟く。

 少し不満気な口振りだ。


「あの、今日は城塞街の香水店へ行って…あれこれ試して…それで…」

 カレンはしどろもどろになる。


 使用人達が二人の様子を微笑ましく眺めている。


「…変えることにした?」

 カレンは真剣なジェラルドの表情に思わず笑いが込み上げる。

「ふふ、いいえ」


 そうか、ならいいんだ。とジェラルドはなぜかホッとした顔だ。


 そして、またカレンの耳元に顔を寄せた。

「あなたの肌から香るあの香りが好きなんだ」

 そう呟くと、カレンの赤くなった頬を軽く摘まみ、にこりと微笑んだ。


 ジェラルド様ったら!


 やっとカレンの体を解放したジェラルドと共に席へ着いた。


 ・


 翌日、城塞街の香水店からカレンの元へ、丁寧な詫び状とともに、特製のボトルに詰められた『Flowers of Daviness』が、昨日買った石鹸と一緒に届けられた。


 ・


『mariage』


 後に、カレンとジェラルドの成婚を記念して創られた香水は限定販売で、ファン垂涎の作品となる。

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