41.【番外編】噂(上)
※「follow your heart」から「辺境の伊達男、もしくは悪魔」の間のお話です。
「骨抜き?」
「シーッ、声を落として!」
城塞街のとあるカフェ。
カレンはパメラとお茶を楽しんでいる。
3段重ねのティースタンドに見目麗しく盛られたスウィーツやサンドウィッチ、本格的なアフタヌーンティーだ。
カレンはレースのことがあって以来、城塞街によく足を運ぶようになった。
ダヴィネスに来る前は、ここに「街」が存在することすら知らなかった。しかし実際、ダヴィネス城のお膝元とも言える城塞街は活気溢れるれっきとした「街」で、王都までとはいかなくとも、すべてが申し分なく揃っていて何の問題もない。
パメラ曰く「ちょうどいい」のだそうだ。
カレンは、パメラやベアトリスに連れられ、カフェやドレスメーカー、スウィーツショップ、雑貨店…等に足を運んだ。市井の様子もよくわかり、何より楽しい。よい機会だから、と孤児院への慰問に行けたことも意義深かった。
街には大きな広場もあり、民の生活は活気に溢れている。
もちろん飲み屋街などの多少ガラの悪い場所もあるが、訪れるのは昼間であることと、カレンは常に護衛付きなので心配はない。
今日訪れたカフェは、香り高い茶葉と本格的なスウィーツの楽しめる場所として、パメラの一押しだ。何でも王都で修行したパティシエが居るとか。
なるほど、お茶もお菓子も一口食せばカレンも納得だった。
ただ、王都でうんぬんより、素材へのこだわりと丁寧な仕事振りの成果だとカレンは受け止めた。
パメラとの楽しいお喋りと美味しいお茶にホッと一息ついていた時に、「骨抜き?」の言葉がカレンの耳に飛び込んできた。
それはカレンの後ろの席の、恐らく商家のご婦人風情の二人組からだった。
「骨抜き?」の声があまりにも大きかったため、カレンとパメラは目を合わせた。
カフェは噂の坩堝…これは王都と変わりない。
聞くともなしに耳に入ってくるのは、カレンを驚愕させる内容だった。
「…なんでも、王都仕込みの手練手管で…」
「夜を通して…閣下を眠らせず…」
「…侯爵令嬢の身分を傘に…」
「ワガママ放題で…贅沢三昧とか…」
「嫌だわ、そんな方が辺境伯夫人に?…」
???
それって、私のこと??
カップを持った手が固まる。
今や背面に全神経が集中している。
向かいのパメラは渋い顔だ。
とどめは…
「閣下の“鬼神”のお名前に傷が付きますわ」
!!!
カレンは愕然とした。
誰が、いやどこから…そんな話が…
あらっもうこんな時間、帰らなきゃ と言うだけ言うと、ご婦人二人組はカフェを去った。
「…カレンさん、お気持ちを害されたかもしれないけど…口さがない連中はどこにでも居るわ」
パメラが二人が扉を出たことを確認して、静かに話す。
「根も葉もない噂は、無視よ、無視」
ね?といつもの優しい眼差しだ。
まさか噂の張本人が後ろの席に居るとは予想だにしていなかっただろうが(結婚式はまだなのでカレンの顔は民には知られていない)、かなり毒気の強い内容にカレンは心を砕かれた。
噂の恐ろしさは、王都で嫌というほど味わっている。良くも悪くも人の興味を煽り、人知れず広がっては跡形もなく消える。
「…はい」
カレンはパメラの言葉虚しく、落ち込んだ気分のまま城へ帰った。
・
ディナーまで時間があるので、いったん自室へ戻る。
ニコルに着替えを手伝ってもらう間も、ご婦人達の声が頭の中でぐるぐると回る。
…それにしても「王都仕込み」って…
カレンはダヴィネスへ来てから気づいたことがある。
どうやらこちら(ダヴィネス)の人達は、王都に対する対抗心が強いようだ。
城の使用人達からはそのような雰囲気は感じられないが(カレンに気を遣っている節もあるが)、城塞街に出るとよく感じる。
「王都にも負けない○○」
「王都には無い○○」
など、よく耳にする。
かと思えば、カフェのパティシエのように「王都帰りの○○」と言ったことも聞く。
ダヴィネスの矜持と王都への反発と憧れ、それらがない交ぜになっている。
カレンは王都から来た者として、それがとても興味深い。
ダヴィネスは間違いなくこの国になくてはならない特別な地域だ。辺境軍なくしてはこの国の平安は無いに等しい。ゆえに民心の独立心も高く、一国と称される。
だが、王都の貴族達が安寧に暮らしていられるのは辺境軍の存在ありきなのを忘れてはならないことと同様に、またダヴィネスの民達も、ジェラルドをはじめとする辺境軍の陛下への忠誠を忘れてはならない。
ダヴィネスに住む様々な立場の人間で、当たり前だがその認識は異なる。
それもまた、ダヴィネス特有と言える。
ダヴィネスに住まう一部の者にとって、王都から来た、まだ見ぬカレンは格好の噂の餌食なのだ。
「お嬢様、なにか心配事でも?」
ソファに座り込み、眉根を寄せて考え事をするカレンをニコルが心配する。
「…ううん、所変わればって思ってたの」
「?」
ニコルの素直で明るい性格のせいか、彼女はダヴィネスの使用人達から可愛がってもらっているようで、カレンは安心している。
…カフェでのことは、ジェラルド様には言えないわね…
だが、カレンの思惑は大きく外れることになる。
・
「待たせた、カレン」
先にディナーの席に着いていたカレンに言うと、ジェラルドは席に着いた。
会議が長引いたらしい。
その前にカレンの頬へキスを落とすことは忘れない。
穏やかな雰囲気の中、ディナーを共にする。
「今日はパメラと城塞街へ?」
「…はい」
ジェラルドはディナーを共にする時は、必ずその日のことをカレンに尋ねる。その日にあった出来事や感想を話す時、ジェラルドはカレンの表情をじっと見つめる。
例のカフェの話に差し掛かった時、ご婦人方の噂話はきれいに割愛したが、カレンは一瞬言いよどんだ。
ジェラルドはそれを見逃さない。
「何かあった?」
ネイサンからは何も報告はなかったが…と呟き、食事の手を止め軽くだが聞いてくる。
「いえ何も」
笑顔で答えるが、ジェラルドは片眉を上げる。
「カレン?」
この世の中に、この深緑の瞳の追及を逃れられる人なんているのだろうか。
カレンは早々に言い逃れは止める。
『ここではちょっと』
顔を近づけてこっそりと。
使用人達の前で話すのは憚られた。
ジェラルドはわかった、とばかりに頷いた。
・
どちらかの寝室ではなく、以前レースの話をしたコンサバトリーに二人はいた。
恐らくジェラルドが話を早く聞きたかったのだろう。
コンサバトリーにも小さな暖炉があり、そのお陰でガラス張りでも十分に部屋は暖かい。
部屋には二人きりだ。
ジェラルドは食後酒を、カレンはシェリーをかけたアイスクリームを食べている。
以前と同じように広いソファ…今は毛皮のカバーが配されている…に並んで座っているが、その距離は以前とは違い、膝が触れあうほどに近い。
アイスクリームを美味しそうに頬張るカレンを見て、ジェラルドは素朴な疑問を投げ掛けた。
「冬なのに…寒くないか?そんなに美味しい?」
カレンはアイスクリームが好物で、年中食べることを好む。このデザートも料理長のオズワルドが気遣ってくれたものだ。
カレンは嬉しそうに、ふふふ、と笑う。
「暖かな部屋で食べるから、より一層美味しく感じます」
…そういうものか、とジェラルドは不思議そうだ。
カレンはデザートスプーンに、シェリーのかかったアイスクリームをひとすくい取ると、ジェラルドの口許に寄せた。
「試しに召し上がってみてください」
ジェラルドは躊躇なくパクリと頬張る。
…!
香り高いシェリーが甘いアイスクリームと混ざり、少しの苦味が互いを引き立てる。
「確かにいける」
ね?とカレンは嬉しそうだ。
「…カレン、城塞街で何があった」
ジェラルドはカレンを真っ直ぐに見つめて問う。
とたんに、カレンの顔から笑みが消え、アイスクリームの入った器を持つ手を膝の上に下ろした。
「カレン?」
ジェラルドは指の背でカレンの頬をなぞる。
こんな風に聞かれても、カレンは言うべきかまだ迷っていた。
噂は噂に過ぎない。時が立てば霧散することはわかっている。
気になるのは、自分のせいでジェラルドの名誉までもが傷付けられるのでは、ということだ。
ダヴィネスの民の尊敬を一身に受けるあなたの名誉が。
カレンは、さも言いにくそうにご婦人の話をポツポツとした。
それを聞いたジェラルドはと言えば…破顔一笑のあと、大笑いを始めた。
「ジェラルド様!」
カレンは、もう!何で笑うの?と、理解しかねている。
いや、悪かった、とジェラルドは笑いがなかなか収まらない。
まだ笑いを残した顔で、カレンの持つアイスクリームの器を奪うと、アイスクリームをスプーンにすくい、カレンの口許へ寄せる。
カレンは怒った顔のまま、素直に口をあーんと開けてスプーンを頬張る。
「たかが噂、されど噂だ」
それはよくわかる、と言い、またカレンの口へスプーンを運ぶ。
「うまく使う手もあるが…あなたの父上などはその手合いかな。だがほとんどの者は得てして踊らされる」
確かに。父や兄は王都で実にうまく噂を操っていた。
ジェラルドは自分にもスプーンを運ぶと、フッと思い出したように笑う。
「私などひどいものだぞカレン。この年まで結婚しなかったせいで男色の噂を立てられたんだ」
しかも相手はフリードとザックだ。
と、さも面白そうに微笑む。
「え?」
思わず聞き返してしまった。
「フリードはその手の噂はまったく気にしないが…ザックは本気でキレてたな、ぜんぶ私のせいだと」
ははっと声を出して笑う。
そんな、ひどい。国を守っている人達なのに…
「しかし今回の噂は、当たらずとも遠からず、でもあるぞ」
と、またカレンの口へスプーンを運ぶ。
カレンは目の前にアイスクリームの乗ったスプーンが来ると、条件反射のように食べてしまう。それはジェラルドが食べさせてくれるから、というのももちろんある。
でも、当たらずともって…いったいどこがなの??
ジェラルドは口の端に笑みを浮かべた。
「…骨抜きとか…夜通しとか」
色香を漂わせた思わせぶりな瞳でカレンを見る。
カレンは頬を赤らめる。
「そんな…」
とても面白がる気にはなれない。
ようやく器が空になり、ジェラルドはローテーブルに置くと、食後酒のグラスを取り口を付けた。
「良くも悪くも我々は注目される立場だ。それは逃れようはない」
諦めのような、ままよ、という言い方にも聞こえる。
「…ただ、今回の噂がピタリと収まる方法はある」
と深緑の目線だけカレンへと流す。
?!
それはなに?なんなの?
カレンはジェラルドの方へ身を乗り出す。
「あなたの花嫁姿を見れば、皆納得せざるを得ない」
ジェラルドは瞳を揺らめかせて、大真面目に言った。
…ん?でもそれって、何ヵ月も先のことじゃ
ジェラルドは身を乗り出したカレンの小さな顎を掬うと、ゆっくりと口付けた。
あ、お酒の香り…
次第に深くなり、ジェラルドの勢いに押される。
ジェラルドは口付けを続けながらローテーブルにグラスを置くと、カレンの背中へと手を回した。
ゆっくりと体重を掛けて、カレンをソファへ押し倒す。後ろ手をついていたカレンも、押されるままに毛皮のカバーへと沈む。
ジェラルドは唇を離すと泰然とした笑みを浮かべ、瞳に野生の衝動を顕にした。
すでにカレンのドレスに手をかけている。
「…ここで?」
「嫌?」
ガラス張りなので、もし誰か居たら外から見えるかも知れない。でも、ランタンと暖炉に照らされたジェラルドをもっと見ていたい。
カレンは「ううん」と、少し恥ずかしそうに首を横に振る。
その瞳に、欲望の揺らめきを宿して。




