37. 12月の晩餐会(下)
晩餐会のコースはデザートまで滞りなく進み、次のお楽しみへと場を移すことになった。
各々が娯楽室へ移動する中、カレンは目立たないようにパメラに近づく。
ディナーの間、気になってチラチラと見てしまったがあまり食も進んでないようで、心なしか顔色も良くない。
歩きながらそっと隣へ並んだ。
「パメラ様、もしかしてお加減がよろしくないのでは…?」
「カレンさん!まぁごめんなさい。私ならご心配なさらないで…実はね、昨日好物のジンジャーブレッドをつい食べ過ぎてね…」
途中からヒソヒソ声だ。
「そうだったのですか…」
それなら…
「胃がスッキリするハーブティでもお持ちしましょう」
と、近くにいるフットマンに声を掛けようとすると、パメラは慌ててカレンの腕を取った。
「いいのよカレンさん、私なら大丈夫だから…それよりあなた、ピアノ演奏をなさるんでしょ?楽しみだわ」
カレンはハッと現実へ引き戻された。
「…はい。緊張しております、とても」
パメラは、あら…と言い、コロコロと耳心地の良い声で笑う。
「そんな顔をなさらなくても大丈夫ですよ、あなたなら」
心配をしていたはずが、逆に励まされてしまった。
「ありがとうございます、あのパメラ様…本当にご無理はなさらないでください」
「わかってるわ、ありがとう」と淡褐色の瞳で優しく微笑むのを確認すると、共に娯楽室へと向かった。
ゲスト達はコーヒーや食後酒を好みで手にし、ゆったりと配された椅子やソファへ腰掛ける。
全員が席に着いたのを確認すると、ホストとして司会進行を努めるジェラルドがカレンが演奏することを告げた。
拍手が起きる。
ジェラルドは立っていたカレンの手を取りピアノまで誘導し、座ったカレンの耳元に「大丈夫、楽しんで」と囁くと、ウィンクした。
余計に心拍数が上がりそうだ。
ジェラルドは椅子には座らず、ゲストの後ろで立っている。
落ち着こう
自分に言い聞かせ、グローブを取ると譜面台の横に置く。
一度小さく深呼吸した。
まずは聞き馴染みのある軽めの楽曲を弾く。
昨日練習したお陰で、少し余裕がある。
うん、やはりこの深くて甘やかな音色…素晴らしいわ。
カレンは弾きながら、会うことは叶わなかったジェラルドの亡き母を思った。
ダヴィネスの名家のご出身で、王都で社交界デビューもされた貴婦人だったと聞いている。
カレンの腕前ではとてもご満足はいただけないだろうが、今はこの素晴らしいピアノを通じて、背中を押してもらっているような気がした。
1曲目が無事終わり、2曲目は歌唱をしながらの演奏だ。
昨日も練習した楽曲で、流麗な曲調にせつない恋心を乗せる。
♪
遥かなる大地 吹き抜ける清風
逸る心は山河を越えんとす
君想う 心届かず
儚き夢に泣き濡れし闇夜
君想う 声届かず
明けの星に祈りも虚しく
幻の朧 果てなくさ迷う…
♪
皆、聞き入ってくれているように見え、ホッとする。
温かな拍手に、その場で立って礼をした。
次に、ジェラルドがピアノの方へミス グレイをエスコートしてきた。
ミス グレイと顔を見合わせて微笑み合い、伴奏をはじめる。
!
第一声目から、カレンは度肝を抜かれた。
すごい歌声…!
ピアノ越しに見渡すと、ゲストの皆も目を丸くしている。
これは…ちょっと段違いだわ…
ミス グレイの清楚な雰囲気からは想像できない、堂々とした歌いっぷりだ。
声質、声量、嫌みにならない技巧、どれをとっても文句のつけようがない。
文句どころか、実にしなやかに艶やかに歌い上げている。
カレンもこれ程の歌い手は初めてだった。
姉も大した歌い手だったが、彼女には劣るだろう。
もう一度ゲストを見回すと、皆うっとりと聞き入っている。アイザックなど口を開けたままだ。ジェラルドもまた感心した様子だ。
…先に歌っておいて良かったわ。
カレンは本気で思った。
ミス グレイの歌唱が終わり、皆立って拍手を送る。
カレンも立ち上がり、惜しみ無い賛辞を。
と、カレンはパメラが座ったままなのを見てハッとした。
俯いた顔が真っ青だ。
やっぱり!お加減が良くないのだわ…
カレンはジェラルドに目で合図をしたその時、いち早くパメラの元へ行き跪く者がいた。
フリードだ。
ジェラルドが近づく前に、フリードがパメラを横抱きにするとさっさと娯楽室を去った。
ジェラルドも後を追う。
部屋を出る直前にジェラルドと目が合った。
カレンは小さく頷く。
おやおや?と多少ざわついたが、場の雰囲気はミス グレイの歌声に沸いている。
カレンは機転を聞かせる。
「ミス グレイ、素晴らしい歌声をもう少しお聞かせ願えませんか?ご自身の伴奏で」
称賛の拍手を浴びたミス グレイは、頬を紅潮させ嬉しそうだ。
「ねえ、皆様?」
と、問えば、ゲスト達もうんうんと首肯した。
ミセス グレイも誇らしく嬉しそうに頷く。
「ではどうぞこちらへ」
カレンは席を譲る。
良かった、場繋ぎできたわ。恐らく、1曲では終わらないはず。
カレンは急ぎグローブを着け直すと、目立たないようにそっと部屋を出た。
すぐにモリスがパメラが運び込まれた客室に案内してくれた。
そっと入ると、横たわったパメラ…顔色は変わらず青い。その枕元でパメラを見つめるフリード…も同じように真っ青だった。
ジェラルドは少し離れて様子を見ている。
侍医が診察している。
…診察しているが、フリードはそのまま側に居る。
ジェラルドを見ると、何かもの言いたげに見つめ返された。が、今はパメラのことが心配だ。
と、階下から拍手が聞こえたので、カレンはひとまず娯楽室へ戻ることにした。
『詳しくはあとで』
と、ジェラルドがコソッと言うので、はい、とだけ返した。
階段を降りながら、カレンは先程のフリードの様子を思う。
あれはどう見ても…でも別におかしい話ではないわ。
ジェラルドが席次を変えた理由も納得できるもの。
でも問題は…
カレンは内心パメラが心配で仕方ない。
今回はアーヴィング伯爵絡みで無理をお願いしてしまったし…
なんてことだろう。
カレンの勘が当たっているならば…パメラは恐らく妊娠している。
フリード卿は知らなかったのではないかしら…
娯楽室では、自演で歌を披露したばかりのミス グレイを囲んで、皆が話に花を咲かせている。
…よかった
カレンはホッとすると、ふとベアトリスが近づいてきた。
「カレン様、レディ・パメラのお加減は?」
気づいてたのね…
「今上で侍医に見てもらってるの」
「…そうですか」
二人はミス グレイを中心とした話の輪を眺める形で並ぶ。
少し間をおいて、ベアトリスが話し始めた。
「…フリードは昔からレディ・パメラが好きだったんです。恐らく一方的に」
…そうか。
辛い恋だったのかも知れない。
カレンは、ふと先程自らが歌った曲を思い出した。
「兄も知ってたけど…どうかするわけにも…」
それはそうだわ...まだ叔父上様がおられたのであればなおさら。
「結婚すればいいのに…」
ベアトリスは呟く。
確かに。
フリードは独身だし、パメラは未亡人。身分的にもなんの障壁もないはずだ。
…ということは…
「パメラ様のお気持ち次第なのかも知れませんね」
「…そうですわね」
ベアトリスはしんみりと答えた。
・
通常だと、このあとは男女別れてそれぞれのお楽しみ…女性はおしゃべり、男性はカードやビリヤードなど…の時間となるが、外を見れば雪がしんしんと絶え間なく降り積もっている。
ダヴィネスに住まうゲスト達は雪のことも周知なので、馬車が動けなくなる前にお暇しよう、ということになった。
皆、パメラのことは気づいているだろうに聞いてはこない。こういう気の遣われ方はありがたい。
パメラはフリードに任せてきた、というジェラルドと一緒に、馬車寄せでゲストをお見送りする。
素晴らしい会をありがとう、とか、よいお年を、など、来たときよりも親密さが増していて、カレンはそれが何より嬉しかった。
女性ゲストとは、新年早々のお茶会の約束などもする。
「今日は泊まるつもりだったのにー」というベアトリスを、気の良いモイエ伯爵が諭して馬車へ乗せる。
来た時と同じく、ベアトリス達の馬車でミセス、ミス グレイのお二人も帰る。
「何だかバタバタとごめんなさい、ミス グレイ。素晴らしい歌声と演奏をありがとうございました」
カレンは今宵の歌姫に声を掛けた。
「いえ、こちらこそありがとうございました…久しぶりに気持ちよく歌えました。ご機会を与えてくださったことに感謝いたします、レディ・カレン」
ミス グレイは興奮覚めやらぬ様子で顔を綻ばせてカレンに礼を述べた。
…やはり、何か理由があって王都からこちらへ来られたのね。恐らく素晴らし過ぎる歌声に関係すること…
社交界では、出る杭は打たれる。高貴な出自と強力な後ろ楯がなければ、それは確実だ。
「…ミス グレイ、また遊びにお越しください。そしてその歌声をお聞かせくださいな」
続けてミス グレイの耳元で囁く。
「…もしよろしければ、私に歌唱のご指導を」
びっくりするミス グレイに、いたずらっぽく微笑む。
「まあ!…いえ、あの、はい、私などでよろしければ…」
堂々とした歌唱の姿からは想像つかないように恥じ入るが、カレンはまた楽しみがひとつ増えたことが嬉しかった。
ベアトリス達の馬車を見送ると、最後に残ったアーヴィング伯爵がカレンに近づいてきた。
「…若さとは特別ですな」
「ええ、まさに。ミス グレイやアビゲイル様は、可能性に溢れておられます」
「わしにとれば、皆まだこれから…レディもそのお一人だ」
と、深い皺の中の目をカレンに向けた。
とたんに後ろにいるジェラルドが殺気を放つ。
「…ジェリーよ、その様にあからさまに年寄りに気を放つでない」
おのれもまた若いわ…と苦笑混じりだ。
ジェラルドは複雑そうな顔で、カレンの腰に手を回してきた。
「…さて、今回わしを呼びつけたのには他に訳があるのだろう。…また改めて邸に来るがよかろう」
「…伯爵、痛み入ります」
さすがの﨟長けた反応に、ジェラルドは態度を切り替えた。
「…レディ、キスをしても?」
え!
私は構わないけど…とジェラルドの方を見ると、思い詰めたような表情ではあるが、理性で怒りは圧し殺している。
つまりは私次第ってことね。
カレンは一旦ジェラルドの腕を逃れ、アーヴィング伯爵へ近づく。
伯爵はカレンの腕を捕らえると頬へキスし、カレンも顔を傾けて素直に受けた。
伯爵は目元の皺を深める。
「…ありがとう、レディ・カレン。素晴らしい夜だった」
深い微笑みに、カレンはドキリとする。
伯爵はジェラルドへ「またな」と不敵な笑みを投げると、ダヴィネス城が用意した馬車へと乗り込んだ。
「…クソジジイ…」
後ろでジェラルドが絞り出すように呟くが、カレンは振り返る勇気がなかった。
「ジェラルド様、フリード卿が執務室でお待ちです」
タイミング良く、モリスが声を掛けてきた。
振り返ると、ジェラルドはふーっと深い息を吐き、わかったと言い執務室へ向かい掛け…踵を返してカレンを強く抱き締める。
少し痛いくらいだが、カレンはされるがままでいた。
ジェラルドはカレンの額にキスを落とすと「あとで」とだけ言い、執務室へ向かった。
晩餐会は終わった。




