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辺境の瞳~カレンとジェラルド~  作者: 鵜居川みさこ
第二章
36/75

36. 12月の晩餐会(中)

 晩餐会当日。

 雪は降らず、馬車も問題ない程度の積雪だ。


 篝火で映し出されたダヴィネス城の馬車寄せに、次々とゲストの馬車が到着する。


 ・


 少し前、カレンの自室。


 ニコルをはじめ、数人の侍女により準備されたのは、モスグリーンと金のドレスに身を包んだカレンだ。

 金のレースはカレンが見出だしたダヴィネスの特産品で、極上のもので手配された。モスグリーンは…言わずと知れたジェラルドの瞳に合わせている。城塞街のドレスメーカーで設えたものだった。


 その仕上がりはまさに“女神降臨”といった神々しいまでの姿で、部屋中からため息が漏れる。


「…お嬢様!本当になんて素晴らしい…」

 ニコルの頬が紅潮している。


「ありがとう」


 夜会の盛装は久しぶりのカレンも気分が高揚していたが、本番はこれからだ。


 でも、夜会らしく大きく開いた胸元にはアクセサリーがまだだった。

「…ニコル、ネックレス…それとイヤリングは?」


 ニコルは、ウフフ、といたずらっぽく笑うと「少しこのままお待ちくださいませ」と言いながら部屋を出ていった。


 ?


「入るぞ」

 入れ替わってジェラルドが入ってきた。


「!!」


 カレンは息を呑んだ。


 カレンをはじめ、部屋にいた侍女達は全員動きが止まり、次に一斉に色めき立った。


 ジェラルドは夜会用の艶やかな燕尾服を隙なく着こなしている。


 以前、兄と行った夜会で遠目に見ただけの燕尾服姿だったが、間近で見るとその迫力と眩しさに目を瞠る。

 厚い胸板にぴったりと設えられ、軍服姿とはまた違う抗し難い貴族的な魅力を放っている。


 ジェラルドもまた、カレンの完璧な淑女姿に釘付けだった。


 二人とも見つめ合ったまま、一歩も動かない。


「ジェラルド様、カレン様、ご用意を」

 ジェラルドの後からニコルと共に入ってきたモリスが、時の流れを戻してくれた。


「あ、ああ…カレン、なんというか…」

 珍しくジェラルドが言いよどんでいる。


 スッとカレンに近寄り、両手を取るとその指先にキスをした。

「目が眩みそうだ。この世のものとは思えない」


「それは…!」

 カレンも同じだった。

「ジェラルド様も…まぶしいです」


 互いの瞳に引き寄せられるように近づき、軽めのキスを交わし微笑み合う。


 モリスとニコルを残した、他の侍女達はそそくさと退出した。


「カレン、これを…」

 と言い、ジェラルドはモリスからベルベットの平たい箱を受け取り、カレンに渡した。


 カレンはそっと箱を開ける。

「あ……」

 思わず声が漏れた。

 そこには、精巧な金細工のネックレス、イヤリング、髪留め…のジュエリーの一式が煌めいていた。

 それぞれに雪片のようなパールが散りばめてあり、繊細なことこのうえない。


「……素敵…」


 カレンはその素晴らしさに見入る。

 これって、まるで…


「あなたはダヴィネスの雪が好きみたいだから」


 朝日にきらめく雪、月明かりに照らされる雪、ひらひらと儚く舞う雪、馬達が走ると巻き起こる雪煙…


 ダヴィネスのどの雪もカレンを魅了する。

 ジェラルドはそれを理解し、それらをこんなにも繊細な形にしてくれたのだ。


 胸が熱くなる。


「ジェラルド様…」


 カレンは顔を上げた。目に涙が溜まっている。


 ジェラルドは涙が溢れる前に、カレンの小さな顔ごと手で包み親指で拭う。

「気に入った?」


 カレンはジェラルドの大きくて温かな手に頬を包まれたまま、コクコクと頷く。


「よかった」


 ネックレスはジェラルドが手ずから着け、イヤリングはカレンが自身で、髪留めはニコルが着けてくれた。


「よく似合う…綺麗だ、カレン」

 カレンを見て満足そうに微笑むと、額に口づけた。


「さあ、ゲストを出迎えよう」

「はい」


 いよいよだわ。


 ジェラルドにエスコートされ、カレンは階下へ向かった。


 ・


 玄関ホールには、フリードとアイザックが先にいた。


 今日は二人も晩餐会へ出席するため、燕尾服でビシッと決めている。


「お!姫様、まぶしー!」

 アイザックがカレンを認め、すかさず冗談めかす。


「ふふ、ありがとう。アイザック卿」

 カレンは笑いながら返す。この明るさには本当に助けられる。


「ジェラルド様からのジュエリーもよくお似合いですね」

 フリードも目ざとく誉める。


 フリードには、剣の一件で迷惑を掛けた。

 あのあと、ジェラルドに頼み込んで謝る機会を設けてもらったが、フリードは「止めてくださいカレン様、たまには“鬼神”の姿に曝されないとたるみますから」と、ほぼ一蹴された。

 カレンもそれで済みとしたが、カレンへの気遣いだろう。なんというか、切れ者は返し方まで切れていた。


「今日のお二人も本当に素敵です」

 カレンはアイザックとフリードを褒めた。正直な感想だ。


 晩餐会はカレンの方が新参者なのだ。共にゲストを迎えてくれる二人が頼もしい。


 と、ジェラルドが少し獣の気配を濃くする。


「お、ジェラルド怒らない怒らない。今日くらいは姫様からのお褒めの栄誉に預からせてくれてもいんじゃね?な?フリード」


 ジェラルドの気配を敏感にキャッチしたアイザックがおどけた調子で諌める。

 フリードも呆れ顔だ。


「…わかっている」

 複雑な顔だか、ジェラルドも肯定し、カレンもホッとする。



 次々と到着するゲストを玄関ホールで迎える。


 皆、カレンも見知った顔ぶれで、それぞれ夜会服に身を包み一気に華やいだ雰囲気となる。


 ディナーの前の軽い飲み物を供するために、まずは応接室へと案内する。その役目はアイザックとフリードが担ってくれる。


「わあ!カレン様、とっても素敵!」

 夫のモイエ伯爵を伴って、ベアトリスが到着した。大きなお腹を抱えているが、顔色は素晴らしく良い。

 今日は、ブルーのリボンがあしらわれている、髪色によく似合う濃いイエローのふんわりとしたドレス姿だ。


「なんだビー、お前も来たのか。久しぶりだなモイエ」


「ま!お兄様ったら、カレン様が初めてホステスをお努めになられる晩餐会に私が来ないわけないでしょう!」


 ははは、まぁ楽しんで行けと、相変わらずの仲良し兄妹だ。

 カレンはベアトリスと頬への挨拶のキスを交わし、ジェラルドはモイエ伯爵と握手を交わす。


 同じ馬車から、妙齢のこ婦人と令嬢が降りてくる。すかさず、ジェラルドが介添えをする。


 ミセス グレイと姪のミス ジョアン・グレイ…本日の歌姫だ。

 ミセス グレイは、落ち着いた紫紺のドレス、ミス グレイは年の頃はカレンと同じか少し下、アイボリーのドレスにブルーの小花が散っていて、楚々とした佇まいが美しい。


「ジェラルド様、本日はお招きありがとう存じます。姪共々ご招待に預かり、とても楽しみに参りました」


 ミセス グレイはジェラルドの遠縁にあたる婦人で、子息は現在ダヴィネスの東の駐屯地の責任者だ。夫はかなり前に亡くなってた。


「ようこそ、ミセス グレイ、ミス グレイ。今日は楽しんでいってください」

 ジェラルドが如才なく対応する。


 お二人とは初めましてなので、カレンもご挨拶をする。


「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。カレン・ストラトフォードです」


「まあまあ…!本当に素晴らしくお美しいご令嬢ですこと。亡きお父上もこれでやっとご安心なさいますわね」


 ジェラルドは、ははは…そうですね、と笑い、カレンにも視線を送る。


 …恥ずかしいが、ミス グレイには、ベアトリスを通じて今日の歌唱をお願いしていたので、少しお話を。


「ミス グレイ、今日は急なお願いにも関わらず、お歌のご披露を受けてくださりありがとうございます。私の拙い伴奏ですが、よろしくお願いいたします」


「…! そんな、私こそレディの伴奏なんて身に余る光栄です。…緊張しますが、皆様のお耳汚しにならないよう努めます」


 頬を赤らめて、ミス グレイは初々しく答えた。


 …素敵なご令嬢だわ。私も足を引っ張らないよう頑張らないと。


 カレンはピアノ演奏の決意を新たにした。


 ジェラルドは二人を一度にエスコートし、両手に花状態だ。ミス グレイはジェラルドのエスコートに少し恥じらっている。


 …さもありなんよ。私も未だにドキドキするもの。


 などと微笑ましく思っているが、カレンは1つ残る問題に心を囚われる。


 パメラとアーヴィング伯爵だ。

 まだ来ない。

 伯爵からの返信はないままに今日を迎えたのだ。


 ジェラルドが応接室から戻ってきた。


「カレン…まだ?」


 カレンは頷く。

 ジェラルドも気になっている様子だ。胸ポケットから懐中時計を見て確認している。


 二人、諦め顔を見合わせたその時、馬車寄せにパメラの馬車が到着した。


 !


 馬車の扉を従僕が開けると、厳めしい顔の矍鑠とした初老の紳士が馬車から降りてきた。


 …!!

 この方がアーヴィング伯爵なの?


 ジェラルドを見ると、頷いてくれた。


「…久しいな、ジェリー」

「はっ、ご無沙汰しております」


 容貌に似合う、威厳のある声音だ。

 しかもジェラルドが恐縮している。


「レディ・パメラまで使って、隠居の身のわしをこの寒空の下引っ張り出すとは…」

 と、ちらりとカレンを見る。


「よほど美しい婚約者を自慢したかったと見える」


 予想外に、機嫌は悪くなさそうだ。口の端に笑みを浮かべている。


「アーヴィング伯爵、お目にかかれて光栄です。カレン・ストラトフォードと申します」

 文句のつけようのない完璧な礼を取る。


「…レディ、あなたはこの年寄りにはちと眩し過ぎる。…しかし…」

 と、ツイとカレンの片手を取ると、紳士らしくキスをした。

「長生きはしてみるものだな」


 目の奥が優しい。

 カレンは、ふとストラトフォードの父を思い出す。


 ジェラルドがピクリと緊張を走らせたのは、今は置いておいて。


 アーヴィング伯爵は、そのままカレンの手を自らの腕に回し、エスコートの形を取った。


「伯爵、ジェリーが目を光らせておりますわよ」


 パメラだ。

 今まさに馬車から降りんとしていた。


 パメラはいつもの柔和な笑顔でジェラルドをからかう。藤色のドレスが美しい。


 ジェラルドがため息を吐きながらエスコートに向かう。


「叔母上、ようこそ。…感謝します」

「私ではなく、お礼はカレンさんに」

 と言いつつ、カレンにウィンクを投げた。


 …本当に感謝します。レディ・パメラ。


 カレンは微笑みで応えた。


 ジェラルドはまいったな、と言う顔でカレンを見るとパメラをエスコートし、2組のカップルは応接間へ向かった。


 ・


 モリスの声により、応接間からダイニングルームへと、それぞれエスコートしつつされつつ皆が移動する。


 席次カードの通りに全員が着席すると、フットマン達が一斉にシャンパンを注ぐ。


 …あら、コーディアル?


 カレンはふたつ隣に座るパメラのグラスが、シャンパンではなくアルコールなしのコーディアルであることに気づく。


 ご体調がお悪いのかしら…


 気になりつつも、ジェラルドの乾杯の合図とともに、ディナーが始まった。


 この日のための豪華な晩餐に舌づつみを打ちつつ、ざわめきとともに楽しい時が過ぎる。


 カレンの隣はアーヴィング伯爵とシーモア卿だ。

 シーモア卿は、ダヴィネス城の相談役といった役職で、気の良いおじ様という感じの、立派な髭を蓄えた御仁だ。今日は孫娘のアビゲイルと来ていた。


 アーヴィング伯爵は淀みなくカレンに話し掛け、内容もウィットに富んでいて楽しい。


 楽しいけど…この感じは、いわゆるモテ男のそれだわ…

 お若い頃、かなり遊ばれたのでは…


 カレンはかつての王都での社交界でのことを思い出していた。

 口八丁手八丁で、女性を良い気分にさせる殿方はいる。それはもう天賦の才能と言っていいほどに。本物のモテ男は実に後腐れなく爽やかにそれをやってのけるのだ。


 ジェラルドが「隠遁」している、と言っていたこととかなりイメージはずれるが、カレンには好都合だった。


 これなら、例の計画の話も聞き入れていただけるかも…カレンは期待に胸が弾む。


 …ただし、ジェラルドからの視線が痛い。

 痛いが、目的のためには…目を瞑ってもらうしかない。


 一方、ジェラルドはミセス グレイと、アビゲイルに挟まれている。

 アビゲイルはまだ15才くらいだろうか、ミス グレイよりも更に年若で幼い印象だ。

 マメなジェラルドが、ミセス グレイも含めてなにくれとなく世話を焼いている。アビゲイルははにかみながらも素直に世話を焼かれていた。


「アビゲイルも社交界デビューさせたいものです」

 ふいに、隣のシーモア卿がカレンに話し掛ける。


「アビゲイル様のデビューを考えておいでですか?」

 カレンは食事の手を止めて聞き返した。


「あなたような…とまでは言いませんが、それ相応のマナーと社交術を身に付けた淑女になってもらいたいと言うのは、私だけでなくこの子の亡き両親の夢でもありましたからな…」

 アビゲイルの両親は事故で早くに亡くなっており、シーモア卿が男手ひとつで育てているとのこと。


「…そうなのですね。私に出来ることがあれば何なりと…ただ社交界は華やかですが、なかなか厳しい世界です」


 ほんとに厳しいのだ。身をもってわかっている。わかり過ぎるほどに。


 そして、ふとアビゲイルに目を移す。まだどことなく無邪気さも残る顔だ。祖父とカレンが話しているのを見て、ん?と可愛らしく小首をかしげる。


「…あのお可愛らしい笑顔が、社交をこなす上で仮面にならない、という保障はありません。でも、それでもと卿がおっしゃって、アビゲイル様も望まれるのであれば、私は喜んでデビューのお手伝いをいたします」

 カレンは正直に述べた。


 社交界の裏の裏まで知っているからこその本音だ。


「ふぅむ…私は少し、いやかなりアビゲイルを甘やかしてしまいましてな…この通り年も取りました。アビゲイルの先行きを心配しとるのですよ」


 もっともだ。

 でも…


「社交界デビューだけがすべてではないのは、卿もよくおわかりのはずです。ダヴィネスにはすべてが揃ってますもの。不精ながら、私もおります。あとはアビゲイル様次第だと私は思います。まだまだお若いのですから」

 カレンは微笑みながら、励ましつつも出過ぎないよう話す。


「そうですな…」

 とシーモア卿は孫娘を見て目を細めた。


 貴族の令嬢ならば、社交界デビューは生まれた時からの決まりごとだ。絶対に避けては通れない。

 でも、もし私が貴族に生まれてなかったら?

 面倒な社交からは逃れられたろう。

 でも、ジェラルドとは出会えてはないだろう、ましてやジェラルドの婚約者としてこの場に居ることもなかっただろう。

 あれほど社交界に嫌気が差していたカレンだが、アビゲイルのデビュー話から、ふと己の身の上について考えてしまった。


 …人生はままならない。選択が多ければいいというものでもない。私が望んでいた“自由”とはなんだったのだろう。


 カレンの真正面に座るジェラルドは、考えを巡らせるカレンを見つめる。



 グラスをフォークで軽く叩く音と共に、ジェラルドが席を立った。


 ホストのスピーチだ。

 皆、ジェラルドを見て沈黙する。


「親愛なるゲストの皆さんの前で、愛する婚約者への感謝の言葉を述べることをお許しいただきたい」


 皆微笑み、頷きながら同意する。


「ありがとう」


 ではカレン、と言いジェラルドは目の前に座るカレンを見つめながら続けた。


「今夜の晩餐会のため、なにくれとなく気を遣い、速やかに準備を進めてくれたこと、そして長らく女主人の不在だったこのダヴィネス城にまばゆいばかりの光を灯してくれたことに、心から感謝を捧げたい。

 その灯りをどうか絶やさず、我々を、ダヴィネスを…


 そして“私”を、


 照らし続けてくれることを切望して止まない」


 ほお…と皆からため息が漏れる。


 カレンは突然のジェラルドからの言葉に、驚きのあまりようやく息をしている状態で、ぼうっとしながらも滑らかでよく響く低音に脈の急上昇を感じていた。

 ジェラルドの深緑の瞳が熱い。


「カレン、ありがとう…愛している」


 レディ・カレンに…という言葉を最後に、皆もそれに続き乾杯する。


 ジェラルドはカレンに向けて微笑みながらグラスを捧げ、カレンもそれに倣う。


 なんて人、ジェラルド。

 今日は胸がいっぱいになってばかりだ。


「辺境伯閣下に!」

 アイザックが声を上げた。


 わあ!と上がる歓声でまたもやグラスを鳴らし合い、晩餐会は大いなる盛り上がりを見せた。

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