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辺境の瞳~カレンとジェラルド~  作者: 鵜居川みさこ
第二章
34/75

34. それぞれの恋(下)

 ジェラルドの剣のことがあった日。


 ディナーでのジェラルドとカレンは、ぎこちなく重苦しい雰囲気の中過ごした。


 カレンはあこそまで怒りを露にしたジェラルドと接するのは初めてだった。

 その時はジェラルドの迫力に腰が抜けたが、今はその原因が自分にあったことのへ後悔、更にフリードへの申し訳なさが勝っていた。


 ジェラルド自身に対する恐ろしさは、意外にもない。

 ただ、自分の知らないジェラルドに会った、という事実と捉えていた。


 まだ私の知らないジェラルド様がいるのよね…


 しかし、やはり2人の間にはぎこちなさが残り、ディナーの間中ジェラルドとは目を合わすことなく淡々と食事を進めた。


 一方、ジェラルドもあれ程の姿をカレンに晒したことを悔い、また戸惑っていた。


 たとえフリード相手でも、自分の知らない所でカレンに男が触れたことに、一瞬にして頭が怒りで真っ白になり、次には剣を手にしていたのだ。(事実はカレン“が”触れたのだが)


 アイザックが止めに入らなければ、どうなっていたかわからない。

 冗談では済まされない状況だった。


 チラリとカレンを見る。


 いつも通り一切の音を立てず、黙々と食事を取っている。

 笑顔はなく、目も合わさない。


「……」

 口を開きかけたが、何を話すか…掛ける言葉が見つからない。


 今夜は恐らく一人寝だな…


 無理に言葉を掛けることは止め、またジェラルドも黙々と食事を取り、その後はそれぞれの寝室へ引き上げた。


 ・


 ジェラルドは自室で寝支度を済ませ、モリスも退出すると酒の入ったグラスを手に目の前に立て掛けてある剣を眺めた。


 こいつとも長い付き合いになった


 前・辺境伯の父が病で亡くなる際、「お前の代で辺境の戦いを終わらせろ」との遺言と共に受け継いだ剣…ツーハンデッドソードだ。


 巨大なツーハンデッドソードは、使い手に技術と共に体力を要求する。

 柄を含むと有にジェラルドのみぞおち辺りまである鍔の中心には、ダヴィネスの紋章が刻まれており、鞘にも複雑な模様が施されて鈍く輝く。

 ジェラルドは手にしたグラスの中身を一気にあおると空のグラスを置いた。

 その手で革を巻いてある柄の先を持ち、立て掛けた剣を垂直に起こす。


 カチャ…という遠慮がちな音と共に、扉が開く気配を感じる。


「誰だ」

 顔だけ扉へ向ける。


「!」


 そこにはガウンの前を深く合わせたカレンが立っていた。


 剣を立たせたジェラルドの姿に一瞬目を瞠ったが、すぐに普段通りに戻る。


 ジェラルドは動かず、カレンの姿を見つめる。


 カレンはしずしずと歩みより、ジェラルドの側に立つ。


「…私も触っていいですか?」


「…ああ」


 ゆっくりと指輪の嵌まった左手を出し、ジェラルドが支える下の柄に手をやる。革の感触を確かめるように、細い手でギュウっと握った。

 カレンは剣を見つめる。


 ツーハンデッドソードは大の男が両手で持って握る。カレンの手では到底握り切れない。


「…ダヴィネスに住むすべての者は、この剣に…」


 顔を上げ、ジェラルドを見る。


「この剣とあなたに命を預けているのですね」


 カレンのライトブルーの瞳は、真っ直ぐにジェラルドの瞳を射抜く。

 その強さは、ジェラルドを圧倒する。


「…カレン」


 カレンは柄から手を離すと、少し離れてスッと片膝を着いてしゃがんだ。


「カレン?」


「ジェラルド様、たとえどんな理由であろうと、あなたに斬られるのであれば私は構いません。それはフリード卿も同じはずです。…だから…本当に申し訳ありません。あなたの臣下のひとりとして…深くお詫びいたします」


「!」


 ジェラルドは急ぎ剣を元の位置に立て掛け、跪くカレンの元へしゃがむ。


「カレン…立って」


「…」


 カレンの両腕を持ち、立たせる。


「カレン、私は怒ってはいない…私は…改めて、あの剣に恥じない男でいたいと思ったんだ」


 今日の自分に恥じ入っていた


 そう言うと、カレンの腰に両手を回し、そのまま両手を双臀までするりと滑らせ体をぐっと近づけた。

 2人の間の距離が無くなり、下半身が密着する。


「私もまだまだだ。今日はそれを思い知らされた」


「…すみません」


 下に向くカレンの顎を掬う

「あなたは何も悪くない」


 真摯な深緑の瞳がカレンを覆う。


「でも…!」

 ジェラルドに口を塞がれて、二の句を告げることはできない。


 唇から溶けていきそうな感覚がカレンを襲う。


 ゆっくりと唇を離すと、カレンの格好をじっくり見下ろす。

「なぜそんなに厳重に?」


 カレンはガウンの前を深く合わせ、できるだけ寝着や肌が見えないようにしている。ガウンのベルト布はカッチリと固く結ばれ、少し力を入れたくらいではほどけることはなさそうだ。


「…だってあの、今日はお詫びだけと思っていて…」

 目が泳ぎ始める。


 ふうん、そうか…

 言いながら、ジェラルドは固い結び目をほどきにかかる。


「私がそれを許すと?」


 いえ、思ってません。


 ジェラルドの手にかかると、固い結び目もスルスルとほどけ、カレンの首もとから両手を入れると、するりとガウンを下へ落とした。


 そのまま腕をたどって両手を握り、目の前に持ってくると、片手ずつに恭しくキスをする。


「ジェラルド様…」


「カレン、愛している。私の側にいて、ダヴィネスを見守っていて…」


 祈りのような言葉だった。


 自分に厳しく、自分と向き合うことを恐れない人。私はもっとこの人のことが知りたい。

 どんな姿も見ていたい。


「ジェラルド、愛しています。…本当にあなたが好き」

 カレンは微笑みを湛え、ジェラルドを見つめる。


 ジェラルドの瞳が揺れる。


 次の瞬間、カレンは縦抱きにされ、室内履がパタパタと下へ落ちた。


 思わずしがみついたジェラルドの肩越しに、鈍く光を放つ、立て掛けられた巨大な剣が目に入った。


 私も、あの剣に誓おう。


 誇り高く、強く、驚くほど繊細なジェラルドの側で、ずっと頑張れますように。


 ・


 もうすぐ夜が明ける。


 城塞の鍛練場で、鋭く空を斬り剣技の型を取る人物…フリードが一心不乱に真剣のロングソードを振っていた。


 くるりと身を翻す度に、汗が放射を描く。

 素早い動きはダヴィネス軍随一と名高い。


「相手がいないと稽古にならんぞ」


 汗を流したまま、フリードが声の方へ振り向く。


「…ジェラルド」


「早いな」


 ジェラルドは木剣を2本持っていた。


「書類仕事ばかりで体が鈍っているだろう。相手になる」


 言いながら木剣を1本、フリードへ投げた。


「…手加減しませんよ」


「望むところだ」


 二本の木剣が、乾いた音を立ててぶつかり合った。


 ・


「え?」


「だから、そんなのじゃないですよ!お嬢様ったら!」

 ニコルはさもおかしそうにクスクスと笑う。


 カレンは朝の軽めの湯浴みを済ませ、自室でニコルに髪を梳かしてもらっている。


「じゃあ…いったい…」


 昨日の騒動のそもそもの発端は、ニコルのお相手のハーパーをカレンがこっそり探ろうとしたことにある。


 気を回して“こっそり”するからいけなかった。

 カレンは思いきってニコルに直接尋ねた。


「確かにハーパーと一緒に出掛けています」


 やっぱりそうじゃない!


 カレンは鏡越しにニコルを見ると目が合う。


 もう、だから違いますってばお嬢様ー

 と、ニコルは呆れた。


 一旦カレンのブラシの手を止めた。

「はじめは、妹さんに刺繍を教えて欲しいって言われて」


「刺繍…」


「はい。私のハンカチの刺繍を偶然目にして、是非妹達に教えて欲しいって」


 手先が器用なニコルは刺繍の腕前も素晴らしい。ストラトフォードの母は、自分のイニシャル刺繍はニコルに刺すよういつも言っていた。かなり高度な技術も習得していて、当たり前のことしかできないカレンはいつも感心しきりだった。


 ハーパーには3人の妹がいるらしい。

 まだ幼い妹達だが、これからのことを考え何か技術を学ばせたいと思っていたところへ、ニコルの刺繍と巡り合ったという訳だ。

 刺繍だけでなく、裁縫や編み物、髪の結い方やリボンの結び方など、職業柄女性の好むあらゆることに詳しいニコルは、あっという間に妹達を虜にした。ニコルも次第に懐く妹達が可愛く、休日の楽しみができて嬉しいと言う。今では近所の女性達も集まってきているそうだ。


 “虜”にしたのは女性達だけかしらね…?


 カレンは扉の外の護衛を思うと、少し意地悪く考える。


「…だから、そんなんじゃないんです」

 えへへ、とニコルはブラッシングを再開した。


「でもニコル、とっても可愛く装ってたわ」

 確かめてみよう。


「ああそれは…私はカレン様付きの侍女です。みんな刺繍や編み物と同じくらいカレン様にも興味津々なんですよ?」

 もちろん余計なことは話しませんが…とニコルは続ける。

「カレン様の侍女として、堂々としていたいんです」


 ニコルはいつの間にこんなにも頼もしくなったんだろう。

 カレンはうっすらと感動すら覚えた。


 ありがたいことだわ。

 いつも心配を掛けてばかりのニコル。もうしっかりと自分の足で立っている。

 カレンは誇らしい気分になる。

 でも…


「じゃあ、ハーパーはいつもお家まで送ってくれるの?」


 ニコルはカレンの結い掛けの髪の手を止める。


「…はい。近いし、1人で行けるからと言っても、何故か。まあ、お家に戻れるからいいのかなって私も思っていて。気にしてませんでした」


 控えめな宝石の付いたピンを、結った髪にバランス良く刺していく。


 はい、出来上がりました、とカレンの髪を結い上げた。

 少し高めの位置で結い上げた髪は、ゆるやかに、でも決して崩れない。いつも通りの素晴らしい出来だ。


 …少し、ハーパーに同情するわ。

 まあでも、ニコルがこの調子なら見守るしかないわね。


「ありがとう…あらっ」

 カレンが鏡台から立ち上がった時、頭に刺したピンのひとつが抜け落ちた。

 …ニコルの仕上げにしては珍しい。


「あ!申し訳ありません、お嬢様!」

 ニコルは慌ててピンを拾う。


 おや…?


 ニコルの横顔が少し赤い。


 これは…

 カレンは心の中でニンマリとする。

「…いいのよニコル、気にしないで」

 いつも通りに振る舞う。


 チャンスはあるわ。

 頑張りなさいな。


 カレンは扉の向こうの護衛くんへと、秘かにエールを送った。

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