31.【番外編】対決
※カレンの体力は回復しつつあるけれど、まだベッドが生活スペースのすべての頃〈その1〉
心配してくれたベアトリスが、退屈だろうからと貸してくれた本やカタログも読み飽き、利き手が怪我して使えないので手紙も書けない。
歩けないことはないが、覚束ない足取りでウロウロするとジェラルドや皆に心配を掛けてしまう。
カレンは暇を持て余していた。
ベッドでお茶をする午後、衝立の向こうではジェラルド達が会議をしていた。
同じ室内だが、衝立で仕切られた別室という認識が浸透しており、互いにそれぞれの空間のようだ。
フリード達の他にも家令や文官も出入りする。
カレンは衝立越しに耳に入ってくる内容を、聞くともなしに聞く毎日だ。
ふむ…今日は来期に向けての各駐屯地の体制についてね…。
カレンは衝立の向こうで行われる会議や決裁の内容を聞くにつけ、ダヴィネスの多岐にわたる事柄を知る。
一国と称されるはずだわ…
想像以上の規模の大きさに驚くばかりだが、それらすべてを把握し的確に指示を出すジェラルドへの尊敬の念が高まるばかりだった。
お茶を終え、ニコルは片付けをすると衝立から出て、ジェラルド達に軽く会釈し部屋から出て行った。
「…そういえば」
フリード卿が衝立の方を見る。
「ジェラルド、カレン様はチェスがお得意のはずです」
え?
突然の話の振られように、カレンはビクッと反応する。
「そうか…そんな話もあったな」
って、いつそんな話をしたの?
「駐屯地のことはあらかた片付きましたし、他の急ぐ案件はありません。これから一戦なさっては?」
そうだな…、ジェラルドは呟くと、衝立越しにカレンへ声をかけた。
「カレン?聞こえたか?」
「…はい、わかりました」
モリスにベッドへチェス盤を準備してもらう。
素晴らしく美しい大理石の駒が並ぶ。恐らく名工の手によるものだ。
ジェラルドやフリード達は書類を片付けている。
「言っておくが、私はチェスは強いんだ」
ジェラルドは執務机の上を片付けながら、ベッドのカレンの方を見た。
いたずらっぽい目だ。
「さて何を賭けるかな」
ジェラルドはご機嫌だ。
ふいにジェラルドとは逆側の衝立の隙間から、アイザックが顔を覗けた。
『言うほどじゃねーから。頑張れよお姫様』
と、ヒソヒソと励ましを受けた。
「こらザック、失礼ですよ」
フリードがアイザックを窘めてから二人は退出した。
二人の気遣いが嬉しかった、が、カレンは最近チェスを差していない。おまけに自信満々のジェラルドが相手だ。楽しめるかは甚だ疑問だった。
結果は…1戦目はカレンの惨敗だった。あっという間に詰められた。歯牙にも掛けないほどに。
次はハンデとして、ジェラルドはクイーンを除いてくれたが、これも負けた。
大きなベッドの真ん中にチェス盤があり、ジェラルドは沢山の枕やクッションを背に足を伸ばし、サイドテーブルにモリスが準備したお茶を飲みながら、すっかり寛いでいる。
カレンはチェス盤に向かって座り、眉間にシワを寄せた。
…強い。
想像以上に強くて歯が立たない。
3回勝負にしたが、既にカレンは負けだ。
でもせめて次は互角に戦いたかった。
「だから強いと言ったんだ」
あなたは勝負事には存外に短気だな、と面白そうに呟く。
「…」
「ダヴィネスの冬は長いから、屋内での娯楽に幼い頃から通じているし…チェスは戦場での数少ない娯楽だった。息抜きにもなるしな。まぁ、戦うのは外か盤かの違いだ」
…そうだった。彼は無敵とまで言われた辺境伯閣下だった。顔色ひとつ変えずにカレンを負かすなど、容易いことなのだ。
次はビショップを除こうか?それともルーク?さすがに両方は私もキツいか…
などと、余裕綽々だ。
カレンも久しぶりに差したとはいえ、兄も負かすほどの腕前だった。完敗は悔しい。
しかし、忙しい中カレンの暇潰しに付き合ってもらっているのだ。しかもハンデ付きで。文句は言えない。
「…では、ビショップを除いていただいていいですか?」
「もちろん」
3回戦目は前の2回ほどにはコテンパンではなかったが、やはりジェラルドの勝ちだった。
「参りました」
カレンは潔く負けを認めた。
恐らく、カレンなどとは先の先を読む力が違うのだと悟った。
「そんなに落ち込むことはない」
言われると余計に落ち込みそうだ。
「それで…ジェラルド様、私は何をしたら?」
事前に賭けの対象は聞いていなかった。
「あなたの口付けを」
ジェラルドは涼しい顔のまま、即座に答える。
「…わかりました」
ジェラルドが望みそうで、カレンの差し出せるものなど無いに等しい。それに、カレンの手のこともありずっと物足りない思いをさせていたかも。
ここは喜んで差し出そう。
と、ふいに、カレンにいたずら心が芽生える。
座るジェラルドの方へ居直る。
すでにジェラルドの瞳が欲望で波打っていて、胸が高鳴る。
目を合わせたままゆっくりと近寄ると、使える方の手をジェラルドの硬い胸に置いた。
ジェラルドの手がカレンを抱こうと動き始めたその時、
「動かないでジェラルド」
カレンの瞳は挑戦的に揺らめく。
合わせたジェラルドの目が見開かれたが、手の動きは止まった。
カレンはそのまま、まずはジェラルドの引き締まった頬へ口付けた。
チュッという音を立てて離すと、次は耳の縁へ、そして少しだけ舌を出し...そのまま縁をこれ以上ないほどゆっくりと下へなぞる。
ジェラルドの息遣いがわかりやすく荒くなる。
まだ動かないで…と耳元で囁き、厚みのある耳たぶにたどり着くと、そのまま軽く噛みついた。
「!」
次の瞬間、カレンは腰を抱きかかえられ、大きな手で頬を包まれた。
ジェラルドとの距離はなく、鼻先が当たりそうだ。
「…カレン、自分が何をしたかわかってる?」
ジェラルドの瞳は、先ほどとは比べものにならない程の野性的な欲望を湛え、官能の色香を放ちカレンを逃さない。
しまった!
ほんのいたずら心だったが、もう遅い。
ジェラルドはカレンの顔を固定させたまま、いきなり深く唇を塞いだ。有無を言わさない勢いで、カレンは抗いようもない。でもそんな時でも、カレンの腕を庇ってくれているのがわかる。
その後は、明るい日差しの入る部屋にも関わらず、ジェラルドの器用な手でさっさと生まれたままの姿にされた。
恥ずかしがる隙も与えられず、ジェラルドの言われるがまま、されるがままで、数日分の愛を刻みつけられたのだった。
翌日カレンはまた熱が上がり、ジェラルドは使用人やフリード達から白い目で見られたが
「私は悪くない」
と、しれっと言い、怒ったエマからの“カレン様とは寝室を別にする”との宣言をやっとのことで取り止めさせ、反省を強いられたのだった。




