30. 春の香水
騒動から数日経ち、カレンは腕こそ動かせないが順調に回復していた。
冬の日にしては明るく晴れた午後、南部から騎士の一個団がダヴィネス城へ到着した。
当初、ランドールと共に来る予定だったが、ランドールが先走り、また南部での調整がつかなかったらしい。
ダヴィネス城の面々は玄関ホールで騎士団を出迎えた。
本来ならばカレンもジェラルドと共に出迎えなければならないが腕の三角巾はまだ取れず、三角巾のお陰でフワリとした服しか着ることができない。とても領主の隣に立てるような状態ではなく皆に心配は掛けられないので、騎士団長とだけ別室で会うことになった。
・
「レディ・カレン、お初にお目にかかります。南部第一騎士団、団長のデズリーと申します」
「!」
目の前の騎士は、跪いた姿勢で素晴らしく美しい騎士の礼を取る…女性だった。
「立ってください」
「はっ 失礼いたします」
なんという凛々しさだろう。
カレンは女性騎士を見るのは初めてだった。
王都の騎士団にもいるとは聞いたことがあるが、実際に会うのは初めてだ。しかも団長とは。
すらりとした肢体に、濃紺の騎士服をかっちりと着こなすその姿に、カレンは惚れ惚れした。
「こんな姿でごめんなさい。本来ならお出迎えすべきですが…」
「いえ、もったいないお言葉です。お目通りいただき、感謝申し上げます」
部屋にはジェラルドとフリード、アイザックも同席している。
デズリーは固辞したが、体力の続かないカレンだけ座ってはどうにも話しづらく、全員が腰掛けた。
「ジェラルド様、レディ・カレン、遅ればせながらご婚約おめでとう存じます」
「ありがとうデズリー」
ジェラルド達とは戦線を共にした仲間とのことで、部下としての線引きははっきりしているが雰囲気は和んでいる。
「レディ カレン」
「はい」
デズリーはやおら立ち上がり、カレンに再び跪いた。
「?!」
「この度のランドールのこと、数々の非礼な言動を心よりお詫び申し上げます。私が謝辞を述べたところで意味はないことはわかっておりますが、責任の一端は私にもあります。誠に申し訳ございません」
「??」
カレンは戸惑い、ジェラルド、フリード、アイザックの顔を順に見てしまった。
「デズリーはランドールの目付け役なんだ」
補足するジェラルド。
ああ、なるほど…
「南部が平和的に治められているのはデズリーの働きが大きいのです」
説明するフリード。
そうなのね
「ったく苦労が絶えねーよな、デズリーも。あんなのが旦那ってさ」
同情するアイザック。
「???」
え…?
“旦那”って言った???
カレンは聞き間違いかと思いジェラルドの方を見る。
ジェラルドはカレンの顔から疑問を読み取り、頷きながら続ける。
「間違っていない。ランドールとデズリーは夫婦だ」
「……え?」
カレンは狐につままれたような気分になる。
デズリーを見ると、「お恥ずかしながら…」と凛々しい顔のまま俯いている。
そうなの???
「…話して…ませんでしたね、申し訳ありません」
フリードが気まずそうにカレンに詫びる。
「あ、いえいいのよ…私、びっくりしただけで…」
カレンはデズリーの元へ近づくと、跪いてデズリーの腕を取り「お顔を上げて」と言うと立たせ、椅子を進めた。
・
なんだろう、少し救われたような気がするわ…
デズリーは立場を弁えた立派な騎士。恐らくランドールはデズリーがいるから、まだあの程度の非常識人で収まっているのだとカレンは思えた。
魂を分け合える人がいる。
これは何物にも代えがたいことで、カレンにもよくわかる。とたんにランドールの数々の諸行が可愛らしく思えた。
しかし、デズリーのことはもっと早く聞きたかった。ジェラルドやフリードを責める気はないが、今回は情報収集に苦労した。
広いベッドの上に座りあれこれ考えていると、ふいにジェラルドが衝立の向こうから顔を出す。
「カレン、思い詰めないで。体に障る」
知らず難しい顔をしていたらしい。
…と、ジェラルドが衝立から全身を現す。
「!」
漆黒の軍服、礼装姿だ。
カレンは息を呑んだ。
さっきまで居たモリスに着付けられたその姿は、王都のストラトフォード邸で初めてジェラルドと言葉を交わした時と同じだった。
あまりの迫力と美しさ、隠しようのない男らしさに、またたくまにカレンの胸にときめきが弾ける。
ジェラルドはベッドに腰掛け、ぼうっと惚けたカレンの頬に手を充てた。
「すまないが今日は遅くなるだろう。構わず寝ていて」
そう言うと、カレンの額と瞼にキスを落とした。
カレンは尚もぼうっとしている。
「…カレン?」
ジェラルドは少し心配になり、問いかける。
「…ぎて…」
「ん?」
カレンの口許に耳を寄せる。
「その…お姿が素敵過ぎます」
「!」
ジェラルドは一瞬驚くと、照れ隠しに目線を横へ流した。
臆面もなく口にしたカレンは、ジェラルドの珍しい表情を見て、ハッと我に返る。
「…」「…」
ふっと微笑み「…行ってくる」と言い、指の背でカレンの頬をなぞったジェラルドは部屋を去った。
パタンと扉を閉めたジェラルドは、無造作に髪をかきあげた。
本当にカレンにはまいる…
「ジェラルド?」
扉の外に控えていたフリードに声を掛けられると、辺境伯の顔に戻り廊下を歩きだした。
・
その日は、ダヴィネス城の面々と南部の騎士達が久しぶりに顔を合わせての宴会だった。
皆、辺境の騎士としての矜持が高く、ジェラルドへの忠誠心に篤い。戦場を共にした者も多く大いに盛り上がる。
その場には、ランドールも現れた。横にはデズリーが控えている。
ランドールのワガママ振りはすっかり鳴りを潜め、機嫌よく皆と杯を酌み交わしている。
…デズリーが側に居るせいもあるが、何か考えが変わったのかもしれない。
ジェラルド達は敢えてランドールには聞かなかった。
宴は遅くまで続き、ランドールが絡み酒になる前に、デズリーが首根っこを引っ張って会場を後にした。
・
デズリーの騎士団がダヴィネス城へ来てから3日目の夜。
明日はランドールも一緒に南部へと立つ。
また当分会えない仲間達との別れを惜しみ、今日も宴会とのことだった。というか、三日三晩、毎日夜は宴会だ。
一期一会…というのだろうか、それは戦場を共にし命の重みを知るもの同士の礼儀とも取れる。
彼らのそんな関係をカレンはうらやましく思い、次いでそのタフさに面食らった。
昼間は鍛練して過ごし、夜は宴会。荒っぽいようだが、戦士の日常とは本来そういうものかも知れない。
ジェラルドも部屋に戻ってくるのは昨日も一昨日も朝方だったが、カレンが目覚めた時にはすでに起きている。もしかして昼間に仮眠を取っているのかもしれないが、彼にそんな暇は無さそうだ。
全く、逞しい。
今日も先に寝ているように、と言うと部屋を出ていった。
「…ニコル」
「はいお嬢様」
「頼みます」
「承知しました!」
今夜、カレンには計画があり、ニコルに控えてもらっていた。
久しぶりに自室で入浴をする。
ジェラルドには言っていない。
動けない時はジェラルドが体を拭いてくれた。
恥ずかしかった。
少し体力が戻ると、ジェラルドが手づから洗髪や入浴の介助をしてくれた。
…ありがたかったが、洗髪はまだしも入浴は…やはりとても恥ずかしかった。
いいと言っても「なぜ?」と言って聞いてくれない。
目が離せないのか過保護なのか、恐らく両方だろうが、そのマメさというか律儀さには感心こそすれ、実際のところ本当にいたたまれない。
同じ部屋では逃れようもないので、朝方まで帰らないであろう今夜は、一人のびのびと入浴するチャンスだった。
ニコルにも示し合わせて、自室での入浴の準備を頼んでおいた。
今夜の護衛はネイサンではなく、より若い騎士だ。
「レディ、お部屋へお戻りください」
健気に責務を全うしようとする。
しかしここは申し訳ないが、権威を嵩に着ることにした。
「…外には出ないし、少し離れた自室へ行くだけです。あなたの進退に影響しないと保証します」
騎士はしばし峻巡したが、結局折れてくれた。
久しぶりの自室は、なんだか懐かしい。
ニコルが準備してくれていたお陰で暖炉の火も煌々と燃え、部屋は暖かだ。
後でニコルに巻いてもらうので三角巾も外した。早速浴室へ向かい、たっぷりの泡風呂を堪能する。ついでにナイトドレスも新しいものに着替え、ニコルに髪を乾かしてもらう。
今夜も月明かりで外は明るい。
ジェラルドの部屋へ帰る前に、ふと窓の外を見ると、見慣れたベンチに人影がある。
頭を垂れて座っているようだ。
「…?」
ガラスにギリギリ張り付いて目を凝らす。
あ、スタンレイ男爵じゃない??
1人だ。回りには誰もいない。
「うーん…」
騒動以来、ランドールとは会っていない。
カレンはしばし悩んだが見つけてしまったのだ。放ってはおけない。お酒を飲んだ状態ならなおのこと。
湯冷めしちゃうかな…
ニコルに冬用の外套とブーツを出してもらい、急いで着込む。三角巾の上からなので片袖は通っていない。ついでに愛用のブランケットを手にする。
問題は護衛くんだ。
「ダメです」
にべもない。
待たされた挙げ句雪の庭へ出るなど、いくらなんでも承服しかねるのだろう。
うーん、下手に報告されてジェラルド様を中座させるわけにもいかない。
カレンは現実的な事実を言うことにした。
「お庭にスタンレイ男爵がお一人でおらるのが見えました。…ちょっと心配な雰囲気です。あなたはデズリー団長に繋ぎを取ってください。私は団長が来られるまでご様子を見守るだけです(庭で)」
護衛くんの顔色が変わる。
領主の婚約者か南部のゲストか。
ここで経験のある護衛ならば、もう一人護衛が来るまで待てとか、自分がランドールの所へ行くとかの対処をするだろうが、“ちょっと心配な雰囲気”が効いたらしい。
「承知しました。デズリー団長を呼んで参ります」
というと場を離れた。
よし。
カレンは急いでよく知る庭への通用口から外へ出た。ニコルへは離れているように言い付けた。
少し固めになった雪を踏みしめて、ベンチに座るランドールに後ろから近づく。
月明かりに照らされたブロンドがキラキラと光を放っている。俯いた姿勢なので、表情はわからない。
「風邪を引いてしまいますよ」
声に反応して、俯いた姿勢のままこちらへ顔を向けた。殴られた痕はなく元通りの天使顔だが、以前より少しやつれた印象を受ける。
月明かりのせいか、ターコイズの瞳は暗い。
「…きみか」
「お隣、よろしいですか?」
「…ご勝手に」
前より対応は柔らかくなった…?
カレンは手にしたブランケットをランドールの肩に静かに掛けると、ベンチの端に座った。
互いに喋らない。
「ソレ、まだ痛いの?…」
カレンの三角巾を見ている。
「いえ、あ、はい…でももう大丈夫です」
心配してくれたのかしら…
ランドールは、ふうん、と小さく呟いた。
「春の花の香りがする…」
カレンはすぐには何のことかわからなかったが、ブランケットに残るカレンの香水の移り香だと察した。しかし、横を見てぎょっとしてしまった。
ランドールは目を瞑り、ブランケットを顔に着けて深呼吸している。
「いい匂い…」
ったく、これだから人たらしは…!
「…ダヴィネスに咲くお花…生粋のダヴィネス産です」
ジェラルドも好きだという香り。
「そう」
興味はなさそうな返事だ。
「…偶然ですがここに来る前から使っているお気に入りの香水です。…お恥ずかしながら、ここに来るまでに私が知っていたダヴィネスの物は、この香水と…リンゴだけでした」
気のせいか、ランドールがフッと笑った気がした。
「中央の人間らしい…」
その通りだ。
今はもっといろいろ知っているけれど。
ランドールが頭を上げて、ふーっと大きく息を吐いた。
「デズは付けてくれない」
デズリー団長のことね。香水?
騎士団長は昼間から香水など着けないだろうが、二人の時も…?
「…デズリー団長は奥様だそうですね」
お会いしました。
「うん…でも“奥様”じゃない」
「?」
「身分が違うから結婚はできない…君達とは違うよ」
!
カレンは短く息を呑んでしまった。
そうか。“夫婦”だけど“奥様”ではない…なんてことだろう。カレンは浅慮な自分を即座に責める。
着飾った淑女など霞んでしまうデズリーの毅然とした美しさを思い描く。公私に亘ってランドールを支える彼女はどんな思いか。
「君には関係ないよ」
考え込むカレンを見て、ランドールはさらりといい放つ。
「明日には立つし…ここも静かになるさ」
どこか諦めの漂う言い方が気になるが、カレンは何も言葉を発することができなかった。
「ランディ!」
突如、沈黙を破るように後ろからスッキリとした女性の声で呼び掛けられた。
「あ、見つかっちゃったよ」
ランドールは、幾分いつもの感じを取り戻したように見える。
はいコレ、ありがとね
と言い、ブランケットをカレンの膝へ置くと、デズリーの元へ歩いて行く。
「まったく油断も隙もない!」と言われながら、城へと戻った。
城内へ入る直前、デズリーがカレンへ礼をした。
と、心配そうなニコル、蒼白の護衛くん…の後ろに、見るからに剣呑な雰囲気の男が腕組みをして、扉に持たれかかった姿勢でこちらを見ている。
カレンは心の中で申し訳ありません、と呟きながらも、頭は別のことで高速に回転し始めていた。
うまくできるかしら…
・
カレンは腕組みをしたジェラルドに「またご心配をお掛けして…」と言うと、チラリと外套とブーツに視線を移され「…学習したようだな」とだけ言われた。
カレンは謝りながらも心ここに非ず、といった顔だ。
ジェラルドの寝室ではなく、自室へと早足で向かう。
当然、カレンはジェラルドの寝室へと戻るだろうと思っていたジェラルドは、カレンの急な行動を訝しみ、自身もカレンの寝室へと入る。
カレンはニコルの手を借りて外套を脱ぐと、三角巾を外し始めた。
「…カレン?」
全く行動が読めない。
書斎机に向かい、ペンを取り便箋に文字を書こうとしたとたん、手のひらの引きつった痛みに顔を歪めた。
「待てカレン、…ニコル」
カレンを制し、ニコルへ何か言付けをすると、ニコルはそそくさと部屋を去った。
ジェラルドはカレンに近づくと、椅子の前から肘掛けに両手を着き、カレンを囲うと上から顔を寄せてきた。
「カレン、私に話す気はない?」
迫力のある押しの強さに「ぐっ」となるが、どう話していいのか、カレンもまだ整理がつかず、行動が先走っていた。
しかし、カレンがこうなると止められないことはジェラルドも“学習済”だ。
何も話さないカレンに
「言い方を換えよう。カレン、私を頼る気はない?」
と、深緑の瞳で問い掛ける。
ジェラルドのこの優しさは無下にしてはいけない。カレンは「今すぐに手紙を書きたいです」とだけ言った。
ジェラルドはため息を吐く。
「その手ではまだ無理だ。私が代筆しよう」
と言うと、「立って」とカレンの左手を取りソファへ座らせた。
代わりにジェラルドが書斎机に向かって座る。
それで?と、カレン愛用のペンを執り、手紙の内容を言うように促す。
カレンは驚きつつも、ジェラルドに甘えることにした。
内容は、城塞街の香水店へ宛てて、明日の朝一番にカレン愛用の香水を美しく包装して持って来て欲しい、というものだった。
ジェラルドはサラサラと書くと便箋を折り畳んだ。封筒を手に取り、表に香水店の名前とカレンの名前を書く。次に封蝋のために、机上のローソクの火でワックスを炙る。てっきり机の上にあるカレンの印璽を押すかと思いきや、自らの左手小指に嵌まる印璽の指輪を抜き、封をした。
これにはカレンも驚いた。
恐らく、ダヴィネス領内で最も効力を持つのがジェラルド個人の印璽、今まさに押したものだ。それを、一見ただの急ぎの買い物とも取れる手紙に押すとは。
香水店の店主は腰を抜かすかも知れない。
「少しでも早い方がいいだろう」
カレンの驚いた顔を見たジェラルドは事も無げに言う。
ニコルが暖かい飲み物を持って帰ってきた。
カレンの目の前に置くと、ジェラルドから手紙を預かり「モリスに」とのジェラルドの言葉を受け、再び部屋を出ていった。
「…ありがとうございます」
手紙もだし、手元にある飲み物にもホッとする。ウィスキーの入ったホットミルク、カレンの好みだ。
ジェラルドは机上のローソクの火をフッと吹き消すと、カレンの向かいのソファへと座る。
ふーふーとホットミルクを冷ましながら飲むカレンを眺める。
思ったより体は冷えていたようで、一口ごとに体が温まるのを感じる。
「…少し落ち着いた?」
カレンの様子を見計らって聞いてきた。
「…はい。あの、ごめんなさい…中座をさせてしまいましたね」
それはいい、と意に介さない。
ジェラルドがカレンが話し出すのを待っているのは明らかだった。
話さなければならないのはわかっている。わかってはいるが、まだ自分の中でも考えが固まらないのと、ちょっと毛色の違う話になるので躊躇いが大きい。
「…カレン」
ジェラルドは、至って普通のように呼び掛けた。
「あ、はい、ごめんなさい」
「いや、腕を固定しないと」
「あ…」
ジェラルドは立ち上がり、三角巾を持ってくると隣に座ってカレンの腕を元通りに固定した。
「手のひらと肩と、どちらが早く治るだろうな」
わざとかそうでないのか、ジェラルドはいったん二人の間の空気を変えた。
「…さっきの手のひらの痛みだと…もしかして肩の方が早いかも知れません」
ジェラルドはそうか、と返すと、カレンの髪の毛を1房手に取った。
「…入浴した?」
「あ…はい。ここで」
もしかしてあらぬ方向に話が行くかとも思ったが、カレンは正直に話す。
「…そうか、のんびりできた?」
「あの、はい…ごめんなさい」
ジェラルドは、はは…と笑った。
笑うと小さなエクボができる。カレンのお気に入りだ。
「謝らなくていい。私は…あなたについては過保護なんだ」
自他共に認めるね、といたずらな目をする。
「あなたの体はあなたのものだ。気にしなくていい」
ただ…と、少し真面目な顔で続ける。
「夜は必ずベッドを共に」
言いながら、カレンの片頬を柔らかくつまむ。
「…はい」
カレンは顔を赤らめた。
ジェラルドがせっかく雰囲気を変えてくれたのだ。カレンは勇気を出すことにした。
「ジェラルド様、ご相談があります」
ジェラルドは頷いて応じる。
「スタンレイ男爵とデズリー団長を、正式なご夫婦にしてさしあげたいのです」
カレンは、先程の庭でのことをかいつまんで話した。
ジェラルドは、ふむ、と考えたあと続けた。
「実は私もそう思い、ランドールに提案を持ちかけたことがある。しかしその時は今の関係が気楽でいいと断られたんだ」
あなたには本心を見せたんだな、あの天の邪鬼め…と少し憎々しげだ。
カレンは、ホッとした。
二人の関係は皆の知るところで、公然の事実で通っている。付き合いの短いカレンが今さら動くのは、あまりにもお節介が過ぎるかと思ったのだ。
「あの、ジェラルド様はその時、どうされようとしたのですか?」
「恐らくあなたと同じだ。デズリーを貴族の養子に、と考えていた」
やっぱり。
「お心当たりの貴族は?」
「ダヴィネスだと…子爵位を持つローレンスか、伯爵のアーヴィングあたりかと思っていたが…」
カレンは頷いて先を促す。
「ローレンスはランドールを毛嫌いしているし、」
ああ、それはわかる気がする。
「アーヴィングは戦線で跡取りを亡くした。今はほぼ隠遁状態だ」
それはお気の毒だわ…なるほど…領主としては頼みづらいわよね。
アーヴィング伯爵…前にフリード卿からの説明で名前だけは知っている。
「カレンは誰を?」
「父の友人で幼い時から可愛がっていただいた、バリウスおじ様あたりを…」
「!」
バリウス伯爵は現将軍閣下だ。さらりと大物の名前を出したことに、ジェラルドは驚きを隠せない。
「事情を話せば、おじ様は否とは言わないはずです。彼自身、高潔な騎士でもありますから。女性といえどデズリー団長を高くかうことは明白です」
おじ様が無理ならば、跡取りのカッセル卿でもいいかと思う…とカレンは呟く。
「なぜそこまでの大物を?」
ジェラルドは疑問をぶつけた。
「…スタンレイ男爵に逃げ道を与えたくなくて…」
ジェラルドはまたも驚く。
可愛らしい顔をしてよくそんな骨太な案を思い付くことだ。陛下ではないが、本当に女にしておくのは惜しいかも知れない。いや、それではジェラルドが困るのだが。
ジェラルドの思惑をよそに、カレンは続ける。
「でも、スタンレイ男爵は“中央”にあまりいい印象をお持ちではないですよね…すべてを整えてから土壇場で“悪魔”に顔を出されては、父を頼る以上私も顔が立ちません」
最もだった。
二人は、ふうっと同時にため息を吐く。
しばらく無言で二人とも宙を見る。
あ!
カレンはある案を思い付く。
とっさにジェラルドの腕を掴んだ。
「アーヴィング伯爵は、跡取りを亡くされたとおっしゃいましたよね?」
「ああ」
もう、10年にはなるかな…とジェラルドは静かに答えた。
なんだろう、突飛な考えかも知れない。でもカレンは一縷の望みを賭けたかった。
「あの、ジェラルド様…」
カレンはその突飛な案をジェラルドに話した。
暖炉の火は、勢いよくパチパチとはぜていた。
・
翌日、ダヴィネス城の玄関ホールには、見送りに立つジェラルドとカレンの姿があった。
「道中気をつけるように。南部を引き続き頼んだぞ」
ジェラルドは領主の威厳だ。
「…わかってるよ」
ランドールは相変わらずだが、横からすかさず、ランディ!とデズリーが諌めると、ため息を吐き居住まいを正した。
「しかと承りました。ありがたき幸せ」
と、騎士の礼を取る。
続いて、デズリーも美しい騎士の礼を取る。
…綺羅綺羅しい。それが2倍。
背後で、侍女達の感嘆のため息が聞こえる。
迷惑を掛けられても、ランドールは特別なのだ。
カレンは二人並ぶ姿を見て「騎士と姫が逆転したようだわ」と、微笑ましく思った。
ランドールは立ち上がると
「ジェラルド、暖かくなったら南部に遊びに来てよ」
と、気軽に声を掛けた。
「お前次第だな」
ジェラルドは口では相変わらずの塩対応だが、どことなく態度が柔らかい。
カレンはホッとする。
ランドールはそのまま踵を返したが、あ、とカレンに振り向いた。
「…君もね」
!
カレンはキョトンとしてしまった。
私に言ったの?と信じられず、言葉を返せない。
ランドールはさっさと立ち去る。
「カレン」
ジェラルドが呆気にとられたカレンに囁く。
あ、危うく忘れる所だった。
「デズリー団長」
と、歩き掛けたデズリーを引き留め、その手に美しく包装された箱を半ば押し付けるように渡す。
まだ夜の明けぬ暗い内に香水屋から持たらされたものだ。ジェラルドの印璽の効果はてきめんだった。
カレンはデズリーの耳元に囁いた。
「余計なお世話とは思いますが、是非使ってみてください…男爵とお二人の時に」
意味ありげに瞳を輝かせ、デズリーに微笑み掛けた。
デズリーはなんのことかわからず、珍しく戸惑いを見せたが「はっ、ありがとうございます」と、少し頬を染めてカレンに礼を言い、一礼すると急ぎランドールの後を追った。
一瞬見せた女性の顔…カレンは自分の勘が当たっていることを確信し、その美しい後ろ姿を目に焼き付けた。
春になったら。
春になったら、夕べジェラルドに話した“突飛な”計画をあなた達に話せるかも知れない。
ダヴィネスの花々の咲く、春になったら…




