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辺境の瞳~カレンとジェラルド~  作者: 鵜居川みさこ
第二章
25/75

25. 辺境の伊達男、もしくは悪魔(上)

 日に日に寒さが深まり、雪の降る日も増え、ダヴィネスに本格的な冬がやってきた。


 使用人達は各部屋の暖炉の火を消さぬよう適宜働く。


 カレンは、辺境の地での初めての冬を迎えた。


 ジェラルドと結ばれ、今や足りないものは結婚式だけとなったが、ダヴィネス城の者達は仲睦まじい二人を温かく見守っている。


 今朝も雪景色の中の朝駆けから戻ったところだった。


 歩きながら互いに顔を近づけ、なにやら囁き合って笑っている。


「ではカレン、また朝食で」

「はい」


 ジェラルドはカレンの頬へキスを落とすと、カレンは着替えのため自室へ向かった。


 出迎えたままその様子を見守っていたフリードだが、カレンがこちらの声が届かない距離まで行ったところを見計らい、歩きながら声を落としてジェラルドへ話しかける。


「…ジェラルド、先ほど先触れが来まして…」


 ジェラルドが促すようにフリードを見る。


「ランドールが来るとのことです」


 ジェラルドは立ち止まった。

「今の時期にか。珍しいな」


「はい…」


 なぜか、二人とも複雑な顔をしている。


「カレンには私から話す」


 フリードは黙って首肯した。


 ・


 いつもの朝食室でジェラルドとカレンは朝食を取り、各々の1日のスケジュールをフリードやモリスから聞きながらお茶を飲んでいた。


 冬になり、ジェラルドは城を空けることこそ減ったが、来シーズンに備えての会議や書類仕事も多く、変わらず忙しく過ごしている。日中は執務室での業務や客人を迎えての応対、鍛練場や兵舎、馬場や牧場へも時間が許せば足を運ぶ。


 カレンは結婚式の日取りが決まってからは、家令のアルバートや文官、時にフリードから、ダヴィネスについての知るべき様々な事柄を本格的に学んでいた。

 ダヴィネスの女主人としての多岐にわたる仕事は、やはり一介の貴族の女主人の役割とは異なることも多く、知らねばならないことも多い。


 ジェラルドからは、無理はしないでいい、とは言われていたが、自身がダヴィネスの、ジェラルドの役立てると思うと全く苦ではなく、本来の好奇心の強さもあり、むしろ新しいことを学ぶのは楽しかった。


 それ以外は生活の流れに大きな変化はなく、本を読んだり手紙を書いたり、もちろん馬達の様子を見るのも忘れない。

 タイミングが合えば、ジェラルドとお茶を楽しむ。

 たまに城塞街へも足を伸ばす。まだ親しい知り合いは少ないので、訪問としての外出は、妊婦のベアトリスの伯爵邸かパメラの邸へ訪問する程度だ。


 夜はジェラルドの仕事が終えていれば、ともにディナーを楽しむ。


 そして…ジェラルドと寝室はまだ別々で、互いの部屋を行き来していた。


 エマなどは早くご一緒の寝室に…と、思っている節があるが、カレンは結婚式もまだなのに一足飛びなようで、なんとなく憚られた。

 ジェラルドはさほど拘りはないようで、カレンの希望のままに、という体だった。


 日課となった朝食時の互いのスケジュール確認は、ジェラルドがカレンの居場所を知っておきたいから…という意味合いが強い。

 執務中、ふいにカレンはどうしているかと問われるフリードにとっては大変合理的だった。


 あらかた朝食を終え、お茶を飲んでいる。


「カレン、伝えておきたいことがある」


「? はい」


 改まってなんだろうと、カレンはカップをソーサーに置くとジェラルドの方へ顔を向けた。


「おそらく明日辺り、南部を任せている配下が来る」

「はい …??」


 ジェラルドの言葉で、モリスとエマが瞬時にハッとし、次いで「えー」という顔をする。フリードは憮然とした表情だ。


 カレンは訳がわからず、思わず彼らを見回してしまった。

 ニコルも戸惑っている。


「あの、それがなにか…?」


 ジェラルドは普段通りだか、わずかに“うんざり”という気配が漂う。

「ヤツは…クセが強いんだ」


「???」


 カレンはますます訳がわからず、頭には多数の「?」マークが浮かび、モリス達は深いため息を吐いていた。


 カレンはそこで頭を巡らせた。

 辺境の…南部の配下…

「もしかして…辺境の伊達男…?」

 カレンははたとひらめき、口に出した。

 王都にいた頃、たわいない噂話の中で聞いたのを思い出したのだ。


 それを聞いたジェラルドは、机に片肘をついて、額を押さえている。


 代わりにフリードが答えてくれた。

「…そんなにいいものじゃありませんよ、我々は“辺境の悪魔”とも呼びます」


 悪魔?…でもジェラルド様の配下よね?クセが強いって???

 聞けば聞くほどわからない。


 軽く混乱するカレンを見たジェラルドは、説明すべく口を開きかけた。

 だがそこへタイミング悪くアイザックが急用で訪れ、ジェラルドは席を立たざるを得ない。


「カレンすまない。詳しくは今夜話す。皆は悪いが…準備を頼む」

 言うなり席を立つと、素早くカレンの側に寄り額にキスを落とし、フリード、アイザックとともに部屋を去った。


 使用人達は、軽くため息を吐きつつも、すぐにプロの顔に切り替え、

「かしこまりました」

 と、ジェラルドを見送った。



 …なんだろう。


 カレンは朝食室で残りのお茶を飲みながら考える。


 要領を得ない。

 フリード曰く“辺境の悪魔”に対する、ジェラルドの態度もよくわからない。


 単にクセが強いだけならば、あそこまでの態度はないはずだ。北のローレンス卿などには深い敬愛で持って接している。彼はクセは強くはないが。


 使用人達の態度から見ても、招かれざる客なのは一目瞭然だった。


「うーん…」


 ジェラルドがカレンに直接話すと言った以上、モリスやエマはカレンには説明しないだろう。


 でも…気になるわ。

 ダヴィネスの一員となったのだ。私にも明日までに心積もりを持つ時間と“悪魔”とやらを知る権利を与えてもらいたい。


 そこでカレンは、一計を案じた。

 使用人のオーディエンスも、元から無い50/50も使えないなら、自ら動くしかない。


「午後からベアトリス様を訪問するわ」


 ・


「カレン様、ようこそお越しくださいました!」


 ベアトリスは、産み月まであと2ヶ月余りの大きなお腹を抱え、カレンの急な訪問にも関わらず、変わらない愛くるしい笑顔とともに手放しでカレンの訪問を出迎えた。


 城塞街に程近いモイエ伯爵の邸は、洗練されながらも温かな雰囲気で、留守を預かるベアトリスを思うモイエ伯爵の心遣いがそこここに感じられる。


 カレンは以前の訪問時とは異なる1階の居間へ通された。

 コンサバトリーと一体になった居間は、寒さの厳しい辺境の地でも明るく暖かく、とても居心地が良さそうだ。


 料理長オズワルド特製の、ベアトリスお気に入りのお菓子をニコルから侍女へと渡す。


「…素敵なお部屋ですね」

 カレンはすすめられたソファに腰掛けながら、正直な感想を述べた。


「ありがとうございます。居心地が良いので、最近はもっぱらここで過ごしておりますの」

 えへへ、という感じのお茶目な顔でベアトリスは答える。


 表裏の無い表情に癒される。


 失礼しますよっこいしょ、と言いながらベアトリスも向かいのソファへ腰を下ろす。

「カレン様、今日はいかがされましたか?…何か、私でお役に立てることがありますか?」


 察しが良くて助かる。

 妊婦への突然の訪問で多少気後れしていたが、カレンはベアトリスの厚意に甘えることにした。


「ありがとう。…実は、ある人物についてベアトリス様のご意見をお伺いしたくて…」


「ある人物…?」


「ええ。…ランドール・スタンレイ男爵」


 聞いたとたん、ベアトリスのティーカップを持つ手が止まった。

 朝、モリスを捕まえて、なんとか名前だけは聞いたのだ。


 …やはり、皆と同じような反応だ。


「…来るのですか?」


「ええ、明日辺りだそうよ」


 ベアトリスは額に手を充て、朝のジェラルドと同じ反応をした。


 …似てるわ。

 兄妹の同じ反応に、感心している場合ではなかった。

 これはますます聞かねば、というカレンの好奇心がむくむくと沸き上がった。


「兄からは…まだ何も?」

「ええ。朝は時間がなくて。夜に話すとだけ」


 んもうっお兄様ったら、と、ベアトリスは少し毒づいたが(妊婦を毒づかせることに後ろめたさはあるが…)、短いため息を吐くとそのまま話を続けた。


「ランドール…ランディは、いわゆる“面倒くさいヤツ”なのです」


 ベアトリスは、やはりジェラルドと似た“うんざり”という顔で話し始めた。



 ランドール・スタンレイ男爵

 年はカレンより4つ年上の23。わずか12で男爵位を継ぎ、辺境の南部地域を危なげなく治めている。

 驚くほどの美形で、天使のような容貌とのこと。

 ただ外見に反してその手腕はかなり強かで、とくに戦場では腹黒い戦術を打ち、辺境軍の数々の勝利に貢献しているとのこと。


 ここまで聞くと、ジェラルドは素晴らしい配下に恵まれている、と感じる。


「…問題はここからで、、、」


 ベアトリスは一旦お茶を飲むと続けた。


「いわゆる、“ジェラルドバカ”ですわ。それも極度の」


 ?


「しかも、常識はすべて抜け落ちていて、日常生活は1人では成り立ちません。すべて人の手を煩わせますの」


 ???


「あの…王都の噂話で“辺境の伊達男”という話を耳にしたことがあって…」


 カレンはおずおずと言ってみた。


 ベアトリスは一瞬、ん?という顔をしたが、

「たぶんそれは…ランディの“人たらし”の表向きの顔を知る方々の印象かと」

 と、にべもなく言ってのけ、続ける。


「日常生活を送るうえで、自分の容貌を使って否とは言わせずに人を従わせます。人たらしは処世術ですが…なんせ巧みなので、コロッと騙される人も多くて…」


 なるほど。コロッと騙されたのは女性も多く含むってことなのね。ゆえの伊達男…


「ダヴィネス城の者は…私も含めて…彼を幼い頃から知っていますので、その腹黒さもよく知っていて…騙されはしませんが、何かと人の手を煩わせるのには辟易しています。城に来れば引っかき回されるのは目に見えますし…事実、毎回そうです」

 ベアトリスはまたもや大きなため息を吐く。

 胎教に悪そうで心配になる。


 でも、朝のモリスとエマの反応を思い出し、納得した。


 カレンは別の質問をしてみる。

「…“ジェラルドバカ”って…?」


「辺境の配下は、幼い兵士に至るまで兄に忠誠を誓っています。そうでないと辺境は治められません」


 うん、それはそうだろう。以前フリードにも聞いた話だ。


「ただ、ランディはそれが過ぎるというか…兄に心酔していて、兄を好きすぎて…」


 ベアトリスは、カレンの顔をチラッと上目遣いで見た。


「かなり面倒なのです」


 あ、これは…


 カレンはピンときた。

 私は邪魔者なのだわ。


 それにしても、日頃は南部に引きこもってるのに、なんでこの時期に…

 ベアトリスはブツブツと呟いている。


 伊達男…悪魔…人たらし…ジェラルドバカ…悪魔はその強かな手腕ゆえの二つ名とも取れるが、フリードの口調は“面倒な”方の悪魔だろう。


 カレンは頭の中で、ランディと呼ばれるスタンレイ男爵を形作ってみる。


「カレン様?」


 思考の沼へ落ちていたカレンは、ベアトリスの声にハッと我に帰った。


「あ、ごめんなさい。ベアトリス様、よくわかりました」

 にっこりと答える。


「…そうですか…とにかく…あまりお相手にはなさらないで…」

 ベアトリスはなおも心配顔だ。


「はい。ありがとう」

 カレンの答えにベアトリスは幾分気分を立て直した様子だ。


 そのあとはたわいもない楽しい会話をし、産み月はダヴィネス城で待っている、と労って伯爵邸を後にした。


 カレンは帰りの馬車の中で“辺境の伊達男、もしくは悪魔”なる人物のことを考えていた。


 とにかく、会ってみなくちゃわからないわね。

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