24.【番外編】収穫祭
※「レディ・パメラ」から「手紙」の間のお話です。
秋の終わり、本格的な冬を迎える季節。
ダヴィネス領内の各地では、次々と秋の実りを称える収穫祭が催される。
ダヴィネス城のお膝元、城塞街を抱える直轄領でも例年の収穫祭が開かれる。
城塞街の広場を中心に、いつもより格段に多くの屋台が立ち並び、大道芸や派手な出店で道は人で溢れかえる…
「それはそれは賑やかだそうです」
朝の仕度をしてくれながら、ニコルが少し興奮気味に話す。
どうやら他のメイドや使用人達から話を聞いたらしい。
「…行きたいでしょ?ニコル」
鏡越しにニコルの話す様子を見ていたカレンは、笑いながらニコルに聞く。
ふと、ニコルの手が止まる。
「…いえ、そんな…」
少し気まずそうに答える。
「ふふ、いいのよ。明日は…午後からお休みなさいな」
「そんな…!」
城の使用人達はここ三日間ほどで交代で休みを取って城塞街のお祭りに行くらしいことは知っていた。
ニコルは休みではない。
年頃のニコルにとってはダヴィネスの地での初めての収穫祭だ。気にならない訳がない。
たまには楽しんでもらいたい。
「いいのよ、ニコル」
とカレンはにっこりと微笑み、侍女に急遽休みを与えることにした。
ニコルは年頃の娘らしく、ありがとうございます!と嬉しそうで、カレンもホッとする。
…さて、とカレンは考える。
ふと、故郷の領地を懐かしく思い出す。
ストラトフォードの領地でも収穫祭は一大行事で、領地を上げてのお祭りだった。
カレンも準備を手伝い、身分の差は関係なく民達と楽しんだものだ。
ここの収穫祭はいったいどんな感じなのかしら…?
恐らく、他の領地と同様に祭りのクライマックスには大きな焚き火が炊かれ、飲めや歌えになるのだろう。
カレンの好奇心がむくむくと大きくなる。
カレンはふと、数日前に丘の上でジェラルドとキスを交わしたことを思い出す。
とたんに顔が熱くなる。
あの出来事以降、カレンはジェラルドへの意識がより強くなり、自分でもどうしていいのかよくわからない。
あの後も、表向きは特に二人の関係は変わりなく日常を過ごしている。
ただ明らかに、二人の間で目に見えない何かが変わったのは確かだった。
ダメだわ、何か別ことを考えよう。
ともすれば意識がジェラルドへ向きそうになるのを、無理やりに別へと向けようとする。
「そう、収穫祭よ」
カレンはダヴィネスの収穫祭を見てみたい。
だが、この状況ではジェラルドへはお願いがしづらいし、ワガママも言えない…とすれば…コッソリと見に行くしかない。
カレンは策を練ることにした。
城の外へ出るには必ず護衛がつく。というか、付けなければいけないことになっている。仕方のないことだが、たまにはひとりで行動したい。ストラトフォードの領地でのように…
「うーん…」
カレンは午後のお茶の時間も、そのことばかり考えていた。
ダヴィネス城から城塞街までは馬ならすぐだが、歩くと少しかかる。でも、歩けない距離ではない。
「お嬢様、何かお悩み事ですか…?」
主を気にかけ、ニコルが心配そうに話し掛ける。
「え?…ううん…ねぇニコル」
「はい?」
「明日は城塞街までどうやって行くの?」
「使用人達で馬車を仕立てて、それで行きます」
「そう」
「収穫祭は領地外からも…とにかく人が集まるので、騎士の皆さんの多くも警備に人手を割くとか…」
「ふうん…」
「確か、ジェラルド様達も顔を出されるってお聞きしてます」
「!」
なるほど、とすれば明日のディナーはジェラルド様はおられないってことね…。
「お嬢様?」
カレンは思案顔だ。
明日は城の警備はいつもより手薄になるかも知れない。ディナーは食欲がないと断り部屋へ籠ることにすれば或いは…
カレンは着々と企みを画策した。
・
翌日の昼過ぎ、カレンはダヴィネス城へ出入りする騎士や荷馬車の様子を窓から観察していた。
やはり、いつもより出入りが少ない。
ニコルもすでに下がり、カレンは部屋にひとりで居た。
今朝の朝食の時、ジェラルドから午後からは外出するのでディナーは共にできない旨は聞いている。
どうやらアイザック卿を伴って収穫祭の視察へ行くらしい。
仕事のひとつだとは思うが、カレンは少しうらやましいと思ってしまった。
私も見てみたいわ…
……バレなきゃいいのよ。
カレンは立ち上がると、クローゼットの中を探る。
なるべく目立たないドレスとフード付のマント…
カレンの身に付けるものはすべて仕立ての良いもので、一目で身分のわかりそうなものばかりだ。
それでも夜に紛れそうなもの…と、なるべく地味な色合いのものを選ぶ。
あとは…仮病を装うことね。
コンコン
お茶の時間に、カレンの部屋にノックとともに、ニコルの代わりの年若い侍女が現れた。
「レディ、お茶のお仕度をいたしました」
「…ありがとう。でもごめんなさい、今日は頭痛がして…このまま休むわ。ディナーも結構だから、ひとりで休ませてもらえるかしら?」
「…はい!畏まりました…お薬をお持ちしましょうか?」
代わりの侍女は少し慌てている。
「いえ、いらないわ。寝ていれば治るから…ごめんなさいね、ありがとう」
侍女は「はい、何かご用がございましたらお呼びくださいませ」と言うと部屋を去った。
…よし。
秋の日差しが西に傾き、ダヴィネス城の庭を黄金色に染める。
段々と、東の空から夜の気配が漂ってきた。
カレンはドレスを着替え、マントを羽織った。
コンコン
…!!
「カレン様、失礼いたします」
侍女頭のエマだ。
カレンは急いでベッドに潜り込んだ。
「お加減はいかがですか?ディナーも召し上がられないと聞きましたが…」
いかにも心配そうな顔でカレンの顔をのぞく。
ごめんなさいエマ!
「だ、大丈夫よ。ニコルのいない時に心配を掛けてごめんなさい。寝ていれば治るから…」
「何か軽いものでもお持ちいたしましょうか?」
「いいえ、ありがとう。今日はこのまま休みます」
そうですか…と、なおも心配そうだ。
カレンは心が痛むのを感じるが、今日の計画は絶対に決行するつもりだった。
・
ダヴィネス城から城塞街への街道、その真っ暗な道沿いを歩く。
城内でも城外へ出る時も、幸運にも人に出くわさず、警備からもうまく隠れながら来ることができた。
ここまででミッションはほぼ成功と言えるかも知れない。
カレンは久しぶりにわくわくしていた。
後ろめたさは否めないが、本当に久しぶりの一人での外出に気分が高揚する。
夜道は怖くないと言えば嘘になるが、念のために護身用の短剣も忍ばせている。
街道の道沿いをザクザクと歩き、少しでも音が聞こえれば、脇の茂みへ身を隠す。
後ろのダヴィネス城を振り返ると、篝火に映し出された巨大な城が聳え立つ。
どうやら追手は来ない。
…急がなきゃ。
カレンは城塞街への道を急いだ。
・
城塞街へ近づくにつれ人の往来が増え、ザワザワとした賑わいを感じる。
見回りの騎士の姿もチラホラと見える。
カレンは、マントのフードを目深に被り直した。
城塞街へは何度か足を運んだことがあるが、そこまでは詳しくない。
人に紛れることはありがたいが、あまりウロウロするのは避けることにして広場へ向かう。
予想以上に人が多い。
皆、各々食べ物を頬張ったり夜店を賑やかしており、楽しそうだ。
これなら人に紛れられるわね。
広場近くには騎士の詰所があるので少し緊張するが、足早に通り過ぎた。
「お嬢さん、美味しい焼きリンゴだよ!」
ふいに、屋台から声が掛かる。
カレンは声を掛けられて、初めて空腹を感じた。
見ると、串に刺さったリンゴが飴色に焼かれ甘い匂いを漂わせている。
「…ひとつ、ください」
リンゴは好物だ。
「まいどありっ」
お金を持ってきていて良かった。
カレンは焼きリンゴを受け取る。
さすがに歩きながらは食べ慣れていないので、どこか落ち着けそうな場所を探すが見つからない。
立ち止まり、少し齧ってみる。
…美味しい…!
ハチミツとシナモン、リンゴの果汁がジワリと口の中に広がり、まさに秋の実りといった味わいだ。
カレンは焼きリンゴに夢中になり、頭のフードがパサリと落ちたことに気づかない。
「…あれ?…似てるな」
アイザックが串焼きを頬張りながら、遠くを見て呟く。
「何がだ?」
ジェラルドはホットワインのカップを片手に持っている。
“視察”ではあるが、ジェラルド達もすすめられると断れない。
しかも領主は絶大な人気を誇るので、民達の喜びも大きい。今は城塞街の顔役達と話をしていた。
「…いや、他人の空似かな」
「?」
・
揚げパン、アメ細工、焼き栗(食べられないのに)、焼きキノコ…
今やカレンの両手には屋台の食べ物で溢れていた。カレンは声を掛けられると、余程でない限り断れない。
ちょっと買いすぎちゃったかしら…
その場で消費できないが、民に混じっての買い物は楽しい。楽しいが…
カレンはふと、これが誰かと一緒ならば、もっと楽しいのだろうか…と思う。
例えば、すぐ先に見えている、仲睦まじい男女二人連れのように微笑みあって腕を組んで…
と、脳裏にジェラルドの顔が浮かぶ。
いえ、違うわ!
ひとりふるふると顔を振る。
まさかジェラルド様とお祭りになんて…
「お嬢さん、ひとり?」
立ち止まって考えていると、声を掛けられた。
「?」
声の方を向くと、若い男性二人連れだ。ガラはさほど悪くはないが、酔っている。
しまった、フードを被ってない!
つい買い物に夢中になり、フードが滑り落ちていることに気づかなかった。
カレンは慌ててフードを被り直した。
「かわいい顔、隠さなくてもいいじゃん」
男二人はカレンの顔を覗き込んでくる。
「見たとこひとりだよね、俺らと遊ばない?」
ストラトフォードの領地でもそうだったが、祭りは男女の出会いの格好の場だ。お酒の力も借りて気安く声を掛ける。
「あ、あの、違います」
「えー?いいじゃん?」
と引き下がらない。
困った。でもなんとか逃げないと、と思うそばから、わぁ!っと歓声が上がった。
広場の中心に設えてある大きな焚き火に火種が投下され、火の手が一気に立ち昇ったのだ。
その場にいた全員が焚き火に目を向けた。
今だわ!
カレンはこの時とばかりに若者二人からささっと離れた。
「あ!ちょっと待てよ!」
二人のうちひとりがカレンが逃げ去るのに気づいて声を掛けるが、カレンは人混みをかき分けて足早に離れた。
ふぅ、危なかった…
今一度フードを深く被る。
今や、焚き火を中心に何重にも人の輪ができている。
もう少しだけ…
カレンはフードの下から、燃え盛る焚き火を見た。
豊穣の炎。そして感謝と祈りの炎…
炎を見る人々の顔は、明るく誇らしげだ。
秋の夜空に、火の粉が舞っている。
紙に包まれたジャガイモが放り込まれる。これはストラトフォードの領地でもやっていた。
カレンは懐かしく、そして感慨深く炎を見つめる。
知らず、またフードが頭から滑り落ちたが、そのまま炎を見上げていた。
「…ザック」
「んー?」
「私は見てはいけないものを見つけた…」
「…ああ、俺も。…やっぱ本人だったのか…」
ジェラルドとアイザックは並んで、ある一点を見ていた。
大きな焚き火を挟んだちょうど対角に、焚き火の炎に顔を照らされ、舞い上がる火の粉を見上げる人物…
明らかに他の民衆とは異なる雰囲気を放っているが、本人は全く気づいていない。
「お前、気づいていたのか…!」
ジェラルドはアイザックを睨む。
「いや、似てるなとは思ったんだが…おっきな口開けてリンゴ食ってたからさ…」
まさか本人とは思わなかった。
ジェラルドは大きなため息を吐いた。
カレンはリンゴが好物だ。
「…護衛は」「いねぇな」
「しかもジェラルド、なんか変な虫が2匹付いてるぞ」
「…わかっている」
ジェラルドは即座にカレンのもとへと動く。
「ジェラルド、姫様に怒るなよ!」
アイザックの声には答えず、人混みを進んだ。
先程の若者二人組が、カレンを見つけてしつこく言い寄っている。
「なぁいいだろ?ちょっと付き合ってよ」
「いいえ、お断りします」
「んだよ、祭りなんだぜっ、カタいこと言うなよー!」
と若者の1人がカレンの手首を強く握った。
「ッ!」
「その手を離せ」
カレンの背後から低く強い声がしたかと思うと、カレンの肩を大きな手が包み込み、同時に男の手をカレンから引き剥がした。
「! 領主様っ!」
若者二人は、見るからに剣呑な雰囲気の領主の登場に目を白黒させている。
「祭りとは言え無理強いは関心しない。酒はほどほどにしておけ。…カレン、行こう」
ジェラルドは両手でカレンを胸の中に抱え込み、若者を諌めると、カレンの肩を抱いたまま足早にその場を離れた。
若者達は何が起こったのかわからず、ポカンとしてカレンとジェラルドの背中を見送った。
カレンは突然のことに、驚き過ぎて何も言えない。肩を抱く手の主の顔を見ることもできない。
冷や汗がタラリと出る。
ジェラルドは騎士の詰所へと入った。
「すまないが、しばらく邪魔をする」
「はっ!」
突然のジェラルドの登場に、詰所の騎士達は一瞬にして緊張状態となった。
しかも、地味なマントを着た女性と一緒だ。
ジェラルドはカレンと共に詰所の奥のテーブルと椅子のある部屋へ入ると、バタンと扉を閉めた。
「…今の、ジェラルド様と…」
「??」
詰所詰めの騎士達は軽く混乱している。
カレンの顔はあまり公にはなっておらず、騎士達の中でもまだ知らない者も多い。
「婚約者殿、姫様だよ!さっさと城に繋ぎを取れ」
「は、はっ!」
ジェラルドを追ってきたアイザックが騎士達に畳み掛けた。
・
「…掛けて、カレン」
怒っている声音ではないが、幾分声はいつもより低い。
「…」
カレンは黙って勧められるまま椅子に腰掛けた。
次いでジェラルドも机を挟んだ向かいの椅子へと座る。
…結局バレてしまった。
しかも、男性に絡まれた所を助けてもらった…
「カレン、」「申し訳ありません」
カレンは初めてジェラルドの目を見た。
怒りの色は見えない…だが、ここは潔く謝るべきだ。
ジェラルドは眉を上げる。
「…それは?」
カレンが両手に抱えた食べ物に目をやる。
「…あの、勧められると断り切れなくて…」
と、机の上にひとつずつ置く。
「焼き栗も?」
眉をひそめる。カレンは栗のアレルギーだ。本人は食べられない。
「誰かが食べればいいかと…」
「それは?」
カレンの持つ飴細工を指差す。
「…何に見えますか?」
ジェラルドは顎に手をやる。
「…教会?」
「惜しいです…。これ、ダヴィネス城です」
でも、飴細工職人はダヴィネスの者ではなくて、ちょっと適当に作ったみたいです。
言いながら、棒の部分をひらひらと返し、飴細工をクルリと回す。
ジェラルドは、カレンが楽しそうに飴細工を眺める様を見る。
そんなカレンを見ているとすべてを許してしまいそうになるが、言うべきことは言うべきか。
「…カレン」
「はい」
「なぜ1人でここまで来た?」
カレンは心配を掛けてしまったことを反省した。居住まいを正す。
「あの…申し訳ありません。収穫祭を見てみたくて…少し、ストラトフォードの領地が懐かしくなりまして…」
下を向いて答える。
「収穫祭が見たいなら…なぜ私に言わない」
「ジェラルド様にとってはお仕事です。我が儘は言えません」
沈黙が漂う。
まだ信頼は得られていないということか…
「しかし、なぜ1人で?城外へは必ず護衛を伴う約束だったと思うが…」
「…ひとりに、なりたくて…」
二人の脳裏に、丘での出来事が思い浮かぶ。
「カレン…まさかストラトフォードへ帰りたいと?」
カレンはハッと顔を上げた。
「いえ!違います。誤解させたならごめんなさい。…誰にも知られず、ひとりで行動したかっただけです」
結果、迷惑を掛けてしまったが…
ジェラルドはカレンの顔を見ながら、内心苦々しく思っていた。
あの丘でのキスで、追い詰めてしまったか…
しかし…
領主の婚約者が護衛無しで城外へ出るなど、普通あり得ない。あり得ないが、ことカレンについては“普通”は当てはまらないこともよくわかっている。
目の前のカレンは反省の色も顕だが、緊張を紛らわすように、ダヴィネス城だと言う飴細工をクルクルと回している。
目立たない服装を選んだと見るが、返って品格の漂う美しい顔立ちを際立たせていることには気づいていないようだ。
絡んでいた男どもには腹が立つが、気持ちはわからなくもない。
怒る気など、なれるわけがない。
コンコン
「入れ」
「ジェラルド、城には繋ぎを取った…姫様、祭りは楽しめた?」
アイザックが顔を出した。
カレンはホッとする。ジェラルドと二人きりの空間はいたたまれない。
「…はい。アイザック卿にもご心配をお掛けして申し訳ありません」
殊勝に頭を下げる。
アイザックは、何言ってんだよ、とヒラヒラと手を振る。
「焼きリンゴ、うまかっただろ?」
アイザックがいたずらっぽく尋ねる。
カレンは、あ!という顔で口を押さえる。
見られていたなんて…!
「…はい。ダヴィネスのリンゴ、大好きなんです…」
カレンは頬を染めた。
「……」
ジェラルドは無言でアイザックを睨む。
「ま、何もなかったんだし、良かったよ。な、ジェラルド?」
アイザックは頭を掻きながらジェラルドへ目線を返した。
「…ああ。…ところでカレン、ここへはどうやって?」
「…歩いてきました」
「なに?」
ジェラルドは額を手で押さえた。
城から城塞街までは、歩くとかなり距離がある。
警備の目をかい潜り、夜道をひとりで歩いてきたというのか。
「あの、そう遠くはなかったです。念のため護身用の短剣も持っていましたし…」
と、なにやらスカートの下をゴソゴソと探ると、鞘にしまわれた短剣を取り出し、机の上にコトリと置いた。
これにはジェラルドもアイザックも呆気に取られた。
「…カレン」
「あ、はい」
「それは預からせてもらいたい」
城に帰ったら返すから、とジェラルドは短剣を手に取る。
よく使い込まれた短剣だ。
柄にはストラトフォード家の紋章が刻まれており、手入れも行き届いている。
「ストラトフォードの領地で使っていた?」
「はい。どこに行くにも肌身離さず…。狩りの時はその場で獲物の血抜きをしました」
「へぇ…」
アイザックは感心している。
侯爵令嬢が獲物の血抜きか…
やはりこの娘は一筋縄ではいかない。
ジェラルドはため息を吐きながら、短剣を自分の剣帯に納めた。
「…城へ帰ろう」
飴細工を除く食べ物は詰所の騎士に残して、カレンはスヴァジルに乗せられた。
横乗りだが仕方ない。
すぐ後ろにジェラルドも騎乗する。
と、腕と背中がジェラルドに密着しそうになり、かわそうとしてバランスを崩しかけた。
「あ!」
とっさにジェラルドの胸に両手でしがみついた。ジェラルドの腕もカレンの上半身を取り込んでいる。
カレンの心臓が跳ね上がり、すぐにジェラルドから距離を取ろうとジェラルドの胸に手を付きかけた。
「そのままでいい」
え?
「いいから」
見上げると、すぐ上でジェラルドの深緑の瞳が揺らめいている。
有無を言わせない強さだ。
カレンは耳まで真っ赤になった。
どうか暗闇に紛れますに!
と心の中で叫ぶ。
ジェラルドはそんなカレンの様子を、笑みを浮かべて見る。
「…本当にあなたは目が離せない」
ポツリと呟くと、スヴァジルを出発させた。
・
城では、カレン行方不明の騒ぎになる前に城塞街から繋ぎが来たこともあったが、使用人達は慌てていた。
まずはやはり、エマに叱られた。
これは仕方ない。
仮病まで使って心配を掛けてしまったので、素直に謝る。
次いでフリードからも「何かあったら責任を取れません。せめて誰かに告げて欲しかったです」と注意を受けた。
…最もだ。
こちらにも謝った。
・
ジェラルドの執務室。
「…ったく寿命が縮まりましたよ。ダヴィネスへの人の出入りが多いこの時期に…ジェラルドからも言ったんですか?」
フリードはジェラルドのいやに平和そうな顔を見て確認する。
「…いや」
「甘い!絆されたんですか」
「いやそうではない」
「では、」「ストラトフォードの…」
「え?」
ジェラルドはふーと息を吐いた。
「ストラトフォードの領地の収穫祭が懐かしいと言っていた」
「…だったらなぜ収穫祭へ連れて行って欲しいと、ジェラルドに頼まないんですか」
「遠慮したんだ。まだ私は信用に値しないらしい」
「……」
フリードは黙った。
カレンからジェラルドへの頼みごとは、今のところくだんのレースと馬に関することだけだ。個人的な理由での願いは聞いたことがない。
「…私の配慮が足りなかった。領地では誰の許可も必要とせず、自由に馬に乗り、狩りをして祭りにも参加していたんだ。ここではそうはいかない。その気持ちは少しでも汲みたい」
「…思っても、しませんよ普通は」
夜に護衛も付けずに外出なんて…と、フリードはなおもぶつぶつと言う。
「やはりカレンは“普通”の令嬢ではないということが、お前もよくわかっただろう」
ジェラルドはニヤリと笑う。
「カレン様の行動力は脅威ですよ。ジェラルド、せいぜい逃げられないように」
フリードは未だに鼻息が荒いが不承不承納得した。
ジェラルドは、焚き火の火の粉を見上げるカレンのうっとりとした顔、そして帰りの馬上でのしがみついてきたその柔らかな感触を思い出した。
「フリード」
「はい」
「モリスとエマを呼んでくれ」
「? …わかりました」
・
「…これは…!!」
鹿のパイ、キジのロースト、鱒の燻製、数種のキノコのソテー、カボチャのプディング、もちろんリンゴも様々な調理法で並ぶ。加えて、屋台風の串焼きや揚げパンも所狭しと並んでいる。
翌日のディナーはジェラルドの指示で、カレンのための収穫祭として趣向を凝らしたものとなった。
「カレン、昨日はゆっくりできなかっただろう。皆があなたのために準備してくれた」
極めつけは、飴細工だ。
昨日のものとは異なり、精巧に作られたものが刺さっている。
旗を掲げたダヴィネス城、馬、ブドウ…
「すごい…!」
カレンは飴細工に顔を近付けて観察する。
急きょ収穫祭の晩餐会となった今日は、ベアトリスやシーモア卿、キングズレー男爵夫妻など、近しい関係のゲストを招いてのものとなった。もちろん、フリードやアイザックも席を連ねる。
「カレン様、ジェラルド様のご指示でこざいますよ」
モリスがさも嬉しそうにカレンへと話す。
!
昨日、あんなことがあったばかりなのに…
カレンは顔を紅潮させて、ジェラルドに向き直る。
「ジェラルド様、ありがとうございます。こんな…こんな素敵なディナーは初めてです」
皆に心配を掛けてしまったのに…カレンは思わず涙ぐむ。
ジェラルドは静かにカレンに近づくと肩を抱いた。
「あなたが喜んでくれるのが一番だ」
「ジェラルド様…」
ジェラルドは顔を上げたカレンの額に、そっと小さなキスを落とした。
ゲストやモリスやエマ、ニコル達使用人も二人の様子を微笑ましく見守る。
「さあ、ジェラルド!乾杯しようぜっ」
アイザックが元気良く声を掛ける。
「…ザック…空気を読むということを知らないんですか…」
フリードが窘める。
「んだよー、せっかくの料理が冷めちまうぜ」
それはその通りだ。
皆、一斉に笑い合う。
収穫祭のディナーは、気のおけない者同志の賑やかで楽しい夕べとなった。
・
夜も更け、カレンは自室で飴細工をクルクルと回している。
「お嬢様、ソレ、お気に入りですね」
ニコルがカレンの様子を見て微笑む。
昨日城塞街で買った、教会もどきのダヴィネス城と、料理長のオズワルド作、渾身の出来のダヴィネス城…
「うん、どちらも勿体なくて…食べられないわ」
ダヴィネスでの楽しい思い出が増えていく。
同時にカレンは、ジェラルドへの想いも重なるのを感じていた。
カレンとジェラルド、二人の想いが通じ合うまで、あと数日。
ダヴィネスの秋は深まる。
お読みいただきありがとうございます。
日本は桜もチラホラの季節ですが、辺境の地ダヴィネスは真冬です…
明日から第二章始まります。引き続き、お楽しみいただけたら幸いです!




