15. 手紙(上)
さらさらとペンを走らせる音がする。
雨の降る寒い午後、カレンは自室で王都の親友アリシア宛の手紙をしたためていた。
お腹はもうだいぶ大きくなってるかな…と愛らしい親友の顔を思い浮かべながら。
ジェラルドとカレンがパメラの邸から相乗りで帰城してから、しばらく経った。
二人の相乗りの姿を目にした城の者達は一斉に色めき立ったが、その後の二人にも大きな変化は見られないことで、引き続き気を揉みながら見守る…という状態を保っていた。
「ふう」
カレンはアリシア宛の長い手紙を書き終え、庭で拾った辺境の地にしかないであろう美しい金茶の落ち葉を便箋に挟み、丁寧に折り畳んだ。
封筒に入れようとして、ふと手を止める。
- 辺境伯閣下は、きっとあなたを愛するわ -
王都での別れの際に、アリシアが言った言葉が甦る。
それは…たぶん…そう
ジェラルドが自分を見る瞳や触れる手、言葉…カレンに接するすべてに、有り余る優しさと熱情をひしひしと感じる。
立場と力でもってカレンを思い通りにできる人なのに、カレンの心情を思いやり、尊重してくれている。
誰にも感じたことのない、この気持ち。
…好きなんだろうな…
とっくに深緑の瞳の波打つ稜線に捕らわれているのはわかっていた。
ジェラルドの広く温かい胸に飛び込めば、この迷いは霧散するのだろうか。
…いや、違う
それを許さない自分がいる。
カレンはため息を吐くと立ち上がり、窓辺に向かう。
細かな雨が次々と窓に模様を描く。
お姉様やアリシアは、どんな気持ちだったのだろう。
・
カレンは、丘での出来事のあと、努めて心を落ち着けながら、事実を順序立てて考えてみた。
兄がカレンを王都から遠ざけるためにお膳立てした婚約
ジェラルドにしてみれば、王命には逆らえなかった婚約
春までの婚約期間というのは建前で、結婚式の日取りは決められていない。
それは恐らく、カレンがダヴィネスに馴染めなかった場合を想定している。
つまり、ダヴゥネスに“一時預け”ということを意味する。
しかしカレンは日に日にダヴィネスに馴染み、今では愛着を持つまでになった…
そこでカレンは、ハッと気づいた。
まさかジェラルドが、自分に好意を持ってくれることは考えていなかったことに。
まさか辺境伯閣下が、世間知らずの自分を単なる庇護の対象以上の存在として見ることはないだろうと思っていたことに。
やはり私は、どこまでも小娘なのよ…
ジェラルドの懐の深さに甘えていた自分を呪いたくなる。
こんな自分に、辺境伯夫人など勤まるわけもなく…
後にも先にも動けない、浅慮な自分が腹立たしい。
結婚式の日取りが定まっていない今なら…まだ間に合うのだろうか…
・
雨足が次第に強まっている。
カレンは窓の外の風景を見るともなしに見ながら、知らず唇を噛み、左手の親指でその薬指に嵌められた指輪をなぞっていた。
「お嬢様?」
ニコルが心配そうに呼び掛ける。
「お嬢様、お茶になさいませんか?」
「え?ああそうね、お願い」
気持ちを一旦区切り、お茶の用意ができるまでにアリシアへの手紙を封筒に入れてしまおうと机に向かった時、ノックの音が聞こえた。
ニコルが扉を開けると、モリスがトレイにカレン宛の手紙を乗せて持って来たようだ。
「ありがとう、モリス」
慇懃に礼をしたモリスからニコルが手紙を受け取りカレンの元へ持って来てから、お茶の準備でモリスとともに退出した。
カレンは手紙にすぐに目を通す。
筆マメなお母様から…封筒の大きさから何かのカタログかな、あとは王都で懇意にしていたティールームのマダムと、例のレース関係のお店から…これらはストラトフォードの家に一旦届き、転送されたものだ。残る1通は、薔薇の描かれた美しい封筒。王都の花屋の名前がある。
あまり利用したことはないが、何かの宣伝かしら…不思議に思い、一番に封を切った。
中からは、いかにも高級な厚地の封筒が現れた。
差出人の名はない。
「…!」
しかしその印璽を見て、カレンは固まった。
そしてすぐさま封筒を机に投げ出した。
手にするのも嫌だ。
印璽は間違いなく第二王子セオドアのものだった。
背中が粟立つのを感じる。
ストラトフォードの家に送り付けてくる第二王子からの手紙は、カレンの目に触れないよう家族(特に兄が)や使用人が気をつけてくれていた。
栗の一件でダヴィネスも網を張っているだろうに、こんな子供の騙しの手を使ってくるとは。しかしいかにも第二王子らしい。
花屋を装っているのだ。モリスは責められない。
カレンは封筒を前に逡巡した。
なかったことにして棄てることもできる。
でもこれはご報告すべきよね…
部屋に戻ってきたニコルはお茶の用意ではなく、今のカレンの希望を叶えてくれた。
「お嬢様、ジェラルド様がよろしければお茶をご一緒に、とのことだそうです」
∞∞∞
カレンがペンを走らせている時、ジェラルドは執務室で会議を終わらせたところだった。
広げられた大きな地図をフリードが片付けている。
アイザックとダヴィネス領北部をまとめる老騎士のローレンス卿は、まだ話を続けていた。
ジェラルドは執務机から離れ、バルコニーに続くガラスの格子扉から外を見ている。
細かな雨が、庭をしっとりと濡らしていた。
腕組みをして外を眺める主の姿を見て、フリード・アイザック・ローレンスはそっと目を見合わせた。
カレンと相乗りで帰ってからこちら、仕事ぶりこそ変わらないが何か考えているのは明らかで、近しい間柄の側近達は秘かに気を遣っている。
アイザックは“お前話しかけろ”とフリードに顎でサインを送ってきた。
フリードは短いため息を吐くとジェラルドに話しかける。
「ジェラルド」
ジェラルドがフリードの声に振り向く。
「…ザックが話があるそうです」
アイザックが、俺?とフリードを睨む。
「そうか、何だザック」
「いや…お前、最近元気かなと思って」
アイザックは苦し紛れに問う。
フリードがはあーと大袈裟に深いため息を吐き、額に手を充てた。
ジェラルドは眉を上げた。
「私は部下の目にとまるほど元気がないか」
「恐れながらジェラルド」
普段は最北端の砦にいる老騎士のローレンスが深い声音で続けた。
「久々にお会いしたあなたは、とても人間らしい顔をなさっている。我らはそのことが嬉しいのですよ」
「…そうか」
「ただ、思案が過ぎるのは時に行動を鈍らす…ということは、あなたもよくご存知のはずだ」
そうそう、とアイザックがこくこくと首肯する。
「いかなる時も詰めは確実に」
ローレンスは大真面目に締めくくった。
老練騎士の言葉がやたら重い。
「承知した。進言感謝する、ローレンス」
口元に笑みを湛え、幼少から支えてくれている父のようなローレンスに律儀に答えた。
「ジェラルド、良いタイミングなのでカレン様とお茶を共にされては?」
フリードが妙に重くなった空気を破るように言った。
「…そうだな」
∞∞∞
ジェラルドとのお茶のために居間へ向かう。
手紙のことが気掛かりで、早くジェラルドに会いたかった。
と、居間の前でばったりジェラルドと鉢合わせた。
「! ジェラルド様」
カレンは分かりやすくホッと安堵の表情になる。
「カレン…顔色がよくない。何かあった?」
カレンを認めて頬を緩めはしたがすぐに目敏く指摘し、人差し指をカレンの頬に滑らせる。
頬をなぞる感触の甘さに一瞬どきりとしたが、
「あの…お見せしたいものがあって…」
カレンは歯切れ悪く言うと、ニコルがトレイに乗せた代物にさっと視線を走らせた。
ジェラルドはカレンの顔から目線をたどった。
「…わかった。入ろう。」
いつものように、カレンの肘からするりと手を滑らせ優しくカレンの手を取ると、手を繋いだままカレンをソファへ導いた。
カレンは腕に走る感触と大きな手の温かさに安堵を重ねた。
「まずはお茶を飲んで」
言いながら向かいに座る。
すかさずモリスがお茶を注ぎ、カレンは一口飲んだ。
爽やかな芳香が鼻腔を抜け、塞いだ気分を幾分和らげる。
カレンの顔色が少し良くなったことを確認すると、ジェラルドはニコルに目で合図し、トレイに乗った封筒を手に取った。
「私が読んでも?」
念のためカレンに聞く。
「もちろんです」
高級感漂うそれの、表書きはなし、差出人の名もない。
だが、裏返してその印璽を認めると一瞬目を瞠ったが、動じてはいない。
「別の封筒に入れられていました」
カレンはジェラルドの様子を不安な顔で見守る。
モリスからペーパーナイフを受け取ると、事も無げに印璽を外した。
2枚の便箋の、1枚目の冒頭はこう始まっていた。
- 親愛なる私のカレンへ -
これだけで、ジェラルドの激怒を買うには充分だった。




