484話 南伊勢攻略戦 信長の本陣にて 後段
二つに分けようかとも思いましたがバランスが悪かったのでまとめました。なので、今回ちょい長めです。
北畠父子の籠もる大河内城の城攻めを語る信長の本気度を知った長野信包隊、木下秀吉隊の諸将は威儀を正した。その様子を見て信長は満足そうに頷く。
「で、だ。既に北には斎藤新五の軍を、東には柴田権六と森三左の軍を配した。阿坂城攻めの後ではあるが、そなたらにも大河内城の包囲を命じる。信包の軍は城の南に陣取れ。秀吉の軍は城の西に陣取れ。地図を持て」
「はっ」
長谷川橋助と蒲生教秀の両名は信長の指示のもと、諸将の前に地図を広げる。
この地図は信長と母衣衆が実際に城の周囲を駆け回り、見聞きした事を、右筆衆と小姓衆で図面に落とし込んだ詳細なものであった。
「で、だ。斎藤新五はここ。阪内川と谷津川の合流したあたりの北の開けた場所に陣取らせた。権六と三左は大河内城大手門から見ての対面、阪内川をはさんで相対するこの山に配した。して、この山の名は何といったかな?」
扇子で地図を指しながら北面と東方の軍について説明する信長。山の名を失念したのか、小姓衆に問いかける。
「只越山と言ったかと」
蒲生教秀がすぐに答えると、満足そうに頷く信長。
「で、あるか。ここ、只越山に権六と三左が居る。秀吉らの軍は西に陣を敷け。このあたり、養徳寺という寺と稲荷社がある集落がある。ここがよかろう。ここから西の丸につながるように二つの谷がある故、そこを抑えよ」
「「「御意」」」
「で、だ。信包らの軍は南、搦手門より南、こちらにもたしか寺があったな?名は何と言ったか」
再び小姓衆に問いかけると、今度は食い気味に長谷川橋助が答える。
「西蓮寺にございまする」
新旧の小姓衆の競い合う様を好ましく思ったのか信長の両口角が上がる。
「搦手門、西蓮寺の南に少し開けたところがある。信包らの軍はそこに布陣せよ」
「「「御意」」」
「儂とともにこのあたりを見回った尺限廻番衆に各々案内させる故、この後、現地を見て回り、陣を構える位置について申し合わせよ。秀吉らには菅屋長頼、塙直政らを、信包らには前田利家、福富秀勝らがつけ。尺限廻番衆は、帰りがけに斎藤新五、柴田権六、森三左に秀吉、信包の部隊が近くを通ること、何処に陣を敷く予定かを申し伝えてくるよう伝えおけ」
「「はっ」」
返事をした小姓衆のうち、蒲生教秀がすぐに陣幕の外に駆け出す。
案内役の尺限廻番衆が来るまで、少しばかり弛緩した時間が流れる。
「で、だ。秀吉、脚は大事無いか」
「はっ。まだ、とんだりはねたりすれば痛みまするが、ゆっくり歩むのであればそれほどは痛みません。本陣にて指揮する分には問題ないかと」
と、言いながら、軽く脚を叩いて見せる秀吉。
思いの外痛かったのか、一瞬顔を顰めてから苦笑いをする有様である。
「で、あるか。此度の戦が終わるまでは、気張れ。その後は少しばかり傷を癒すが良い。盛次のこともある。お主まで歩けなくなってはたまらんからな」
「お言葉、ありがく頂戴致しまする。此度の戦が終わるまで、もう一踏ん張りも二踏ん張りも致しまする!勝ち戦の後、良い気分で療養致したく存じまする」
珍しく家臣の怪我を気にする信長であった。
「で、あればばそれがしより一つ。我が領地に湯の山と言う温泉がありまする。この戦の後にでも、そこで数日湯治などいたしたら、宜しかろう」
「お、滝川殿の領地には温泉があるのですかな!それは良いですな!して、どちらに?」
「菰野という場所から南近江に向かう山の中にある温泉ですな。少し前に、柴田殿の南近江の領地からそれがしの領地に抜ける峠道を整備したいと、柴田殿からの申し出がありましてな。調べてみたら、その道筋に温泉があり申した。せっかくですので、道を整備するついでに少しばかり手を入れ申した。一度温泉に浸かりに行きましたが、良いところでしたぞ」
「おお、それは楽しみですな!この戦、すぐにでも勝ってその温泉に行きたいものじゃあ」
「これ、秀吉。まだ、勝っておらぬ。まぁ、七万もの大軍で囲めばすぐにでも城は落ちようがな」
秀吉をたしなめるように言葉をかける信長であったが、軍の多寡をみれば勝利は揺るがないと信長は自信を見せる。
「殿のお言葉どおりになるよう励みまする!」
そんなやりとりに自然と笑い声がでる信長の本陣であった。
その後、信包軍と秀吉軍の諸将は本陣に到着した尺限廻番衆とともに陣を敷く予定位置の下見に向かうのだった。
一刻ほど後、前田利家は柴田勝家の陣を訪れ、信包軍が川沿いを南下して陣を敷くことを伝えた。
そして、柴田勝家の前を辞し、本陣に帰ろうとしていたところ、前方から二人の侍がやって来た。
「よう、又左、久しいな」
「おう、成政。どうした?」
「いや何、赤母衣衆の中でも尺限廻番衆に選ばれる程出世した前田利家殿が我が陣に来ていると聞いたのでな、挨拶をなんぞしておこうと思ったわけだ」
「ハッハッハ。成政こそ、今回は黒母衣衆ではなく佐々一党を率いる一軍の将として参加しているのだろう?俺などまだまだ、だよ。で、そちらは?」
「又左も知っているかもしれんがな、佐久間盛次殿が嫡男の盛政だ」
「佐久間盛政にござりまする。元服前、奇妙丸様付きの時には前田利家殿を城にて遠目にてお見かけいたしておりましたが、元服後、戦の場にてはまだ挨拶したことがない故、ご挨拶させていただきました。槍の又左と言われる前田殿にご挨拶でき、感無量でございます」
「おぅ。丁寧な挨拶ありがたい。母衣衆の中では槍の腕は誇れるほどだとは思う。戦場では宜しく頼む」
「まぁ、母衣衆の中では武芸の腕で俺と並ぶのは又左くらいなものだな」
「まぁ、そうだな。槍の腕は儂のほうがすこぉしばかり上だとは思うが」
「おぅ、そうだな。それより、盛政、又左に聞きたいことがあるのだろう?」
いつもなら武芸の腕の優劣をネタにすると食ってかかる佐々成政が今日は食ってかってこないことに、前田利家は驚いた。それに佐久間盛政を気遣う余裕すら見せている。母衣衆として競った佐々成政が既に一軍を率いる将としての顔をしていることに気付いた前田利家は少しばかり悔しさを感じたのだった。
「はっ。前田利家殿は、殿の小姓衆を離れたあと、近隣諸国で武芸を磨いたあと、陣借りして功をあげ帰参して母衣衆になったと聞き及んでおりまする」
「まぁ、そうだな」
利家は佐々成政はそんな以前の細いことも佐久間盛政に教えたのかと思ってしまい、少しばかり不機嫌に応えた。
「我が父、盛次は先年の近江での戦いで脚を敵の槍で突かれ、今だ傷が癒えませぬ。諸国で武芸を磨いた利家殿なら長引く傷を良くする方法など知っておられるのでは…、と思い、成政殿にお願いして引き合わせていただきました。何か良い知恵などありませんでしょうか?宜しくお頼み申しまする」
たしかに武者修行中は傷が絶えなかったが、それほど長引いた事はなかったので、利家も即答はできない。
「金創医には診せたのか?」
「はい。表面の傷は良いのに何故癒えぬのかわからん、と。そう繰り返すばかりで父は尾張や美濃の金創医を頼る気がなくなってしまいました」
「金創医がそういうなら、難しいと思うが…」
「そうですか…」
がっかりした様子の佐久間盛政を見たあと、うーんと唸り考える前田利家。わざわざ自分を頼ってきた若武者にどうにか応えてやりたい気持ちになり始めていた。
「儂も傷のことは詳しく無いがな。傷に馬糞を塗ると治りが良い、と聞いたことがある。自身で試したことは無いがな」
「あ、ありがとうございまする。さっそく父に文をしたためて知らせまする!」
ぱっと喜色をあらわにする盛政とその様子を見て満足そうに頷く成政と利家であった。
斎藤新五は斎藤利治、森三左は森可成です。柴田権六は、解説しなくてもいいですよね?まぁ、一応。柴田勝家こと柴田の親父殿です。
馬糞ネタ、以前に出てきたの覚えてますか?
湯の山温泉の話も覚えてますか?
伏線として仕込んだネタ2つ。やっと使えました。
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