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信孝なんかに『本能寺の変』のとばっちりで殺されていられません~信澄公転生記~   作者: 柳庵


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483話 南伊勢攻略戦 信長本陣にて 前段

永禄十二年八月二十七日、阿坂城を攻略した木下秀吉率いる軍とその助攻を行なった織田信包率いる軍が大河内城近く、北東に半里ほどにある信長本陣側に着陣した。


「では、行って参る」


「兄者、脚を痛めているのをお忘れなく。阿坂城攻めの功にてお褒めの言葉をいただけるとは思いまするが、殿の前であまりはしゃがぬ様、お願い致します」


「それくらい、わかっておる」


「小一郎、藤吉郎のことは隣で見ておく。安心致せ」


「小六殿、お願い致しまする」


弟と蜂須賀正勝に心配されながら信長の本陣に向かう秀吉であった。


「木下秀吉殿、参られました」


小姓衆の堀秀政が陣幕の前まで来た秀吉を見て、本陣陣幕の内側に向けて声をかける


「秀吉、入れ」


「はっ」


信長の声から信長が上機嫌である事を感じ取った秀吉は、ホッとして、陣幕をくぐる。蜂須賀正勝に支えながらではあったが。

案内された床几の前まで二人で進むと、蜂須賀正勝の方にコクンと一つ頷く秀吉。以心伝心で自身の刀を秀吉の杖がわりに差し出した蜂須賀正勝は、信長へと一礼の後に一歩下がり片膝をつく。


「木下藤吉郎秀吉。参りました」


「ん」


「殿の御前にて申し訳ございませんが、阿坂城攻めで張り切りすぎてしまい申した。おかげで、敵将から脚を矢で射抜かれる始末。脚を引きずって歩く上にすこぉしばかり痛みがありますので、腹心である川並衆筆頭、蜂須賀正勝を杖代わりに伴ったこと、ご容赦願いたく」


そう言うと、痛めた脚をわざと軽く叩き、一瞬痛がって見せる秀吉。剽げた姿に場の雰囲気が和む。


「で、あるか。川並衆筆頭、蜂須賀正勝の同伴、あい、許す」


「信長様の寛大な御心、ありがく」

「ありがとうございまする」


秀吉主従が頭を下げるのと、丹羽長秀の到着が知らされる。既に長野信包、滝川一益、氏家直元の三名は着座しており、残るは佐久間信盛のみとなった。


が、佐久間信盛は現れない。信長の顔に苛立ちの色が見えたのを感じ取った佐脇良之が他の小姓に佐久間信盛を早く呼ぶよう声をかける。

その声に応じて走り出すのは、この戦いが初陣となる蒲生教秀であった。


すぐに戻ってきた蒲生教秀は、信長の前で片膝をついて佐久間信盛がこちらに向かって馬を進めていることを報告する。いつものように、「で、あるか」とだけ応えた信長であったが、先程、蜂須賀正勝の軍議への参加を許した時の声色とは打って変わったものであった。


刻々と場の雰囲気が悪くなる中、佐久間信盛の着陣が知らされる。


「いやぁ、遅く成り申した。皆の衆、待たせた。信長様、遅れて申し訳ございませぬ」


場の雰囲気を読まないのか、読めないのか佐久間信盛はそんな事を言って床几に着座した。


「で、あるか。信盛、遅い。遅いぞ」


「いやぁ、あいすみませぬ。ここに来るまで、ひと悶着ご…」


「言い訳は良い。みなまで言うな。軍議の知らせを受けたら、疾く、参れ。良いな」


「はっ」


「信長様。長野殿、木下殿の両名が率いる軍の主将、副将、軍監の六名、あい揃いました。では、軍議を始めたく存じまする」


長谷川橋介が軍議の開始を宣言する。


「秀吉。阿坂城を落としたこと、まことに大儀であった。丹羽長秀、滝川一益の両名より最前線にて兵を指揮したと聞き及んでおる。また、伏兵策にて敵将を討ち取ったとも、な。儂の見込んだ通り、武人としての才覚、器量もある事を示した。あっぱれである」


「ははぁ。ありがたいお言葉。この秀吉、戦でも殿のお役に立てるようさらに励まする」


「で、あるか。その心がけ、その言や、良し。落とした阿坂城を任せる、と、言いたいところだが、そなたは墨俣の城代である。墨俣は、大垣から近江に通じる西美濃の要衝。伊勢にところ替えをするわけにもいかん。ゆえに、墨俣城城代より城主に格上げし、墨俣一帯を任せる」


「あ、ありがたき幸せ」


「それと、脚を怪我したお主の為に、蜂須賀が腰の指物を杖代わりに差し出したな。杖代わりにしたとあってはその刀も痛んでおろう。秀吉、自身の刀を蜂須賀に渡し、蜂須賀の刀はしばらく杖代わりとせよ」


「は、はぁ。承りました。」


「では、さっそくそのようにせよ」


信長の命であるから、二人とも嫌とは言えるわけがない。秀吉は後ろに控える蜂須賀正勝の方を向くと、蜂須賀正勝に声をかけ、自身の刀を蜂須賀正勝に向けて差し出す。秀吉の側に近づき、恭しく秀吉の刀を受け取る蜂須賀正勝。そして、秀吉は信長の方に向き直った。


「これで宜しゅうござりましょうや?殿のお言葉どおり致しました」


何をさせられているか不思議に思いながらも信長の命を果たした事を秀吉が報告する。


「良し。秀吉、刀が無いまま、というわけにもいくまい。よって、我が愛刀を褒美として下賜する。長谷部国重の名刀じゃ。斬れ味は保証するぞ。なんせ、膳棚の下に逃げ込んだ無礼者をへし切ることごできる程じゃ」


「膳棚ごと、にござりまするか!」


「おうよ。棟に掌をあてて少し力を入れたら膳棚とその下に隠れおった無礼者がまるで豆腐の如く切れおった」


そう言うと、自身の腰の刀を秀吉の方に差し出す信長。秀吉は信長の下に進むと恭しく両手で長谷部国重の名刀を受け取った。

後にこの刀は、信長が無礼を働いた茶坊主をへし切ったという逸話から「へし切長谷部」と言われるようになる名刀である。


「さて、秀吉の働きの確認とそれに対する褒美は済んだ。その他の者も佐久間、丹羽の軍両監からの報告にて奮戦したことは伝え聞いておる。皆の者、阿坂城攻め、ご苦労であった。」


「「「「「ハハッ」」」」」


「が、阿坂城はあくまでも前座。本番はこれからじゃ。大河内城に籠もる北畠父子に目にもの見せてやらねばならんからな」


片方の口角をあげながらそう述べる信長の目に、強い意志を感じとった諸将は今一度、姿勢を正すのであった。

蒲生教秀は蒲生氏郷の初名。秀吉の秀を下に置くのを憚って氏郷にしたと言われます。賦秀と書いて「やすひで」と読むパターンもあるそうですが、漢字変換面倒なので、「教秀」で。素直に氏郷にしろよって話なんですが。

大河内城攻略戦が初陣なのは本当。


「へし切長谷部」は黒田家に伝来した国宝の刀。

黒田如水に伝来する逸話が信長から直でもらった話と羽柴秀吉時代の秀吉からもらったパターンがあるので、今回は秀吉経由のパターンを採用。

へし切長谷部の伝説、名前の由来となった伝説を少し変更して、圧を加える感じで、棟に手を添えてへし切ったことにしました。

へし切長谷部は庵棟なので全体重をかけたら手のひらが痛そうなので、そこまで体重をかけてへし切らなくても斬れ味が良くて斬れちゃったというエピソードにしてみました。

「へし切長谷部」は「左手は添えるだけ」で「へし切」れるって感じでしょうか。

「庵棟」は日本刀の棟、峰の形のこと。「庵棟」が何か分からない方は「庵棟」「日本刀」でグーグル先生で検索してください。


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