474話 南伊勢攻略戦 阿坂城攻め 四
秀吉の軍は大宮吉行が釣れたことを確認すると、偽装の退却を開始した。
「皆の衆、慌てふためく様子を見せながら、麓の浄眼寺近くまで引くぞ!あくまで偽の撤退だぞ!無理をするなよぉ!」
秀吉の声を聞いて周りの兵が苦笑したあと、逃げ出してみせる。
「逃げろー」「助けてー」
大根役者の如き棒読みの言葉でも、戦場の雰囲気がそれを誤魔化し、敗走を真実のごとく見せる。
秀吉と蜂須賀小六、小一郎長秀らも辺りを確認した後、撤退を開始した。
無事、伏兵の動き出す予定地点である浄眼寺が見えてきた時、秀吉に異変が起きる。
「うぐぅ」
左太腿を手で押さえる秀吉。指の隙間から血が流れ出ていく。
「や、やられた。敵将に弓の上手がいるというのは本当であったか!」
「兄者!」「藤吉郎!」
弟の小一郎、蜂須賀小六らが秀吉の異変に気がつき、すぐに秀吉の側に集まる。
「兄者!だから、囮の大将は誰かにと!」
「小一郎!五月蝿いわい!儂が出たから敵将が釣れたのじゃ!それに仲間の誰かを囮になんぞできるか!」
「兄弟喧嘩はあとにせよ!」
前野長康が秀吉たちを庇うように立ち、六尺強の六角棒を構えながら山頂を睨む。
「藤吉郎、歩けるか?」
「どうにか、と言ったところじゃあ」
真剣に問いかける蜂須賀小六に苦笑いしながら答える秀吉。だが、指の間には折れた矢の軸が見え、浅傷とは思えない。その証拠に秀吉の額には脂汗が浮かんでいる。
「肩を貸す!小一郎!逆を支えろ!支えながら一気に山を下る!木下のぉ!福島のぉ!我らの露払いをしてくれ!」
川並衆の一党を率いる蜂須賀小六正勝の判断は速い。負傷した秀吉を抱えながらも、既に動き出した伏兵策を成らせる為に、自身の危険を顧みず最善手を選び取る。
そして、負傷した秀吉達が浄眼寺の南側の道を通り抜け、麓の本陣の側に近づく。
浄眼寺をそばに見た大宮吉行は自分が麓まで来ており、敵を深追いし過ぎた事に気がついた。が、浄眼寺に揺れる数本の北畠家の旗を見た時、功名心が刺激される。
ここまで敵を追い払った事については父も褒めてくれるだろうが、深追いしたことは叱責されるかもしれない。だが、浄眼寺の味方を連れて帰ったならば、そこまで考えての行動ということになる、と。
そう、思った矢先、周囲の兵から声がかかる。
「若!どこまで追いかけまするか?もう、山をだいぶ下りてきてしまいましたが」
「浄眼寺の傍まで行って、味方を連れて戻る。浄眼寺より麓に下ることはない!安心せい!」
周囲を安心させるべく、あたかも、もとからそうするつもりだったかの様に大声で自分の考えを伝える大宮吉行。その言葉を聞いた勢いのみの無策で山降りてきたわけで無いことを知った周囲の兵には安堵の色が広がる。
「浄眼寺に籠もる北畠家の衆よ!今!ここに!大山吉行が助けにきた!よくぞ踏ん張った!我らが寺内に攻め入る故、最後の力を振りしぼり奮戦せよ!そして我軍に合流するのだ!」
アドリブでの激励であったが、それなりの文言を言えた大宮吉行は満足しながら、浄眼寺の山門に兵を向かわせる。そして、自身も弓を従者に預けて抜刀して山門に歩いていく。山門付近に敵兵は見当たらず、この小競り合いでの勝ちを確信をした大宮吉行がニヤリと笑った瞬間、それは起こった。
「かかったぞ!いまだ、矢を放て!」
寺の境内に伏兵として忍んでいた氏家直元以下の美濃衆の中から選ばれた弓の名手たちが一斉に姿を現し、山門付近までやってきた大宮吉行率いる兵にと弓を射掛ける。その瞬間、浄願寺の一角を占めていた北畠家の旗が一斉に倒れた。
それを高城と浄眼寺の間、やや浄目寺寄りに偽の陣を構えていた滝川一益と丹羽長秀も見ることができた。
「浄眼寺の美濃衆が仕掛けたようだ。こちらも仕掛けるか」
「そうよな、では、我らも動くか。しかし、火縄銃は浄願寺まで届くのか?滝川殿?」
「昨夕にこの陣から浄願寺山門までの距離を調べておいた。距離にして二里ちょっとと言ったところ。届くか?と言われれば、届く。上に向かって打つことになる故、深手を負わせるはちと、厳しいが。
それに数は少ないが、殿より融通してもらった織田筒ならなんの問題ない。なにしろ射ち手の一人は、織田家鉄砲指南役のこの儂であるからな。で、鉄砲隊以外の指揮を丹羽殿に任せたい。頼めるか?」
「委細承知。そのためにここにおると言っても良いのだからな」
「ありがたし。では、鉄砲を放つ。後はよしなに。鉄砲隊!装填は済んでいるか!火縄は大事ないか?では、行くぞ!火蓋切れ!壱、弐、参、放て!」
滝川一益以下の約百名による立射での一斉射撃。
高城の麓にある陣から轟音と白煙が上がる。
通常の火縄銃の玉はかろうじて浄眼寺山門まで届く程度で鎧の下に衝撃を与える程度あったが、十丁のライフリング火縄銃のそれは回旋力を伴って直進し大宮吉行以下の阿坂城守備兵の背中に血の華を咲かせることに成功する。
そして、その射撃音を聞いた阿射加神社の佐久間隊は功を得る時が来たとばかりに動き出す。
「兄者!伏兵策が動き出した!反転して攻めねば!」
「お、おう!木下隊!反転!敵は伏兵に驚いておる!今こそ反撃の時ぞ!」
小一郎長秀に促され、脚の痛みを堪えながら反転攻勢の指示を出す秀吉。麓の本陣に控えていた杉原家次の部隊を中心に浄眼寺の付近で慌てふためく敵兵に向かっていく。
が、秀吉は脚の傷の痛みで動けない。
「小一郎!小六殿!わ、儂の、かわりに城を落として来てくれ!」
秀吉は珍しく弱気になってそう頼み込むのだった。
蜂須賀小六に「木下のぉ!」と言われたのは木下家定さんです。
秀吉の弟の名前を小一郎長秀としてますが、秀長の名乗りになるのは兄が羽柴と名乗った後から。それまでの名前は木下小一郎長秀なので誤字扱いは無しで。
火縄銃の有効射程は100〜200メートルで最大射程は500メートル程。ライフリング火縄銃ならもっといける、はず。
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