469話 南伊勢攻略戦 序の段
ども、坊丸です。
八月の暑い中、最近の休みの日はほぼほぼオペの機材準備に忙殺されている坊丸です。
で、期日決定しました。
あ、オペの日程ではないですよ?伊勢攻めの出陣の日取りがですね、伝達されました。今さっき。なので、すこし時を戻す感じで。
はい。そんなわけで、冒頭から一刻ほど前の坊丸です。
本日は群臣を集めての伊勢攻めについての信長伯父さんからの訓示があります。
で、自分たちは奇妙丸様の小姓衆として参加です。
こういう時には四方を囲むパターンではなく信長伯父さんと同じで左右に小姓衆二名がつくパターン。
小姓衆二名パターンの時は一名は虎丸君が確定。一名はその他の誰かですが…。平場なら誰でもいいんですが、しっかりした軍議の場だとだいたい先任の牛助君か自分になります。
まぁ、この時は牛助君が休みの日だったので二期生から「坊丸先輩お願いします」という視線の圧が。その雰囲気をみて、奇妙丸様が自分をご指名。はい、この瞬間に主命になりましたので、逃げ場がなくなりました。いやはや、全く、頑張らせていただきますとも、ええ。
で、いつものように信長伯父さんとその小姓衆が大広間に入場したのを見届けてから、奇妙丸様と我々も入場&着座。
「皆のもの、ご苦労。で、だ。
伊勢の木造氏が当家に下った。それを受けて伊勢国司北畠家の連中が木造氏を攻めているという。北畠はともに大樹将軍たる義昭公を支えておる。本来ならば彼の家と争いたくはない。争いたくはないが、我が織田家を頼ってきた木造氏を見捨てることも、また、できぬ。
織田を頼るものを蔑ろにすることは、儂にはできぬ。義昭公が我を頼った時は応えて、木造氏が頼った時には応えぬなどということが天下に知られれば、それこそ天下の笑いものとなろう。
つまりは我が名、我が沽券に関わる。ゆえに、心苦しいことではあるが、我が名の下、北畠家に鉄槌を下す。
出陣は当月二十日。期日がないことは分かっておるが、木造氏を救うためである!速やかに備え、二十日の朝には岐阜城下にそなたらが軍装にて揃うことを命ずる!」
「ははっ」
うわぁ~、信長伯父さんのアジテーション、磨きがかかってるなぁ。
そして、配下に組み入れた小勢力が近隣とトラブルになると親分出ていかざるを得ない、と。
まぁ、そういう理由をつけないと大義名分の無い戦いになりますからねぇ、特に北畠家攻めは。
今回は、「大義名分ゲットだぜ!」って感じですが、きっとこういう感じで大大名の傘下に入った小勢力のいがみ合いから大大名同士が本当はやりたくなかったバトルに気がついたら発展してしまってたケースは多いんだろうなぁ…。南無南無。
「攻めての先手大将を発表する。一つ、長野三十郎信包。二つ、木下藤吉郎秀吉。三つ、斎藤新五利治。四つ、柴田修理勝家。本陣は儂自ら、出る」
「ハハッ」
信長伯父さんご自身の出陣と聞いて一気に緊張感の高まる大広間。その中で親父殿だけが獰猛な笑みを浮かべた後にわずかに遅れて平伏しておりました。
あれは、「やっと、やっと、儂の出番が来たぞぉぉぉ!暴れまくってやるわい!」とか思っている顔ですな。
「信包の副将には滝川一益。寄騎に津田一安、稲葉良通、池田恒興、和田定利、中島豊後、それに進藤、蒲生、山岡らの近江衆。軍監に丹羽長秀」
「承りましてござりまする」
まぁ、信包の叔父貴と滝川一益殿、津田一安殿は北伊勢でいつも一緒に軍事行動してるからね。納得、納得。
「秀吉の副将には氏家直元。寄騎に安藤守就、飯沼長継、市橋長利ら美濃衆の半分。軍監に佐久間信盛」
「利治の副将には坂井政尚。寄騎に蜂屋頼隆、それと簗田正綱、中条家忠と中条又兵衛らの東尾張や西三河の衆。軍監は置かぬが、近江浅井より磯野殿が参られるとのことである故、軍監に準じて利治を支えてもらう予定である」
「勝家の副将には、佐久間盛次」
佐久間盛次殿の名前が出てすこしざわつく大広間。まぁ、佐久間盛次殿が体調悪いの家中はだいたい知ってますからねぇ。というか、出陣できない旨の連絡。親父殿が入れたんではなかったのかな?
その様子を見た蒲生忠三郎教秀くんがサッと伯父上の耳元に声をかけてます。
「もとい。勝家の副将には不破光治。寄騎には佐々成政、佐々隼人、佐久間盛政らの縁者と丸毛長照、不破直光ら美濃衆の半分。軍監は…、森可成が相務めよ」
今の感じだと、副将に佐久間盛次殿、軍監に不破光治殿だったのを急遽変更した感じですな。まぁ、余計なこと言わないけど、ね。
「留守居は、奇妙。そなたが務めよ。補佐として林の爺と島田秀満を残す。励めよ」
「はっ。父上がご出陣の間、岐阜城の留守居をしかと務めまする」
そう言って平伏する奇妙丸様。頑張れ〜。林殿と島田殿が実務はこなしてくれるだろうけど。そして、奇妙丸様付きの小姓衆である自分たちは林殿や島田殿の事務作業手伝わされるんだろうけど…。
あ、佐久間盛次殿の手術とかしてる暇あるのか、これ?
進藤、蒲生、山岡は近江の地侍で六角家で重臣だった人達。
中島豊後と和田定利は犬山織田家の重臣だった人。覚えてました?
飯沼、市橋長利は初出。美濃衆らしい。
梁田政綱は桶狭間以来の登場でしょうか。中条氏の二名は八草中条氏と言われ、挙母の中条氏の庶流のらしい方々。三河八草に勢力を持った豪族のようです。
勝家の副将は佐久間盛次で軍監が不破光治というのが信長の決めた最初の割り振りでしたが、後に改めらたのを信長伯父さん失念。仕方がないので、とっさの判断で本陣詰めの予定だった森可成を軍監にしたという設定。
伊勢攻めの陣容は信長公記の大河内城攻めの武将の割り振りを参考にして、これを一部改変しております。
戦国ドマニアの人はどこが変わったのか調べてみてください(笑)
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