439話 バテレンが来た! 壱の段
ども、坊丸です。
あの後、お妙さんからお小言を長々といただいた坊丸です。ハッハッハ。(遠い目)
それはさておき、奇妙丸様の小姓衆仕事、宿直をした翌日、柴田の親父殿と次兵衛さんには蒲生郡あたりから北伊勢に抜ける峠道についてはお話しておきました。当然、お桂殿から聞いた体で。
柴田の親父殿は、温泉が近くにあると言う湯の山越えに興味があるようでしたが、整備のしやすそうな千種街道を主として整備するように次兵衛さんから諭されてました。
自分としては温泉が気になるので、当然、湯の山越えを少しプッシュしておきましたよ、ええ。
結局、土砂崩れとかあるかもしれないから、道はなんぼあっても良いだろうと言う話になり、メインは千種街道、念の為、サブとして湯の山越えを整備するという案に落ち着きました。
数日後、岐阜の柴田家大広間に柴田家家臣、末森衆や尾張、美濃の寄騎衆、そして新たに領地になる蒲生郡の有力国人衆が集められ、柴田の親父殿が近江国蒲生郡の一郡支配を任されたことと、今後の近江国長光寺城、岐阜の御屋敷、尾張国末森城などの城代や在番についてお話があったそうです。
え?なぜ、伝聞なのかですかって?その日は奇妙丸様の小姓衆仕事で屋敷に居なかったからね。
帰ってきた後、まだ屋敷に残っていた文荷斎さんからそれなりに詳しく聞かせてもらいました。文荷斎さんは、末森城の城番筆頭になったそうです。
末森城は城主が親父殿。実質No.1の城代に柴田家一門の柴田勝全殿。No.2が城番筆頭の中村文荷斎さん。そしてそれを支える末森衆の皆さんという構成らしいです。柴田の親父殿は、実質、近江と岐阜での活動がメインになるだろうからねえ。
あ、そうだ!文荷斎さん!少しですが、出世おめでとうございます!
で、翌日からしばらく親父殿と次兵衛さんは近江国は蒲生郡に行って、今回岐阜にこられなかった国人衆との面会やら長光寺城の補修のための下見やらをまずは数日かけて行うそうです。大変だとは思いますが、頑張ってください!柴田の親父殿!
温泉につながる道の為に!じゃなかった、信長伯父さんの安全な千種越えと領地の繁栄の為に!
そして、南蛮服の彼らがやってきたのは、柴田の親父殿と吉田次兵衛さんが近江国は蒲生郡に出立して、数日後のことなのでした。
いつもの様に小姓衆仕事から帰宅すると、お妙さんと桃花さん、屋敷に残った若衆の方々がなにやらざわついております。婆上様に帰宅の挨拶したら、お妙さん達に何事かあったのか聞いとかないと。
「お妙さん、桃花さん。何かあったのですか?」
「坊丸様!今日、岐阜の町に南蛮人が来たのですよ!わざわざ、京や堺から信長様に会いに来たんじゃないかって話しで持ちきりです!」
沈着冷静なお妙さんが珍しく興奮気味です。
「なんでも、南蛮服をまとった背の高い南蛮人一人と同じく南蛮服をまとった日の本の者が二人、岐阜に参ったそうですよ」
「皆がいうには、南蛮人は日の本のものとは目の色や髪の色が違うらしいですよ、坊丸様。そんなことがあるんですかねぇ。本当なのか、一度、遠目に見てみたいものですね」
へぇ~、南蛮人ねぇ。紅毛碧眼てやつね。
確か本当の金髪って結構レアで、実際の白人さん達は茶色っぽい髪色の人が多いって聞いたことあるしなぁ。まぁ、日本人の地毛の色はほとんど黒髪だから違う色の人が居たら驚くよな、うんうん。
まぁ、自分は平成令和でそれなりには海外の方にあってますからね。英語の授業とかで海外出身の先生の授業とかあったから、校内に普通に居たし。
「見に行けば良いんじゃないですか?伯父上に謁見に来たなら、しばらく何処かに宿をとるとかするでしょうし。その宿の近くを時々歩いてれば一目見るくらいなら会えると思いますけど」
「「ええッ!怖い!」」
いや、海外の人だからってそんなに変わること無いから。鬼じゃないんだから取って食われることも無いし。ていうか、桃花さん、他の甲賀衆から南蛮人が岐阜に向かってる情報は、入ってなかったのかな?
「お妙さん。南蛮人も人ですよ。髪の色や瞳の色が違うからと言ってそんなに恐れることは無いかと」
「でも、ねぇ、桃花」
「見たい気持ちと怖い気持ちの両方がありますね、お妙姐さん」
桃花さん?今の普通の町娘らしい感想は、甲賀衆として演技なんですか?素なんですか?どうにも素に見えるんですが。
でも、『信長公記』には南蛮人が永禄十二年に岐阜に信長伯父さんを訪問したなんて話は全く無かったのですよねぇ。あれかな?太田牛一さん、今は岐阜に居ないので、知らなかったのかな?京都のあたりで文官仕事してるとか?
と、思ったら、翌日の小姓衆仕事、奇妙丸様の武芸の鍛錬にて太田牛一殿が担当でした。
ねぇ、牛一さん?
こんな南蛮人が来た!みたいな面白イベント、なにも記録しておかなかったんですか?
いやぁ、ほんま、頼んますよ〜。
『信長公記』のデータだけが現状、頼りなんですからぁ。いや、ホント。
永禄十二年には、ルイス・フロイスや山科言継が岐阜を訪れているようです。
各々、「日本史」「言継卿記」にその様な記録があります。なので、今回のエピソードはルイス・フロイスの「日本史」の記載をもとに再構成、脚色してお届けの予定。
この時間線の太田牛一はまだ、信長公記を書いていないので、文句言われても困る状態。
少しでも「面白い!」「続きが気になる」と思った方は、下の★でご評価いただけると、作品継続のモチベーションになります。
宜しくお願いします。




