405話 永禄十一年 新年の儀 後段
ども、坊丸です。
新年の儀での今年の施政方針演説的な奴が終わりました。伊勢攻めメインで余力があれば六角攻めって感じですね。まぁ、『信長公記』の内容をしってるので、そうはならないのは百も承知な坊丸です。
それはさておき、後はいつもの家臣からの挨拶です。
例年の如く、重臣から始まるわけです。
で、最初は筆頭家老の森可成殿。森虎丸君のお父さんですな。
金山城城主となって東美濃から中美濃の抑えを担当中。昨年の上洛戦では武田氏への抑えとして金山城にいたようです。
続いては二番家老の佐久間信盛殿。佐久間牛助君のお父さんですな。
現在は鳴海城を中心に尾張南部で対徳川、対水野&佐治を担う東方の要。昨年の稲葉山城戦では出陣してましたね。徳川家が武田と今川家への抑えをしてくれるから今後も伊勢方面や上洛関連の戦いに引っ張り出されるようになるのかも。
三番家老は柴田の親父殿。
昨年は、稲葉山城攻めの主力級だった感じ。本人は火攻めしかして無いとぼやいていたけど。
そして、次は丹羽長秀殿。
戦に政治に、調略や取次もできるオールラウンダーの丹羽長秀殿は、稲葉山城攻めと戦後の処理、更には小牧山城から岐阜城への建物の移設と本当によく仕事をこなしております。やるな、米の五郎左。
その後は佐久間盛次殿。
理助のお父さんですね。犬山城城主を実直に務めているご様子。昨年の稲葉山城攻めには出陣したようですが、柴田の親父殿のお話だとそんなに活躍の機会がなかったみたい。ガンバ!
そして、家老格最後は、林秀貞殿。
林殿は最近、完全に外交担当。浅井家との同盟と婚礼関連の交渉お疲れ様でした。でもね、今年の夏から秋には、足利義昭様、当家を頼って来ちゃうからね。きっと、大変だと思う。胃に穴があかなきゃいいけど。
部将格は筆頭がなんと滝川一益殿に変更になりました。木下秀吉殿は弐番手に降格。
まぁ、秀吉さんが降格したって言うよりは滝川一益殿がその上に飛び込んできたって感じでしょうか。
滝川一益殿は鉄砲指南役も担当していますね。伊勢方面を実質一人で切り盛りしてましたからね。調略や工作も担当したり、昨年は本格的に力攻めも指揮したみたいだし。美濃方面に信長伯父さんが注力している間に、じわりじわりと北伊勢に織田の勢力を広げた功労者っすもんね。
それが評価されて、一気に母衣衆から部将格筆頭になりました。まぁ、支配地域や与えられている職権を鑑みれば、もう家老格でいいんじゃないかととも思いますが。
墨俣城城代を務めていますが、昨年、氏家直元殿主導で西美濃三人衆が織田家に鞍替えしたのは、木下秀吉殿が調略を仕掛けていたらしい。柴田の親父殿のお話からの類推だけど。戦後の処理、更には小牧山城から岐阜城への建物の移設なども丹羽長秀殿と組んでお仕事したらしい。
そのあとに、坂井政尚殿、梁田正綱殿、蜂屋頼隆殿、金森長近殿、それに河尻秀隆殿。
坂井殿と梁田殿はそれぞれ楽田城城主、沓掛城城主を務めておりますからね。
坂井殿と梁田殿は、城主として頑張ってるはず。しらんけど。
母衣衆と兼ねている蜂屋頼隆殿、金森長近殿は稲葉山城攻めの本隊にいたはず。美濃攻めにはだいたい参加してるからね、ふたりとも。
で、今年から新設された部門が、美濃衆ってやつ。実質的な有力外様衆なわけですよ。ただ、外様衆って言うと聞こえが悪いからでしょうね。美濃衆って名前で一括りに。
美濃衆筆頭は斎藤新伍利治殿。信長伯父さんの義父斎藤道三殿の実子なので、信長伯父さんの義理の弟。加治田城城主を務め、中美濃の東側に大きめの領地を持っております。今までは対稲葉山城の要だったけど、今年からは、対武田・対遠山党を森可成殿と務めることになるのではなかろうか。
あ、稲葉山城落城後に、美濃の諸将に帰順を勧めて回るなどご活躍だったらしいです。
弐番手は、西美濃三人衆筆頭の氏家直元殿。
この人が織田家に鞍替えしたから、稲葉山城があっさり落城したようなものですからね。美濃斎藤攻めのラストピースだったお方。虎哉禅師的には結構朴訥でいい人キャラらしい。
戦国武将に本当にいい人なんかいるのか?って思っていたけど、遠目で見る限り、負のオーラや腹黒さを感じることのない雰囲気。本当にいい人なのかも。
参番手は、西美濃三人衆の一人、稲葉良通殿。
アレっすね、稲葉一鉄って人。実は、一時出家して、臨済宗妙心寺派の寺院で修行したことがある人と虎哉禅師が言ってた。わざと無骨な人間を演じている可能性があるから気をつける必要があるかも…とも言ってた人。
正直、筋骨隆々で武人!ってキャラに見えるので、水団扇の一件とかなかったら絶対に騙されるわ。
四番手は、西美濃三人衆の一人、安藤守就殿。
少し前に、稲葉山城を乗っ取ったことがあるらしい。領地的には弐番目の広さ、石高らしいけど、そういう事もあってか、参番手扱い。一度失った信頼を取り戻すのは大変ってことでしょうか。
五番手に不破光治殿。
西美濃では、西美濃三人衆の次に名の挙がる有力者らしい。斎藤利治殿の説得で稲葉山城落城後に織田家に帰順したとのこと。
その後、竹中重矩殿、加藤光泰殿、井戸頼重、丸毛兼光殿などなど…。
正直、西美濃三人衆の後は名前しか知らない人たちだよ…。って、竹中って、竹中半兵衛の竹中か!
でも、竹中半兵衛って重治って名前だったはずなんだけど…。何かあって改名したのか?それとも稲葉山城乗っ取りの件で隠居状態で一族の誰かが来たのかな?気になる…。
黒母衣衆筆頭で勝山城城主も務めることになった川尻秀隆殿。
赤母衣衆筆頭は池田恒興殿。滝川一益殿が部将格筆頭にクラスチェンジしたので、その後釜は自動昇格で池田信興殿になったご様子。
その他の母衣衆は、佐々成政殿、中川重政殿、津田盛月殿、塙直政殿、前田利家殿。毛利新介殿や野々村幸政殿、福富秀勝殿などもいます。
連枝衆では、信包、信治、信興叔父さんがそれぞれ、尾張小口城主、尾張野府城主、尾張小木江城主を努めておりますが、その他の叔父さんたちはまだまだ一人前扱いしてもらえていないご様子。信興叔父さんの隣三人に、あまり見たことがない人がいて、織田秀成、織田信照、織田長益と名乗ってました。織田長益しか知らないけど。他の二人、誰?
そして、土田政久殿 改 生駒親重殿も連枝の席に座っています。まぁ、連枝なのかな?信長伯父さんからみると叔父さんらしいし。
その後は、母衣衆・連枝衆より一段格下の馬廻り衆。奉行衆や右筆、小姓などなど。いやぁ、昔に比べるとだいぶ人が増えましたな。
そんな感じで、みんなの挨拶を信長伯父さん・奇妙丸様の後ろから見ていましたとさ。
坊丸は、竹中重治が討ち死にしたことを知りません。
生駒重親さんや、井戸頼重さん、丸毛兼光さんはせっかくだから再登場。ただし、もう出てこないかも…。
織田信包の小口城城主は本作品オリジナル。織田信治さん、織田信興さんの野府城城主、小木江城城主は史実準拠になっております。織田信包さん、長野家当主になる前までの情報が、本当に少ないので、調べる身としては泣きそうですよ~。書き手としてはオリジナル設定をぶち込めるのでありがたいのですが。
織田秀成さんは、織田信秀の八男もしくは九男。その弟が信照さん。そして、もう一つ下の弟が長益さん。
織田長益は有楽町の語源にもなった織田有楽斎長益ですね。織田有楽斎さんは永禄十一年だと、数えで22歳。上の二人も二十代前半で、まだ三人とも一軍の将としては扱ってもらえておりません。元服して少し経っているから初陣は済んでると思われますが。
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