197話 斎藤義龍死す!そして森部の戦い、十四条の戦いへ
永禄四年(1561)五月十一日、斎藤義龍は死んだ。
長良川の戦いで実父、斎藤道三を討ち果たし、美濃の国主となって五年余。前年冬より病を発した義龍は、周囲による必死の治療を受けるも、その甲斐なく逝去。
祖父、父の主家のっとりの謀略・不忠と自身が父道三を弑逆した不孝が天道に背いた故の天罰とささやく者も居たとのことである。
そして、その情報は同日中には信長のもとに届いた。
その報せを受け取った信長の動きは速かった。
同日中には、三河方面を担当する佐久間信盛以外の諸将に出陣の触れを出す。
史実どおりであれば、自身の近習と美濃方面担当の森可成、丹羽長秀などを中心に千五百程の兵しか集まらないはずであったが、この時間線では坊丸が、柴田勝家、佐久間盛次、そして佐々成政に美濃攻めの準備を促している為に、翌日、清須城下には史実の倍近く、なんと約三千の兵が集まった。
そして、斎藤義龍の逝去から一日後、織田信長は精鋭三千を率いて清須城から西に進み木曽川、長良川を越える。そして、勝村にて陣を敷いた。
(勝村は、現在の岐阜県海津市平田付近のこと。道の駅 クレール平田の近くと思われます)
そして、翌十四日、長良川に沿って北上。稲葉山城に向けて動く。
しかし、斎藤家の動きも信長が想定したよりも早かった。
斎藤義龍が、自らの死期を悟り、織田信長の侵攻を想定して、六重臣のうち、西美濃の有力領主たる安藤守就、氏家元直以外の四人に墨俣の砦、稲葉山城に兵を集めておくよう指示を出していたのだ。
だが、彼には諸葛亮程の才は無かった。
五丈原の様に「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という様な結果は起こらなかった。
墨俣の砦と稲葉山城から出撃した兵は約六千。稲葉山城からは長井衛安が、墨俣の砦からは日比野清実が兵を率いて、信長の軍勢を迎えうった。
しかし、急遽集められた上に斎藤義龍の逝去の報に触れた美濃の軍勢は、数こそ多いもののその士気も低かったのだ。
数でこそ勝ったものの、指揮官の質、兵の士気に勝る信長軍は、これを難なく撃破。
大将である長井衛安、日比野清実ともに討ち取られる始末であった。
大勝した信長軍は勢いに任せて、墨俣の砦を占拠。ここで陣を構えることになる。
森部の戦いから数日。
織田信長は、墨俣の砦に駐留し続ける。
稲葉山城から見て長良川沿いの下流に位置する墨俣の砦は、交通の要衝である。
信長は、そこを抑えた上で、西美濃の各所に兵を出し、焼き討ちを決行。その裏で、西美濃の国人たち、川並衆に向けて調略を開始する。
更に、犬山城の織田信清に援軍を要請。
父の織田信康同様に独自の勢力を保つことを模索する信清は、信長から格下扱いされることを嫌い援軍を出すことを渋ったが、弟の広良と妻の犬山殿の説得により、渋々援軍を出すことになった。
援軍の大将となったのは、弟の広良であった。
織田広良とすれば、従兄弟で義兄弟とはいえ、岩倉城攻め・桶狭間の戦い以降の勢いを見れば信長の下につく事こそ家運安泰の道に見えるのだが、兄の信清は、頑なに信長の才を認めようとはせず、あくまで独自の勢力を築こうとする方針を曲げないことに辟易していたのだった。
今回の援軍の大将を買って出たのもそういった考えからであり、今回の援軍に合わせて自分は信長寄りの姿勢であることを伝えることで、どうにかして犬山織田家の勢力を永らえるつもりなのだった。
「殿、犬山城より織田広良様、援軍を率いて参られました」
岩室長門が墨俣砦の中央、簡易的な陣屋にて諸将と軍議を開始しようとしていた信長に声をかける。
「であるか。信清ではなく、広良が来たか。まぁ、家老どもを派遣してくるよりは幾分もましではあるな」
そう、信長が呟くと、その声を聴いた、森・丹羽・柴田・佐久間らも賛意を一様に表す。
「犬山城城主、織田信清が弟、広良でございます。援軍の要請にこたえ、兵千を率いて参陣いたしました」
墨俣の砦に入った織田広良は、信長に臣下のごとく挨拶をした。
それを見た信長麾下の諸将は驚いた。
信長と広良は血縁で言えば、従兄弟であり、しかも今回は犬山織田家を代表して援軍を率いている。
言わば、犬山織田家の当主代理として参陣しているのだ。
現在の尾張にて信長の配下で無い勢力は三つ。犬山織田家と水野信元率いる水野家、そして、海西郡の服部党である。
信長と水野家とは桶狭間の戦い前から友好関係にあり、現在は、信長優位の同盟関係にある。
海西郡の服部党は、信長に対し明確に敵対しているが、今川義元亡き後、その勢力は明らかに弱まっており、滝川一益が調略や策謀を以て弱体化を図っているような状態である。
そして、残る一つ、犬山織田家である。信長の姉が現在の当主信清に嫁ぎ、一時のような敵対関係ではなくなったが、さりとて明確な同盟関係でも無く、信長との親戚関係は濃いものの、現在は信長とは独立した中立の勢力と言える。
その、犬山織田家の当主代理が臣下のごとき礼を取ったのである。
信長以下、この時の驚きは如何ばかりであろうか。
「おお、広良殿。援軍、有り難し。犬山よりよう来られた。そのように頭を下げずとも良い。こちらに座られい」
一応、礼を失さぬように対応しつつ、広良の真意を探る信長。
広良を出迎えて、信長の顔には微笑をうかべているように見えるが、その目の奥は笑っていない。
「はっ。ありがたく。本来であればそれがしは、兄信清の名代でございまするが、それがし個人としては尾張の主は信長様と思っております。それ故、今のような礼でその意を表し申した。なにとぞ、我が意をお心にお留め置きいただきたく存ずる」
織田広良は、先の見える男であった。兄弟の情によって目を曇らさず、現状をよく見て寄るべき勢力が見えるくらいには。
たが、その行動が美濃と尾張に波紋を広げることを、彼は、まだ知らない。
子供の数学を毎日のようにみる羽目になり、作品が進められませんでした。
メインのお仕事と家族対応の方が作品より優先されますので、急に連載が滞ることがございます。ご理解ください。
少し前にも斎藤家六重臣は出てきましたが、今一度、紹介。
安藤守就 氏家直元 竹越尚光 日比野清実 日野根弘就 長井衛安 の六名です。
前のときは、日比野と日野根をまとめてどっちかの名字にしていた気がする…。
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