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信孝なんかに『本能寺の変』のとばっちりで殺されていられません~信澄公転生記~   作者: 柳庵


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190話 織田信長 VS 徳川家康(松平元康) 伍の段

「松平元康様が家臣、大久保党を率いる大久保忠世じゃぁ!元康様の命にて、ここを通させはせん」


かろうじて、大久保忠世の槍を捌いた前野義高は、己の武人としての誇りもあり、負けじと名乗った。


「織田信長様が弓衆の一人、前野義高じゃあ。尋常に勝負!」


「弓衆風情に我が槍、躱せるか!」


「はっ!ほざくな!さっき、その槍、さばいて見せたわ!」


しかし、先ほどの大久保忠世の攻撃は、城門に殺到した雑兵を面で抑えつつ、順に突き殺すというものであった。一人の武者相手にしっかりとした攻撃を繰り出したわけでは無い。


そして、槍が本職ではない弓衆とはいえ、雑兵相手の攻撃を捌いて見せた武者である。


自分の脇を抜けようとする雑兵たちは弟たちに任せた大久保忠世は、今度は前野義高のみを打ち破るための槍さばきに変化した。

対して、前野義高も槍で応戦する。


忠世に対して前野義高は、たった数合打ち合うだけで徐々に劣勢になり、ついには大久保忠世の上段からの打ち下ろしの攻撃に槍を撃ち落とされ、姿勢を崩しててしまった。

その隙を大久保忠世は見逃さず、喉元に突きを放つと、前野義高は口から血を吐きながら後ろにつき飛ばされた。


その様子を見て、織田の足軽たちに動揺が走る。浮足立ち、逃げようとするものもあらわれた。


「大久保忠世殿、お見事。まことに勝手ながら、続けて、それがしと勝負ぅ!」


足軽たちの恐怖心を吹き飛ばすかのように、大声をあげて、大久保忠世の前に黒い甲冑の若武者が踊りでる。

黒い兜に日輪をかたどった丸い前立て、鎧兜の各所には佐々家の定紋、四ツ目結が描かれている。

母衣衆に抜擢された佐々成政が、城門の戦いでの不利を感じた信長の指示を受け、馬廻り衆数名を引き連れ駆けてきたのだった。


「おう、もう一勝負か!織田の武者はこの程度かと思ったところだ、かかってこい、小僧!」


「信長様が母衣衆、佐々成政じゃあ!」


そういうと、大身の直槍を大久保忠世に突きつける成政。片鎌槍の鎌の部分を駆使して、その攻撃を捌く忠世。

成政の攻撃を捌いたかと見れば鎌の部分で甲冑の隙間を狡猾にねらう、大久保忠世。若さに任せて、反射神経と身体能力でそれをかわす成政。

攻守が入れ替わりながら数合打ち合うと、徐々に大久保忠世に疲れが見え始め、成政が攻める時間が増えていく。


「「兄者!」」「させん!」


兄の苦戦を感じ取った、忠佐と忠包であったが、成政とともに城門に到着した馬廻り衆の妨害で兄に助太刀することは叶わない。


その様子を見ていた松平元康は、昨年の大高城兵糧入れとそれに引き続く鷲尾砦、丸根砦攻めで初陣したばかりの小姓に声をかける。


「忠世は大久保党をまとめる当家の柱石じゃ、ここで討たせるわけにはいかん。忠佐たちもほかの武者にまとわりつかれており、助太刀はできぬ様子。ここはひとつ、助太刀に行ってくれるか」


「はっ!ご下命とあれば!」


そういうと、声をかけられた小姓は勢いよく城門に向けて駆けていく。


そのころ、城門では徐々に劣勢になり疲れの見える大久保忠世は、思わず愚痴をこぼす。


「くっ!連戦とはいえ、手ごわい」


「はっ!負けた時の言い訳かぁ!」


そんなことは知ったことではない佐々成政は、大久保忠世をあえて嘲るようにそして煽るよう叫ぶ。


「忠世様、殿の命にて助太刀いたす」


そんな時、忠世の前に身を乗り出してきたのは、先ほど松平元康に指示された若武者である。黒い甲冑は比較的普通であるが、ひときわ目を引くのは、その兜から大きな鹿の角が脇立てとして生えていることである。


「松平元康様が小姓、本多平八郎忠勝!大久保忠世様は討たせはしない!」


本多忠勝は、初陣・元服から一年も経たない若武者であるが、その佇まいは明らかに元服したての少年のそれとは異なるものであった。

それを感じ取った佐々成政は一歩下がって態勢を整える。


十五歳の本多忠勝と二十六歳の佐々成政。自分よりもはるかに若い本多忠勝を、その見た目だけで侮らず、本能的に危険なものを感じた佐々成政もまた、優れた武人と言える。


最初のうちは、経験と先ほどの戦いでの勢いがある佐々成政の攻撃の方が優勢であったが、徐々にその流れが変わっていく。

成政の攻撃のタイミング、槍筋とでもいうべきものを見極めてきたのだろうか。最初は鎧をかすっていた佐々成政の攻撃が本多忠勝の槍にてこともなげにさばかれ始める。


「まずいな。成政が討たれるやもしれん。勝家、行ってくれるか。あの若造を抑え、城門にいる成政や馬廻りどもを取りまとめて戻ってまいれ。敵が撃って出てくるようならば、好都合じゃ。信盛に横槍を入れさせる」


今度は、信長が佐々成政、自身の馬廻り衆を心配する番になった。信長が遠めに見ても家臣の命を心配してしまう、それほど本多忠勝の武勇は優れているものだったのだ。


「御意」


城門近くまで騎馬で進んだ勝家は自身の若衆に馬を預けると、城門に向かい勇躍走り出す。


「成政!代われ!」


「義兄者!しかし!」


「お主まで討たれたら、佐々の家はどうなる!いいから代われ!」


そういうと、佐々成政を押しのけて、自分の後方に逃がす勝家。

さらに、側にいた馬廻り衆にも目線や空いたほうの手で撤退の合図をする。

若く自身の武にばかり頼る本多忠勝や佐々成政にはできない、柴田勝家の指揮官としての優秀さが垣間見える瞬間である。


「名のある武将とお見受けいたす」


そんな様子に今度は本多忠勝が、柴田勝家の武威に呑まれながら、誰何する。


「いかにも、織田家中にその人あり!鬼柴田こと、柴田勝家とは儂のことだ!」

本多忠勝は「桶狭間の戦い」で元服・初陣。満で13歳の時のこと。

なので、翌年になり、数えで15歳です。

まだまだ、若武者なので、蜻蛉切は持っていません。鎧に数珠もかけていません。

「信長の○望」風の能力値でいえば、

若い忠勝は 統率 70 武勇 84  くらい

大久保忠世 統率 72 武勇 75  くらい

前野 義高 統率 60 武勇 65  くらい

佐々 成政 統率 73 武勇 80  くらい

柴田 勝家 統率 85 武勇 90  くらい のイメージ

柴田勝家と大久保忠世はほぼ全盛期とほぼ同じ能力値かわずかに低いくらい、佐々成政は全盛期の95%、本多忠勝は全盛期の85%くらいで考えています。いろいろご意見あるでしょうが、自分のイメージはこんな感じと言うことです。

前野義高さんは普通よりすこーしだけ強い部将ってイメージです。

知略や政治の値はどうなの?だって…。今回は武勇しか関係しないから割愛。


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