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信孝なんかに『本能寺の変』のとばっちりで殺されていられません~信澄公転生記~   作者: 柳庵


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155/484

155話 桶狭間の戦い 第二段

手違いで、後部分1/3ほどが正常に反映されていないことが判明しました。

8/29 8:00頃に大幅追加をしています。8/29に7:00-8:00に読んだ方は、軍議以降の分を再読願います。

ここで織田方の動きを見るために、時間は数日さかのぼる。


五月十三日 駿府を今川軍が出立したその翌日、清須城に今川軍動くの一報が入った。

信長は今川軍の陣容、動きを逐一把握するように周囲に指示。特に詳細な指示を出したのは、甲賀衆にゆかりのある母衣衆の滝川一益と三河に縁のある麾下の諸将たち。


三河に縁者のある諸将には、縁者全員に向けて書状を送る様に指示が出た。

その書状に、信長からの書状も附された。その内容は以下の如く。


「織田上総介が皆に告げる。今川治部大輔が三河尾張を制するために大軍を発した。かつて織田に助力したものでも、こたびの大軍を見て今川の下に走ることを上総介信長は止めることはしない。

ただ、皆の衆に忘れてほしくないことは、今川治部大輔は狭量にて猜疑心強き人物なことである。


先年は、織田のもとを離れ今川を頼った戸部政直が、些細なことで駿府に呼ばれ謀殺された。

数か月前には、父信秀が無くなった後、信長をうつけと見限り、今川の下で三城を手にした山口教継も駿府にて露と消えた。

いま、沓掛城の近藤景春は何の失態もないのに、こたび今川の縁者に城主の座を奪われた。


今川の下に走るということは、これすなわち、このような運命を受け入れることである。

今、家を保つために、今川の下に走るのを止めはしない。

ただ、万に一つ、信長が今川の大軍を追い払った時の事を考えるのであれば、今川の動きを織田方に知らせるだけで良い。

さすれば、今川が去ったあと、信長は貴殿らを責めることは無い。存分に考慮の上、身の振り方を考えいただきたい」


信長は、西三河、知多半島の土豪達の動向について大方の勢力は今川に靡くと読んでいるが、今川についても重用されることは無いこと、場合によっては謀殺される危険性を指摘し、不安を煽った。


土豪達の本性は、一所懸命、自領の維持である。


信長の檄文は、土豪達の不安を煽るには十分すぎた。このため、今川軍の門戸を叩いた土豪達は面従腹背、今川が勝つとは思っているが、万が一に備え、一族のうち数名を織田方に通じさせる、あるいは情報を送るような天秤にかける態度であった。


かくして、信長の下には今川軍の動きを捉えるための情報網が構築されてく。


この情報網は、織田秀敏・飯尾定宗ら数百が守る鷲津砦、佐久間盛重が守る丸根砦にも多くの情報をもたらす。

「今川方が十八日夜に大高城に兵糧を入れ、その翌日、十九日朝の干潮の時間帯に両砦を攻撃する」という情報をつかんだ両将は十八日夕刻、信長にその情報を報告した。


十八日夜、信長は家臣を集めて軍議を行うことにしていた。


その直前まで、信長の指示を忠実にこなし知多半島・西三河の縁者らを使い、今川の動きをつぶさに収集してきた梁田政綱の情報や縁のある忍びらからの情報を拾い上げてきた滝川一益のそれを小姓らをつかって地図に書き込ませていく。


信長は、その地図の前で胡坐を組み、右手は顎の付近に置き、左手は扇子を持ちながら時折扇子で床を叩く。じっと地図をみつめ何事か独り言をつぶやいたたかと思うと、しばらく目をつぶり黙想し始めると、ただ左手の扇子が床を叩く音のみが信長の自室に響く有様であった。


「殿、お時間でございます。一同、広間にそろいました。ご下知を」

佐脇良之が、信長の機嫌を損なわないように機をみて、それでいてすこし恐る恐る信長に声をかけた。


「で、あるか。家老らと軍議をしてくる。新たな情報(しらせ)あらば、地図に書き込んでおけ。戻った後、確認する」

そういうと、信長は大広間に向かった。


大広間では、各砦を守備する将たちをのぞいた重臣・部将たちが既に居並ぶ。


「皆の者待たせた。此度、今川義元自身が大軍を率いて、大高、鳴海の両城を救援に来た。余力あらば、那古野やこの清須まで攻め寄せるつもりらしい。各々如何するが良いか、その存念を聞きたい」


その問いに答え、森可成、柴田勝家、佐久間盛次、林秀貞などが意見を述べる。

森は野戦による主戦論、林秀貞は籠城策、柴田勝家と佐久間盛次はただ信長の策を信じ全力で行うと言ったところである。

その意見をひとつづつ聞くが、信長は良しとも悪しとも答えない。

丹羽長秀、坂井政尚、池田恒興、木下秀吉などにも意見を言わせるが、これについても、ただ信長は「で、あるか」とだけ答え、良しとも悪しとも論ずることはなかった。

そのうち、主たる将の意見は尽き、雑多な世間話の時間が続く。


夜となり、信長は「うむ、夜も更けた。皆の者、帰宅することをあい許す」と退出の許可を出す。

清洲城の広間を退去した佐久間盛次、林秀貞らは「運の尽きるときは知恵の鏡も曇るというが、今がまさにその時なのだ」と信長を評した。とくに林秀貞はため息をつき、嘲笑しながら帰っていく。


森可成、柴田勝家、丹羽長秀などはそういった言葉は口にしないが、少しの落胆と緊張の色が見えた。

帰宅しようとする森・丹羽・池田ら主だった部将に柴田勝家が声をかけた。


「殿は此度の軍議で何もおっしゃられなかったが、必ずや今川に一太刀浴びせよう。信長様がただ座して死を待つような籠城策はとらないと存じる。それがしは、いつでも出撃できるよう準備を怠らないつもりだ。そなたらは、如何する?」


「柴田殿、儂としては野戦をするのは望むところ。当然、いつ出撃の下知が出ても良いよう準備はつづける心づもりよ」

森可成は呵々と笑う。


「殿の表情をみるに、何か考えている様子。それがしも戦の準備は怠らぬようにしていく所存」

丹羽長秀は穏やかにそう答える。信長のことをよく理解した意見である。


「そうよな。乳兄弟としてながらく信長様の傍におるが、あの目の時の信長様は何かやらかす時の目よな。それがしも戦の準備をしておくつもりですぞ、柴田殿。同輩や母衣衆などにも声をかけてきましょう」

池田恒興は信長の目から何かを感じている様子であった。


自室に下がった信長は、自分が不在の間に新たに入った情報を小姓衆に聞き、地図に書き込まれたそれを扇子でなぞりながら確認していく。

小姓衆には交代で休むように指示し、自身は地図の前で座して沈思黙考、あるいは涅槃仏のような姿勢ですこし寝たかと思うとまた半眼で地図を眺める。


そして、明け方、鷲津・丸根砦から「つい先ほどから鷲津山・丸根山の両砦は今川方の攻撃を受けている」との一報が入った。


その情報(しらせ)を聞いた信長は、立ち上がって言い放つ。

「情報は確かなものであったか。ならば良し。佐脇、長谷川、誰やある!湯漬けを持て」


小姓たちはその声を聴き、飛び起きて湯漬けを準備する。

その時、信長は「敦盛」を舞い始めた。

「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。ひとたび生を得て滅せぬ者のあるべきか」と謡い、舞い終わった信長のもとに長谷川橋介が湯漬けを差し出す。


「出陣する。法螺貝を吹け、武具を持て、馬引けぃ」と叫ぶように言った信長は、立ったまま湯漬けを食す。良く通る信長の大声である。未明の清須城全体に信長の声が響き渡ったのは想像に難くない。


湯漬けを食べ終わった信長は手早く鎧兜を身につけ、あっと言う間に清須城から駆け出ていく。

付き従うは、この時、傍にいた小姓衆のみ。

岩室長門、長谷川橋介、佐脇良之、山口飛騨、加藤弥三郎の五人のみであった。


主従六騎は未明の大気を切り裂き、運命の場所に向かって、ただ駆けていく。

織田方の直前の動きでした。


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